紙の本
本をたどる長い旅
2022/10/06 16:29
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古本屋の若い店主を主人公にした
『愛についてのデッサン』は
1974年に『草のつるぎ』で第70回芥川賞を受賞した野呂邦暢(のろくにのぶ)が
1979年に発表した、連作短編集だ。
この作品の刊行後、まもない1980年5月、
野呂は43歳で急逝する。
その早すぎる死を今でも惜しむ、野呂の愛読者は多い。
この作品は副題にあるように
佐古啓介という若い古本屋店主が本にまつわる旅を通じて
父親の過去であったり
愛する人との邂逅といった旅する姿を描いた青春小説だ。
旅といえば、
私がこの本を読むまでの道程も旅に似ている。
小さな出版社のことを伝える新聞記事が始まりだった。
そこから島田潤一郎さんの『あしたから出版社』を読み、
そこに書かれていた
山王書房という古書店店主の『昔日の客』という本を知る。
この『昔日の客』というタイトルは
以前山王書房を利用していた野呂邦暢が店主に宛てた
メッセージからとられたもの。
そのあたりのことを沢木耕太郎さんが『バーボン・ストリート』という
エッセイ集の中の一文で綴り、
そこに沢木さんはこう書いた。
「野呂邦暢は古本屋めぐりが好きで、若い古本屋を主人公にした
『愛についてのデッサン』という長編小説まで書いた作家」と。
こうして、私はこの本と出会うことになる。
一冊の本と出会う。
まして、一時代も前の本と出会うことは
そう頻繁にあるわけではない。
こういう出会いもあるということで書いてみた。
それは、とても幸福な出会いだった。
紙の本
「昔日の客」ファンには特におすすめです
2023/06/01 17:18
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
若い古本屋店主が主人公の人間模様ミステリ、佐古啓介シリーズを含む作品集。「昔日の客」が好きだから読んでおきたいなと思って買ってみたら、案の定古本屋好きには堪らない近代文学だった。1979年に書かれたとは思えない瀟洒な文章と、古本愛が伝わってくる。
紙の本
完成度低い文庫化
2021/06/18 13:16
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投稿者:豊前国人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルになった連作は角川での初刊以後永らく入手困難でしたが、“大人の本棚”で復刊後は版を重ね野呂再評価のきっかけになった小説であり、今回の短編数編を増補した文庫化により、先に中公文庫からでた“野呂邦暢ミステリ集成“とともに格好の野呂入門書が文庫で揃うことになった。
ただし編者の岡崎氏は、“夕暮れの緑の光”いらい野呂紹介の第一人者の風情すらありますが、果たして編者として適任だったかどうか…。氏がこれまで野呂に関して書いた文章の多くは他者の評語のパッチワークですし、今回の編者解説でも安易な引用や明らかな誤記(古書店主が出かけてもいない秋田や出雲に旅をさせたと書いてます)をやらかしてます。
ちくま文庫の本づくりにも疑問を感じます。確かに野呂は惜まれつつの早死にでしたが、カバーや帯にある“夭折の“芥川賞作家という表現にまず躓いてしまいますし、決して代表作とはいえない短編を増補しただけで”野呂邦暢作品集“と銘打ったことにも違和感があります。また巻末で編者の私的な解説に紙面を割くくらいなら、みすず版”愛についてのデッサン”の佐藤正午解説を再録すべきでした。カバーデザインも中央線あたりのブックカフェをイメージした感じで、編者の人選を含め、ちくま文庫お得意の古本関連書としての編集にこだわるあまり、野呂本来の作品世界を想起させる本になっていないきらいがあります。
こうした編集や造本などの瑕疵があるとはいえ、若き古書店主を主人公にした稀代の青春小説が文庫化されたことはたいへん喜ばしい。気安く移動することが難しい時節柄、佐古啓介と京都、神戸、長崎を旅しつつ、読後には小説に登場しない町を仮に啓介がせどりなどしながら旅することなんかめ空想しながら、新たな読者体験を楽しみたいと思います。
紙の本
古本をめぐる旅の話は良かったです
2023/10/27 13:49
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投稿者:みえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
作者に対する知識なく、hontoからのオススメで紙の本を購入し、読んで見ました。
現代の作者が、古い感じで書いた物かと勘違いしていましたたが、読み進めるうちに、今では使わない言葉使いがあったので、なるほど1970年代なのか、と納得しました。
前半の、古書をめぐる旅は、様々な人と出会い、自分もその地方の景色を見ているかのような気持ちになり、少し暗めのストーリーながらも楽しめました。
しかし後半の、世界の終わり〜以降は、訳の分からない世界観で(やはり古さなのか?)とてもついていけず、読む気が失せました。前半のみの文庫本なら緩い感動で終わっていたと思います。
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『愛についてのデッサン』が文庫になる日が来るとは、本当に驚きだ!しかしなんと言っても一番驚いたのは、佐古啓介が26歳だったこと。何度か読んでいるのに、佐古は若さはあるけれど落ち着いた物腰で思慮深いイメージで、30代後半から40歳と思い込んでいた。ということは、出てくる友人や妹や女性なども20代ということだよね。なんて大人なんだ。
セリフや物腰が落ち着いているので、ゆったりしっとり読める。やはり、よくもわるくも現在の日本人は若く幼くなったよね、としみじみ思ってしまった。
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古書店を舞台にしたミステリーではなく、古書店を舞台に人間の心の機微を描く小説なのだと。どの作品でも書かれるのはコミュニケーションの不全なのだと。
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いかに優れた作品でも「どういう人なのかがよく分からない/ほとんど知られていない」創り手の作品を手に取ってもらうのは難しいもの。おそらく、野呂邦暢(のろ・くにのぶ)という作家についても、根強いファンがいることも知られていますが、多くの人にとっては馴染みが薄いことは否めないでしょう。僕自身も、『桜庭一樹読書日記 少年になり、本を買うのだ。』で紹介されているのを読んで気になっていなければ、ただ通り過ぎていた可能性のほうが高いです。
長崎に生まれ、戦時中に諫早へ疎開し、そこで被爆。高校卒業後、1年間の自衛隊入隊を経て教師をしながら小説家を志し、1965年にデビュー。1974年には芥川賞を受賞するも、6年後に42歳の若さで早逝した作家。昨年、中公文庫から『野呂邦暢ミステリ集成』が刊行されるなど、いまにわかに(そして何度目かの)再注目を集めている流れを汲むように筑摩書房から初の文庫化がされた『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』は、その晩年の一作(に短編5篇を増補したもの)です。
心不全で急逝した父親が経営していた、中央線沿線に位置する小さな古本屋「佐古書店」。編集者として働きつつも満たされない気持ちを抱えていた息子・佐古啓介は、編集職を辞して、しばらく閉めていたその店を継ぐことを決める。そうして、古書店の若き主人となった啓介のもとには、古書をめぐって高校時代からの友人、謎の来店客、亡くなった父親の過去などに関わるさまざまな相談や厄介事が舞い込むようになる。長崎の古書交換会に行き、若くして亡くなったある詩人の肉筆稿を入手してきてほしい。ただし、自分が依頼主であることは明かさないようにという、親友が連れてきた女性からの不可解な依頼と、その原稿を追う数奇な顛末(「燃える薔薇」)。失恋の古傷を癒やしてくれたことがきっかけで、啓介がかつて恋をし、今も一方的に慕う親友の姉。別れの際に啓介が思慕を込める意味で手渡した一冊の詩集『愛についてのデッサン』。その、まさに渡したはずの本と同じものをとある市で見つけた啓介は、動揺しつつ競り落としたあとも密かに手放した彼女の真意を推し量れず、妹の友子や行きつけのスナックのウェイトレスにその気持ちを吐露するのだが……(「愛についてのデッサン」)。ここ数日、毎日店に足を運んでは同じ棚をためつすがめつしている老人は、ある時目が合っった瞬間、まるで盗みの現場を目撃されたかのような羞恥の表情を見せ、去っていってしまった。いったい、その老人の目的は何なのか(「若い砂漠」)。
――(兄さんには女の気持なんかわかりっこないのよ)
鮎川哲也のファンだったというだけあって、いずれも古書(主に詩集)にまつわる“謎解き“の体裁やミステリ的な味わいを含むエピソードにもなっていますが、あくまで中心にあるのは、起きたことの因果は理屈をあてはめて紐解くことができても、果たして人の心まではほんとうの意味ではわかり得ない――旅の先々でそんな茫洋とした現実の出来事に直面するごとに、そして妹や友人とのやりとりを通して、佐古啓介というひとりの青年が、古書店主人としても恋愛や人との関わりにおいても、模索し、人とし��少しずつ成長していくその過程なのだと思います。
抑制された描写や会話、その行間から立ちのぼってくる豊かな詩情と感情、多層的な人物像、そして一話ごとに深まっていく余韻……。野呂邦暢という早逝の作家の才能に瞠目させられる、とても芳醇な青春小説です。
※なお、みすず書房「大人の本棚」版には、野呂ファンを標榜してやまない作家・佐藤正午による解説が寄せられていて、これが何とも佐藤氏作の野呂邦暢トリビュート短編小説のようでたいへん惹き込まれる内容。機会があればこちらもご一読いただきたいのですが、何よりまず初の文庫化を寿ぎたいと思います。
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古書店を舞台にしたこのミステリーのテンポと落ち着きは、読み手に先を急がせない。下手に足早にページを進んでしまうと、何か肝心なことを逃してしまいそうな気がする。
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面白いけど唐突に終わる気がする。。。
よく言えば余韻が残るし想像膨らむ。
悪く言えばオチがない。。
鳩の首と隣人と世界の終わりは面白かった。
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表題作『愛についてのデッサン』。亡き父の跡を継いで古本屋店主となった佐古啓介を主人公に、古書を巡って起こる事件や人間関係の謎を解き明かしていく連作集。最終話では、長崎から上京し古本屋を開業した父の、故郷にも帰らず語ることもほぼなかったのは何故だったのか、父の哀しい事実が明らかになる。
古書店に足繁く通っていたという作者が、好きな古本屋を舞台にして書いた作品であり、少し設定を作りすぎている感はあるが、謎物語と思って読めば、上質なエンターテインメントとして楽しめる。
他の収録作も、短い中に人間関係の作り方の怖さ、距離感の取り方の難しさを描いていて、ドラマチックである。おそらく水爆に被曝した第五福竜丸事件を下敷きにした「世界の終り」では、サバイバルする人間間で信頼関係を作ることができず、闘い合う姿が濃密な文体で描かれる。「ロバート」では、ベトナム戦争帰還兵との奇妙な同居生活が、「隣人」では、薄いベニア壁で生活音が聞こえてしまう隣人間でのエスカレートする嫌がらせが、「鳩の首」では、勉強に関心を示さず、飼っている動物やそれに関することにしか興味を持たなかった子どもの、ある時点からの変貌が、それぞれ描かれる。
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不思議な読後感をもたらしてくれる一冊でした。
全体的に感じたのは、穏やかな文体でいて攻撃的な内容であったな、ということ。だからこそのスッと受け入れられない違和感なんだと思う。
「世界の終わり」
これは戦争を斜めな視点からとらえた短編のようです。ただ人間の良心と攻撃性のせめぎあいが心の底から恐いと感じた。ただ、これは他の話にも共通するものかもしれない。
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旅シリーズすんごく好みでした
他の短編も個性的で面白い
表紙みて衝動買いしたのにどストライクの好み本でしあわせな時間を楽しめました
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半世紀とはこれほど言葉を変えるのか。古めかしさを感じている自分も歳をとった。
「壁に接吻」おもしろい表現。
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ちくま文庫の良い仕事。
夭折した芥川賞作家、野呂邦暢の連作短編が文庫化された。
まず装丁が良い。
若き古本屋二代目が主人公。
良くも悪くも若い、という感じの彼が、父の故郷長崎他、各地を旅する。
旅と本、本を巡る謎、魅力的な題材。
昨日、嫁さんが映画版鬼滅の刃をテレビで観ているので別室で読書しようと、この本ともう一冊を持ち込んだ。
主人公が老人に『老人と海』はどうだったかと訊かれ「『移動祝祭日』の方が好きです」と答える場面があった。
僕が持ち込んだもう一冊持っていたのが『移動祝祭日』だった。たまにある読書のシンクロニシティ。
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『愛についてのデッサン』という連作短編集に、今は入手が難しいというその他の短編をいくつか収録した作品集だった。
文庫の表紙絵も素敵だし、内容も読んで良かったと率直に感じた。ただ、本書をどこでどう見つけたかは忘れてしまったが、当初予想していた内容とは異なっていた。イメージしていたのは、若き古書店主が、古書をめぐっての様々な出来事、人々に出会う物語…のように予想していたし、この本を手に取る人は大抵そのように考えるのではないだろうか。実際には、表題『愛についてのデッサン』連作短編が全体の7割で、その他の短編も含まれているのだが、それらの短編というのは、前半の連作短編とはかなり毛色の異なるものとなっている。
ここで、予想と違うものを読まされて嫌な思いをする読者もいるのかもしれない。けれど、古書店主の物語以外の短編も、私にとってはどれも魅力的に思われた。例えば、「鳩の首」も少年の変化が恐ろしくも巧みに描かれていたと思うし、「世界の終わり」や「隣人」は、極限状態にあっても、あるいは単に感情的にであっても、人は寄れば争わずにいれないというような根本の性質を、単に悲観したり絶望したりするというよりも、むしろその闘争の相手を求めてさえいるような、どこかユーモアの感じられるような描き方をしていると私は感じた。
他方、表題作の連作については、解説にさえ「火曜サスペンス」とあるように、読者の興味を引くために、あえてミステリの要素を加えたようなきらいもあり、特に「燃える薔薇」はそう感じた。もちろん、著者の文体は頭にすぐに入ってくるし、印象に残る場面もある。それに、40年ほど前に書かれた本書から、当時の古本業界の様子のみならず、戦後の日本の生活の雰囲気、空気が伝わってくる。啓介は毎回のように旅をするが、携帯もネットもない時代のこと、電話帳で氏名を調べたり、人づてに住所を聞くことが出来たり、今では個人情報の問題になるところだが、ただ、そういう人との距離感が羨ましくも感じる。
一方で、では、そういった時代背景、小説の内容そのものよりも、そこに期待しているノスタルジックな側面や、はっきり言ってしまえば、「ビブリア古書堂」のような古書をめぐるミステリの要素、それらに引きずられることがないように読みたいと思っても、なかなか難しいのではないかと思う。もちろん、古き良き時代を感じるために読むのだ、それの何が悪いのか、という意見もあると思うし、否定はできない。というか、実際にそういう観点から私は大いに楽しんで読んだのだから。
ただ、著者が本書で意図していたことは、ただ若い古書店主を描いた青春ものという以上に、文字通り愛についての物語だったというのは、それも安易なのだろうか。特に短編2作目の「愛についてのデッサン」の最後の場面は印象に残った。的外れかもしれないが、どこか、尾崎翠の小説の読後感に似ていた。「トンちゃん」とは特に恋仲だったわけでもない。それなのに、最後、全く予想しない旅先で、会ったかもしれない、と思う…、この感覚が不思議と心に残るような気がする。
読書をするとき、もちろん、予想通りに読後感を得ることだけを���的に本を選ぶ人はいないと思うが、本書では、毛色の異なる作品群が前半後半に分かれていた。私はむしろ、前半の、どこか心にほっとするものを残すような読書体験を予想していたところ、後半は、むしろ考えさせられる、少し緊張感のある短編が多かったように思う。それはそれで嬉しい誤算ではあった。