紙の本
LGBTと、“家族”のあり方
2024/03/08 16:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:302 - この投稿者のレビュー一覧を見る
娘の生き方や介護施設の対応の部分を読んでいると、何が正しく何が間違いか明確にならない事がほとんどだなぁと改めて感じる。
価値観は全員違うもの。
親が「自分が正しい」と思い込んで、先々を勝手に想像し、子どもを思い通りにさせようとする家庭もあるが、子どもは所有物ではないし別の人間。
思いをよく聞いて、肯定も否定もせず受け止めてほしいなと思う。
韓国の文化や世相をあまり知らないが、訳者のあとがきを読むと、本の内容がより深く理解できた気がする。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
性とは何なのか、親子とは何なのかを考えささてくれる作品になっています。韓国の作品ですが世界共通のものだと思います。
投稿元:
レビューを見る
2読め。
1読めは暗さ重たさばかり感じてしまったが、2読してみると、ジェンを連れ出すあたりや終わりのほうなど、ちょっと爽快感もあるな。老い、親と子、仕事、同性愛、そして”家族”とは何か。
母は介護施設でそのやり方に怒り、娘は大学の不当解雇に怒り、社会的には実は同じような構造にいるんだよな。
投稿元:
レビューを見る
主人公の「私」は一人娘を持つ初老の女性。過去に教職に就いていた矜恃を胸にはしているけれど、その他はごく平凡な生活に疑問も反抗心も持たず生きてきた特別なことは何も無い女性。一人娘には存分に勉強させた為か「私」が歩んで来た(またそれを望んでいた)平凡で一般的な人生を歩んではいない。それが「私」を苦しめる。娘の恋人は女性。家父長制、男性中心の国で女性ばかりの共同体。平凡からはみ出る娘に愛情はあるものの受け入れることは出来ない。「私」も世間も。なぜ人が人を愛するのに、罰を受けなければならないのだろう。愛情は掛け値なし尊いはずではないのか。同棲愛者、認知症の高齢者、女性。「私」の視点を借りた、マイノリティという弱者が主人公の物語だったと思う。同じ世の中を生きながら見える世界が違う人たち。でも、お互いの視点に立つことはきっとさほど難しいことではないと思いたい。きっかけさえあれば、きっと。
投稿元:
レビューを見る
初めて読んだ韓国文学。
「家族」の呪縛、母娘の関係、生と死がとてもビビッドに、でも淡々と描かれていて、とても良かった。
まず描写がとても生々しい。語弊があるかもしれないが、韓国のちょっとまだ汚い部分(衛生的な面で)や残っている乱雑で乱暴な部分も生活のなかできちんと書かれていて、でも語り口がとても穏やかですごく引き込まれた。どの国にもあるなっていう日々の営みが自然に表現されているって、これぞ小説だなあと思うんですよね。筆致が見事だったと思う。
生きて死ぬことの怖さ、老いることの虚しさ、「家族」って何なのか。
登場するのは少し前の常識人代表みたいな「母」と、LGBTの娘とパートナー。母は育て方を失敗したのかとずっと悔やみ、自分の想いを理解しない娘を憎み、でも離れられない。
家族でたった一人残った娘とは分かり合えず、また娘は母を顧みないとわかっているにも関わらず「家族になれない、子供も産めない同性愛者でいいわけがない」と、娘の生き方を許せない母親。
心のつながりを感じるのは仕事で介護している患者であり、自分を労ってくれるのは娘ではなく娘のパートナーという「他人たち」だというのに。
しかし母親は嘆き、怒り、罵り続ける。その矛盾を分かったうえで、分かることなどないと、怒り続ける。
最後まで救いがあるわけではないけれど、本当に心にしみる良い本だと思った。きっと母親はこれからも怒り、嘆き、耐えていくのだろう。それが正しい、それしかないと思っているから。自分にはそれでも「家族」である「娘」がいるのだから。
私も家族が横と後ろには繋がってない(独り者)なわけでね、この母の気持ちはわかります。でも、娘のように生きることができる時代も来ているのだろう、とも思うのです。それが苦しくても。どっちも、苦しくて、痛いのだ。
家族って何だろう、生きるって何だろう、とずしんと考えられる一冊です。おすすめ。
投稿元:
レビューを見る
“言いたい言葉、言うべき言葉、言ってはだめな言葉。もう私はどんな言葉にも確信が持てない。こんな話、一体誰にできるだろう。誰が聴いてくれるのだろう。言えもしなければ、聴いてももらえない言葉。主のいない言葉の数々。”(p.58)
“くだらない非難やあざけりから逃れようとした結果、自分がほんとにやるべきことができなくなる。そんなの、もうやめにしたい。これまであきれるほどくり返してきたけれど、これで終わりにしたい。”(p.182)
“毎回それでも苦労しながらかろうじて乗り越え、また乗り越える。”(p.206)
投稿元:
レビューを見る
出口の見えない不安の中にずっといるようで、主人公の視点で読み続けるのがしんどかった…。
最初は全く相容れない親子のように感じていたけれど、自分が不条理と感じることに立ち向かっていく様は似ている。
社会や周囲の人に拒絶されながらも、あたたかく毅然として他者に接する、娘の同性の恋人に惹かれた。
投稿元:
レビューを見る
どうしてそうも「真っ当」にいられるのか。
どこにも安らぎの場所がないのに、死なないために働く。老人の糞尿を洗い流し、明日にでも衰え死んでゆく人の傍らに立つ。自分と重ね合わせながら。たまたまその時他所で仕入れた「ケア階級」ってことばと結びつく。実際、主人公の「私」のように真っ当でありつづけることは難しい。多くは「教授夫人」みたいになるだろう。真っ当に苦しんで、こうじゃない、なんでこうなの?とかって惑い続けて、自分の正義も社会の正義も全部重なり合う中で苦しみ続ける。簡単ではない。こういう諦めないところが韓国文学のすごいところだと思う。正気であれ、っていうのがたとえ腐った社会のなかにでも貫いてるんだろうか。どんなに苦しくっても。
どうしてこんなすごいもの書けるのかな。作者はまだ30代なのに。
随所で描かれるささやかな生活の情景がまぎれもなく「生」だった。
投稿元:
レビューを見る
「私」は老人介護施設で働く。財産といえば、亡くなった夫から譲られた二階建ての家ひとつ。二階に住む住人からの賃貸料が収入だ。娘が一人いるが、大学、そして大学院を出たが、非常勤講師をしている。老人介護施設で担当している老人にジェンがいる。元気だった時には、世界で活躍し、大学で講義もし、恵まれない子供に援助までした。本人は家族も親戚もいない。「私」はそんなジェンに人間的な扱いをしてもらえるように施設に文句をいっているが。担当の課長はうんうんと聞くばかり。そんな時に、娘が連れ合いを連れて家に飛び込んできた。その連れ合いはなんと女性だった。こうして、三人の緊張をはらんだ生活が始まる。ジェンダー、同性愛、親子、老人の問題をはらんだ小説。読んでいくのがつらい介護の現場での描写があった。
投稿元:
レビューを見る
自分の為に泥沼の様に嘆いて居たのに、段々と娘の側から物事を見る「私」の変化の書き方にとても唸った。
凄い文章、訳だと思った。
皆が自分の中心から次第に俯瞰していき、登場人物も読者も最後は互いを遠くから確認し合った読後感。
投稿元:
レビューを見る
こだまさんのつぶやきをみて読みました。
「わたし」の世界がずっとどんよりしていて情景が目に浮かぶようでした。
もっと韓国の小説を読んでみたくなりました。
投稿元:
レビューを見る
読んでていくつも泣ける場面があった。この社会の目を背けたい部分を、リアルに淡々と描いている。まるでドキュメンタリー作品のように。
主人公は、老人ホームで働く60歳過ぎの女性。夫には先立たれ、一人娘がいる。その娘は大学の非常勤講師をしているものの、レズビアンで、周りから偏見を受けており、母親である主人公はそれを受け入れられずにいる。また、老人ホームで彼女がお世話しているのは、華麗な経歴を持つも独身で身寄りのない認知症の女性。ひどい扱いを受けるその老人を、自分の将来と重ね合わせて、なんとかしようとし、ついには驚くべき行動にでる。その姿は、彼女が受け入れられずにいた娘が、社会から偏見や差別を受ける弱者とされる人たちの、人間としての当然の権利を主張して戦う姿と通じるものがあった。
この作品が扱う、老人やマイノリティの尊厳や権利。多様性が謳われる今も根強く残る差別や偏見。誰もがいつかは老人になるし、ある部分でマイノリティに属している可能性はある。同じ社会に生きる私たちの誰もが無関係ではない。暗いテーマではあるが、皆が考えなくてはいけないことだと思う。
投稿元:
レビューを見る
女性と暮らす娘に失望しながら、老人ホームで介護の仕事をする私。年をとって先行きの見えない中でたくさんの諦めを一つずつ積み重ねていく私、娘についてと言うより娘を思う母についての物語である。
塩田雅紀氏の絵が素敵でした。
投稿元:
レビューを見る
心の機微が細やかに描写されている。肝心なところも、書かないことで、書かれている。著者は「娘」の年齢なのに、あえて母親の視点で書いたのは凄いし、意味があった。
投稿元:
レビューを見る
始めから最後まで母親の独白と言う形で、同性愛者の娘に対する苦悩や、老いていく自分への不安など暗く陰鬱な内容が綴られていく。
わー、、すごく暗い本だなーと読み始めてすぐにひるんでしまったが、読み進めて行くうちに微かな希望も感じられた。
本中の「私」が独白している、、とにかく今は寝ないと。眠れば、私を待ち受けている人生をいくらかでも受け入れられる元気が湧いてくるはずだ。考えるべきは漠然とした明日じゃない。目の前にある今なのだ。。と