紙の本
土地神話のあだ花
2022/10/02 19:07
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:koba - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて土地や土地付き一軒家を持つことが人生の夢であり希望の時代があった。
1981(昭和56)年生まれの著者が自らのブログでとりあげてきた問題をわかりやすくまとめあげた1冊
これらの土地(不動産)は悪名高き「原野商法」とはいささか異なるものの、不動産を必要以上に細分化し国土の計画的利用や経済・防災面でも将来に様々な影響をもたらす存在として顕在化している。
自らもそのような土地に住む著者はそのような住宅地の活用法について安易な公的支援に頼らず、自活を中心としたプランを提示している。
一方頼りにすべき行政は「所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法」でも来年(2023)施行の「相続土地国庫帰属制度」でもこの問題の解決には現場であまり力にならないようだ、このような問題解決の仕組みづくりこそ国会で政治家が議論すべき事柄ではないのかと強く思えた。
紙の本
個人や地方自治体だけでは解決の難しい問題
2023/02/22 07:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:チップ - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつて「原野商法」と言われる詐欺が話題になった。
「限界ニュータウン」問題は詐欺ではない。
今見ると「なぜこんな所を宅地開発したのか?と思うような立地も、当時はさまざまな思惑で開発された。
そんな物件が放置されて問題が起きている。
これは財政基盤が弱い地方自治体や個人では難しい問題だと思う。
国や自治体にもっとこの問題に向き合って欲しいと思う。
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この本を紹介する書評で「鋭い観察眼に唸らされる。不動産業者でもない著者は何者なのか。それが最大の謎だ。」というフレーズが刺さりました。書名のキャッチーさ、でも十分そそられる本ですが、実はYouTubeでたまたま見た「磯村建設の足跡(前編・後編)」で読む前から著者にはロックオンされていました。で、期待にたがわず、こんな読後感の本は初めてでした。誰も見つけてこなかった着眼、だけどそれは著者の日常生活から生まれたもの、とか。圧倒的な研究力、取材力、だけどそれは学問でもジャーナリズムでもないもの、とか。そもそもは路線バスの乗務員であり、だけど今はフリーライターやYouTuber、という訳でもなくコンビニの夜勤のアルバイトで生計を立てている、とか。本書の醸し出している空気は、現状の思考のフレームワークの中での分析なんてものじゃなく、著者の生活の志向がもたらしたアクションの結果という活動報告であることに起因するものだと思います。それは社会も個人も「成長」するという無意識の呪縛からの解放であり、その自由さが、まさに「限界ニュータウン」との向き合い方の鍵なのであるということだと受け取りました。2056年には日本の人口が一億人を切ると言われている中で、「限界ニュータウン」だけでなく「限界墓地」「限界産業」「限界地方自治」「限界家族」…すべてが「限界化」している流れの中での大きな示唆がこの本であるような気がします。
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今、北関東のニュータウン暮らしだし、こないだまで大阪の千里ニュータウンにも住んでたし、高齢者との世代交代が大変だよな、と思ってはいたが、そんなレベルではない。
ほぼ、無計画なニュータウン開発が、今や、ジャングル化している。荒地だよ。
地名を聞けばさもありなん、と言う気はするんだが、30年前は、そんなところでも住めるし通えるし開発されて値上がりすると思ってたんだな。
著者は素人で、ブログは面白そうだが、商業的なレベルの文章にもなっていないのだが、その、限界ニュータウンの、活かし方まで考えようとしているところは好感。
ありだと思う。
本的にはもっと具体的に、限界な地域を紹介して欲しかった。
あと、後書きがまじに、本人の現状とかなんで、これは不要。
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資産価値が無く荒れ果てた分譲地の問題点やそこに住む人(筆者含む)の経験談をまとめた本です。問題提起だけに終わらず、土地の利用方法を積極的に発信している点に好感が持てます。(もちろんデメリットも併記しており、決しておすすめはしていまない。)
私自身、色々な土地を見ていた事があって土地問題には関心があったのですが非常に面白い内容でした。土地問題、限界集落に興味がある方におすすめ。
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タイトルは造語であるとのことですがが、やはりこの言葉の持つ力は大きい。ニュータウンという呼称が身近に感じられるのは、かつて私の両親も今から50年以上前にニュータウンと言われた団地に土地を求め、一家で暮らしてきたからです。
著者は、5年ほど前に夫婦の住まいを千葉県の北東部に探すうちに、いつの間にか探すことが目的になり、探訪記をネットで立ち上げたと言う経緯の持ち主。今でも住まいは購入せずに賃貸で暮らしているということですが…
さて、限界というからには、櫛の歯が抜けたように高齢化などが原因で居住者が居なくなり、閑散とした団地のことかと思いきや、この辺りの土地の事情は異なります。団地の分譲当時、殆ど完売しているにも関わらず、その後住宅が建てられないまま、放置してある空き地が大半という特徴があるのです。それには、高度成長時代の日本の住宅開発事情を振り返る必要があります。
住むための土地を郊外へと求めるのは真っ当ですが、この時代の東京近郊や周辺の地域では、(勿論今でもいますが)投機目的で土地を買う人が続出したようです。分譲住宅地の広告には何と「値段で勝負、生活に必要な施設はありません」と驚くべきフレーズが載っていた事実があります。
筆者がこれを“地面の切り売り”と称していますが言い得て妙。こんなまともなインフラのない団地は住む意思のない持ち主により、荒れ放題となるのも当然なわけです。土地神話に躍らせられた人々や乱開発に走った業者などによる正に負の遺産がそこかしこにあるのに気づきました。
昭和の匂いのする郷愁ともいうべき団地に惹かれ、半ば興味本位で開いた本ですが、筆者の実体験に基づくリサーチや、土地開発に関する資料の分析などからこのような団地のあり方や方向性の模索など、真面目に取り組んでいる姿勢に感心しました。今後、筆者夫婦は果たして土地を購入するのかその辺りも興味深いところです。
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千葉県北東部。1960〜70年代にかけて、投機目的で乱立した分譲住宅。
開発が進まず、人も住まず、荒廃が進むこの地で、いま何が起きているのか?
現地で暮らす著者による迫真のドキュメント作品。
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「限界集落」は、メディアでよく見聞きする。
定員割れが普通の状態でその上、財務状況の良くない大学を「限界大学」として本を出版した方もいる。
そして、今回の「限界」は「限界ニュータウン」だ。
限界ニュータウンは著者の造語だ。
この言葉を使う理由として、交通が不便で資産価値が大きく下落し、設備が老朽化した旧分譲地を的確に形容していることとともに、一般的に使われている用語がなかったためであると説明している。
著者は文化人類学者か、住宅問題を研究している学者かと思ったら、ブロガーだった。
もともと都内に住んでいたが、諸般の事情により「超郊外のニュータウン」を選ばざるを得なくなり住むようになったことがきっかけで興味を持つようになった。
不便でも安く住める所を求めていたら千葉県北東部にある横芝光町にたどり着いた。
夫婦2人暮らしで条件の合う物件を探し求めているうちに「限界ニュータウン」問題に目覚め、訪問した分譲地や住宅団地の今と問題点を紹介するブロク「限界ニュータウン探訪記」を始めた。
アカウント開設から1週間もすると、思っても見なかった反響をがあった。
関心を持った人たちは、不動産賃貸業に関心を持つ投資家、都市問題や地理を専攻する研究者や学生、公共交通機関のあり方に関心を持つ人など様々だ。
昭和の時代の「負の遺産」が令和の時代までフリーズしたまま劣化保存されてきたと言える。
様々な事情があるにしても「検討使」などとやゆされるあの人のように先送りしてきた持ち主、管理会社、自治体が「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を決め込んだことがこじらせた原因。
限界ニュータウンは千葉の一部に限ったことではないので、これからいろいろな所で「見える化」して問題を引き起こすのかな。ハアー。
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1970年代、宅地開発ブームが進む中で、実需とかけはなれた投機目的の思惑で開発された千葉県北東部の分譲地は、住宅建築が進まず、現在は荒地と化している。
その地域の物件に移り住んできた著者が、「限界ニュータウン」や「限界分譲地」の実状、問題点を明らかにし、活用法を考える。
著者は「限界ニュータウン」を比較的規模が大きく、コミュニティが存在するものとし、「限界分譲地」は小規模で自治会もないものとして使い分けしている。
それらは、もともと、交通の便が悪く、ずさんな造成の上、上下水道の普及率も低い場所なので、バブルが弾けると放置物件になってしまった。
著者はこんな場所でも、小屋暮らしや趣味の空間などとして活用法があると説くが、自分にはどうしても危険、不潔、トラブル発生など負のイメージが、先だってしまう。
「所有者不明土地」の問題、分譲地に設置された集中井戸や集中浄化槽の維持管理の問題、ごみの不法投棄、側溝や排水機能の整備不良・劣化など数え上げればきりがない。
自分の周辺には投機目的で造られた分譲地は見受けられないが、一般の分譲地でも高齢者が増え、空き家も出てくれば、老朽化するインフラ設備や共用施設の修繕費捻出が大変になることはわかる。
環境や安全への配慮をした開発、分譲後もそれが持続できるようなメンテナンスやシステムの必要性を痛感した。
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軽い好奇心から読み始めましたが、とても興味深い本でした。
家や土地、町は、住む人がいて、きちんと管理して手入れされている必要があることを実感しました。
また、こういった分譲住宅の歴史のようなものも窺い知れてとても面白かったです。
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住宅問題は福祉の一環となっている。
しかし、我が身の問題として真摯に向き合う人はどのくらいの割合だろうか。
まさか、生涯賃貸で構わないと言う人の方が多いとは思えない。
先祖代々の豪邸に生まれ育った銀の匙を咥えた輩は別として、ふつうは自らの身に在った殻を求めて苦心算段するのが普通かと思うが。
兄の一人がまさにこのエリアで転居をしてきた。
もっとも、筆者夫婦とは世代の異なる年金世代。筆者夫婦の父母と同じ世代だろうが、このような考えが若干あったことは漏れ聞いている。
はやりとまではいわずとも「限界」の冠に興味を覚え開いた本ながら、身体を張った体験と足で稼いだ経験の蓄積には唸る。そして次世代を睨んだ提案や、海外の牙をむくバイヤーへの警告、国家方策の方向性など感心させられた。
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高度経済成長期、首都圏では都心で働くサラリーマンの居住地が郊外へ郊外へと広がっていったし、郊外地の発展により、郊外地自体に雇用が生まれ、住宅需要が発生していった。また、本書の舞台となっている千葉県北東部では、成田空港の開港を期待し、投機的なものも含め、多くの分譲地の開発が行われた。それらは、実需としての宅地として、あるいは、土地の値上がりを見越しての投機用の土地として開発され取引された。そういった開発、あるいは取引は、バブル崩壊まで、ある一定規模で続いたのであるが、それ以降は影を潜め、中途半端に開発された土地は、「限界ニュータウン」として取り残されることとなった。もともと首都圏に通勤するには遠い不便な土地であり、また、投機用の土地として求められたこともあり(そして結局は値上がりは実現せず投機は失敗に終わった)、それらの土地に実際に住宅を建てる人は少なく、限界ニュータウンでは、分譲された土地の中で実際に住宅が建っていない土地も多い(というか、建っていない土地の方が多いのが通例)。道路や上下水道や排水側溝の整備やメインテナンスも行き届かず、荒廃している限界ニュータウンも多い。
本書は、千葉県北東部の限界ニュータウンを扱った本であるが、それを「社会的な問題」という視点で扱ったものではない(そういう視点からの記述も勿論あるが、執筆の動機はそこにあったわけではない)。
筆者は結婚を機に、東京から千葉県北東部の八街に転居する。それは家賃水準が低いという単純な理由からである。2017年のことだった。その後、ご夫婦は同じく千葉県北東部の芝山町に引っ越し、現在は、更に引っ越しを重ね、横芝光町に居住されている。その過程で、住居を購入することも視野にいれながら、同地域の限界ニュータウン的な場所を色々と見学される。そういった物件めぐりをしながら、訪問した分譲地や住宅団地の現況と問題点を紹介するブログ、「限界ニュータウン探訪記」を立ち上げられ、それが反響を呼び、2021年に出版の誘いを本書出版社から受け、2022年10月に本書を出版する。また、2022年2月には「資産価値ZERO-限界ニュータウン探訪記」というYouTubeチャンネルも立ち上げ、動画の配信も行われている。
筆者が現在住んでおられる横芝光町の分譲地は50区画ほどの土地に7軒しか住宅が建っていない場所であるらしい。筆者は、そこで借家住まいをされているが、隣の土地を購入し整備したり、あるいは、共有地の清掃・整備などを積極的に行われている。すなわち、この限界ニュータウンでの暮らしをそれなりに楽しまれているのだ。しかし、それは、筆者が「自分としては」「個人的には」限界ニュータウン暮らしを気に入っているだけであり、誰もに合う訳でもないし、不便な、不都合な側面も多いと書いておられる。
筆者は、本書を書くために、あるいは、YouTubeで情報を配信するために、多くの分譲地を訪問・取材されている。その労力や手間は相当なものである。しかし、それは、最初に書いたが、別に社会に問題提起をしようとか、田舎暮らし(限界ニュータウン暮らし)を薦めようとか、そのような意図ではない。どちらかと言えば、好きなこと、自分が興味を持った��とを、コツコツと続けている、趣味的な脱力系の活動という印象を持った。YouTubeも視聴したが、本書と同じく、どこか力が抜けていて、味のある面白いものだった。
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本書は、バブルの時期に千葉県に建設された戸建を主とした分譲エリアの実態をまとめたノンフィクションなのであるが、ニュータウンという言葉についてはやや注意が必要であろう。
ニュータウンと高度経済成長の時代に建てられた大規模団地・マンションなどを指す、というのが一般的な解釈であろう。実際、住民の高齢化が進み、エレベーターなどもなく、買い物難民になる高齢住民の話題などが現状のニュータウンを巡る一般的な言説であろう。
本書のニュータウンとはそれとは全く異なる。バブルの時期、首都圏のベッドタウンとしての住宅需要がさらに拡大するという不動産屋の思惑のもと、無尽蔵な住宅開発が進められた。千葉県はその筆頭であり、最寄りの駅からのアクセスが極めて悪いような土地にも分譲住宅の宅地造成が進められた。ポイントはそれらが実際に自身が居住するのではなく、投資対象として扱われた点にある。
当然、交通アクセスが辺鄙な場所での住宅需要などは夢幻であり、そこには土地の所有者はいるものの実際に戸建は建設されない空き地が並ぶばかり。そうした状況を本書では”限界ニュータウン”と名づけ、どのような再利用法があるのかを提唱する。
著者自身、意図的に”限界ニュータウン”の土地の安さや、周囲に住宅が少ないことから広々と土地を使ってDIYを楽しめる環境を利活用しており、そのような利用法が唯一の可能性ではないか、というのが本書の提唱内容である。
そのような利活用方法に興味を持つかはさておきとして、バブル期の日本の狂騒を知れるという面白さが本書にはあった。
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限界ニュータウンを調べ、実際に自分でも住んでいる著者のノンフィクション。
これまでの調査、経験を軸に、現状・将来まで多岐にわたって丁寧に記載してあり、多くの人に放棄された分譲地の問題、ひいては将来の日本のことまで描く良書。
なぜかわからないが、読み進めるにつれ、なんとなく読みにくさを覚えたため、★1つ減。
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千葉県北部の、バブル期かもしくはもっと前に盛んに売り出されたもののその後すっかりすたれてしまった分譲住宅地、ニュータウンについてが述べられる。どのような問題を抱えているのか、どうしてそうなってしまったのかを、実際にそこに住む筆者が掘り下げて考察してゆく。ニュータウンについてブログで発信していた筆者が、今回は書籍として発表したものだが、ブログの内容をそのまま本にしたわけではなくて、きちんと出版のために書かれた原稿のよう。内容は千葉県北部の限定された地域のことであり、遠方に住む者にとってはやや見当がつきにくい話だが、いろいろな問題があるのだと教えてもらえる本だった。