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商品説明
特殊法人改革や郵政事業民営化などの、財政投融資改革がもたらした制度変化と、残された課題について解説。財政投融資の役割や意味を明らかにし、政府金融システムの虚実を問う。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
新藤 宗幸
- 略歴
- 〈新藤宗幸〉1946年生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。千葉大学法経学部教授。著書に「技術官僚」「概説日本の公共政策」など。
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紙の本
「第二の予算]財政投融資の全貌
2009/03/27 22:16
15人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は新藤宗幸千葉大学法経学部教授が著した財政投融資がはらむ問題点についてまとめた本である。新藤教授は度々NHK他に出演するが、その立ち位置は明らかに野党であり、居並ぶ政府関係者にいちゃもんばかりつけているというイメージがあったが、本書を読んでそういう先入観をかなり払拭することが出来た。なかなかどうして説得力ある筆致で、財政投融資がかかえる問題点を鋭く分析している。
財政投融資の問題点は何か。それは「第二の予算」として、一般会計、特別会計の枠を超えて公共投資や独立行政法人、公益法人に資金を注ぐ資金源となっていることであり、もう一つは、これは国会の不作為が多分にあるが、「第二の予算」として重要な機能を果たしているにもかかわらず、その全体像が国民には分からないまま放置され、事実上、利害関係者(政治家、官僚)のやりたい放題となっていることだろう。
財政投融資とはあくまで政府による貸付金である。税金もしくは国債という借金で調達して使いっぱなしの歳出とは根本的に異なり、いつかは政府に返さなければならない金である。しかし、これは「貸す側」の論理であって、「借りる側」にしてみれば、カネはカネである。橋をつくるにしろ道路をつくるにしろ、政府から歳出としていただくカネと財投から引っ張ってきたカネに色がついているわけではない。こうして財投は膨張する一方の公共事業を支え、特殊法人・公益法人の濫設を支える原資となったのである(財投の原資になっている資金は何かといえば、基本的には財政融資資金特別会計が財投債で調達してきた資金、郵便貯金と簡易保険の資金、それに政府保証債の三つとなる)。
借りた金はいつかは返さなければならない。返すためには借金で行った事業が儲からなければならない。日本経済が右肩上がりで二桁の高度成長をしていた時代は日本全土で経済が沸き立っていたから、そのどこへどのようなカネを流そうと、たいていは儲かって、借金を返しても尚お釣りが来るくらいだった。このお釣りは国民の知らないところで官僚が天下りの原資とし、法外な退職金を何度も貰える渡りの原資とした。こうして「キャリア官僚は日本で一番おいしい職業」という名声が東大法学部を中心とする学歴エリートの間で確立していく。
しかし、日本経済の高度成長が終わりを迎え、低成長時代に突入すると「何をやっても儲かる」わけにはいかなくなる。代表的な例は東北や北海道に乱造した工業団地や本州四国連絡橋だろう。その昔、田中角栄が全国に新幹線網を建設しようと提案すると、時の首相佐藤栄作は「タヌキでも乗せるきか」と田中の計画を破り捨てた。ところが昨今の政治家は「熊しか使わない道路のどこが悪い」とフォーク歌手まで引っ張り込んで胸を反らせる始末だ。これでは財政が破綻するのもやむを得まい。
財政投融資改革の道は長い。財投改革は大きく「入口(財投の資金源)の改革」と「出口(財投資金を使う特殊法人)の改革」に大別されるが、これらの改革が何時の間にか換骨脱胎されて「看板の架け替え」「統合再編して名前を変えただけで実質は存続」ということになりがちだからだ。財務省の説明によれば財政投融資の残高は急速に減っていて平成13年度末からの7年間で150兆円も貸付残高が減ったことになっている。150兆円とはすごい金額である。これだけの貸付を回収するということはよほど特殊法人なり公共事業なりに大ナタを振るわないと出来ないはずだが、そういう政府あげての大リストラの話を私は寡聞にして知らない。フタを開けてみれば「なーんだ」という話で、要するに財政投融資という政府からの貸付金が財投債という国債と財投機関債という事実上政府が保証する債権に振り替わっただけの話である。こういう「話のスリカエ」が財務省の説明には実に多い。ただ新藤教授は「財務省は財政赤字削減に努力するふりをしつつ、実は自分たちの影響力を拡大するために実は財政を拡張し続けてきた。そのための打ち出の小槌として財政投融資を乱用し、特殊法人を濫設してきた」とまで言い切っている。ここまで言い切っていいものだろうか疑問は残る。
本書を読むと小泉安倍内閣の下で断行された「財投改革」とは政府が抱えるはずだった「金利変動リスク」を解消することが主眼であって、財投機関の規模そのものを抑え込み、縮小することは必ずしも意味しなかったことが分かる。
それにしてもキャリアの国家公務員は大変である。若いときは月140時間以上のサービス残業を強いられ午前様は当たり前。しかし、同期20人のうち50歳前後で局長になれるのは数人で、後は全員早期退職を余儀なくされる。昨今、民間でも大手では65歳までは定年が延長される世の中だ。東大以下の難関大学を優秀な成績で卒業し、難関の国家公務員1種試験を突破して官庁に就職した人たちは、日本のエリート中のエリートである。それが50歳まで隠忍自重の滅私奉公を強いられた挙句、50歳で肩叩きでは居たたまれないのは良く分かる。第二の人生を保障しろといいたくなる気持ちは良く分かる。しかし、エリート官僚諸君を処遇するポストをこさえる為だけに、莫大な損失を積み上げるしかない「事業」や「独立行政法人」「公益法人」を乱造する贅沢を、我が国の財政は、もう許さないところまで悪化しているのも、また事実なのだ。
本書が出版された後、安倍政権・福田政権の下で財投の入り口たる政府系金融機関の大幅な改革が断行された。これは快挙といっていい。しかし、それも束の間、「百年に一度の経済危機」の下、麻生政権は日本政策投資銀行と商工中金の完全民営化を延期すると言い出した。理由は「弱者を救済するため」だそうだ。何時の時代でも既得権者は「弱者」を前面に押し立て、自分たちの権益を守ろうとする。我々は政府監視の手を緩めてはならないのである。しかし、政府を監視しようにも予備知識がなければ話にならない。何でもかんでも政府のやることなすことにケチをつけるクレーマーに成り果てるのがおちだ。その為の判断材料を持つためにも、本書は必読の書といえよう。