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国家が繁栄するためには、包括的経済制度を支える包括的政治制度が必要
2017/04/29 10:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コスモス - この投稿者のレビュー一覧を見る
国家が繁栄する(した)ことを説明するための理論として、
著者たちは地理説、文化説、そして無知説を否定し、「制度説」を支持しています。
国家が繁栄するためには、人々にインセンティブを与え、創造的破壊(経済的技術革新)を生み出す「包括的経済制度」が必要であることが示されています。そのような包括的な経済制度を支えるために、高度に集権化された政治機構である「包括的政治制度」が必要であることも示されています(これらのような経済制度や政治制度が成立するかどうかは、各国間の小さな相違に影響される)。
国家が繁栄するために必要な制度を述べ、それ以外の要因を否定しているので、人によっては「単純な制度決定論」に感じると思います(経済学者ジェフリー・サックスはそのように批判しています)。
また、繁栄していない国で、包括的な経済制度や政治制度が成立するために必要なことが示されていないことも残念に感じます。
(レビュー内容は上巻と同じ)
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まっとうすぎるかも
2016/07/30 20:17
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投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
上巻のレビューで書いたが、反グローバルの近年、これくらいまっとうな論が、改めて必要なのかもしれないと思いなおす。読む価値は十分あるしね。
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訳者のあとがきがすべて
2022/09/10 09:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
上下巻に分かれた大部な書物であるが、手際よくまとめられた訳者のあとがきがすべてを語っている。
「包括的」「多元的」「収奪的」という単語が頻出するが、普通に使われている意味とかなり異なるので私はいちいち下記のように言葉を置き換えて読み進めた。
包括的=>自由公正
多元的=>広範囲
収奪的=>専制的
基本的には、マルクスの主張とは逆に政治社会が経済を規定するという主張。納得できるところは多いが、なぜイギリスに「包括的」社会政治体制が発達し、フランスは遅れたのか、「偶然」で片付けているが腑に落ちない。
著者二人の経歴からも明らかなように、欧米特に英米中心の記述。東アジアに関しては粗雑な記述。中米の社会.政治体制について詳しく書いてあるが、アメリカの巨大果物企業による支配、いわゆる「ババナ共和国」に関する記述がないのは大変に疑問。
13章のアフリカ諸国の話はげんなりすることばかりである。先日、日本国政府は中国に対抗して専制的なこのような国々に資金援助することを発表したが、資金が武器弾薬傭兵などに使われアフリカの人々をよりいっそう苦しめるのではないかと懸念する。
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ボツワナの話が印象に残った。広く浅い、また「偶然」という言葉に頼りすぎてる感はあるが地理的にも歴史的にも広範なデータをとっていて、そこにこの文献の価値がある?
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包括的制度の好循環のメカニズムは、権力の行使に対する制約と、社会における政治権力の多元的な分配だと論じている。果たしてそうだろうか?この定義からすると中国は包括的制度からほど遠い。にもかかわらずリーマンショックから立ち直るきっかけを作った経済刺激策は中国から発動された。民主主義のスピードでは成しえない政策に世界は羨望した。そしていま、世界はトランプ政権に翻弄されている。だとすると、包括的制度とは、何とも危ういものともいえる。だからといって収奪的制度を肯定する理由にはならないが。
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包括的政治と収奪的政治をキーワードに、国々の発展の差異を解説したり、また悪習から脱する事の困難さを論じている
。
下巻の始めの章で語られてる、アフリカのアパルトヘイトの前身を作り上げた過程を描いた話は読む価値があり。
総費用を安く抑える為に、人件費の安い外国に頼るというのはよく聞く話。しかし総費用を抑える為にある国の人件費を恣意的下げる(=経済レベルを後退させる)政策取ったというのは何とも恐い話。全く自分の価値観になかっただけに感心させられると同時にの罪深さ、傲慢さに驚かされた。
政治制度という立場が人を狂わせるということは、基本的には性悪説のスタンスなのかな。だけに制度が重要で、制度によって人を律する事が何より大事、と理解しました。
帯ではジャレド・ダイアモンドが引き合いに出されているが、生物的発展に焦点を当てた『銃・病原菌・鉄』と、国の繁栄衰退に焦点を当てた本作はあくまで別物かな、というのが最終的感想。
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上巻では包括的な政治・経済制度(自由主義、民主主義、多元主義、私有財産性、市場経済など)が、豊かな国を産んだ特徴で、収奪的な政治・経済制度(独裁主義、共産主義、奴隷、農園制度、行きすぎた中央集権主義など)が、貧しい国の特徴と述べられました。
では、そうした制度はなぜ今日まで続き、豊かな国と貧しい国を分けているのか。そして、収奪的な制度は打破できるのか。包括的な制度が根づく条件は? が、主な下巻のテーマ。下巻でも様々な国家の歴史的事例が挙げられています。
基本的に国家の制度は、収奪的に出来ているというのが著者の意見。それが崩れるきっかけになるのが、大きな社会的うねりだとしています。例えばヨーロッパではペストの流行で、宗教や封建制度への絶対性が揺れ、日本を例にすると、明治維新がそれにあたるそう。
そうした社会の揺れに加えて、収奪的な制度を倒そうとする人々が必要です。イギリスの名誉革命。明治日本の大政奉還までの流れ。しかし、ここで重要なのは政治を改める人たちが多元的であること。
もしこれが、一部の人たちの動きなら、結局その一部の人たちのための政治に置き換わるだけで、制度が抜本的に変わるということはないとのこと。
そして、一度包括的な制度の流れができれば、選挙や憲法ができ、独裁的な政治や、占有された経済制度が生まれにくくなる。また公正なメディアも発展し、庶民に情報を与えることも、それに寄与します。
そして包括的な政治・経済の下で国家が発展していくため、それを抑えようとする動きも弱くなります。もし、何者かが権力を握り自由な経済を閉ざせば、その瞬間経済成長が止まってしまうからです。だから、わざわざ独裁、共産的な動きをしようとする人はいなくなる。
そういう好循環もあれば、悪循環もあると著者はしています。
収奪的な制度は、権力者が自分たちの特権や富を守るため、軍や司法を支配します。その力は絶対的かつ魅力的。結果起こるのは権力と富を狙う終わりなき内紛。また、そうした独裁者やクーデターを抑える憲法も制度もないため、政治も経済も改められることなく、結局悪循環が続くとのこと。
著者は中国に注目します。政治的には共産主義国家ながら、経済自体は資本主義的で今や、アメリカすら脅かす存在になりつつある中国。著者の意見では、中国の成長もこのまま続かないと予測しています。
中国の成長というのは、イノベーションや自由競争によるものではなく、国家が先導して成長分野に積極的に投資をしているからこそ、享受できている。そのため、その成長分野が限界を迎えれば、やがて立ち行かなくなる。
また成長にはイノベーションが欠かせない、というのは上巻でも書かれていたけど、中国はその政治体制ゆえ、イノベーションの芽が出にくい制度らしいとのこと。そのため成長に限界を迎えた先の、変化が起こらない、というのが著者の意見。
そのように事例と意見をまとめながら、繁栄した国家、衰退していく国家の共通点を見出していきます。
著者も本の中で言及しているけど、あえて細部を省いて大枠で見て、繁栄する国家と衰退する国家の共通点を見出していったそうです。そのため、事例や歴史的な記述が多く、ついて行くのが大変だったのですが、大枠としての著者の主張はとてもシンプルで、理解しやすかったと思います。
世界史に明るかったら、もっと読み込めたのかなあ、と思う反面、そうでなくても主張を理解させる論の進め方は、読んでいて親切に感じました。
この本でもう一つ印象的だったのは近代化論の話。近代化論とは、独裁、共産主義の国家であっても、労働者の給料の水準と、教育水準が上がり続ければ、いずれその国家は、民主主義、人権、市民の自由、所有権の保障などの変化が起こるというもの。
著者は中国を例に挙げ、この近代化論に疑問を投げかけています。
最近の中国を見ると、経済成長は確かに著しいものの、香港やウイグル、コロナウイルスの初動の問題など、政治体制が変化する兆しを見せるどころか、ますます悪くなっている印象。
それどころか、世界に目を向ければ、アメリカの自国第一主義や、イギリスのEU離脱など、自由主義や多元主義によって成り立つ、包括的政治・経済制度はどんどん後退していっているような……。
著者は、国家というものは基本的に収奪的制度に陥りがち、というようなことを書いていたけど、近代化どころか、衰退がまさに現実になっているような気がします。
グローバル化が進んで、一つの大国が政治や経済を閉ざせば、それがすぐに世界に波及する現代。この本が導き出した富める国と、貧しい国の境目は、もはや一国家の問題ではなく、世界が共通してもたないといけない認識のように思いました。
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ローマ帝国、ヴェネツィア、清…歴史を紐解けば衰退した大国は多い。現代においても、メキシコと米国、北朝鮮と韓国のように、国境を接しながらも発展に大きな差がある国家は多い。国家はなぜ衰退するのかという遠大なテーマに対して統一理論を提供しようとする試みは挑戦的であるが、民主政治の肯定という目的が先にあるように感じる。
創造的破壊をベースにした経済的強者の交代可能性こそが繁栄の条件であるという議論については同意できる。イノベーションを駆使することで社会的に成り上がるモチベーションが存在するからこそ経済が発展するし、そのために財産権の確保をはじめとした法の支配が必要であるというのは正しい。
しかし、現代中国の経済発展を見ればこの条件には必ずしも多元的な民主主義は必要ないだろうとも感じる。
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本書では国家間で経済発展の差が生じている原因を多くの条件の差異がある中で、政治経済制度に求めている。政治経済制度を包括的な制度と収奪的な制度に分け、前者は長期的な経済発展は可能とするが、後者は短期的には可能であるだろうが、長期的にみると必ず歪みが出て、破壊的innovationが妨げられ、経済発展が妨げられる、としている。包括的な制度と収奪的な制度の間の差は、権力が多元化しているか否かであり、前者はしている一方で後者はしていない。前者は自由民主政治が行われている社会であり、後者は独裁国家のほか、ソマリアのような統一政権が明確でない国も含まれる。
本書では最後に現在の中国は収奪的制度の国であるため、現在の経済成長は一時的なもので、破壊的なinnovationは生じずに経済成長は止まると考察している。本書は2013年に発行されたものであり、7年経過した現在、その予想は今のところ当たっていない。しかし、体制に不都合なものを認めない姿勢は変わらず、包括的な制度に移行する見通しは立っていない。本書の予言通りになる日は来るのであろうか、注目である。
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国家の盛衰を決めるのは何か?それを解き明かすのが本書のテーマである。従来のこの問いに対するアプローチとしては、地理的相違、文化的相違、国家のリーダー層の知識や能力の差異などが挙げられる。これに対し著者たちは、制度の違いに着目する。
では、典型的な衰退国家はどのような制度をとるのだろうか?
著者たちは、一部のエリート層に富を集中させ、経済格差を広げるような制度を収奪的な経済制度と呼ぶ。このような制度は、一部のエリート層に権力を集中させる収奪的な政治制度を伴うことが多い。収奪的経済・政治制度の最大の問題点は、経済的な成長のインセンティブが生まれづらいことである。
シュンペーターが創造的破壊という概念で論じたとおり、通常イノベーションには破壊が伴う。つまり、イノベーションの恩恵は国民にあまねく均等に届く訳ではない。既存のレジームの破壊の裏で、新勢力が台頭することで、成長が牽引されることが多い。したがって、自らの富や権力を守ろうとするエリートたちはイノベーションを恐れる。結果、あえて成長の芽を積むような政策がとられることも多い。
また、エリートになることで得られる莫大な利益のために、クーデターなどの挑戦を受けやすく、国家が不安定になりやすい。この場合、エリート層が交代しても、彼らもまた収奪的な富と権力に浴する可能性が高く、収奪的な制度が維持されることがほとんどである。したがって、国家は不安定であっても、収奪的な制度については、安定的に維持されがちである。
逆に繁栄する国家はどのような制度をとるのだろうか?
国家の意向が国全体に行き渡るほど十分に中央集権化されていながら、同時に様々な集団や階層に権限が配分された多元的な政治制度を、著者たちは包括的な政治制度と呼ぶ。このような制度は、私的財産権や自由で平等な取引機会などを備えた包括的経済制度と組み合わされることが多い。
包括的な政治・経済制度のもとでは、努力の成果が本人に還元されるので、人々の努力のインセンティブを生み、それが成長の原動力となる。イノベーションで生み出される創造的破壊によって旧体制が弱まり、社会にうまれる新たな階層が十分な政治的・経済的力を得られる。よって、ひとたび包括的な政治・経済制度が確立されれば、制度をより包括的に押し進める好循環が生まれる。
また、富も分散しているため政治権力を独占する旨みが少なく、そもそも政治的権限が分散しているため、政治権力が独占されにくい。よって、包括的国家が安定して維持されやすい。
国家が繁栄するためには、収奪的な制度の悪循環の鎖を断ち、包括的な制度に移行することが肝要と著者たちは説く。今日繁栄という栄誉に浴する国家はおしなべて、これに成功している。
しかし、残念なことにこの移行を必ず成功させるための万能薬は存在しない。なぜなら、収奪的な国家の制度に伴う既得権益が、そのような移行を拒むからである。収奪的国家の衰退は、自国エリートの無知により起こるのではない。収奪的な制度が、自国の成長を犠牲にしてでも甘い汁を吸��続けようとするインセンティブを、エリートたちに与えてしまうからである。
実際に著者たちは、収奪的制度から包括的な制度への移行に成功した国々も、(そのための下地が必要条件になるとはいえ)偶然による所が大きいと考えている。このような偶然のトリガーによって、その後の国家の道程が大きく異なってしまうことを、著者たちは制度的浮動と呼んでいる。
標準的な経済理論と比した本書の最大の特徴は、経済的な制度だけでなく、政治的な制度との相互関係に着目していることであろう。彼らのいう包括的な経済制度は、経済学者のイメージする「自由な市場」に近しい概念に思われる。経済学者たちは、これを前提に話を展開するが、多くの国ではこの前提が成り立っていない。前提が偽であれば、どんな結果も真とすることができてしまう。
国家の経済制度と政治制度の相互関係と、それが国の成長に与える影響を考察するため、著者たちは様々な国の歴史を丹念に紐解くというアプローチをとっている。各々異なった展開を見せる各国の歴史を学ぶのは楽しい。それ自体が本書の魅力のひとつといえる。しかし、その一見すると異なって見える各国固有の歴史が、二つの制度のフィルターを通すことで、驚くほど統一的かつ体系的に整理されていく。これこそが本書の最大の魅力であろう。
実際に本書は様々な国でベストセラーとなり、好評を博している。しかし、当然批判的な意見もある。その最たるものが、本書の主張が「単なる制度決定論」であるというものだ。しかし、先に述べたとおり、どのような制度が定着するかは歴史の偶然による所が大きい。さらに既得権益を巡る反発のために、よくわかった誰かが包括的制度の手解きさえすればそれが根付く訳でもない。制度的浮動という概念で歴史の分岐点における偶然を強調した彼らの理論は、良くも悪くも「決定論」とは言いがたいと感じる。
ふたつめの批判は、著者たちの理論は(例えば国連などによる)衰退国家の開発政策の立案に活かしづらいというものである。これもまさに今しがた述べた理由による。つまり、彼らの理論が偶然に帰する所が大きい上に、衰退国家の既得権益者の個人的なインセンティブに阻まれ、拒否されたり骨抜きにされることが多いためである。
確かに彼らの理論は、衰退国家を繁栄に導く処方箋を直接教えてくれはしない。しかし、彼らの理論は(他の経済学の理論と同様に)「社会を見る目」を与えてくれる。それをうまく活用すれば、少なくとも有効な処方箋の策定に間接的に資することは想像にかたくない。
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この本の題名は「国家はなぜ衰退するのか」であるのだが、追究しているテーマは中国のような収奪的な政治制度を採用している国が経済成長を続けられるかということだ。
著者であるダロンらは、専制的な独裁政治はいずれ経済停滞を招くことを歴史的な検証により明らかにしている。そして長期的な経済発展の成否を左右する最も重要なファクターは、地理的・環境的・生物学的差異ではなく、ガバナンスの違いだとする。
現在の中国の経済成長と日本の現状を比較すると、中国の政治体制の優位性にとらわれがちであるが、その成長の要因は、今までの「遅れの取り戻し」であり、「外国の技術の模倣」であり、「低賃金による低価格工業製品の輸出」によるものである。これは今までの日本の高度成長を支えた要因そのものであり、ここまでは日本が為したように中国もできる。問題は中進国になった以降も成長するためには、現在のガバナンスでは、新しい成長をもたらす創造的破壊が起こらないので、綺麗こう発展しなくなるというのである。
この本を読んでいて思ったのは、これは今後中国が発展しなくなるということより、日本は中国と異なり、「民主政治」を採用しているが、本当の意味で「多様な社会集団が既存の支配者を打倒するための連合」を組んだことはないのである。日本の産業においては「創造的破壊を伴う技術革新」が行われることが少ないのは、現在のトヨタを見ているとそんな気がする。SONYもPanasonicもそうだった。
なんだか、中国の経済発展は長続きしないという理論が日本経済の成長力の限界の理論として響いてしまった。
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Why Nations Fail:
The Origins of Power, Prosperity, and Poverty
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歴史的に見て政治、経済面から見てどのような国が繁栄し発展するのか、どのような国の政治そして経済の連携が反映する要因となり得るのか、と言うことを著者の詳細な研究と考察から論じられている本である。非常にわかりやすくて勉強になります。
長期的な経済発展の成否を左右する最も重要なファクターは地理的、生態学的環境要因でも社会学的文化要因でも人々の間の生物学的遺伝的差異でもなく政治経済制度、最近の言葉で言えばガバナンスの違いでもある、というのがこの本の言わんとする考えです。自由な言論に支えられた民主政治と自由で開放的な市場経済と言う制度セットこそが経済成長の安定した継続を可能とすると言うことを様々な歴史を紐解きながら著者は証明していっている。なかなか勉強になります。
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包括的な政治経済制度と収奪的なそれとの対比は、ジェイン・ジェイコブズの「市場の倫理、統治の倫理」(1998年出版)とほぼ重なる。「他人との信頼関係の網によって倫理が構築される都市部」と、「権力支配を受け入れることで安心を得るムラ社会」と言い換えても良い。収奪的な政治権力は包括的な経済制度をつまみ食いすることで強大化する。良く言えば、開発経済の韓国、開発独裁のシンガポール、「改革開放」以降の中国共産党になるし、マフィアだって実は同じ構造を持つ。そうか、エネルギー資源や鉱物資源が豊富なロシア、中東やアフリカに独裁政権が多いのもマフィアと同じだ。
14章「旧弊を打破する」で、米国南部の黒人らが白人からの収奪的な関係性を打破していくくだり(バス・ボイコット運動からキング牧師の活躍まで)は読み応えがあった。収奪的な政治経済制度を包括的な方へ反転させる事例はとても少ない。フランス革命、イギリス名誉革命は稀有な偉業と言える。(本書では明治維新も成功例にあげているが、富国強兵から日清戦争、日露戦争、そして国際金融ズブズブにハマる流れを包括的な政治経済とは僕は考えられない)。
巻末の解説と、翻訳家・稲葉さんによる著者への質問が良かった。以下に稲葉さんの質問を記す。
ーーサハラ以南アフリカは高度成長しているが、天然資源価格の高騰、それも中国の需要に支えられている。この成長は持続不可能に見えるがどうか?
ーー「包括的な政治経済制度」はハードルが高すぎる。過去数百年の西洋経済ですらまぐれ当たりと言う。今の非西洋政界の経済発展の展望は明るいとは思えないがどうか?
この質問に対して筆者ダロン・アセモグル氏は明確な回答を避けている(残念)。預言者でも未来予測本でもないので仕方ない気もするが、翻訳者や専門家による対談を巻末掲載するのは本内容への理解と筆者の力量を推し量る上でとても有効と思う。