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≪目次≫
はじめに
第1章 親の負担と子どもの負担
第2章 過熱する中学受験
第3章 経営からみた学習塾と私立中高一貫校
第4章 私立中高一貫校は“夢の楽園”なのか
第5章 公立中高一貫校の躍進
第6章 教育格差の現場を歩く
おわりにー「子どもの奪い合い」ではなく
≪内容≫
大変丁寧な取材による、中学受験のルポ。首都圏の話が中心となっているが、そして私立中高一貫校の話が中心となっているが、それはしょうがないことかもしれない。類書に比べ、実際の生徒へのインタビューや親へのインタビューも入っていて、生々しさを感じる。最終章では、教育格差の話にまで及んでいて、この本の趣旨から言うとちょっとずれている(この章は別の本にすべきだったかも)気もするが、著者は、調べていくうちに「教育格差」も書くべきと感じたようだ。
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同時代の子育てをしていたので、塾の名前や有名私立中高一貫校の名前が懐かしく思えた。
どうして、あの時、あんなに一生懸命に中学受験にこだわったのだろう。
そして、勉強しない子供にどれだけいらだっただろう。
せっかくの十代に親子ともども苦しい思いをさせたられたものだ。
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自分は高校まで公立で1年浪人して大学入ってそこそこかなと思っている口ですが、小学生の親という立場で読むとかなり切実。
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格差社会の中での私立小学校の位置を考えさせられた。学校が平等のための装置であることを取り戻すにはどうすればいいのか。
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中高一貫校の受験について、実例をもとに、プラス面、マイナス面を比較。子供がいる場合に中学受験するかどうかの判断に役立つほか、中学受験を通して初等中等教育の現状や課題についての理解も深まる優れたルポタージュである。
中学受験については、中高一貫校を「夢の楽園」として描くなど、美化された言説が多く流布している現状があるので、本書では、そのマイナス面を意識的に取り上げている。例えば、中学受験自体にかかる親子の経済的・心理的負担はもちろんのこと、中高一貫校に行ったとしても、内部で競争があり、「落ちこぼれ」が生まれる、家庭教師代や塾代もかかる、いじめもあるといったことである。
中学受験が盛んになったきっかけとして、都立高校の学校群制度の導入が指摘されていた。学校間格差をなくすという触れ込みで始まった政策が、都立高校の凋落をもたらし、それに不安を持った裕福な保護者は私立中高一貫校への受験に走り、余計に教育格差を拡大することになった。ゆとり教育も公教育への不信を高め、私立中高一貫校を利することとなった(ゆとり教育導入にあたって意思決定を行った中教審の委員に私立中高一貫校関係者がいて、自分たちを利するように誘導していたというエピソードも驚きだった)。公教育改革の影響の大きさを思い知るととともに、公教育改革にあたってはどういう結果になるのかをよくよく考え、しっかりと制度設計することが重要だと感じた。
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チェック項目12箇所。いわゆる、いい大学へ行くことが、必ずしも子どもの人生における安定や成功を保証しないことぐらいはこれまでの経験からわかっている、単純な話、日本の大学のトップにあるとされる東京大学に合格しても、社会でうまくいかない人はいる、しかし、会社の終身雇用制度が崩れ、行政によるセーフティーネットも脆弱な日本において、しっかりとした教育を受けさせることが、子どもの将来の生活を保障する確かな手段となる、という気持ちが子どもを持つ親の中で強くなっているのも事実である。私立中高一貫校では、中学と高校合わせて六年分の授業を五年で終わらせ、最後の一年を受験準備に充てる、いわゆる先取り授業である、そのため、公立の中学から高校に進むのに比べ、効率よく勉強ができるので、進学にも有利だ、と書いてある。「中学受験のときに習う<鶴亀算>や<旅人算>などより、生きた英語を身につけた方が、よっぽど就職には有利です、中学受験で使う200万円を大学のときまで子どものために貯蓄しておくことができれば、一、二年間の留学もできるはずです、要は、中学受験に関わるご家庭は、中学受験というスタートダッシュにこだわるあまり、大学までを通した全体的な資金計画が抜け落ちている場合が少ない、ということです」。中学受験はしばしば”親の受験”といわれる、それには主に二つの理由がある、まず、小学生が自ら中学受験の意味や意義を理解することはできない、二つ目の理由は、小学校では受験対策をしないため、小学生が自分一人で中学受験の準備をするのは不可能に近いということ。志望校でない私立中高一貫校ならば、公立中学に行けばいい、と思う人も少なくないだろう、しかし、受験という”長距離列車”に三年前後乗って、最後の試験という嵐の中に巻き込まれると、そこから抜け出し、公立中学を選択することは難しい。私立中学受験組の家族が抱える問題は、独特のねじれがあって、解決するのは非常に難しい、「親には、子どもが中学受験をしたいといったから受けさせたという気持ちがあります。けれど、子どもには親に中学受験を押し付けられた、という逆さまの思いがあるのです。その親に強制された中学受験の結果、みじめな思いをしたとなると、それが親への恨みやつらみに変わってくるんです」。「中学受験をするということは、”勝ち組教育”を目指しているということでしょう。たとえば、世間では”勝ち組”にみえる難関校に合格しても、その中で、一位から最下位までの序列ができるんです。つまり、世間的にはみんな”勝ち組”にみえる学校でも、その中では、また”勝ち組”と”負け組”が絶えず再生産されているんです。だから僕は、進学校といわれる私立中高一貫校に通わせるのは、一種のギャンブルのようなものだ、と思っているんです。たしかに成功すれば、見返りも大きい。けれど、失敗すれば大きなリスクとなる。その意味では、ハイリスク・ハイリターンともいえます。「効公立にもいじめを隠そうとする体質はありますが、公立の場合、あまりに悪質ならば、教育委員会が学校に入って調査する権限を持っています。けれど、私学の場合、教育委員会の管轄には入っておらず、教育委員会には私学を調査する権��はありません。事実上、私学のトップである校長や理事長に権限と責任が集中しているため、いじめをもみ消そうと思ったら、もみ消すことができるんです」。
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全般的に私立校に批判的で、公立中高一貫校に寄り添う論調。後者は私立一貫校と公立普通高のいいとこ取りなのだからアドバンテージがあるのは当然といえば当然なのだが。
ただ、行政が公立中高一貫校を整備するということは、中高一貫教育がベストの在り方であると行政が認めたことになる。それならば既存の私立一貫校に助成金を出すのが筋だろう。公立一貫校の存在を容認する根拠となっている「義務教育だから行政による一定の関与も必要」とする論理は、そのまま助成金制度を肯定する理由にもなる。助成のための審査という形で私学の教育内容に一定の枠がはめられるからだ。同じ効果が期待されるのなら行政の関与はより間接的なものの方が望ましいのではないか。公立中高一貫校は教員の数が通常の公立校より10~20人も多く密度の濃い授業が可能だというが、公的部門のなし崩し的な肥大化のようにも思える。
また、著者は私立では公立以上に陰湿ないじめが起き、隠蔽もされ易いとしているが、それらの理由として公立高にも当てはまり得るものばかりが列挙されており、説得力があるとは言い難い。むしろ、私立の方がいじめが起きた場合に受験者数の激減という形で市場原理の洗礼を受けるため、いじめを起すまいとするインセンティブが強く働くのでは。
さらに、手厚い公的支出により公教育は大学まで無料というフランスが理想型として紹介されているが、余りに面倒見が良すぎてモラルハザードが起きやしないかと心配になる。無職の親の4人の子供でも大学まで行けるというが、そのように簡単に社会に出た子供が本当に懸命に働こうとするのだろうか。
この本でも触れられている「学校群制度」や「ゆとり教育」の例を見ても、行政がやることが全て正しいとはとても思えない。補助金や助成金で、低所得者の子供が私学で学ぶための間口を広げてやるだけで十分だ。それに自分も三児の親として思うのだが、子供に勉強させるために親が苦労するのはそれほど悪いことだとは思えない。
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公立 対 私立 とはいえ、
共に中高一貫で、名こそ違え試験があって
選抜される訳で。
でも結局、近所の中学は選ばなかったのね。
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印象に残ったこと。
私立中学は「夢の楽園ではない」。
「塾いらず」ではない場合も多い。
「いじめ」がないわけではなく、場合によっては学校側に隠ぺいされてしまうこともある。
私たちは「プレジデント Family」や「日経Kids」などの雑誌を読んで、私立中高一貫校にわが子を入れたら、その後は安泰・・・など思っていないだろうか? この本にも書いてあったが、それらの雑誌記事は広告半分と思っておいた方がよいようだ。
もちろん、「よい」私立中高一貫校もあるだろう。けれども、そうでない学校があることを知っておくべきだと思う。
学校選びは難しい。
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「4章 私立中高一貫校は”夢の楽園”なのか」
私立学校では、イジメ等の問題があった時、情報は開示されず、内々で処理されてしまうことがあるということが紹介されていた。
外部の指導・監督という点では、公立学校以上に不十分である、という指摘もあり、これまでの私の印象とは異なり、驚いた。
しかし、私立学校へ進学させるということは、その(教育)環境を買うということでもあろうから、環境を維持するという観点、経営の観点から見れば、粛々と内々に処理することは正しいやり方にも思える。
被害者・加害者・その他生徒・教員・経営、(と簡単に分けることができるかどうかは置いておき)立場によって、受け止めの異なる問題だと改めて思った。
「6章 教育格差の現場を歩く」
親に経済力がなければ、子供に優れた教育機会が与えられない。当たり前の話にも思えるが、過去、(親に経済力がそれほどなくても入学できる)公立学校がエリート養成校であった時代があった、ということも紹介されている。
そんな親の経済力に依存しない競争を勝ち抜いた当時のエリートが、その競争の舞台であった公立エリート校を壊し、今の私立一貫エリート校の制度的存立基盤を作ったという指摘もある。どこかで聞いた話ではあるが、自分の勝ち得た地位を、子孫に繋ごうとする試み、というところか。
しかし、公立エリート校が存在した時代。そのエリート校に行けた家庭のクラスは、今の私立エリート校に行ける家庭のクラスと比べ、どれくらい限られていたのか、いなかったのか。そういう比較がないと、この指摘はあまり意味がないかもしれない。
私は、関西ではそれなりに優秀とされる国立中学に行ったのだが、それがどうだったのか、と問われても、どう答えていいか分からない。
ただ一つ思うことは、中学入試で測る学力が正確であればあるほど、そしてその結果として、高い学力の生徒が入学する学校であればあるほど、学校なんてなにもしなくても、高い大学合格実績が積みあがるというのは当たり前。
建学の精神が優れていて、洗練された教育が実施されていることを主張するのであれば、学力検査の結果に関わらず、どのような層でも受け入れて、受け入れ時からの向上分を「実力・実績」とアピールする学校があってもいいのではないかとも思う。
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高校受験のない学校に通う生徒ってどんなんだろうと思い読んでみましたけど、これは大変だなと思います。
私みたいな地方の人間は、大体市町村立の小学校と中学校→県立高校→大学というルートが一般的だし、勉強が出来る生徒もこのルートです。県内にはいわゆる超有名な私立進学校もあることはあるのですが、そこに入るのはよっぽどの能力がないと不可能。地元の小中学校からは数年に一人いればいいのではないでしょうか。
しかし、近年いわゆる「公立中高一貫校」が各地に設置されて、公立並みの授業料で私立進学校並みの授業を中学校から受けられるということで、人気が出てきています(東京の都立白鳳高校附属中学校による白鳳サプライズが教育界を揺るがせました)。
今後、私立の中高一貫校、公立の中高一貫校、市町村立の中学校の学力や経済力による棲み分けがなされるんでしょうか。多様な環境や能力の差から人間関係を学ぶ機会が失われるという危惧がある一方で、能力的に近い人びとが集うことでそれに見合った授業が展開できるというメリットもあります。つまり、能力の高い生徒がさらに伸びることもできるし、学力に問題のある生徒もじっくり学ぶことが出来ると言うことです。
今後中高一貫校は普及していくことでしょう。メリットとデメリットとをしっかりと考えながら、生徒たちにとって最良の教育環境を整えていきたいものです。
以下備忘録
公立中高一貫校の三類型
中等教育学校
→中学校からの入学しか認めない中高一貫校
併設型
→中学と高校から入学することが出来る
連繋型
→中学校が市区町村立で、高校が都道府県立というよに、世知する自治体が違う。
公立中高一貫校の入学に際しては、法律によって、私立中高一貫校のような学力試験を行わない(「学校教育法施行規則第110条)。学力試験の代わりに公立中高一貫校で行われるのが適性検査となる。
私立中高一貫校の入学試験は、国語、算数、理科、社会という科目ごとに行われ、受験生はどれくらい多くの知識を蓄え、試験用紙の上でそれを再現できるのかが問われる。
それに対して、適性検査では、小学校で学んだ技能を使って教科の枠にとらわれず、問題を解き、論理的な記述による解答を作成する能力が求められる。・・・原則として、小学校の授業を受けていれば受験(ママ。受検の間違い?)できるような問題作りを目指している。
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世の中にあふれる中学受験の本・雑誌。大学受験に強いなど中高一貫校のメリット、あるいは公立校への懸念や不安が書かれているが、本当なのか。
著者は業界紙時代の経験から、こういう本・雑誌は、広告主である私立学校や受験塾への配慮から、いいことしか書かない体質を持っていることを機敏に察知し、敢えて中学受験のネガティブな面に迫った。
読んでみると、実に面白い。本当に知りたいこと、聞きたい本音がたくさん載っている。特に、受験を降りた親子、入学した学校を退校した生徒の話など、受験雑誌では決して出てこない当事者の話は貴重だ。こういう事実も踏まえて中学受験に挑戦してほしいという意味で、受験生の親には必読の一冊だと思う。
ただ、後半に一定の分量を占める経済格差と学力格差、つまり、貧困家庭の子が十分な教育を受ける機会を与えられていないというテーマについては、これはこれでジャーナリストの著者としては重要なのだろうが、前半とは別のテーマで、この2つを1冊にまとめることが適当であったかという点は疑問が残る。
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本書の結論は、表題を「中学受験」ではなく「教育格差」としたほうがしっくりくるものだった。序と結章で主張の一貫性がなくなり、読了後はなんともいえない残念な気持ちになった。中学受験に実際にかかわった人々の取材を通じて、様々な立場のコメントを収集し、批判的に負の面を描き出そうとしてる。ただ海陽中学の次に、生活保護世帯の学習支援を行う「塾」を取り上げている。そもそも異なるシステムを比較しても、違うのは当然だろう。製作過程において、編集者側にも工夫できる余地があったのではないか。
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中学受験の光と闇を中立的に描いたルポルタージュ.結局,親が中高一貫校を通して子供に何を与えたいかなのだが,与える選択肢が貧弱に過ぎる点に問題点は集約される.それは塾から見たら鴨を背負った葱だろうて.
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『私立中高一貫校に関する情報に違和感を覚えたのは、業界紙に似た、内輪に甘い臭いが鼻についた』(はじめに)
『中学受験に対して(略)冷静な判断をくだす人たちがいる。(略)いずれも自分自身が私立中高一貫校に通ったという経験を持つという点だ。(略)そこが"夢の楽園"ではないことを経験値から分かっているのだろう。』(P226)
『地方出身の親の多くが中学受験にのめり込む理由の一つは、自分の知らない私立中高一貫校を必要以上に美化し、子供をそこに預けることさえ出来れば将来は安心だ、と安易に信じているところにあるのではないか。」(P226)
そうだ。よくわかる。
親としては悩ましい。
知り合い(特に女性)は中高出身者が多かったなーという、経験値のバイアスが自分にはある…。