紙の本
「語り」と「物語」と「ケア」が「パズルを解くような」感じでつながっていく。
2010/01/03 00:31
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、臨床を「語り」と「物語」という視点から眺め直す方法である、
「ナラティヴ・アプローチ」についての入門書である。
本書は、次の2つの目的で書かれた。
・ナラティヴ・セラピーを中心に、
臨床領域におけるナラティヴ・アプローチの考え方とその実践を紹介する。
・ナラティヴ・アプローチがケアという世界に
どのような新しい視界を切り開くのかを検討する。
本書は、4部構成になっている。
第1部
第1章 言葉・物語・ケア
第2章 物語としての自己
第3章 物語としての病
第1部では
・ナラティヴ・セラピーの前提となる「社会構成主義」の考え方
・社会心理学を中心に発展してきた「自己物語論」
・医療人類学の領域で発展してきた「病いの語り」の理論
を紹介する。
第2部
第4章 外在化とオルタナティブ・ストーリー
第5章 「無知」のアプローチ
第6章 リフレクティング・チーム
第2部では、家族療法の世界を塗り替えた
上記の、ナラティヴ・セラピーの三つの実践を紹介する。
第3部
第7章 三つの方法
第8章 新しい専門性
第9章 ナラティヴ・コミュニティ
第3部では
・第2部で挙げられた、
ナラティヴ・セラピーの三つの実践が相互にどのような関係にあるか、
それはどのような新しい専門性を主張しているのかを検討する。
・セルフヘルプ・グループやフェミニスト・セラピーなどの関連する動きを
ナラティヴ・アプローチの視点から再検討する。
第4部
第10章 物語としてのケア
第4部では
・ナラティヴ・アプローチはケアとどのように関係するか。
・これまでのケアの理論と実践はどのような特徴をもっていたか。
・ナラティヴ・アプローチはそれをどのように革新するのか。
を考える。
私が本書を読もうと思ったのは、次の3つの理由だった。
・「物語」と「ケア」を結び付けているタイトルに興味と魅力を感じた。
・本書が、今まで興味を持ってきた、『べてるの家の「非」援助論』、
『べてるの家の「当事者研究」』、『発達障害当事者研究』と同じ、
「シリーズケアをひらく」に入っていた。
・本書について、「内容は医療や福祉、心理系だが非常に普遍的」
との短評を見かけた。
興味深かったのは、本書を記した著者の側の「物語」である。
あとがきの冒頭の一言、「わたしはケアが苦手な人間である」は、意外であった。
著者は、ご自身について
「根本的なところでわたしはケアのセンスが欠けているのではないかと思うようになった」
とまでいう。
そういった「物語」を背景として、
「ケアについてもう少し考えてみたい」と思うようになったという。
わたしはなぜケアが苦手なのか、どう苦手なのかを知りたいと思った。
ケアの苦手な人間が苦手なりにやれること、そのやり方を考えてみたいと思った。
また、ケアが得意なひとはどうして得意なのか、
そもそもケアが得意とはどういうことなのかを知りたいと思った。
専門書としての構造をなしている本書は、
冒頭で本書全体や各部の目的が簡潔に示されているが、
むしろ、この物語としての目的の方が、
より説得力を持っているような気がした。
もちろん、このような試みを可能にしてくれた
もうひとつの大きなきっかけは、
ナラティヴ・セラピーとの出会いである。
システムズ・アプローチの信奉者だったわたしにとって、
それは、最初はわけがわからず、おおいにとまどうものだった。
しかし、それはあるとき、一気にわたしのなかに浸透してきた。
それまで無関係に思えていた社会学や哲学のさまざまな議論が
まるでパズルを解くようにわたしのなかでつながった。
こうして、ナラティヴ・アプローチの臨床社会学的研究という
魅力的な課題へと引き込まれていった。
まさに、ナラティヴ・アプローチに著者が出会ったときの
「パズルを解くような」感じが、
本書の筆運びを形容するのにぴったりとした表現であると思われる。
体言止めの目次は、中身が想像しづらい印象を受けるが、
本文を順に読んでいくとわかりやすい作りになっているのだ。
そして、私自身にも「物語」がある。
第9章のナラティヴ・コミュニティのひとつとして登場する
「べてるの家」の活動を何度か見ているため、
べてるの活動をべてる以外の人が言葉にしていることに、
また、実際に経験したこと、見聞したことが、
言葉となり、文字となっていることに新鮮な感動を覚えた。
また、職業的には、「援助者」であったことはないのだが、
過去にプライベートで援助者のような役割を演じる立場となったことがある。
そのことを思い出すと、後悔することばかりである。
その立場では、第10章のこんな言葉が印象に残った。
ひとはそれぞれ自分の物語のなかで相手と出会っている。
そして、その二つの物語の出会いが、
二人の関係をかたちづくり、ケアの具体的なかたちをつくっている。
二つの物語はかならず相互に影響しあう関係にある。
ケアによって患者の物語だけが変わるということはありえない。
患者の物語が変わるのだとすれば、援助者の物語も変わる。
自分の物語の存在を認めてもらえたようで涙が止まらなかった。
そして、援助関係を超えた関係を考える上で、次の言葉は鍵になると感じた。
あらゆる「関係」は言葉によってつくられている。
「語り」によって維持されている。
そこでどのような「言葉」を使い、
どのような「語り」をするかによって、
「関係」のありようは変わってくる。
「関係」を成り立たせている「言葉」や「語り」、
そして、それが織りなす「物語」に注目することで、
新しい「関係」の手がかりが見えてくる。
一見別々なもののような「語り」と「物語」と「ケア」が
最後には「パズルを解くような」感じでつながっていくのである。
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…本書は専門的な本ではなく、人は語って生きていくということが、豊富な事例を交えてやさしく書かれています。…著者は、ケアには従来の技術と精神という二項対立ではなく、「関係」が重要であると考えています。そしてあらゆる「関係」は「言葉」によって作られ、「語り」によって維持されているから、「言葉」や「語り」、そしてそれを織りなす「物語」に注目することで、新しい「関係」が見えてくると説くのです。…一人暮らしのお年寄りや、話を聞いてもらえない子どもたち。いや大人だって慌しい日々に忙殺されて、親しい相手にじっくりと話を聴いてもらえないことが、どんなに多いことでしょうか。人は語らなくては生きていけないことを思い出させてくれる、大切な一冊です。
http://koganeikouza.blog21.fc2.com/blog-entry-39.html
投稿元:
レビューを見る
本書は、臨床を「語り」と「物語」という視点から眺め直す方法である、
「ナラティヴ・アプローチ」についての入門書である。
本書は、次の2つの目的で書かれた。
・ナラティヴ・セラピーを中心に、
臨床領域におけるナラティヴ・アプローチの考え方とその実践を紹介する。
・ナラティヴ・アプローチがケアという世界に
どのような新しい視界を切り開くのかを検討する。
本書は、4部構成になっている。
第1部
第1章 言葉・物語・ケア
第2章 物語としての自己
第3章 物語としての病
第1部では
・ナラティヴ・セラピーの前提となる「社会構成主義」の考え方
・社会心理学を中心に発展してきた「自己物語論」
・医療人類学の領域で発展してきた「病いの語り」の理論
を紹介する。
第2部
第4章 外在化とオルタナティブ・ストーリー
第5章 「無知」のアプローチ
第6章 リフレクティング・チーム
第2部では、家族療法の世界を塗り替えた
上記の、ナラティヴ・セラピーの三つの実践を紹介する。
第3部
第7章 三つの方法
第8章 新しい専門性
第9章 ナラティヴ・コミュニティ
第3部では
・第2部で挙げられた、ナラティヴ・セラピーの三つの実践が相互にどのような関係にあるか、
それはどのような新しい専門性を主張しているのかを検討する。
・セルフヘルプ・グループやフェミニスト・セラピーなどの関連する動きを
ナラティヴ・アプローチの視点から再検討する。
第4部
第10章 物語としてのケア
第4部では
・ナラティヴ・アプローチはケアとどのように関係するか。
・これまでのケアの理論と実践はどのような特徴をもっていたか。
・ナラティヴ・アプローチはそれをどのように革新するのか。
を考える。
私が本書を読もうと思ったのは、次の3つの理由だった。
・「物語」と「ケア」を結び付けているタイトルに興味と魅力を感じた。
・本書が、今まで興味を持ってきた、『べてるの家の「非」援助論』、
『べてるの家の「当事者研究」』、『発達障害当事者研究』と同じ、
「シリーズケアをひらく」に入っていた。
・本書について、「内容は医療や福祉、心理系だが非常に普遍的」との短評を見かけた。
興味深かったのは、本書を記した著者の側の「物語」である。
あとがきの冒頭の一言、「わたしはケアが苦手な人間である」は、意外であった。
著者は、ご自身について「根本的なところでわたしはケアのセンスが欠けているのではないかと思うようになった」とまでいう。
そういった「物語」を背景として、「ケアについてもう少し考えてみたい」と思うようになったという。
わたしはなぜケアが苦手なのか、どう苦手なのかを知りたいと思った。
ケアの苦手な���間が苦手なりにやれること、そのやり方を考えてみたいと思った。
また、ケアが得意なひとはどうして得意なのか、
そもそもケアが得意とはどういうことなのかを知りたいと思った。
専門書としての構造をなしている本書は、冒頭で本書全体や各部の目的が簡潔に示されているが、
むしろ、この物語としての目的の方が、より説得力を持っているような気がした。
もちろん、このような試みを可能にしてくれたもうひとつの大きなきっかけは、
ナラティヴ・セラピーとの出会いである。
システムズ・アプローチの信奉者だったわたしにとって、
それは、最初はわけがわからず、おおいにとまどうものだった。
しかし、それはあるとき、一気にわたしのなかに浸透してきた。
それまで無関係に思えていた社会学や哲学のさまざまな議論が
まるでパズルを解くようにわたしのなかでつながった。
こうして、ナラティヴ・アプローチの臨床社会学的研究という魅力的な課題へと引き込まれていった。
まさに、ナラティヴ・アプローチに著者が出会ったときの「パズルを解くような」感じが、
本書の筆運びを形容するのにぴったりとした表現であると思われる。
体言止めの目次は、中身が想像しづらい印象を受けるが、
本文を順に読んでいくとわかりやすい作りになっているのだ。
そして、私自身にも「物語」がある。
第9章のナラティヴ・コミュニティのひとつとして登場する
「べてるの家」の活動を何度か見ているため、
べてるの活動をべてる以外の人が言葉にしていることに、
また、実際に経験したこと、見聞したことが、
言葉となり、文字となっていることに新鮮な感動を覚えた。
また、職業的には、「援助者」であったことはないのだが、
過去にプライベートで援助者のような役割を演じる立場となったことがある。
そのことを思い出すと、後悔することばかりである。
その立場では、第10章のこんな言葉が印象に残った。
ひとはそれぞれ自分の物語のなかで相手と出会っている。
そして、その二つの物語の出会いが、
二人の関係をかたちづくり、ケアの具体的なかたちをつくっている。
二つの物語はかならず相互に影響しあう関係にある。
ケアによって患者の物語だけが変わるということはありえない。
患者の物語が変わるのだとすれば、援助者の物語も変わる。
自分の物語の存在を認めてもらえたようで涙が止まらなかった。
そして、援助関係を超えた関係を考える上で、次の言葉は鍵になると感じた。
あらゆる「関係」は言葉によってつくられている。
「語り」によって維持されている。
そこでどのような「言葉」を使い、どのような「語り」をするかによって、
「関係」のありようは変わってくる。
「関係」を成り立たせている「言葉」や「語り」、
そして、それが織りなす「物語」に注目す��ことで、
新しい「関係」の手がかりが見えてくる。
一見別々なもののような「語り」と「物語」と「ケア」が
「パズルを解くような」感じでつながっていくのである。
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ナラティヴ・アプローチが主張するのは、私たちの生活(思考・行動など)がいかに言葉によって規定されているかということである。
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ナラティヴとはあまり聞いたことない専門用語であるが「語り」「物語」という意味合いが含まれている。人は語ることにより物語を作り、それには多大なる力がある。言葉は今を左右し、常に変容して人に与える認識を根こそぎ変えてしまうこともあるという。
また、自己を人々は語ることにより自分を作り出している。まず、自分という言葉があり、それに付属する言葉がついて自己は成り立っている。(しかし、それは側面でしかないのだが)
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『言葉』『語ること』、そして『物語』のおもしろい特徴から、ケアの新天地を切り開くための入門書。私はケアはあまり興味がないけど、物語のパワーはおもしろいと感じた!!
『語る』ことで、自分の物語、そして自分自身を更新していけるというパワーは、特に、他のことにも応用できそうでおもしろそう☆
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ナラティブ(narrative)をケアの面を中心にアプローチした本。
言葉は呪詛、とも言われるように、現象は名付けられた瞬間に言葉に制約されるようになる。世界があって言葉があるのではなく、言葉が世界を形作る。臨床では診断や治療、予後を含め告知・インフォームドコンセントによって医師の言葉が患者の生きる世界を形作る。基本的に医師と患者は共通の基準や規則を持ちえない「他者」の関係である。そこにいかに橋渡ししていくか。共通の規則をとらえる科学だけではなく、個々の物語りをとらえるナラティブの視点の重要性を本書では説かれる。
患者にとっての「病い」を4つの視点(個人の内部、人間関係、特定の社会、人間社会一般)に分け、「問題の外在化とオルタナティブ・ストーリー」「無知のアプローチ」「リフレクティング・チーム」という3つの具体的な方法を紹介している。
印象深かったのは、『ケアとは「関係」である』ということ。方法論ではなく、双方向のやり取りの中で生じる関係がケアであり、そのためには専門家は相手の土俵に降りていかないと成り立たないものだと思う。
ただ、すべてが医療に応用できるものでもなく(医師が無知の姿勢をとるには限界がある)、また相手が幼稚すぎる場合にはどうにもならないので、やはりナラティブが完璧なものと捉えるよりは、ケースバイケースと捉えるのが健全なのだろうと思う。
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これは凄い!ビンビンと刺激される。が、自分のものにするのは大変そう。
簡単なメモ。
言葉が世界をつくる。外在化、問題の原因を探ることが問題をより強固にしていく、ドミナントストーリー、ケアは非指導、外在化された問題を共同で探りオルタナティブストーリーをつくっていく。
もう少し臨床の具体例を読んでみたいなあ。
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わかったような、わからないような。一読ではふわふわした理解にとどまるが、コミュニケーションにおいて大事なことがかかれていることは確か。本書は主に医療・介護・福祉といった臨床分野におけるケアのいちアプローチとして書かれた本だが、サイエンスコミュニケーションが必要とされる分野の諸問題ー専門家と被専門家、あるいは専門家同士のディスコミュニケーション、欠如モデルーを解決する何らかのヒントが隠されていそう。
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2002年に出版されたナラティブ・アプローチを紹介する本。翻訳本ではなくて、日本の著者の本としては、比較的、初期のものかな?
今となっては、紹介されている理論やツールは、少し古い感じがしなくもないけど、そもそも「ナラティブとは?」「外在化とは?」といった基本概念をとても丁寧に説明してあって、また、これまでの方法となにが一緒でなにが違うかと言った説明もとてもわかりやすい。
ナラティブ関係の本を色々読んだあとで、出会ったせいか、驚きはないけど、頭を整理するのにとても役にたった。
ナラティブ関係を翻訳ものじゃなくて、日本語として書かれたものをまず読みたいという人にはぴったりだと思う。
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語ることの力、己の状況を表現するだけで、それは物語になりえる。
そして語ること、聞くことで癒しが生まれる。
とても力強く読んでいて心地よい。
再読したい。
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人が問題を抱えていると我々は、その人のどこかが悪かったからそうなっていると考えがちである。この本はそのような視点から離れ、問題を抱えている人のナラティブ(物語)に着目して問題に向き合っていく姿勢を紹介してくれる。本書は臨床の視点から書かれており、直接的な教育向けの本ではないが、生徒指導の場面等に役立つこともあると思うので、おすすめの一冊である。(K.K)
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カウンセリングでの経験を思い出しながら読んだ。 人は語ることで物語(人生)が構成されていくという。一度通して読んだだけではまだまだピンとこない部分も多い。 今後繰り返し読んでいきたい本。
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ポイント1:
問題がシステムを作るのか(ナラティブ系の考え方)
システムが問題を作るのか(従来的な考え方)
→さらに問題に人が入ることでシステムを変える可能性に開かれている。あたらしいナラティブを作ることの一つの形?
ポイント2:
問題の外部化(原因の外部化ではない)
問題を擬人化する等で、説明や物語を与えて、各者が、それに立ち向かう物語を作り出す取り組み
他者からの受容やオーソライズが重要(認定書発行等の工夫)
ポイント3:
物語化により、問題によるシステムの動き/流れを変えて、問題を解消(解決ではない)する。
→問題をスルーする。問題ではなくする。
ポイント4:
やはりクライアント自身の気づきや選択が重要
ポイント5:
ナラティブコミュニティ
→セルフヘルプグループやべてるの家。新たなテクストを生み出すためには、コミュニティが重要
ポイント6:
パーソンセンタードアプローチとの違いは、個人の「核」や「成長」や「治癒」といった改善のあるべき方向の存在を前提にするか否か。
物語としてのケアは、その人にとって「有用」であればよいという立場。この考え方には、リチャードローティの真理観を連想する。
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p.14
文学領域の用語である「物語」や「語り」はなぜ「臨床」で注目されるようになったのか?→「言語論的転回」「物語論的転回」と呼ばれる現代思想の大きな動きがあったから。
私たちが生きる世界において「言葉」がとても重要な役割を果たしていること、その「言葉」が「語り」あるいは「物語」という形式をとるとき、とても大きな力をもつことが注目されるようになった。
人間の織りなすさまざまな行為や関係を、「言葉」「語り」「物語」という視点からとらえ直す作業が、人文科学、社会科学のさまざまな領域で活発化してきた。こうした動きを象徴的にあらわす言葉が「ナラティヴ」という言葉なのである。
p.16 言葉は世界をつくる
社会構成主義とは…世界がまずあって、それが言葉で表現されるのではなく、言葉が先にあって、その言葉が指し示すような形で世界が経験されるという主張。
p.39
語ることで確かさを増すもの、それが「自己」なのである。逆に言えば、「自己」は語られなければ不確かな存在になってしまう。自己は以前の自己語りから時間が経つにつれて、しだいにその輪郭をぼやけさせ、不確かさを増していく。そのぼやけた輪郭を描き直す作業が「自己語り」なのだと考えることができる。
p.46
物語はいったんできあがると、現実の見え方を方向付け、制約する作用をもったいる。このことは自己物語にもあてはまる。わたしたちは、自分で物語をつくり出す存在である一方で、すでにできあがっている物語を生きる存在、物語に制約される存在である。
p.58
「気の持ちよう」が変えられなくて困っているひとに、「気の持ちよう」を変えなさいということほど無意味なことはない。あるいは、残酷なことはない。それは、結果的に、「気の持ちようを変えられないダメな奴」というレッテルを貼ることにつながる。皮肉なことに、このアドバイスは、「何をやってもうまくいかない」状況を変えるのではなく、それを強化するように作用してしまうのである。
・多くの人がつい言いたくなる「常識的な」「善意の」言葉か、実は不幸の物語をより強固、そしてそれにふさわしい事態を引き寄せてしまう