「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
読割 50
紙の本
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)
著者 想田 和弘 (著)
「目の前の世界」をどう映すか? ドキュメンタリーを撮り続けてきた著者が、映画「Peace」のメイキングを通して、制作等にまつわるさまざまな問いへの答えを率直に語る。「表現...
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか (講談社現代新書)
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
「目の前の世界」をどう映すか? ドキュメンタリーを撮り続けてきた著者が、映画「Peace」のメイキングを通して、制作等にまつわるさまざまな問いへの答えを率直に語る。「表現」に興味を持つ人に贈るライブな映画論。【「TRC MARC」の商品解説】
なぜ/どうやって、ナレーションや音楽なしでドキュメンタリーを作るのか? なぜリサーチや打ち合わせなどをしないのか? 〈タブーとされるもの〉を撮って考えることは? 客観的真実とドキュメンタリーの関係とは? このような問いへの答えを率直に語る、いまもっとも注目される映画作家によるライブな表現論!
映画『Peace』のメイキングを通して語る、ドキュメンタリー論の快著!
著者・想田和弘は、いまもっとも注目される映画作家の一人。ニューヨークで映画を学び、卒業後もそのまま在住、テレビ・ディレクターとして、ドキュメンタリー番組を40本以上制作した。
2007年からは、事前のリサーチ・打ち合わせや台本なし、ナレーション、説明テロップ、音楽も使わない、「観察映画」と呼ぶ独特の方法論・スタイルでドキュメンタリー映画を撮っている。監督・撮影・録音・編集もほとんど一人で行う。これまでに、落下傘候補のドブ板選挙戦を描いた『選挙』、精神医療のタブーに切り込んだ『精神』と、一作ごとに大きな話題を呼んできた。
2009年のある日、彼は、韓国の映画祭から「平和と共存」をテーマとした映画を依頼された。テーマなしで虚心に撮るのを私是にしているのに先にテーマありきで、しかも「平和と共存」……「大上段すぎる」とためらいながらカメラを向けたのは、岡山で暮らし、福祉の仕事に携わる義父母とまわりの人々、義父が庭で世話する野良猫たちの静かな日常だった。
その作品『Peace』は、完成後、世界各地の映画祭で大反響を呼び、東京フィルメックスでドキュメンタリーでは異例の観客賞、香港国際映画祭では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。
・なぜ/どうやって、ナレーションや音楽なしでドキュメンタリーを作るのか?
・なぜリサーチや打ち合わせなどをしないのか?
・インディー映画作家の制作費や著作権について
・〈タブーとされるもの〉を撮って考えることは?
・客観的真実とドキュメンタリーの関係とは?
このような問いへの答えを率直に語る、ライブな表現論!【商品解説】
著者紹介
想田 和弘
- 略歴
- 〈想田和弘〉1970年栃木県生まれ。東京大学文学部卒業後渡米。映画作家。台本や事前のリサーチ、ナレーションや音楽などを使わないドキュメンタリーの方法論・スタイルである「観察映画」を提唱・実践。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
自分を棚上げにしない映画作り
2011/09/21 12:34
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ドキュメンタリー映画の監督の本。
著者が得意としている「観察映画」はどんな映画か。なぜこの方法で撮るのか、どのようにして撮っているのか、撮影・編集の間にどんなことを考えているのかを、最新作である『Peace』を題材に、非常に丁寧に伝えてくれる。
フツウの映画には台本やテーマがあり、また撮る人・撮られる人が明確に分けられている場合がほとんどである。ドキュメンタリー映画でもそれは同様である。本書でも言及のある『ゆきゆきて、神軍』(原一男監督)や『ボウリング・フォー・コロンバイン』(マイケル・ムーア監督)は、台本こそないが、テーマは事前に設定される。もちろん、撮影当初とは異なる視点や発見が立ち現れれば監督はそれを映画に練り込むのでテーマが「変化」する場合もあるが、「初めにテーマありき」であることには変わりがない。また撮影者としての監督が映画に登場する場合もあるが、それはあくまで「語り部」、一登場人物としての参加である。
が、想田監督が得意とする「観察映画」というジャンルでは、テーマを設定せず、撮影者(監督)は興味が向いた対象をただ撮っていく。対象との関係性から撮影者自身の「視点」が写り込む場合もある。このとき、普段は自分と他者との間に知らず識らずのうちに引いてしまった一線があることに気づき、意識的にその一線を越える(一線をなくす)、そのような視点で撮っている場合さえあるようである。
つまり、意識的かどうかはおいて、「自分を棚上げにしない」(棚上げにできない)、「生命学」的な立場からの映画制作。監督が「撮り終わった」と思ってから「編集が終わった」と感じるまで編集して、完成する。テーマはそのときに発見されていく。
こんな映画のジャンルがあるのかと驚いた。そして想田監督の最新作は「面白い!」と評価され、世界中の映画賞を総なめにしているらしい。
ともかく今わたしは『Peace』が猛烈に見たい。どこか近くでやってませんか。