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紙の本
地方独自の風土と文化の確立が大切
2001/12/13 18:10
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投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
どの地方でも、使われなくなっていく方言がある。しかし、それ以上に不思議なのが発音の明瞭化であると思う。昔は、九州の人と東北の人が話しても全く通じないなどと言われたが、戦後生まれ以降の世代なら、そこまでのことはないだろう。その地方独特の単語が分からないだけでなく、発音が聞き取れない。文面なら理解できても会話は出来ない英語のような感覚が、昔の方言にはあった。
著者が指摘するように、方言でなければ表現できない風土や文化を持てるか否かが、その存続のカギとなろう。単語の違いだけではなく、言い回しや口調までもが、その地方に暮らす人たちの考え方を表しているからだ。しかし、それは地方のアイデンティティーであって、メディアの発達した現代では、各個人が地方性を背負うことに疑問を感じる。
紙の本
お国なまりの社会言語学/言語社会学
2001/12/02 16:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは富山県の五箇山出身で阪大の先生をしている方の社会言語学。社会言語学はひっくり返せば言語社会学でもあって、「ことば」(語彙やイントネーションなど)の変容を通して、その「ことば」を共有する社会集団の変容が見えてくる。
本書によると、地域方言はたしかに衰退の方向に向かっている。たとえば「さかい」「おます」「なはれ」といった伝統的な大阪弁の語彙を使う人は、ネイティブ大阪人であっても世代が下がるとともに急カーブで減少している。しかしむろん、若者の言葉づかいが東京弁の共通語に完全に変わってしまうわけではない。若者集団の中での選択的な取り込みによって、独自の「中間的言語変種」が生まれていることが重要なんだという。
著者は関西の若者の日常会話に、関東由来の間投助詞「さ」が頻繁に混じる現象を指摘する。大阪府下、21歳男性同士の会話——「彼女とさ、はじめてカラオケ行ったんよ」「彼女、カラオケする人なん」「なんか、けっこう好きらしい」「あ、そうなん」「んー、というか」(1996年採取)。神戸市、20歳女性同士の会話——「いわんかったっけ? むっちゃ派手な先生おんねやんかー」「うん、うん」(中略)「ほんで、なんかちょっと暑くなったなーと思ったらさー」「うん」「それを脱いでさー、腰に巻くねん」「(笑い)」「またそれ、中、タンクトップや、あんた、ブラジャーちゃう、タンクトップでさー」(1993年採取)。なるほど。そう言われればたしかにそうで、年配の関西人はけっしてこういうしゃべり方をしない。
なぜそうなるのか、そこをこんなふうに解釈する。《現代の若者たちがこのような混交形式を好んで用い、それが広まっていく裏には、あまり方言色の強くない、かといって標準語的でないものを共通のアイデンティティとしているということがあろう。地域の若者は、同じ地域の老年層とも、また中央の若年層とも異なった、あるスピーチスタイルを求めているようである》(p.50)。
つまり、ある社会構造における集団の自己表現という問題。逆に「めっちゃ」「まったり」「しんきくさい」といった関西弁も、メディアを通して関東の若者のあいだに滲透している。「うざい」「きもい」の若者語についてはいうまでもないか。方言は地域方言・お国なまりというより、世代語・集団語としての性格を強め、東日本、近畿、九州・沖縄の三つの圏を核として統合されつつあるのだともいう。それはとりもなおさず、かつて地域単位で成立していた社会圏の再編、構造変動の過程に対応するものにほかならない。だとすると、職業語や階級語などはこれとどうかかわるのか、男女語の使い分けはどうなのか。そういった新たな疑問もつぎつぎに触発されて出てくる。
このほか、場面に応じたスタイル・言語コードの使い分けや、新語を取り込む際における各方言の「フィルター」装置(マクドナルドを「マクド」と略するのたぐい)といった議論。また子供の方言習得過程で、幼いうちは親も子も先生風の共通語コードで会話をしているのに、「小学校2年時の6月以降」は方言コードが急増する。それはなぜか、といった話が面白かった。
本書において、くり返し主張される思想。「大切なのは、独自の文化、風土があるからこそ、それを表現するためのことばが生まれるということである。地域集団であれ、若者集団であれ、借り物のことばでは表現できない文化を自分たちで持てるかどうかが問われるのである」(p.14)。ことばの問題は集団の問題だ。五箇山の小さな山村出身で、母方言を共有する人びとは現在1000人足らず。母方言の絶滅を危惧する人の発言として、その意味をかみしめたい。
【たけのこ雑記帖】
紙の本
2001/12/16朝刊
2002/01/28 18:16
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投稿者:日本経済新聞 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「さかい」「おます」など代表的な大阪弁も、若年層の間ではあまり使われなくなっているという。一方で、「ど真ん中」「めっちゃ」など、もともと大阪弁であったことばが全国的に使われるようになることもある。
ことばは地域や世代を超え、実に多彩に姿を変えていく。方言も、新しいことばを取り込み、形を変えながら生き続けるだろう。こうした方言の現状と今後について社会言語学者である著者がわかりやすく説いている。
例えば、関東では「マック」と省略される「マクドナルド」が、関西では二拍目にアクセントが置かれ「マクド」と呼ばれる。この省略とアクセントの置き方の法則は、方言を考える上で重要な要素だ。
著者は、こうした法則を「フィルター」と呼び、「その語を自分たちのなじみのものにする」装置と位置づける。「地域の風土・文化というフィルターを通して、方言は形を変えていく」のだ。その実例が、大阪、富山、沖縄などでの調査から次々と示される。
さらに日本の旧統治領南洋群島、現在のミクロネシア連邦における残存日本語や、韓国語に入った日本語など、海外の事例も取り上げ、ことばが変容していく過程を綿密に追っていく。
ただ、ことばの「濾過(ろか)」も、それぞれの地域が独自の風土や文化を築いてはじめて可能になる。「借り物のことばでは表現できない文化を自分たちで持てるかどうかがいま問われている」のは確かだ。
(C) 日本経済新聞社 1997-2001