紙の本
なんでもできると思っていた最新技術にも欠点はあるみたいです
2021/07/22 08:04
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投稿者:zuzuzun - この投稿者のレビュー一覧を見る
人工知能に大いなる期待を寄せる人は多いけれど、人間の頭脳を再現することは非常に難しく、私たちが眠っている起きているという意識を再現することがいかに難題であるかということをこの本を読んで教えて頂きました。
この本を読んでいて意外にも中途半端な学習をさせたAIの方が状況が変化する時に柔軟に対応できると知って、なんだか勇気をもらったような気がしていました。
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「日本のリアル」の方は読んでないなあ。なんでやろ。また書店で探してみよ。さて、一番読みたかったのは、もちろん新井先生との対談。けれども、それ以上に岡本さんとの哲学対談がおもしろかった。倫理を功利主義と義務論に置き換える話。幸福についての話。このあたり、もっと突っ込んで聞きたいなあ。何が幸せなのか。それは人によりけり。AIに決められてたまるか。それから、子育てではやっぱり五感を鍛えないと。視覚、聴覚優位から、触覚や嗅覚も。体性感覚というようなものもかなあ。体幹も鍛えた方がいいだろうし、やっぱり自然の中での生活は大事だなあ。木登りとか、川で魚とったりとか? やっぱり、田舎への参勤交代かなあ。さらには第六感というのか直感(直観?)も。ネット上にフェイクニュースがあふれたりするこの世の中では、鼻が利くというのか、直感的なものも大事だよなあ。天然知能といってもいいのかなあ。なんかがどっかからやってくるんだなあ。そういえば、養老先生、郡司さんのことを、郡司くんっていってたなあ。そんな、仲良かったのかなあ。しかしまあどれもこれも、もともと養老先生がホスト役で、それぞれの専門家に話を聞くというかたちのはずが、みんな養老先生の独擅場(独壇場?)になっている。さすがというか、もう養老先生に意見できる人は今の世の中にはいないんだよなあ。
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コロナが流行する前の講演で、「『遺言2.0』はいつ出ますか?」という質問に対して、先生は「それはわからないが、AIについては書きたいと思っている」とおっしゃっていた。本書は対談の形式をとってはいるものの、ある意味ではこの問題に関する先生なりの総論だと言えなくもない。
いまから三十一年前、先生は『唯脳論』という本を書き、そのエピローグで「脳化社会」というキーワードを提示した。「脳化」とは、正確には進化の過程で生物の脳がしだいに大きくなっていくことを示すテクニカル・タームなのだが、先生はこの言葉を飛躍させて、ヒトにおいては脳が肥大化した結果、外部まで脳を拡張させ、社会そのものまで脳と化してしまったという、なんともユニークな理論を展開したのである。いまさら説明の必要はないかも知れないが、私自身のおさらいの意味も含めて、養老先生がいつも述べていることを書く。
脳とはどんな器官かといえば、「予測し、統御する器官」である。つまり、ものごとの予測を立てて、その予測にしたがってものごとが進むように取り計らう器官である。先生はそれをさらにわかりやすく端的に、「ああすれば、こうなる」と書いた。自然は人間が作ったものではないがゆえに予測不可能であり、脳は予測可能な人工物を次々と作り出すことで自然を置き換え排除していったのである。周囲を見廻してほしい。われわれのまわりに人間が作らなかったものがどれだけあるだろうか。机も椅子も、ペンもタバコも、建物も道路も、みんな人間が作ったものである。街路樹や公園はどうか。それすらも、人間が考えて配置したものである。要するに、われわれはもはや脳が作り出した世界=脳の中に住んでいるも同然なのである。
考えてみると、人類が「進歩」とか「発展」とか「文明」とか、その他いろいろな呼び方で呼んできたものは、すべて「ああすれば、こうなる」ようにすることである。そして、AIもじつはそのひとつの究極の在り方だと思えばよい。すなわち、人間は何を考えだすかわからないが、コンピュータなら予測でき統御できる。いや、むしろ統御されねばならない。だから、東証のシステムがダウンして一日止まっただけで「不祥事」になり、「サーバーの息吹を感じていれば防げた」などと言い出すのである。
だから、AIに仕事を奪われるとか、AIが人間を置き換えるとか、今更のように言っているが、われわれはとうの昔からそういう社会をせっせと作ってきたのである。あなたも私も、意識的にであれ無意識であれ、振り返ればずっとそうしてきたはずである。じゃあなんで今頃になってそんなに騒ぎ立てているのか。その答えを、養老先生はすでに『唯脳論』に書いていた。すなわち、脳がどんなに人工物を作り出して外部の自然を置換していったところで、最後にどうしても置換できない自然が残る。それは何かと言えば、われわれ人間自身である。人類はまだハエ一匹たりとも生命を作り出せてはいない。行き着く未来で残された唯一の自然が、われわれ人間の身体なのである。自然を排除していけば、いずれ身体という自然が反逆する、と。
私はもうほとんど落語だと思っているのだが、労働者はいつか働かなくてよい日が来るよ��に仕事してきたのだし、人間の代わりになんでもやってもらうためにロボットを作ってきたのである。だから、AIが人間から仕事を奪うのは当然のなりゆきだし、そのうち「もう人間はいりません」という時代が訪れることは、最初から目に見えていたのである。ニーチェが生きていたら、「人間は死んだ」と言うのではないか。われわれは、尻に火がついてからやっと気づいて慌てている間抜けなサルである。
じゃあ、どうすればいいんですか。またお決まりの質問が聞こえてくる。そんなの、お得意のAIに訊いたらいいんじゃないですか? 賢い彼らなら、「ああすれば、こうなる」の結果こうなったんだから、もう頭で考えるのはやめたらどうですか?と教えてくれるかもしれない。ああ、本当に落語のオチみたいだ。そろそろ私はパソコンの電源を切って休むことにする。
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AIが万能で絶対的な人口生命体などではなく,一技術,つまり道具に過ぎない.問題は,人間という生命体がその道具をどのように使うか,なのだが,ものを考えなくなった,あるいは考えたくないマジョリティは,使い方の自由なAIを使えないので,飲み込まれる.人工的環境に両足を突っ込んだ(ことにも気付いていない)人間という種が,本来自然の一部だった自らを現在の環境に基づきどのように顧みるのか,その一点に問題は集約される.
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p18 人間の意識だけで社会を形作って「ああすればこうなる」というふうに原因と結果がきれいに揃う(脳化社会)思考だけでものごとを考えていると、そういう世界観の中にいたら、人間げはコンピュータにはかなわないんですよ
p38 映画 リスボンへの夜行列車
p44 AIというのは、もうそういうものだと割り切ってうけいれるしかないという捉え方と、もう一つは、AIを絶対的なものとしてみないという捉え方
p83 サピエンス異変 人間は自分が作った社会に身体が適応してない
p95 人工超知能
p116 日本の輸出依存度 14-17% 日本は自前でくっていけるってこと
一番大きいのはエネルギー事業
p138 ジルドゥルーズ 哲学者とは概念を創造する者だ
p195 それぞれの社会は履歴をもっている。歴史です。その中で、暗黙の裡にほどほどのところで落とし所をみつけるのが伝統的な社会だと思います
p200 人生って想定外のことが起きるんですよ。その常識がなくなってしまって、なんでも想定しなきゃいけない、というのが圧力になってしまいますね。
問題提起するなら処方箋をセットで寄こせ、と平然という。なんにでも答えがあって誰かが教えてくれると思っている人があまりにも多い
60億もいるのに、AIの研究は必要か?
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養老孟司がAIをテーマに4人の識者と行った対談を収録した一冊。私自身はIT企業に勤めていることもありAIには肯定的な立場なのだが、五者五様の問題意識は謙虚に受け止めたい。少なめのボリュームながら民主主義から男性学まで縦横無尽に議論が往来する新井紀子との対談が特に面白かった。「わからないから面白い」は本当にその通りだと思う。
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養老孟司さんと4人の叡知のAIについて語らう。
羽生善治さんとの語らいでは、AIと将棋の相性をあげてひとのもつ先入観を排除して、古い手でくることもあり勉強になるという。
養老孟司さんのAIを高級な文房具という考え方が、たかがAIぽくて良かったです。
井上智洋さんは、ベーシックインカムとAIの親和性をあげて、例えベーシックインカムで収入を得ても、10万円もないと思えば、働く事を選択するひとの方が多いのではと楽観的に捉える。但し、本来ひとが自然とあるべき一次産業にシフトしていくのではと考える。
岡本裕一郎さんのAIによる効率化が必ずしも、ひとを幸せにしないと言う考え方が納得できました。ひとは歴史の中で、妥協点を見いだすことで上手くやって来た一方で、効率化は0か1まで物事を判定しようとする。正論が正しくても、根底では感情でひとは生きるものなんだよと思う。
新井紀子さんのAIを学ぶ上でのひとのリテラシーの問題に触れる。物事を深く考えなくなることは、AIの決めたことに対して、何も考えずに受け入れてしまう危険性がある。
結果まで示さないと何も出来ないひとは、考えることをしない人だという。世の中に最適解なんてないし、あるとしたら自分で下した結果が全てじゃないと思います。
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人間とAIの関係を考えている人におすすめ。
【概要】
●人間とAIの関係について対談(コロナ禍以前)
・AIから見えてきた「人間の可能性」/羽生善治氏
・経済はAI化でどう変わるか/井上智洋氏
・AIから人間を哲学する/岡本裕一朗氏
・分からないことを面白がれるのが人間の脳/新井紀子氏
【感想】
●書物やメディアを通じて客観的に見てみると、AIによる将来の発展について、恐いほど評価する人もいれば、懐疑的に考える人もいる。
本書の各対談では、現実的な視点による考え方が表れており、興味深く読むことができる。
●AIをどうやって導入していけばよいかとても悩む。何をすることが日本にとって最適なのか、もっと独創性をもった考え方が必要だ、と自分自身の反省も含めて感じた。
●著者の「自分自身の必然性から出ていないことをする癖が日本社会にあることを心配する」には共感する。国民性なのかもしれない。
●羽生氏の「技術的にできる、ということと、その技術を『選択』して使っていくということは、必ずしも一致しない」という考えに同意する。何でもAIにさせれば良いというものではないのだろう。
●新井氏が言う「AIには定常状態しか予測できない」「想定外のことは予測できない」を超えるAIが出現するのか気になる。現状ではそのとおりとしか思えない。
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AIに関して、一見すると関わりの低いように見える著者と様々なジャンルの業界の方々の対談を通して、AIに関してだけでなく、現代社会に欠けているものが伝わってくる書籍。
AIというテーマを通して、現代社会のあらゆる問題が浮き彫りになっている。
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まぁ、いつもの養老先生トーク。「ん?!」と思って考えさせられる。いまひとつ根拠がわからない、とか、それは恣意的な解釈にすぎないのではないか、と思うことはままあるが、それを刺激にいろいろ考えてみることには価値があると思う。答えを求めるのではなく、考える種を見つける本。最後の新井紀子さんとの対談が養老先生にしてはけっこうかみ合っていて面白い。
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人工知能(AI)技術の飛躍的発展により、近年「AIが人間の知能を超える」と喧伝されるようになった。しかし、そもそもAIとは何なのか、AIと人間の知性の違いはどこにあるのか―養老孟司が4名の知性と語り合います。安易に「これからはAIだ」となってしまう雰囲気に流されるのではなく、本当に必要なものは何かを考えることが大切だと知ることができる本です。
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AIに支配されるのは人が作った世界(脳化社会)であり、自然そのものはAIにも予測不能である。人間の発達とは脳を騙すことや鈍らせることで、その過程にあるのがAIなのではないか。そう考えると、感性を磨く(というか戻す)方法は病気、例えば統合失調症などになることなのかもしれない。今回も養老先生に勇気をもらった。
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新井先生との対談は非常に読みやすくて納得。
答えはないのだから、その不確実性を楽しむ遊びが欲しいですね
じゃないと人間脳退化してしまう
アメリカ文化への辛辣なインサイトも面白かった!
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羽生善治(棋士)、井上智洋(経済学者)、岡本裕一郎(哲学者)、新井紀子(数学者)との対談形式でAIと未来を議論する。それぞれの切り口でのAI感も興味深く読みましたが、養老猛司先生の持論である五感をフルに使って自然と触れ合うというところに帰結したのは予定調和な印象かな。
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A.I.に限らず新しく便利なモノに飛びつく前に、本当に必要かどうかを考えようっていう話。
羽生善治さんとの対談がとても面白かった。