紙の本
心地よく読み終えました。
2023/05/16 23:09
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投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
標野さんの作品を初めて読みました。
ふっくらと温かい余韻に浸っています。
他の作品も読んでみます。
それにしても、共同経営者と言いながら、八木さんは経営に参画しているのでしょうか。
広田さんには、そして岬先生にも、大切な存在なのでしょう。
それだけで、共同経営者なのですね。
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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
経営成り立たなよね、なんて野暮なことは言わないで。
絵本っていいよね。
大人になると触れる機会がかなり減るけど。
大きさとか形とか自由なんだなあ。
紙の本
舞台は札幌
2023/04/02 17:27
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投稿者:302 - この投稿者のレビュー一覧を見る
馴染みのある地名や建物が出てきて、景色を想像しながら楽しく読めた。
わかりやすく読みやすい。
序盤の、八木がだれなのか少しずつわかってくるところが面白かった。
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もしも、自分の悩み解決にピッタリな絵本があるならば選んでほしいな。
いや、絵本じゃなくても小説でもいいんだけど…。
登場するスープの美味しそうなことったら…。
『クッタラ』って覚えにくいと思っていたけど、アイヌ語だったんですね。
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んー、、、うなりたくなる。
本のない絵本屋さん兼カフェ。客の悩みに寄り添う絵本を後日渡す。悩みを聞く日には、心も体もほぐれるスープやスープセット、もしくはコーヒー。
とても良い設定なのに、あとひと息の引き込まれる面白さが足りないような。星3つ。
八木さんのことを誤解してました。
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のんびりと、ゆるやかに季節の流れに沿ってお話が進んでいく本書。北海道の自然の描写と、そこで採れた美味しそうな食材のスープが魅力的。八木さんが可愛い。
p.44 「絵本の判型ってすごく大切なんですよ」子供向けの本は正方形なものが多いそうだ。実際、敦子のために用意された。もう1冊の本も真四角に近い形だ。それは単純な形ほど自由であり、親しみやすいからだとも言われていると言う。「他にも子供の手のひらに収まる、小さなサイズにする良さもあるし、逆にぐっと大きくして絵の迫力をダイレクトに感じさせようとする狙いがある本もあるのです。この本のように展開をより、ダイナミックに見せるために、あえて縦長の判型を選ぶこともあるんですよ」
それは内容や絵から、その本ならではの特性を生かすやり方なのだと教えてくれた。大人向けの単行本と違って、絵本が様々な規格で作られているのには、そんな訳があるのだそうだ。「規格外だから伝えられる思いがあるのですね」敦子は、絵本の向こう側の景色を想像していた。縦長の窓と真四角の窓の外に広がる風景はどんなだろうか、気持ちの良い季節に風はゆるくそいでいるのだろうか、と思いを巡らす。
p.84 本質は、見た目や行動ではわからない。表層だけで判断し、こうだと決めつけてしまうことへの戒めだ。つむぎちゃんがとっている行動の意味も理解せずに、頑なに自分の価値観を基準にしようとする母親にも、これなら伝わるかもしれない。きっとあの親子に奏ではこの本を出すつもりなのだろう。→あおくんときいろちゃん
p.90 「ジョナサンラングレーの赤頭巾ちゃん」
グリム番のように、勧められたのが、石田と狼の生死に関わるが、そこは玉ねぎ。時間が経てば消化されるだろう。もしかしたらここのスープを飲んだ後のような、すっきりとした気持ちになるかもしれない。そこに石を詰められて、ゴツゴツした。お腹ではなく、ほっこりと丸くなったお腹の中にあるのが玉ねぎだと雄狼の姿も、何やらキュートだ。これなら心まで丸くなりそうだ。グリムの「赤ずきん」が、母親の言うことを聞かずに寄り道したことを反省する教訓めいた事で占められているのに対し、ラングレー版では、反省するのは狼のほうだ。「もうおばあさんはこりごりだ」、と頭を抱える狼は、二度と人間には手を出さないだろう。見事に狼を家の外に放りだした。女性陣は、3人でお茶の準備に入る。ほっこりする展開に、ゆうはいつの間にか笑を浮かべていた。
p.94 ユージーン・トリビザスの「3匹のかわいい狼」狼は悪役ではなさそうだ。逆に意地悪の蓋が登場する。
「3匹のかわいいオオカミ」では、オオカミが家を建てる。材料を変えながらされていくが、1匹ずつではなく、いつまでも3匹が一緒になって作る。適役の意地悪な豚肉をされるにつれ、頑丈な材料にしていく件までは同じだが、最後が違う。どんなに強固な材料でも壊されてしまう、と気づいた狼は、ふんわりとした柔らかい花々で家を作る。吹き飛ばそうと豚が息を吸ったとき、吸い込んだ花のいい香りで、豚はすっかり改心するのだ。仲良くなった。3匹の狼と豚はその後、一緒に暮らすことになったそうな。締めくくりはこちらはみんなと並んでお茶を飲んでいるシーンだ。
この結末が好きかは、人それぞれです。誰かに助けてもらう行き方も、自分で立ち向かう強さを持つ行き方もある。無数にある中から、紬ちゃんなりの生き方がきっと見つかるはずです。そんな愉快なゴールに向かって歩んでください。
自分の信じる道をって言うことでしょうか?
えー、それを見つけるために、様々なやり方を模索する。物語に様々な結末があるように、です。その過程もきっと楽しいはず、いえ、楽しんでください。
p.102 生まれ持った個性、それは自分だけのかけがえのないもの。他の誰も真似できないオリジナルだ。それを他人と比較して売れるのか、それとも面白がるのか、それは自分次第なのだ。
p.116 「その名もREDなんて本もあるんですよ」マイケルホールと言う人のその作品の内容店主が説明する。副題は、あおいクレヨンの話。パッケージは赤なのに、中身のクレヨンは青色。そのことで不自由を感じながらも、自分らしさを求めていく物語だと言う。
「色の本には、こうした「みんなちがって良い」と言うメッセージ性を含んだものが多いんですよ」
p.144 「3匹のクマ」では、女の子が一目散に森に逃げ去るシーンで終わるけれど、こちらでは末っ子熊がお母さん雲のもとに戻って安心して甘えるカットで占められている。
...クリップは、生徒や他の教員に資料渡す際に使うだろう。その時、その先生が、例えば、女性教員への資料にピンクやハート型のクリップを使うとする。渡されたほうはどう思うだろうか。
ハートハラスメントと言うものがあると言う。すまほーアプリのメッセージやメールの返信に♡をつける行為により、受け取り側が感情を害することを意味するんだそうだ。
p.165 「クッタラ」と言うのは、その響きから、おそらくアイヌの言葉だろう。北海道の地名は、アイヌ語由来のものが多い。例えば、札幌は「乾いた大きな川」と言う意味だ。大きな川とは、市内を流れる豊平川のことを指している。今でこそ滾々(こんこん・訓読み=たぎる)とした水が流れているが、乾季になると、水の量が少なくなってからは砂利だらけになることから「乾いた」と言う表現が使われている。世界遺産でもある。知床は、その地名から「出っ張った大地」と言う意味を持つ。地名だけでなく、こちらでは店や施設の名前や食品にもアイヌ語が頻繁に取り入れられていることには驚かされた。暮らしていくうちに気づいた事だ。例えば、札幌市営の円山動物園では、動物の赤ちゃんが生まれると名前は公募されるが、シロクマに関しては、しばしばアイヌ語の名前がつけられる。宝物を意味する「=」美しいと言う意味の「ピリカ」など響きも愛らしい。北海道産米の「ゆめぴりか」の名前も「夢」とこのアイヌ語との造語だ。
p.188 中川恵理子の「そらいろのたね」主人公の男の子が欲張りなキツネから種をもらう。種を植えて育てていくと、小さな家が生えてくる。家はどんどん大きくなり、それにつれて住人が増えて賑やかになっていく。それを羨ましく思った狐が、家を返せ、と訴える。10人をやって、狐1人になった家は、やがて大きくなりすぎ、しまい��は太陽にぶつかって壊れてしまう。
「こどものとも」の名作。96歳で亡くなられた編集者の松居直さんが、質の良いものを子供たちにも、て言うコンセプトで立ち上げた「こどものとよ」のレーベルですね。絵本に著名な画家やデザイナーを起用したのは、当時としては画期的なことだったんですよ。でも、そのおかげでこうして今の日本文化がある。「こどものとも」には、絵本の本質があるのだ、と奏さんが熱く語る。
p.190 英訳名の「ミッフィー」を「うさこちゃん」として、日本に紹介したのも、松井さんの鉱石なんだそうだ。最初からミッフィーだったら、こんなに根付かなかっただろう。誰もが呼び、安く親しみを込められる名前にしたからこそ、今でも日本中で愛されるキャラクターになったんじゃないか点と奏さんが考察する。なるほど。絵本はエア内容だけじゃなくて、大きさや形、神の暑さ、タイトルに至るまで、子供や関わる大人のことを考えて作られているのだ。こうやって一つ一つに意味があるんだな、と感心する。いつかそんな風にみんなから愛される建物を設計してみたい、ふと、そんなことを蛍は思った。
「なんでこの2冊を僕に選んでくれたんですか?」
「だって、佐久間くんの場合、答えは出ているじゃない。君は建築が大好き。それに尽きます。だから、他者への優しさを持った主人公と、みんなで仲良く暮らす家や船、そんな風景が描かれた本なら、どれでもふさわしいと思ったんですよ。この物語では、狐は悪がしこい存在ですが、それだけ機転が利くと言うことです。孤高な分、自分らしさを知っているのではないでしょうか」アイヌの人々にとって、狐は災害を予知してくれる動物だと思っ伝えられていることを思い出し、個々の店名のアイヌ語の意味を聞こうと顔を上げるが、奏さんと美咲先生と「毒草だけじゃないんですね」などと笑い合っている。
p.200 昔の依頼に沿った本を選んで、タイトルを伝えたり、寄せるのが大切だが、ごくまれに移行して注文した本に関連したものを同梱されることもあって、意外とそれは良くなったりもする。客の要望は様々だから、対応するには、多少余分があることも大事なのだ、と子本屋暦おそこそこ重ねた金では、そんなことを口にしたりもするのだ。
奏は大学時代、学校近くの書店でバイトをしていた。その店がある時から新古書を扱うコーナーを設けた新古書は、書店から出版社に返品された後に絶版になるなどして、通常の人意識をされなくなり、古書のように自由価格で取引されている古書のことだ。
定価の半額位で、新品の本が手に入ることもあるため、人気のコーナーとなった。中には、掘り出し物もあり、常連客もついた。やがて、仕入れ業者の勧めもあり、新古書だけでなく、古書も仕入れるようになった。
p.248 「この店は、誰かの知恵になったり、厳しい雪や雨から守る存在ってわけか。奏くんの選んだ本が、お客さんの痛みを取る媒介になるってことなんだね」相手の心の領域に入り込みすぎないように、絶妙な距離を図る。愛想が良くし、あえて主張はせず。それが転校生がうまくやっていくための秘訣だった。それを話すと、「だからみんな奏くんにも自然と悩みを打ち明けてくれるんじゃない?」と意外なことを指摘された。僕が見つけた絶妙な距離感は、いつもうわべだけの友情に終始してしまうことにもつながった。でも、岬先生はこんなことを言ってくれる。
「その距離感がお客さんにとっては心地良いんじゃないかな。奏くんは自然と他者に優しさを与えてあげているんだよ」どうせ何年かすればここさるんだし、いつもどこかでそう諦めていた。ただどんな時でも図書館に潜り込めば自分自身に戻れた。学校が終わっても図書館と言う場所はどこもが大きく変わらない。書棚にずらっと本が並び、それを自由に読んでいられる。大きな机もある。館内は静かでかすかに読み古された本の匂いがする。ここならば平穏を保てる。本に囲まれた空間は自分を落ち着かせた。本は唯一の分かり合える友だった。本屋なら自分も安心でき、そして来てくれる人たちに、とっても平静な心に戻れる。居場所になるだろう。それにこそには、人から人へとつながってきたぬくもりがある。それを手を出す役割を担いる事は、とても誇らしい。それがこの店を開いた理由だ。
p.251 そういえば、羊の瞳のことを「横たわる三日月」なんて言うけれど、ヤギの目も同じなんだよなぁ、と昔漫画で読んだその知識を思い出したりした。
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色々な絵本と北海道の優しい野菜スープで
お腹が温かくなる作品でした。
ふたりはいっしょっていう絵本は
よく読んでたなーって改めて思う。
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場所は北海道。大きな庭つきの2階建のお店がある。
絵本屋クッタラは、本の置いてないカフェ&本さがしの場所だ。
店主が、客に最適な本をセレクトして、気に入れば売るというスタイルである。
本の相談以外にも、日々の悩みなど、
訪れる客を観察し、その人に必要なものや求めている絵本を提示していく。
どの話もこのような展開だ。
店主はまだまだ若い男性で、その相棒はヤギの八木くん。
とても風変わりなペアだが、のんびりと穏やかに流れる毎日のやり取りがこの物語の良さだろう。
八木くんの行動や仕草にヒントをもらいながら、店主の絵本選びは今日も続く。
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優しい。いろんな絵本が出てくるので図書館に探しに行きたくなりました。
最後に【クッタラ】の意味がわかってなるほど〜と思いました。最近興味のある養生とかにもつながってくるのかな。
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表紙カバーの美しさと、“本のない、絵本屋”って?!と興味をそそられ手にした一冊。
冒頭は、広田奏とクッタラを共同経営の八木の語りで進んでいく。
八木はなぜかお客さんの前に現れないのだけれど、それは“なぜクッタラには本がないのか”その理由に繫がる。
「心が丸くなるスープ」でその真相が明かされるが、事実はを知って衝撃。いや、微笑撃というべきか。
最後の章「ありがとさんのスープ」は、奏のストーリー。図書館が好きだった奏の気持ちは、少し分かる。本を読む時間に、本の中に心を置くことで現実から離れることができる。いろんなことをリセットできる。
この本にはたくさんの絵本が登場する。巻末にはそれらのリストも掲載されている。できることなら、それらの絵本が登場するシーンで、その絵本を側にこの本を読めば、より心にしみるのだろうと思う。
が、それはなかなかハードル高いので、気になった絵本はいつか手にとってみたい。
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1話の絵本を窓に見立てたところが好き
読んでみたい絵本があった、最後の話でヤギの主人公の絵本を仕入れた奏の八木くんを大切に思う気持ち愛情が伝わりほっこりした。
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絵本が常設していなくても、クッタラ店内そのものが絵本の世界のよう。
紹介される絵本の中には確かに幼少時に読んだことがあるものもあった。パロディ版のような作品もあるとは驚き。
クッタラのアイヌ語の意味に込められた奏のお客さんたちへの想い、八木への想いが優しい。
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私も自分の悩みに効く絵本を探してもらいたい。
『ジョナサン・ラングレイのあかずきんちゃん』読んでみたいな。
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この作者の「今宵も喫茶ドードーのキッチンで」を前に読んで、他の作品も読んでみたくなり手に取った。
絵本屋で出されるスープもおいしそうだし、わたしの悩みに効く絵本も選んで欲しい。
どんな絵本が処方されるのか楽しみ。
最後に絵本屋の店名「クッタラ」の意味もなるほどな、って感じだった。
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悩みに効く絵本を選んでくれる、札幌にある絵本カフェ
相方の八木と一緒にお客様の悩みにあう絵本を奏が選び、温かいスープで癒します
クッタラの中だけ、時間がゆっくり流れてるように感じました
絵本の中にいるみたいです
紬ちゃんの話が特に好きでした!
続きを希望します✨✨