紙の本
燃えるような、狂うような恋をした2人
2009/06/21 10:19
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
ミルチャ・エルアーデ著「マイトレイ」は、ルーマニア生まれの宗教学者ミルチャ・エルアーデが、若き日にインドを訪れたときの体験を赤裸々につづった大恋愛小説です。作者はインド各地を旅行し、タゴールに会い、タントラ・ヨーガにのめりこむのですが、漆黒の肌の魅惑のベンガル女性マイトレイとの運命的な恋に遭遇します。
大きく黒い眼、厚い唇、熟れた乳房……はじめはむしろ醜いとすら思えた異貌の異性にふとしたはずみに惹かれ、思いがけない深みにはまる体験は多くの方々がお持ちでしょうが、エルアーデの場合はそれがいちおう文化的に先進国であると自他ともに考えていた白哲の欧州男と亜細亜的後進周縁国の僻地に住む異文化の女性という異色の組み合わせでした。
衣食住も思想も風土も風習も宗教もすべてが面白いくらいに異なる2人が、おそらくはその違いゆえにどんどん惹かれあっていき、周囲の懸念や反発をものともせずに愛し合うありさまはよくあるタイプの初恋物語ではありますが、その文章がおそろしく事実に忠実に、青春の情熱と愉楽の限りを刻印しているために読者はぐんぐん引き込まれて、あれよあれよという間に、お決まりの悲劇的なラストまで付き合わされてしまいます。
21歳と17歳の若者の激烈な恋愛とその蹉跌が主人公たちのその後の生涯にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。燃えるような、狂うような恋をした2人は、それから43年の後に1973年シカゴで再会したそうですが、いったいそこでどのような対話が交わされたのでしょうか。エルアーデが1933年に書いた本書に応えるように、マイトレイは1976年に「愛は死なず」を世に出したと聞くと、こちらもあわせて読み比べてみたくなりますね。
♪ひとたびは燃えつき果てた恋なれど43年目に燃え上がるかな 茫洋
後半のアルベルト・モラヴィア著「軽蔑」では、永遠にわかったようでわからない男女の機微が綴られています。
男のさすらいの人生の頼りの綱は女性です。もしも愛する女性に軽蔑されたら、男なんてどうやって生きていったらよいのか途方にくれてしまうでしょう。漂流しながらおんおん泣いて、ついでに海に飛び込んで死んでしまうしかないでしょう。これがこの小説の主題です。おそらくモラヴィアの実際の体験と女性観がこのテーマに色濃く反映されていることは間違いありません。
しかしこの軽蔑はいつ、どこから女の心の中にやってきたのか。それがいまひとつ最後まで読者にはよくわからない。というのは男自身もよくわからないからで、主人公がわからないのは作者がわからないからで、モラヴィアは別れた元女房の謎をわかろうとしてこの心理思弁小説を書いたのですが、苦労して書いてみても結局はよくわからなかったのではないでしょうか。
モラヴィアは仕方なくホメロスの「オデッセイア」におけるオデッセウスとペネロペの関係をフロイト的に論じ、この単純明快な問題をペダンチックに取り扱おうとします。つまりペネロペに言い寄る男たちに寛容な態度を示したオデッセウスをペネロペは軽蔑していて、それが嫌さに7年もの間故郷イタケに寄り付かなかった。夫が妻の愛を取り戻せたのは求婚者どもをオデッセウスが皆殺しにしたからだ、などと唱えるのですが、こういう暴力をこの小説の主人公が振るえるくらいなら、そもそもこんな哀れな境遇に陥っているはずもないのです。
実は主人公があまりにも草食系のインテリゲンちゃんであるために優柔不断過ぎて、妻の危機を体育会系の男からちゃんと守ってやらなかった、というよくあるとってつけたような解説も飛び出てくるのですが、どうもそれだけでは説明できない事情がどこの夫婦にもあるのです。ともかくこの小説の無残な失敗は、最後のおちの付け方を見れば一目瞭然でしょう。
なおこのモラヴィアの原作を、ゴダールがおなじタイトルの映画にしています。悩める脚本家にはミシェル・ピッコリ、辣腕プロデューサーにゴリラ男のジャック・パランス、フロイト流の「オデッセイア」を論じる映画監督には名匠フリッツ・ラング、そして単純な精神と見事な肉体の持ち主であるヒロインにはブリジット・バルドー、という豪華なキャステイング、それにカプリ島の風光明媚をあざやかに駆使して、彼一流のわかったようでわからない演出を繰り広げているのですが、これこそモラヴィアの世界にもっともふさわしい「絵解き紙芝居」だったかもしれません。
親しめば親しむほど洞窟の謎は深まる 茫洋
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投稿者:ROVA - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋愛・結婚をテーマとした2作。男女のすれ違い、と言った方が良いか。
三十代にして人を好きになった経験の無い自分にはなかなか理解し難い部分が多い。
『マイトレイ』は変わった設定の、まあ悲恋モノ?
主人公の日記とそれに対するセルフつっこみが厨二臭くてちょっと面白い。
『軽蔑』は最初のうち読みながらイライラして仕方無かった。たぶん皆そうかと。
主人公がどーしよーもない程クズなのです。性格的に。
解説や月報だと、妻の考えが分からないまま書かれているような説明がされてますが
私としては作者はこれしっかり妻の考えが分かるように書いたつもりに見えます。
妻ではない、ラインゴルトとのやり取りがそれを証明しているように感じます。
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『マイトレイ』
これから何度か読み返す事になる本だと思う。
1929年にヨーロッパから、はるばるインドへ移住して来た若者と
現地の深窓の令嬢との許されぬ恋、というふれこみだったので
ベタベタのハーレクインみたいな話だったらどうしよう…と多少
怯えていたのだが、そんな心配は無用だった。
軽薄な冒険心に富む主人公は、マイトレイへの思いと共に変化し、
二人の短い恋は初恋だけが持つ瑞々しさで一途に深まって行き
やがて生涯忘れられないものへと転化して行く。
そして恐らく作者自身の体験に基づいて描かれる
神秘的なベンガル族の日々の生活や、
それと対照的なユーラシア人達の
偏見に満ちた退廃的な生活の細やかな描写が
より物語をリアルに構築していて飽きさせない。
マイトレイは実在してインドで結婚もし
後年この本の存在を知ってエリアーデに会いに行き、
自分の側から描いた本も出版したというのは驚きだった。
(『愛は死なず』というタイトル、検索してもヒットせず)
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以下参考
●キャラクターの人格が率直に感じられる部分:
私は、自分の愛するもの、あるいは近しく感じるものや、
仲の良いものたちが悪く言われるのを聞くのが大好きだった。
●モーヴ=薄紫
この本の表紙の色。
ハロルドが自分で汚したのにボーイに文句を言ったパジャマの色。
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[ 内容 ]
タブーを超えて惹かれ合う若き男女の悦楽の神話。
瑞々しい大気、木に宿る生命、黄褐色の肌、足と足の交歓。
インドの大地に身をゆだねた若き技師が、下宿先の少女と恋に落ちる。
作者自身の体験をもとに綴られる官能の物語(『マイトレイ』)。
ある日突然、妻の心変わりを察した劇作家志望の男。
繕うすべもなく崩れていく夫婦の関係を夫の目から緻密に描き、人生の矛盾と人間の深い孤独を問いかけるイタリア文学の傑作(『軽蔑』)。
愛の豊饒と愛の不毛。
透徹した知性がつむぎだす赤裸々な男女の関係。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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『マイトレイ』
26歳の青年が書いたとは信じられないほど素晴らしい恋愛小説。
古くからたくさんの恋愛小説が書かれていますが、どの作品にも登場人物の間に大きな障壁があって、その障壁を乗り越えようとするなかで悩みや葛藤が描かれています。
『マイトレイ』における障壁は異文化(宗教)です。
9.11以降、キリスト教とイスラム教なんて物凄い簡単に略してしまいますが、そんな単純な話かなといつも思います。
キリスト教のなかにもたくさんの宗派があり、イスラム教のなかにもたくさんの宗派があり色々な出自や宗教、文化をもった人たちがごった返して生きているのが現代だと思います。
でも何で分かり合えない人たちがいるのか。
一方通行のコミュニケーションでは分かり合うこと、通じ合うことは難しいように思います。
『軽蔑』
ジャン・リュック・ゴダールの映画も有名。
ものすごく単純にいうと夫が妻から軽蔑されてしまう話なのですが、この夫に対して読んでいる私も軽蔑していました。
それくらい本当によく書かれています。
夫婦という関係は耐えず努力をしないと途端に破綻するものではないでしょうか。
他人同士が一緒に暮らすのですから当たり前といえば当たり前かもしれません。
相手の気持ちを知るというのはとても難しいこと。
私も日々の暮らしに気をつけなければなんて思ってしまいます。
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ふくらはぎの艶かしさ。
(マイトレイのみ読了)
己の才覚に自信をもつイギリスの青年と、美しいインドの少女の恋。瑞々しくて衝動的で鮮やか。
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ミルチャ・エリアーデは、今から24年前の1986年4月22日に79歳で亡くなったルーマニア出身の宗教学者、そして作家。
これが、あの世界的に有名な宗教学者の手になる小説なのかと、最初は目を疑うばかりですが、さすが池澤夏樹、ここにわざわざエリアーデの、しかも著名な幻想小説でなく、インドを舞台にした自伝的恋愛小説『マイトレイ』を持ってきたのには脱帽というしかありません。
技師の仕事でインドを訪れた25歳のアランは、インド人の上司であるナレンドラ・センの後押しで、きつい仕事だが高給のとれる僻地の職場へ転属する。だが、不慣れな風土・気候と過労のため病気になってしまう。見かねた上司ナレンドラ・センが、アランを自宅に招待して看病もしてくれるという。なぜそれほどまで親切にしてくれるのかわからなかったが、ともかくも藁をもすがる気持ちで招きに応じた。そこには、不思議な雰囲気の心ひかれる少女、16歳のマントレイがいた・・・。
エリアーデは、語学の天才で、ルーマニア語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・英語・ヘブライ語・ペルシャ語・サンスクリット語といった8カ国語を、どれも使いこなせたといいますから、世界各地の宗教を研究するのにはもってこいの才能を備えていた訳です。
小説『マントレイ』は、結局は文化の違い、宗教の違い、価値観の違い、つまりは生き方の違いにまで到って、実らぬ恋となるのですが、真相は、アランがエリアーデ自身で、ナレンドラ・センとはエリアーデがインド哲学を研究しにいったときの指導教授でインド哲学の大御所スレンドラナート・ダスグプタで、マイトレイはその教授の娘で実際に恋に落ちて反対されて破局を迎えたのですが、書き方が大恋愛物語というのでもなく、かといって自伝的だから泣きわめき散らす恨みつらみを書くというのでもなく、ただ淡々と時には自省的な落ち着いた書き方で、もっとドラマチックなものを想像していたのに当てが外れました。でも悲恋なのに、清々しい凛とした小説です。
★併載のもうひとつの小説、アルベルト・モラヴィアの『軽蔑』は、あの超有名な、ブリジット・バルドー主演のジャン=リュック・ゴダール監督の同名作品の原作です。
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軽蔑:男性読者にぜひお伺いしてみたいなあと思うのは、
夫と妻のどちらに共感できたかということ。
夫婦のごく細かいことから始まるすれ違いを描いたもので、筆者は自身と自身の妻との関係をもとにしてこの作品を書いたらしい。
構成も夫側からみた妻の態度の変化が書かれていて、基本的に夫目線で理屈が合うようになっているのだけれど、読めば読むほど妻に分があるように思える。
これは一体私が女だからでしょうか。
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二編とも愛についてである。もっと言えば、愛に関する誤解の生態である。男女間の関係がプラトニックであろうとなかろうとも、そこには性というやっかいな織物を纏うことになる。その性は非論理的であるが故に論理の男女空間に紛れ込んだときに当事者でも手に負えない振る舞いをする。
誤解を解くことが、誤解を深めてますますほどくことの出来ない結び目を作ってしまう。それは素数の積にも似て、掛け合わせることは簡単であるが、因数分解することは遙かに困難である。誤解は生じないようにすることのみが男女幾何学の要諦である。
誤解があることも、誤解が何に因するのかも、誤解を解く処方箋をも持ち得ぬまま、それでも男女のゲームプレイヤーとして破産するまでプレーし続けなければならないところに愛の皮肉と悲劇がある。
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自己分析的な知性と傾向をもつ青年が語り手となってみずからの愛のゆくえとその帰結を回想していく、という構成は両編に共通していますが、青年たちがそれぞれの女性に募らせては思い悩むことになる愛の質感は、少なくとも評者にとってはほとんど正反対のように感じられました。両編とも読み終えた方にとって、それぞれの語り手において象徴される愛のあり方に共感できるかどうかが、おそらくはそのまま各編の読後感の決め手ともなったのではないでしょうか。
心のすれ違いは誰の身にも覚えがあるとしても、その極端な例を『軽蔑』のリッカルドに見たように思います。彼がみずからを批判的にかえりみることなしに、相手の真意をめぐって独断とも思える仕方で確証なき仮定に仮定を積みあげ、妄想めいた思弁を展開していくさまは、読んでいて正直つきあいきれませんでした。妻との不和のさなか、「無実がいつも説得力をもつとは限らないのだ」と思い至る場面は空恐ろしさを越えて憐れを催しさえします。「妻のため」という表白がたびたび出てきますが、妻のために彼が本当になさねばならなかったのは、シナリオライターや劇作家のように言葉と観念の揺り椅子のうえであぐらをかくことではなく、生活という大舞台のうえでリアルに行動し決断する、男らしいアクターになってみせることだったのではないでしょうか。
一方、『マイトレイ』のアランもみずからの妄想にもとづく思い違いを犯してはいますが、彼の場合は、インド人のうちに秘められた「計り知れない歴史と神話」をもふくめて相手のすべてを理解したいという純粋な熱情が、イギリス人すなわち文明人としての自分自身のあり方に疑問を投げかけるだけの冷静さを生みだしています。そのような醒めた情熱が、インドの聖性と鮮やかな景色、そして蠱惑的な少女との渾然とした融和を遂げていくさまには、自伝的な小説だというのが信じられないほどの美しさがあふれていて思わず息を呑むほどでした。けれども、だからこそその後の二人を待ち受けている運命はよりいっそう悲劇の色あいを強めることともなり、読み終えてページを閉じると、さきほどまで活字を追っていた目はアランの目と同じく、そこにあるはずのない何かをもとめて宙をさまようほかなくなります。
ともに1907年生まれの作家によって描かれた愛の豊饒と不毛の世界は、世紀をまたいだ今もなお、その快と不快の訴求力を失ってはいないように思いました。
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「軽蔑」の心理描写がとても素晴らしいと感じた。この手の作品は読みずらいという先入観があったのだが、訳の上手さのためか、すいすい読めた。少し間違うとメロドラマになってしまうような内容だが、描写のリアリズムが陳腐さを排除していると思う。
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マイトレイの瞳はソラリスの海のよう。前触れも理由もなく不規則に気まぐれにくるくるときらきらと揺れ動くかに見えて、それはただ文化の違いによる感受性の違いなのかそれともやはりそれだけではないのだろうか。
どこまでも甘く濃密な愛、個を超えた想像だに出来ぬ程の全き愛の結合は、神との結合でもあり、語り手のみならず読み手をも惑わせ狂わせる。
ほぼ実話でありながらもそれは著者にとって神話世界の体験なのだ。
伝統や信仰や規範の揺るぎなさにとって、個だの愛だの自由だのは吹けば飛ぶ様なものでしかない。つまり父母の愛も個を超えているからこそあれ程の厳しさなのだ。
運命の鍵を握っていた天使的なチャブーは著者を世に出すという役割を担って地上へ遣わされたとしか私には思えない。
異文化の深みに飲まれて弾かれるH・ジェイムズ的テーマ。ラーガと調性。「インドへの道」も読んでよね。
(「軽蔑」は読んでません。なんかめんどくさそう。映画は見た。)
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「軽蔑」ゴダール監督ミシェルピコリ、バルドー主演の映画を見、見れば自分も「わかってる」の仲間入りを決め込む夢想のアイテムとして映画館に足を運び、案の定さっぱりわからんかった。今となってはモラビアのファンであり、映画は映画として別物として捉えているが、映画がけだるい陰鬱、ただただミシェルピコリの人間臭さの臭みだけで成り立っていたのに対し、本作は意外にも熱い印象を受け、主人公の妻の心の解離を取り戻したい、金とは無縁に自分の沸き上がる物が書きたいという、ストレートな現代人の叫び、シンプルな構成が楽しめた。
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マイトレイは、色彩と肉感の表現が素晴らしくて脳内で映像化して読んだ。男の無責任は腹立たしいはずなのに、それによって堕落する女は美しいと思った。
軽蔑は、、大人の男女関係は難しいし時に儚いと教えてくれた。
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『マイトレイ』
作者は、宗教学者として高名なミルチャ・エリアーデ。
エリアーデの青年時代のインドでの恋愛体験を基にした小説。弥勒(マイトレーヤ)とは関係なし。
解説を読んで初めて知ったが、マイトレイは相手の本名で、小説中の日記は、実際に作者が青年時代に書いたものを引用したものらしい。私はてっきり、日記体の小説に主人公が現時点での冷静なコメントを入れるという、新奇な小説技巧かと思ったが、そうではなかった。この小説の内容はほとんどが実体験であったらしい。そうするとこうしたコメントも作者の執筆時の心情そのままなのだろう。エリアーデはインドから母国ルーマニアに帰還した数年後にはこの小説を発表している。予想外にもこの小説が大評判となり、エリアーデは一躍、若手人気作家となった。
『軽蔑』
小説としてはこちらのほうがうまい。単純な筋書きでありながら、緻密な心理描写で読ませる。
妻から軽蔑されながら、それでも愛し続ける男の哀しさ・憐れさがよく描かれている。「夫を心から愛していた妻がなぜ突然、夫を軽蔑するようになったか」が読者の興味を惹きつける謎となっている。その答えも、あまりに心理的に繊細すぎるとしても、ありうる答えである。(解説ではネタバラシされているのであとで読んだほうがいい。)オデュッセウス映画製作のエピソードが意外な形で本筋と絡んでくるのも巧み。寝取られ男の主人公リッカルドの心理描写は真に迫っているが、こちらの小説も、作者モラヴィアの現実の生活を反映したもののようだ。解説を読むとそれが分かる。