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『虎に噛まれて』のベラ・リンの優しさが好きだ、『友人』の助けてるつもりが好きだ、『哀しみ』の仲がいいんだか悪いんだか(いやいいんだよこれは)の姉妹の息の合い方が好きだ、『ブルーボネット』『コンチへの手紙』なども◎。
アル中やドラッグなどの、なんじゃこりゃ?なダメダメ界も出てくるが、総じて切れ味いいよね。
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短編19作
すぅーっと入ってさっと沁みこむ
いつかの私だったり、いつかの友人だったり、そこにあるものは揺るぎない「生」
孤独や悲しみだけじゃない情感の豊かさの素晴らしさ、それを取りこぼさない訳者の凄さ
人生悪くないわよ
彼女のウインクが見える
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ルシア・ベルリンの物語はどれも最初の一行目から
行ったこともない時と場所へ連れていかれ、そこに居る登場人物に話しかけられ、巻き込まれ、戸惑ううちにいきなり私ひとり現実にポツンと戻された感覚で我にかえる。びっくりするし、あまりの救いのなさに同情したり、ああ良かった!と大笑いしたり
ため息のひとつもつきたくなるけれども全部ひっくるめて生きるということなのかもしれない。もともと本書は3年前に先行して出版された『家政婦のための手引き書』と併せて一冊だったもの。表紙の写真から最後、訳者あとがきまで、どストライク!
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「掃除婦」もそうだけれど、鮮明な映像を想起させる文章だ。
これが東欧の映画なら、蛍光灯のブルーグレーのカラーグレーティングがなされた画面になるのだろうけれど、これはもっと照度が高くて、埃っぽい感じになるんじゃないか。
どれも孤独な女の話。
孤独な女の話には、孤独な男の話とはまた違う寂しさがある。
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作者。美人。苦労されたのね。こうして、今、評価されていることを作者は喜んでいるだろうか。生きている時にもっと、とは思ったけど、今、読まれているのが、いいのよねえ。
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「虎に噛まれて」「エル・ティム」「視点」「緊急救命室ノート、一九七七年」「失われた時」「すべての月、すべての年」「メリーナ」「友人」「野良犬」「哀しみ」「ブルーボネット」「コンチへの手紙」「泣くなんて馬鹿」「情事」「笑ってみせてよ」「カルメン」「ミヒート」「502」「B・Fとわたし」の19編。
「掃除婦のための手引き書」を読んだ際、webで見つけた以下のようなカテゴリ分けを参考にした。
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※( )はやや頑張って組み入れた
/鉱山町で過ごした幼少期
『マカダム』『巣に帰る』(『ファントム・ペイン』)
/テキサスの祖父母の家で過ごした暗黒の少女時代
『ドクターH.A.モイニハン』『星と聖人』『沈黙』(『エルパソの電気自動車』『セックス・アピール』)
/豪奢で奔放なチリのお嬢時代
『いいと悪い』『バラ色の人生』
/四人の子供を抱えたブルーカラーのシングルマザー
『掃除婦のための手引書』『わたしの騎手』『喪の仕事』
(『エンジェル・コインランドリー店』『今を楽しめ』『ティーンエイジ・パンク』『さあ土曜日だ』)
/アルコール依存症との闘い
『最初のデトックス』『ステップ』(『どうにもならない』)
/ガンで死にゆく妹と過ごすメキシコの日々
『苦しみの殿堂』『ママ』『あとちょっとだけ』(『ソー・ロング』)
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今回は自分でそれをやってみようとしたが、そのカテゴライズがうまくいかず、「/その他」を作らざるを得なかった。
ーーーーー
※( )はやや頑張って組み入れた
/鉱山町で過ごした幼少期
/テキサスの祖父母の家で過ごした暗黒の少女時代
/豪奢で奔放なチリのお嬢時代
「メリーナ」(「コンチへの手紙」)
/四人の子供を抱えたブルーカラーのシングルマザー
「虎に噛まれて」「エル・ティム」「緊急救命室ノート、一九七七年」「失われた時」「情事」
/アルコール依存症との闘い
「野良犬」「502」
/ガンで死にゆく妹と過ごすメキシコの日々
「哀しみ」「泣くなんて馬鹿」
/その他(※「掃除婦のための手引き書」にはなかったカテゴリを新設)
「視点」「すべての月、すべての年」「友人」「ブルーボネット」「笑ってみせてよ」「カルメン」「ミヒート」「B・Fとわたし」
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原著を2冊に割り振った際に、前著は作者自身の経験に沿ったものが多かった(結果的に日本の読者に作者を印象付ける入門編になった)のに対し、本書は作者自身を離れたものがやや多め、ということなのかな。
とはいえ読後感は変わらず、人の喋り方や声、生活や感情の切り取り方が、いい。
もっと読みたい作家。
カバーを外して読んだが、仮フランス装の表紙や裏表紙がしっとりと優しい手触りで、嬉しい発見だった。
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・言葉不要。みんなで読書会したい。コピーして線ひきまくりたい。
・他の方の感想を見ていると、物語そのものへの感想だけでなく、「文章をそのまま一字一句」引用して書かれている方が多くて、気持ちすごくわかるなと思った。
・読んだ日の私の日記に『読んでいる時、「今私は(この小説のおかげで)人生の焦点が合っているな」と感じた。』と書いてあって、禿同、と思った。
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待望の ルシア・ベルリンの新刊です。
最初の一編『虎にかまれて』から釘付けになりました。
前作に登場したあの西テキサス一の美女、ベラ・リンが登場します。これは群像で読んでいたけど、そんなことすっかり忘れていて、
あの『セックスアピール』のベラ・リンだわぁと楽しめました。
ラストが暖かくてとっても良いっ。
どの短編にも通ずる、このニューメキシコとメキシコの国境あたりの空気感が魅力ですよねー。スノッブなニューヨークや西海岸の雰囲気じゃない、田舎のアメリカ。差別と偏見まみれの社会と時代がなんとも。
ルシア・ベルリンさん自身のことを書いた物もいいけど、看護婦時代に見た景色のような作品もとても面白くて。。
私は『情事』がとっても好きでした。オチがたまらなくいい!
『笑ってみせてよ』は、弁護士側と依頼者側と一人称が2つの視点で進んでいって、長編作品みたいなおもしろさがありました。
『ミヒート』も看護師側と、やってくる患者との視点で同じように描かれていたけど、あまりにも悲しくてやりきれない貧しさと無知さ、若さに目を覆いたくなりました。けど…やっぱりうまい。
先日
代官山蔦屋書店さんによる岸本佐知子さんのトークショー
「佐知子の部屋」をオンラインで拝見しました。
岸本さんが、ルシア・ベルリンの文章にはフリルがない。除湿されている。
なんていうお話をされていましたけれど、全くですね。
美しい比喩なんてほとんどない。でも情景描写にキレがあって美しいところがあるんですよね。
本当にいい作家はどんなに時間がかかっても、いつか世にでてくる。
のだそうです。
2004年にガンで亡くなるまで、ベルリンさんは知る人ぞ知る作家だった。
今、ようやく時代がその時の"知る人" のところに追いついたのですねぇ。
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「掃除婦のための手引き書」に収録されなかった短編を集めたものらしい。「掃除婦~」に続いてこれもすごくよかった。たくさんの人が出ては来るし、家族や恋人の愛もあるけれど(いやむしろだからなのか)乾いた孤独が一貫して感じられる。そっけない文章で、ドラック、アルコール、暴力、死、無計画な妊娠、そういうものにまみれた世界で上品なストーリーは全くない。しかし粗雑ではなく繊細なディテールに引き付けられるし、時々びっくりするほどの美しさに胸ぐらをつかまれて話の中に引きずられていく感じがする。そしてオチの余韻やひっくり返しがすごくきれい。これはこの人の小説じゃないと味わえないなと思う。
「あれってどういうものだと思う、とわたしは彼に訊いた。彼は手を出して、指と指をぴったり合わせてわたしの手と重ね、わたしに親指と人さし指でなでてみろと言った。どっちがどっちの手かわからなかった。きっとそんな感じじゃないかと思うんだ、と彼は言った。」
子供にこれ、言わせるか!と思いつつ、こういう超然とした子供の話がすごく面白いんだよな。私が好きなのは、オチが好きな「エル・ティム」、圧巻の水中世界を見られる表題の「すべての月、すべての年」、コミカルな進行にオチでちょっと泣かせてくる「情事」、愛と破滅が裏表でくるくる回ってるみたいな「笑ってみせてよ」。この人の小説をもっと読んでみたい。
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短編集だけど、ひとつひとつがすごくて
人生の孤独さと過酷さで泣きそうになる。
「世界はただ続いていく。大事なことなんてこの世に一つもありはしない、本当に意味のある大事なことは。それでもときどきほんの一瞬、こんかふうに天の恵みがおとずれて、やっぱり人生にはすごく意味があるんだと思わされる。」
特に好きなのが、「笑ってみせてよ」「すべての月、すべての年」「メリーナ」
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『だがそれほどにぎやかに人物たちに彩られていながら、彼女の書くものにはつねに孤独がぴったりと貼りついている。〈一年に一度くらいは会って、それはそれは楽しいけれど、すでに息子たちの人生の中にわたしはいないのだとわかる〉あるところで彼女はそう書いた。〈わたしがここまで長生きできたのは、過去をぜんぶ捨ててきたからだ〉そうも書いた』―『訳者あとがき』
再びルシア・ベルリンの短篇を読む。「掃除婦のための手引書」で既にお馴染みの登場人物たち。私小説と呼んでいいのだと思うけれど、如何にも不遇を託[かこ]つかのように見えるともそこに自己憐憫の気持ちはなく、自分自身を描写する冷めた眼がどの短篇にも通底する。それは良くも悪くも進むべき道を選び取ったのは自分であるという確信によって、自らの立ち位置を過剰なまでに再確認する癖の副作用か。当然その眼差しは自身だけではなく時に他人へも向けられ、拒絶反応を引き起こしかねない強さを投げつける。以前そのイメージから連想して、ヴィヴィアン・マイヤーのポートレート写真になぞらえてみたけれど、「すべての月、すべての年」でもやはり、その強烈だが寂しげな視線を感じずにはいられない。
『黒いショールにくるまって赤子を抱いた女たち。貧しく痩せさらばえ、受難者の目・救い主の目をした男たち。夜空の星は歌そのままに大きく明るく、これでもかというくらい輝いてみせるので、あの三人の博士たちがそのどれかを追いかけずにいられなかったのも無理はないと思えた』―『虎に嚙まれて』
ふと妙な連想をしてしまうのだが、繰り返し描き出される彼女自身の経験を素にした短篇を読んでいると、アガサ・クリスティーのミス・マープルを思い出してしまう。彼女が暮らすセント・メアリ・ミードはロンドン郊外の小さな村だけれど、彼女が他の場所で遭遇する事件や事件に巻き込まれた人々(犯人を含む)に似たものは全て一見長閑な田舎のセント・メアリ・ミードに全てあると、ミス・マープルは語る。もちろん、ルシア・ベルリンの辿ってきた道程はミス・マープルのそれとは大きくかけ離れ波乱万丈という言葉が相応しい激しい人生だけれど、この作家の描き出す世界は自身を取り巻く現実(敢えて言うなら小さな世界観)から決して逸脱しない。そしてその現実を冷静に観察し、そこから何か根源的な人間性のようなものを拾い上げる。決して、時代とか社会と格差とか、如何にも諸問題の根源のような世界観へ自分の住む現実を拡大しない。その視線がミス・マープルの観察眼や、ヴィヴィアン・マイヤーのファインダー越しの視線をどことなく彷彿とさせるように思うのだ。
その小さな世界の中には全世界がある。それはつまり他者もまた自らの創造する小さな世界の住人であることを真摯に認めるという義務を伴うことでもある。その義務をこの作家は不承不承ながらも引き受けた。
『彼は視覚障害者のための「ヒルトップ寮」で新しく同室になったルームメイトがいかに散らかし屋かを面白おかしく語って聞かせ、わたしは声をたてて笑った。どうやってルームメイトの散らかしぶりがわかるのかがわからなかったけれど、そのうちに目���浮かんできて、目の見えないルームメイト二人でマルクス兄弟ふうのコントができるわねと言った。スパゲッティにシェーピングクリームをかける、床に落ちたマカロニ料理で滑って転ぶ、等々。わたしたちは声をあげて笑い、それから無言になって、手を取り合ったままプレザント・ヴァレーからアルカトラズ通りまで運ばれた。彼は声をたてずに泣いていた。 わたしも泣いた、自分の孤独と見えなさのために』―『緊急救命室ノート、一九七七年』
訳者のあとがきでも指摘されていることだけれど、この短篇集には複数の視線が交錯する作品が幾つかある。中でも「ミヒート」というメキシコからやってきた年端のいかない娘の不幸を、その娘と偶然に娘を病院で世話することになった(作家本人と思われる)スペイン語の堪能な医療事務員の二人の視線で語っていく物語には圧倒される。この医療事務員の過去は物語の中では語られることはないが、ルシア・ベルリンの読者であれば、彼女自身の若年での妊娠・結婚・離婚などを重ねて深読みしてしまうことだろう。だからこそ、英語の話せない異国の娘に対する少しいらいらとした気持ち(『こういう顔つきの女を見ると、ひっぱたいてやりたくなる』)と、厳しくも優しさのある態度(『わたしは彼女の小さな両手を握りしめた。「ゆさぶったとき、赤ちゃんは泣いていた?」』)をこの事務員が取ることの意味を考えてしまうのだ。もちろん、そんなものの答えなどはない、と作家は言うだろう。まるで彼女の短篇を締め括る鋭い言葉のような強い口調で。しかし捨ててきた筈の過去というやつは中々しつこくて、何処かに置いてきたと思っていてもいつの間にか足元に転がっているもの。それはこの短篇集を読めば明らかだ。
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全ての音が遮断された深い海の中を潜っているようだ。そういう瞬間を切り取った表題作の短編が比喩のようだが、その実、ルシアベルリンの作品そのものである。
それぞれの作品の読後は、静止して、ページを閉じたくなる。悲哀。しかし、これから生きていけそうな、現実に向かい合っていくしかないという覚悟、諦めが根底にある。
ところどころ、それぞれの短編がつながっており、そういうところも、孤独な人生そのまま。自分は自分で生きていくしかないという。
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前作に収録されなかった短編作品集。メキシコ人がよく登場しますが、貧困でアル中でヤク中、哀れなヒロインは文盲だったりして、アメリカ版ラ・ミゼラブルの貌を呈します。アル中あるあるは、リアルすぎて体験談と見まごうほどです。でも、ルシアは相変わらず冷めた目と乾いた文体で見届けています。いきなりの名前の洪水で混乱させるのは常套手段ですね。突然、人称が変わり、異なった視点で同じ物語を語る作品がいくつかありますが、とても成功していると思います。初恋の物語などはほのぼのしましたが、「ミヒート」はあまりの境遇に哀れを誘います。
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「掃除婦のための手引き書」に続き、翻訳家 岸本佐知子訳で送る作家ルシア・ベルリンの短編集第二弾。
ただアメリカではこれら全てが「掃除婦の、、、」のタイトルの短編集として発刊されていたらしい。
しかし、なんと言えばいいのだろう。
今回もそれぞれの物語に出てくるのは、アルコール中毒、麻薬中毒、貧困等々に埋もれて身動きのできない女性や、そこからもがき出ようとしている女性たちが多数出てくる。
しかし、何か大きな転機や、悲劇が起きる訳ではない。いや、別の見方をすれば起きているのかもしれないが、読者の側ではそれらが期待したようにはならないのがわかっているから、起きないと思って読んでいる、そして、読者の価値した通りに、期待したようにならない、それが日常である事が繰り返し語られている。
ただ、なんというのか、それぞれのありきたりな不幸の物語の中で、登場人物が際立って実在感がある、重みがあるように感じ取れるのはなぜなんだろうか。
この本の表紙の、ルシア・ベルリン本人の写真のように、登場人物からしっかりとこちらを見られているように感じられるのはなぜなんだろう。
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比較的裕福な白人家庭から、貧しいヒスパニックの世界に関わる(身を置く)ことになった女性。著者自身の生活経験を、いくつもの短編の中で様々に変奏しながら繰り返し語り続ける。巻末の訳者解説にあるように、「突き放しながら温かい。にぎやかなのに孤独」。自分と周りの人々のどうしようもなさに「慈愛と諦観のいりまじった」まなざしが注がれる。