紙の本
誕生日パーティ
2022/06/08 20:03
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
様々な場面や時代を横断する語りが見事に作用し、またポル・ポト政権下のカンボジアの惨状などが迫力ある描写で表現されている。とても面白かった。
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人間のドラマ
2022/02/03 11:27
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
まあなんとも凄まじい人間ドラマ。
主人公のキムは、カンボジアの難民としてオーストリアに住み建築家として成功し豊かな暮らしを送り幸せに家族と暮らしている。
キムの50歳の誕生日パーティーに、サプライズゲストとして妹のように同じ難民として引き取られていたテヴィが呼ばれた。
ここから物語はカンボジアの過去、難民として引き取られた時とパーティーの今と交互に語られ、キムとテヴィの過去やカンボジア時代の生活そして凄惨なポルポト政権の戦闘要員だったクメール・ルージュの実態が浮かび上がる。
読むのが辛いほど凄惨な事実だが、人が簡単にこんな風になってしまう事実、こうなるしか無かった事実を受け止めなければいけないのだろう。
物語は、何かおかしい、キム、テヴィのどちらかの記憶違いなのか、それともキムが記憶に蓋をしてしまったのか、読者は混乱して読み進めることになる。
これだけの過去を背負っては、ハッピーエンドとは思えないが、人はそれぞれ自分の物語を背負いながら、歩み続けるしかないのだろう。
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なかなか・・・
2021/07/13 12:57
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投稿者:ぱんださん - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初にいっておくべきことは、ドイツ語圏の小説で、舞台の半分はオーストリア、ヨーロッパですが、内容的には約50年前のカンボジアで起こった凄惨な体験が中心です。正直、その、カンボジアのことは読むに耐えないくらい残忍で、心が締め付けられるなんてレベルではありません。正直、読んでいて苦しかった。ドイツ語圏の小説はいろいろ読んできましたが、間違っても「タイトルが『お誕生日パーティ』だから楽しい小説なのかな?」なんて気楽な気持ちで読んではいけません。『週刊文春』のミステリーレビューで池上冬樹さんが書かれておられる通り、胸をえぐるような罪の許しの物語であり、高い評価が与えられる作品かと思います。オーストリアの田舎での、主人公の平和な暮らし、家族と親しい友人・知人に囲まれた、ドイツ語圏でとても大切な人生の節目・50才の誕生日パーティ。そんな中で「子供たちが用意したサプライズプレゼント」で思い出すことになる過去。オーストリアの田舎の景色も、カンボジアの景色も、目に浮かぶよう。許しの要は実母、弟たちの乳母、オーストリアの養母と養祖母の、子供への深い愛情か。
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オーストリアの小説。久しぶりに翻訳小説を読んだが、日本語に訳された違和感がなく、抵抗なくストーリーに入っていくことができた。
内容も時間軸をいくつも前後して描かれ、それによって読者を惹きつけるミステリー要素となっている実際、終盤謎が明かされ、読者は驚かされる。
1970年代のカンボジア、ポルポト政権下での富裕層の家族と農民家族、そしてカンボジアからオーストリアへ亡命をした幼い2人の子供を養子として迎えたオーストリアの家族の50年以上にわたる物語である。それぞれの家族の歴史が綴られる。特にカンボジアの二家族の読んでいても耐えられないほどの辛く、悲惨な道程は胸を締め付けられる。
また先進国としてのオーストリアの家族にもそれなりに辛い歴史があり、カンボジアからの亡命した子供二人を引き取ることで家族としての絆を作っていく。
だが、ポルポト政権が残した人々への傷跡は、50年を過ぎた現代まで癒る事なく残り、それぞれの心の奥の表には出せない辛い思いがある。そこに登場人物たちの人間関係がうまくいかなくなる要素をはらんでいる。
しかし最後に人間の優しさを感じさせる終わり方をしており、そこに救いを感しる。大作映画を見た感動を味わえる作品だ。
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唐突に提示される父親の誕生日パーティーへの誘いのメール。
まさに前作『国語教師』の始まりような感じだったので、似たような話かと思いきや、まさかの負の歴史の悲劇と教訓、罪と後悔の物語。
物語への吸引力、読後の胸に残る思いは間違いなく星5つ級。
だが、クメール・ルージュ時代の描写が辛すぎる。
辛すぎて途中読むことをやめたくなることも多々あった。
様々な困難はあるにせよ、この時代、この国に生まれ心豊かな日々を送れていることのありがたさを嚙み締めずにはいられない。
いくつもの時代、場面、目線を変えての構成がこれまた前作を彷彿させ、周到に組まれた展開の妙に引き込まれていくと共に、辛い描写のほど良い息継ぎとなっている。
そしてやはり単純な結末ではなかった。
読中感じていた違和感に対するカタルシスも十分。
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本邦初訳となる前作『国語教師』で度肝を抜かれた作者の最新作。50歳の誕生日を迎えるキムに、末息子が用意したサプライズとは……。多数の登場人物、様々な場所、過去や現在が頻繁に入れ替わり何が起きているのか把握しづらいが、クライマックスですべてが明らかになり呆気にとられた。うーん、これは再読したい。
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クメール・ルージュのあまりの残忍さ凄惨さに、何度も途中で読むのを止めようかと思ったほど。しかし、(訳者あとがきにもあるように)ピースが足りない感がずっとあって、中程からはもう一気読み。終わりのほうで、そうだったのかー!とか、だから〜〜〜だったのか…とかやっとピースがはまり、また子世代の若者たちの明るさに救われる。
いやー、この筆力すごいな。そして、浅井晶子訳にハズレなし、がまた更新されたのだった。
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「国語教師」がとても良かったので読んでみたのですが…
時間軸が前後していて切り替えが上手くいかなくて混乱。
凄惨な場面も多く、理由がわからないながらもキムの内面の苦しさがひしひしと伝わってきてこちらもその苦しさに同調してしまう。
ただ、カンボジアのことを知る良い機会となった。
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主人公キムはカンボジア出身で今は妻と3人の子供と共に、オーストリアの田舎に住む。建築事務所に勤め、堅実に暮らしている。もうすぐ50歳の誕生日。欧州では(節目ならば特に)誕生日は友人や親族を招いて盛大に祝うもの。キムは大ごとにはしたくなかったが、妻のイネスが張り切っているので、しぶしぶながら、パーティーを開くことに同意する。
一番下の息子、12歳のヨナスは、父親をびっくりさせようと、あることを思いつく。父がかつて知っていた、ある女の人を内緒で呼ぼう。その女の人は、母とも親しかったはずだった。彼女を探し出して来てもらおう。それが彼のサプライズプレゼントだ。
そしてパーティー前日、その女性、テヴィは本当に来てくれた。
それは確かに「サプライズ」だった。けれども、ヨナスが期待したように、父と母に喜びだけをもたらすものとはちょっと違っていた。3人の間には、特に、キムとテヴィの間には、深い因縁があったからだ。
タイトルからはちょっと想像がつかないくらい、うねりの大きな物語である。
キムとテヴィは、ポル・ポト時代のカンボジアから辛くも逃れてきた移民だった。テヴィは富裕層の出身、キムは貧民層の出身である。彼らはきょうだいを装い、逃亡の途中で別の家族の中に入れてもらう形で、オーストリアにたどり着いた。
イネスの母と祖母は、子供のキムとテヴィを引き取り、イネスのきょうだいのように育てた。しかし、テヴィはフランスに本当の親類がいることを知り、やがてイネスの家を出ていくことになる。
こうした物語が、時代を変え、視点を変え、時に語り手を変えながら、1章ずつ紡がれていく。現代と、キムとテヴィがオーストリアに着いて以降と、そして70年代のカンボジアとを行き来しながら。
物語が進むにつれ、徐々に不穏な雰囲気が高まる。
特に、一人称で語られるカンボジア。
純朴な少年が、クメール・ルージュに取り込まれていく。少年には、富裕層への怒りや不公平感が確かにあった。正義を求める気持ちもあった。
クメール・ルージュも一面、大義を掲げる部分はあった。富裕層だけがいい思いをして、大半は貧しいなんておかしい。それ自体は間違いではない。
だが、どこからか、いつからか、彼らは道を踏み外していく。
贅沢品を捨てろといったところから? 富裕層を都市から追い出し、農村へと追いやったところから? 極端な共産主義的農村国家を追求し始めたところから?
彼らは次第にサディスティックな様相を帯びていく。
あちこちで「大量粛清」が行われ、ささいなことで人々が殺された。「オンカー」なる謎の指導者の意に染まぬとされた者は、容赦なく切り捨てられた。
少年も自身や家族の身を守るため、徐々にその手を血に染めざるを得なくなっていく。
時代を行き来しながら、キム・テヴィ・イネスの背後にあるものが次第に露わになっていく。
皆が少しずつ、何かを隠している。皆が少しずつ、何かを誤解している。皆が少しずつ、違うところを見ている。
彼らが最後にたどり着くのはどこか。
著者は前作で「ドイツ推理作家協会賞」を受賞している。著者自身は���作をミステリと分類されることには抵抗があるというが、本作もミステリ的な要素がある文芸作品といってよいだろう。1つの大きな仕掛けがあり、それが高いリーダビリティの牽引力になっていると思われる。
構成は見事だ。
途中の重い展開からはいささか意外だが、最後にはある種の救いと希望が見られるのも、著者の並々ならぬ力量を感じさせる。
とはいえ、若干の引っ掛かりはある。
オーストリア人の著者の家では、かつて実際にカンボジア難民一家を引き取っているという。クメール・ルージュの描写は彼らからの聞き取りに負う部分もあり、著者は生半可な姿勢でこの題材を書いたわけではないのだろうとは思う。
だが、創作と事実を並べたときに、事実が重過ぎるように感じてしまう。
物語がよく出来ている、よく出来「過ぎ」ているために、歴史的な悲劇を「利用」したようにどうしても見えてしまうのだ(そして付け加えるなら、本作にはもう1つ、人道的に議論のある問題も含まれる。このトピックの扱いも若干センセーショナルに過ぎると思う)。
著者としては、イヤミス的なものであったり、露悪的になったりというあたりは狙っていないのだろうと思う。
個人的には、ここまで深く知る機会がなかったクメール・ルージュについて知れたことには感謝したい。巻末のカンボジア小史も簡潔でよくまとまっており、学ぶところは大きい。
が、手放しで誉めるか、他人にも薦めるかというと躊躇いは残る。
揺さぶられる読書であることは間違いない。だが、クメール・ルージュを描くに十全な手法が「これ」だったのか、個人的には釈然としない。
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ポルポト暗黒時代のカンボジアと、その地獄から生還した者たちのその後を描く。過去と現在を往来しつつ、次第に伏線が回収されていく結構。それにしても、偏った情報しか与えられず、間違った思想に流されていくさまとか、一部の狂気が圧倒的な犠牲者を生むさまとか、今これを読むと、どうしてもロシアを思い浮かべずにいられない。戦争を止めろ。
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読み終えた後、3回以上、メイ家の章を中心に読み返して、やっと状況が理解できました。
口数の少ない上の弟、これがキムなのですね。
パーティーの場面から、ずっと明言が避けられ、まるで、キムが語っているかのように物語が進み、ずっとずっと騙されながら読み進めました。
カンボジアに暮らす、2つの家族、
オーストラリアで、2人の難民を受け入れた1つの家族、
それぞれに苦悩があり、3つの家族はそれぞれの世代で様々な運命を辿って絡まり合っていく様、
読者を翻弄するかのように、時も場所も語り口も次々と移ろい、誕生日パーティーと共にフィナーレへと向かっていき、最後は一気読みでした。
翻訳でしたが、少しも違和感を感じる事なくグイグイ読ませました。素晴らしい事だと思いました。
また、ヨーロッパの著者によって、アジアにある国の残酷な歴史の一部を垣間見る事になるとは、なんともイロニー(皮肉)な感じです。
鴨の住む水辺、この場面が繰り返し出てきて、とても印象に残りました。鴨自体には、戦争も何も関係のない時間が流れていて、戦時にも、平和な時も、私たちはその命をもらって生きています。
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子供たちが誕生日パーティーに招いたのは、かつてのカンボジアを共に生き延び、この地で共に暮らしていた1人の女性。
一体なぜ、疎遠になってしまったか。
回想と現在を行き来しながら語られていく。
最初は、カンボジアの描写が辛くて辛くてページが重くて、違和感に気づけなかった。
あるところで、あれ?と違和感が襲う。そしてなぜ違和感を抱くのか、正体に気付いた時、巧妙さに思わず唸ってしまった。
これだから小説は面白い。と思わされた一冊。
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いじめられたくないから、いじめる。
世界共通の子供心。
そして子供ゆえの残酷さ。
はじめは、自分達の正義のためだったのに、心にも身体にも、国土にも、傷を残してしまう。。。
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読書備忘録673号。
★★★★★。
作者の実力が遺憾なく発揮されたミステリー。
時代も舞台もばらばらな場面が入れ替わり繰り広げられ、徐々に全体像を描いていく手腕。しかし、そこに間違いなく感じる違和感。そして巧妙に仕組まれたミスディレクションの罠。さすがとしか言いようがない。
★5つに飢えていたので、即決★5つにしてしまいました。笑
舞台はオーストリア。片田舎で家族と幸せに暮らすカンボジア移民のキム。
50歳節目の誕生日を迎える。ヨーロッパでは、誕生日パーティは特別な意味を持っているとのことで、特に40歳とか50歳の節目には、自ら盛大な誕生日パーティを企画するのだとか。
本人は乗り気でない誕生日パーティ。妻のイネスが進める。そして末っ子のヨナスが考えたサプライズプレゼント。それは、キムがかつてカンボジア内戦を共に命からがら生き延びた妹と言っていい、今はアメリカで暮らすテヴィを招待すること。
誕生日パーティに現れたテヴィ。得意になるヨナス。そして、固まるキムとイネス・・・。彼らの過去には何があったのか・・・。
そして物語。1970年代の平和なカンボジア。ポル・ポト率いるクメール・ルージュの台頭。政府軍(+米国)との内戦。ベトナム戦争終結と共に引き上げた米国の後ろ盾を失った政府軍の敗北と、代って支配したクメール・ルージュ暗黒の時代の場面。この時代のキムの生家・メイ家のシーンや、テヴィの生家・チャン家のシーンが織り交ぜて語られる。
時代と舞台は飛び1980年代。キムとテヴィがオーストリアにカンボジア難民として助けられ、イネスの家族に引き取られるシーン。
イネスの母、モニカの日記のシーン。
これらのシーンがパズルのように断片的に語られ、読者は自分の頭の中で組み立てていく。
ただ、当初から違和感が・・・。キムは3兄弟。カンボジアのシーンでは、常に1人称で物語が語られ、兄、弟と表現される。ん?勝手にキムのことを長男と位置付けている自分。途中から重要人物が突然現れる。ん?次男くんか?
そして、イネスやキムがテヴィに会いたくなかった理由が、パズルの絵が完成するに従い明らかになっていく・・・。
同志・ナイフ職人とは誰なのか?テヴィの両親や姉達を処刑したのは誰なのか?キムは自ら記憶を改竄しているのか?テヴィは何を誤解しているのか?イネスは何を隠しているのかっ!笑
読んでのお楽しみですが、ちょっとネタバレが過ぎましたが。笑
そうそう。
カンボジア内戦の描写の凄まじさはありましたが、数十年も前に観た映画「キリング・フィールド」を思い出し、頭の中ではビートルズのイマジンがヘビーローテーションしていた。一見の価値のある映画です。