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  • カテゴリ:研究者
  • 取扱開始日:2017/06/20
  • 出版社: 晃洋書房
  • サイズ:20cm/260,20p
  • 利用対象:研究者
  • ISBN:978-4-7710-2900-2
  • 国内送料無料
専門書

紙の本

発達障害の時代とラカン派精神分析 〈開かれ〉としての自閉をめぐって

著者 上尾 真道 (編著),牧瀬 英幹 (編著)

ラカン派精神分析を手掛かりに、臨床現場からの視点と思想史的視点の両面から、現代の臨床−倫理を模索。困難を抱えつつも発達障害がすでに他者へ「開かれてある」ととらえ、「心」の...

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発達障害の時代とラカン派精神分析 〈開かれ〉としての自閉をめぐって

税込 4,180 38pt

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商品説明

ラカン派精神分析を手掛かりに、臨床現場からの視点と思想史的視点の両面から、現代の臨床−倫理を模索。困難を抱えつつも発達障害がすでに他者へ「開かれてある」ととらえ、「心」の見方について再考する。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

「発達障害」の問題圏 上尾真道 著 2−28
発達障害における「生」と「死」の問い 牧瀬英幹 著 34−66
学校×発達障害×精神分析 丸山明 著 67−97

著者紹介

上尾 真道

略歴
〈上尾真道〉1979年生まれ。博士(人間・環境学)。滋賀県立大学非常勤講師。
〈牧瀬英幹〉博士(人間・環境学)。中部大学生命健康科学部准教授。

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評価内訳

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紙の本

ラカン派の発達障害論

2023/03/10 06:47

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者: - この投稿者のレビュー一覧を見る

ラカンを知らない人が読むのは困難極まるので、ラカン派について知らない人はまずラカン入門を読んだ方がいい。

とりあえず向井雅明のラカン入門と新宮一成の夢分析は読んでおいてから読んだ方が無難。

基本的にユングでもラカンでも現存在分析でも関係(主観)に 関係する(存在論的差異) 関係(メタ主観)としての差異の同一という弁証法的な自己同一を定型発達と見なしているので、ここのロジックを理解してないと読むのがきついと思う。

本書では享楽や一者など現実界に根差す定番のラカンのタームを理解してることが大前提で話が進む。
また疎外と分離の循環、つまり象徴界への参入をめぐる自己言及における弁証法的な自己同一の運動を理解していないと訳がわからないのでそこは理解している必要がある。

この本は前半はあまりパッとしないが後半から面白くなる。
とくにドゥルーズの理論をラカンに対応させた最終章は一番面白い。

視線触発を想像的ファルスとし、これが欠如することが自閉症の本質だと考えている。
一般にポストモダン論では換喩的だということが指摘されるが、本書ではむしろポストモダンは換喩以前の一者の反復にあると考えている。
これは非常に新鮮で面白かった。

最終章では時間と空間の議論が展開されるが、象徴的共存という、そのつどの現在の産出を超越論的に方向付け、全体的な自己の歴史に現在を位置付けるところの過去(歴史)の欠如に発達障害の本質を捉えている。
象徴的共存の象徴とは木村敏でいうノエマと完全に対応しており、これはシニフィアンを意味している。

最終章に関しては木村敏の「分裂病と他者」などを読んでいればドゥルーズを知らなくても、概ね理解可能になっている。

ラカンにせよドゥルーズにせよ、ベルグソンでいう持続や木村でいうノエシス的な側面が脱落しているように感じてそこには違和感しかないが、非常に面白い現象学的考察を展開している。

本書では換喩の理解も大事で換喩は因果律的な経時的時間に対応している。
一者(S1)について、本書を読む人むけに補足しておくと、これは全て(存在それ自体としての自己)のようなものを示す記号なのだが、とりあえずは「これ」とか「それ」みたいなものだと考えると分かりやすい。
「これ」としか言いようがない直接性としての「これ」であり、したがってS1には同一性がなく不安定になる。この不安定さを嫌って<他者>を迂回して「これ」を安定的に同一するために「これ」のなんであるかを言語の世界に求め、例えば「これ」はペットボトルだ!という風に「これ」の意味をペットボトルに確定して同一しようとする。
またラカンにおける<他者>の欲望というのは、よく分からない「これ」をペットボトルたらしめる機能、つまり液体を保存するという機能のこと。

ところで人間の自己同一性を担保する何のために生まれてきたかを意味する根源的な機能は消え去っている。だから<他者>の欲望は到達不可能。これが自己決定の代償である。
こんな感じで考えていくとラカンの話は誰にでも理解可能になる。
この辺の理解がないと読むのがきつい。

本書では視線触発が重視されているのだが視線触発とは、アリストテレスの共通感覚、ユングでいう普遍的無意識に密接に関連している。
したがって視線触発とは行為的な概念だと言えるがノエマ主義のラカン派は気づいてない。

本書は自閉的なララングを着衣の反復、リトルネロとすることで自閉を世界へ繋がる拠点(家)と捉えている。

資本主義では解離的な今を生きることが強要されていることを思うと本書は現代社会の理解にも必読である。

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