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商品説明
特攻死した陸軍朝鮮人は、新聞や映画、慰霊碑などでどう扱われてきたか。特攻のイメージは、なぜ日韓で異なるのか。日本人以上に日本人らしくふるまわざるを得なかった彼らの足跡をたどり、植民地支配と歴史認識を問いなおす。【「TRC MARC」の商品解説】
植民地支配や戦争をめぐり、戦後80年近い今なお日韓で記憶のずれと対立が続いている。日本軍に所属した36万人以上の朝鮮人の詳細は、いまだ不明なことも多い。本書は、特攻死した陸軍朝鮮人特攻隊員が新聞や雑誌、映画、ポスター、慰霊碑などでどう扱われてきたのかを分析し、「軍神」「被害者」「裏切り者」といった多様なイメージを押しつけてきた両国の近現代を歴史社会学の視座から考察する。【商品解説】
目次
- 序章 「朝鮮人特攻隊員」という戦跡
- 第一章 帝国日本による朝鮮支配と戦時動員政策
- 第二章 植民地朝鮮における科学談論と朝鮮総督府の航空政策
- 第三章 朝鮮人特攻隊員の戦死と創られる「軍神」
- 第四章 戦後日韓両国における朝鮮人特攻隊員の忘却と正統性の構築
著者紹介
権学俊
- 略歴
- 〈権学俊〉1972年韓国生まれ。横浜市立大学大学院国際文化研究科博士課程修了。立命館大学産業社会学部教授。著書に「国民体育大会の研究」「スポーツとナショナリズムの歴史社会学」など。
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紙の本
現代を考えるための研究書
2023/03/17 19:23
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
旧日本軍には志願や徴兵によってたくさんの朝鮮人兵士がいたことは、ある程度知られていよう。
その中で陸軍特別攻撃隊として戦死した17人の朝鮮人特攻隊員に光を当て、彼らの思いや歴史的背景、日韓社会での国民意識にどのように刻印を残したかなどを論じたのが本書。
朝鮮人特攻隊員が名簿に日本名で掲載されているため本名が不明なまま忘れ去られてきたことや、朝鮮が日本の戦時体制に組み込まれていく中で二元論では語れない朝鮮人兵士たちの複雑な心情、戦後は反日・反共イデオロギーの中で母国でも省みられなかったことなど、想像に難くないものの、あらためて突き付けられ、胸が痛んだ。戦前から戦後への連続性を問い、現代を考えるための研究書。
紙の本
朝鮮人と日本軍
2022/11/01 17:44
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
特攻で戦死した朝鮮人を書いた本は類書があるが、研究書は初めてかもしれない。「少年飛行兵の導入初期、朝鮮人の志願状況についてはあまり報道されていない」とあるが、少年飛行兵には昭和10年に入隊している人がいるのだが、何故か触れていない。いくら何でも昭和10年に「不足する人材を求めて少年飛行兵に朝鮮人が入隊出来た」とは言えないだろうが。帝国陸軍での制度の紹介自体はいいとは思う。陸士出身で「特攻死した朝鮮人は、崔貞根(高山昇、陸士五六期)一人だけである」のは事実だが、陸士45期以降に陸士を卒業して任官した朝鮮人将校はそれほどの人数ではないが、整備を含めて航空部隊に配属された人自体が少ない。「非日本人が陸軍士官学校に入ることは一流大学並みの狭き門であり」とあるが、王公族は義務として入学して任官しているし、台湾人で陸士に入学したのは「日本陸海軍総合事典第2版」によると59期が初めてなので、任官したのは58期までなので陸士卒の台湾人はいない。
少年飛行兵出身者で戦死した朝鮮人はいつどこ誰がなのかは知らないが、陸士出身者なら52期の崔鳴夏大尉は64戦隊にいた事もあり、「朝鮮限定の軍神」として持ち上げられたから、例示しても良かったのではないか。
張赫宙が「岩本志願兵」を昭和12年から15年のどこからしい「この時期に」発表したかのように紹介されているが、彼が毎日で連載したのは昭和18年、京城で単行本化したのは19年。また間島特設隊が「日本軍の特殊部隊」と紹介されているが、新京の軍官学校出身者が配属されたように満軍の部隊。
帝国陸軍に所属して特攻死した朝鮮人には、陸士卒の崔貞根を含めて、それなりに優しい視点なのに、間島特設隊は「日本に忠誠を誓った彼らは、解放後は大韓民国の軍へ入隊した」、「徹底的に粛清された中国の親日派とは対照的に、歴史の審判から逃れた」と「日本人の手下になって独立軍討伐に関わった最悪の親日派」扱いだ。
こうなると例の昭和12年の普天堡戦で討伐隊を率いた陸士27期の金仁旭中佐は知名度が低いので北朝鮮では同期で金鵄勲章の叙勲者の金錫源大佐に「置き換えている」ようだが、「最悪の超親日派」になってしまう。
黒田福美のような韓国の事情には詳しい人が慰霊碑を建立しようとした顛末が紹介されているが、彼女には取材しなかったのだろうか。あるいはしていても「ネトウヨ」御用達のWACから「それでも、私はあきらめない」を出しているので、触れていないのだろうか。
参考文献目録がないので、本文や注で言及されている出版物しか分からない。