紙の本
マチズモと距離を置きたい男性視点の本
2020/09/29 22:13
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投稿者:じゃび - この投稿者のレビュー一覧を見る
言ってること正しいと思えるし、面白いし読ませる。一番あーーーーと思わされたのは、女性はこれからの時代になりたい姿、目指したい姿がはっきりしているのに対し男性の理想像は未だ過去にしかない、有害な男らしさを抜きにした男性のロールモデルは未だ存在しないということ。でもそれってどんな姿なんだろう。
有害な男らしさから脱却した方が世のためでもあり自分のためでもあると理屈ではわかるし納得できたけど、実際のところ(著者もチラッと指摘しているように)家事をする人間はセクシーではないし、育児は重労働なわりに退屈でつまらない。こういう意識を捨て去るには相当強力なロールモデルが必要だと思う。でもそれがどういう姿だったら現実味を帯びるのか、自分にはまだピンとこない。これも著者が指摘していたことだけど、ジェンダーやフェミニズムに理解を示す男の中には他の男にマウントをとりたいがためにそうした振る舞いをする奴もいて、なんか信用できないんだよな……
紙の本
白人男性からの言葉。
2020/08/23 20:21
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
女性著者ではない。異性装をする、イギリスの白人男性が書いた本である。
かつてあった男らしさが現代では有用でない、むしろ男性女性双方に害をもたらしているのではないか。その分析を解りやすい文章で綴っていく。
男性だって弱い部分があるし、腕力に自信のない者だっているだろうし、LGBTQの問題だってある。一概に男はかくあるべきで、その規格で人の行動や社会を決めつけるのは窮屈であろう、著者はそう訴えていく。
女性の服装とされるスカートを穿くのは異性装をする男性ばかり、なんて皮肉な事実も現れる。
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フェミニズムの話は読んだことがあったけれど、「男らしさ」についての話は読んだことがなかったので新鮮でした。
小さい頃から周りに吹き込まれたり、メディアの影響もあってか、男の子はこうあるべきとか女の子はこうあるべきとかなんとなくイメージするものはあるけれど、本当のところ、私は「男らしさ」とか「女らしさ」がよくわかっていません。
男だから、女だからというよりも人としてこうありたいな、こうあってほしいな、というのはありますが。
女性は色々変化しているし、せざるおえない状況だったんだろうと思うけど、男性が変わったというのは今ひとつ実感がわかないです。
男とか女とか関係なく人として相手を思いやり、助け合える世界であったらいいなと思います。
こういうテーマは変わるのにすごく時間がかかる気がします。
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メモを取りラインを引き、3.4回読み返した。女性の書いた、フェミニズムに関する書籍はまあまあ読んできたのだが、男性がジェンダーについて書いたものを本として読むのはこれが初めてだった。とても新しくて、柔軟で、正直な内容で、すごく新鮮な気持ちになれた。
副題をつけるなら、「男性と女性。この支配的二元システムからの解放と新しい権利」とか。
自分は女で、フェミニストを自認している。小さな頃から、ジェンダーバイアスを意識してきた。
この、「意識する」という感覚自体が、男性にはあまり無かったのだという意見にハッとする。
なぜなら、今のこの状況が、昔からの「普通」で、「当たり前」だったから。
「どうして大体の家はお母さんがご飯をつくるのに有名なシェフは男が多いのか」
「なぜ司会者の男性がいてアシスタントは女性なのか」
「なぜ男性が主に働いて女性は子を育てるのか、なぜ離婚したらほとんどお母さんと子が一緒になるのか」などなど、小さい頃お母さんを質問責めにした覚えがある。自分の家庭が一般的なものではなかったせいもあると思う。父は家事全て出来て、車の免許が無く、母はとても強くて、言葉使いも乱暴で、怖いもの無し。外食が好きで遊ぶのも好きだった。(それ以前に父は失踪癖があり、酒乱、バイセクシャルだった)
テレビや周りの家庭からのジェンダーに関する「スタンダード」とされる刷り込み。
男女では感情が違う。男の子だから、女の子だから、という、親の言い訳。(これは母になってからさらによく耳にする)
著者は言う、「ジェンダーはパフォーマティブである。」この言い分も新鮮だった。当たり前とされていることに内包されているジェンダーバイアスに、ではなぜ女性の方が意識的になるのか。
それは長い歴史のなかで、対等であるべきと戦ってきたからだと思う。
例えば、政治参加。(日本で女性に参政権が成立して74年) 例えば、雇用機会。(男女雇用機会均等法が成立して34年)
これらを男性は生まれながらにして持っていた、だからそれを差別だとは思わなかった。対等になろうとする健全な考えを拒否するのは、ノスタルジーと共にある刷り込まれた「男性性」であると言う。
Metoo運動、Kutoo運動に激しく反応し攻撃する男性(なかには女性)を思い出す。
男らしく、女らしく、という幻想は、未来に必要だと私は思わない。全ては個であるべきだと思う。
女性が未来を向いているのに対して、進歩的では無い男性は、ポジティブディスクリミネーション(積極的差別是正措置)は男性差別だと訴える。
日本の育休取得率は6%、衆議院議員女性率は10.2%(世界的には24.3%)。映画監督の94%は男性、医師の80%は男性。
この本はイギリスについて書いてある。イギリスでも悩める進歩的男性はたくさんいる、日本はどうだろうか。
男らしさに苦しめられている人は、きっとたくさんいるはず。最近大好きな氷川きよしさんとか、自殺まで考えたらしい。今の生き生きとした姿は、男女問わずジェンダーパフォーマンスに苦しむ人に勇気を与えていると思う。男性の権利を奪っている本当の正体は何だろうかと、考える必要がある。
受刑者の男女比なんかに���言及があったが、ここにその感想を書くと独りよがりになりそうだ。社会全体の問題として、ずっと「意識」すること。
新しいしなやかな男性性の在り方を皆が受け入れたら、ものすごい変革が訪れるのではないのかな。
辛くなる事件(医大の女性減点、センター試験日の痴漢など)がたくさんある。フェミニズム同様、新しい男性性の未来を女性もまた考えることが大切。
非常に刺激になりました!
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「男性は様々な特権に恵まれているにも関わらず、そのことに気づいていない」という指摘は鋭く、耳が痛い。
そんな特権構造への告発から始まる本書は、男性優位を批判することに終始するものではない。インプリントされた「男性性」という枷がどういうものであるかを詳らかにし、新たなパラダイムへの転換を促す書だ。
例えば衣服への嗜好。いつの間にか、男性は黒や青、女性はピンク…といった枝分かれがなされる。しかしこれは社会的な価値観が影響しているのであって遺伝子的要因ではない、と喝破する。
マチズモとは相容れない私としては、この本に書かれていることには大変共感できる。
そして自分の中に内在するマチズモを客観的に捉える機会にもなった。
しかし、意識的にマチズモを獲得しマチズモを良しとする人々に、どのようにこの価値観を届けてゆくのがよいのか。(そういった問題意識も、本書を読むことで得られた視座だ)
男性目線で書かれるジェンダー論、一読の価値あり。
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12583692041.html
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めっちゃくちゃ面白かった!
初めて読んだ男性性の本だけど、作者がコミカルにイラスト付きで書くものだから、ものすごくサクサク読めて、かつ勉強になることも詰め込んでいて勉強になった。
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ジェンダーイシューは女性の観点から語られる本が多いけど、そもそもジェンダーの問題は女性だけに留まらず男性側も意識を変えていく必要があって、この本は男性側から男性特有のプライド問題や越権的な社会構造ちゃんと見直して、そろそろ男だからっていう鎧は脱ぎ捨ててみてもいいんじゃないの俺たち、どうよ?社会構造見直さない?的な本です。ジェンダーイシューを男性側から紐解いて読んでみたいと思っていた私にはちょうど求めていた本でした。
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「普通」や「自然」はヘイトの根幹にある危険な言葉だ。「あなたもあなたのやり方も普通じゃない」は、差別を受けているマイノリティに向かってしばしば公然と放たれるセリフである。そういう攻撃的な態度の背後にある思想に基づいて、日常の行動のあらゆる判断がなされている。私たちはこのような一見些細な不正義に対して、繰り返し注意を呼びかけなければならない。(p.33)
男性たちは「男性省」という目に見えない権威に従って役柄を演じている。いつ観察されているかわからないので、私たちは繰り返し互いにチェックしている。私たちは役柄の範囲を守る。誰もがみな、権威の操り人形であり囚人だ。私は男性を見ると、男性を演じることに駆り立てられている気の毒な人だと思ってしまう。(p.80)
役者たちは—役の準備をしているときは—衣装の大切さを口にする。ひとたび役柄に入り込めば、演技に没頭できるようになる。というわけで、ジェンダーをめぐる大きな議論では、服は変化の重要な推進力のひとつかもしれない。あらゆるアイデンティティは自分と他人とによってつくられる。権力者として見られたい場合、その役の服を着れば、人々は無意識に、あるいは別の方法で、あなたを権力者として扱いはじめるだろう。男性のあり方を変えたいのなら、彼らの衣装を変えて、演技に変化をもたらそう。(p.103)
現代の西洋人男性なら、自分の肉体と多くの本能がもはや必要とされなくなっていることがわかる。社会は進歩し、機会が荷を持ち上げ、先頭の多くは専門家に外注されている。男性性の基本的な力学—支配・多数の必要性—は、近代化計画のなかではまったく時代遅れのようである。私たちの望み通り、より平等で寛容な社会へとたどたどしくも前進するにつれて、男性が受け継いできた心理的なツールと肉体的なツールは不要な部分が増えているように思われる。(p.129)
男子は、稼ぎ手になるべく育てられるだけでなく、コミュニケーション能力が低く、自分の感情と向き合うことが少ないため、アートに向いていないと思い込んでいる。男性は自分の感情は複雑ではないと思っている。彼らは予測可能な表や図を自分の逃げ場所にしたがる。人間の内面を調べるよりも、エンジンを分解した方がいいと思っている。(p.163)
人間関係で「弱さ」はどんな働きをするだろう。それを男性に説明する場合、私は「設置面」の比喩を使う。二輪の車(バイクや自転車)に乗っているとき、私たちは二つのゴムの輪、つまり設置面に命を託している。設置面とは、タイヤが接触している部分のことだ。ゴムが柔らかかったり、タイヤの圧力が低いほど、タイヤが変形するので設置面は大きくなり、グリップ力が増す。人間関係でいうと、傷つきやすい状態とは、より多くの人と関わっていて、他の人から影響を受ける用意があるということだ。人間関係の幸福は—バイクのタイヤと同じように—接触面に依存しているのである。(p.169)
現代的で負担を分かち合い思いやりのある男性ロールモデル。その資格を得るためには、ある程度世間から離れて家庭に入らなければならないと思う。だから、オルタナティブな男性ロールモデルは有名人ではない���もしれない。(pp.192-193)
男性の権利
傷ついていい権利
弱くなる権利
間違える権利
直感で動く権利
わからないと言える権利
気まぐれでいい権利
柔軟でいる権利
これらを恥ずかしがらない権利(p.197)
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男性性がいかに現代に適さないかを延々と書いた本。男性省の考え方とか面白かったし、当然のように男性的であることを批判してて痛快ではあったんだけど、第一章だけで十分。ずっと内容同じだから。
訳文も読みにくかった。なんで翻訳してあるのにカタカナ語ばっかりなの?一々カタカナの意味を検索しなければならないし、その頻度がとても高い。日本人に優しくない日本語訳。
言いたいことは分かったけど、それだけかな。
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フェミニズムについての本を読んだ事でまったく認識していないうちにごくごく普通だと思っていた事が実は女性がガマンしている事。だと知りこれはヤバいと考え、知る為に読むうちに逆に男性性というものも頭にこびりついてた所にこの本をたまたま書店で発見し、買おうかどうしようか迷ってたらジェーン・スーさんのラジオでも話題にあがったので購入した
読んだ感想としては「男らしさ」という鎖が存在してる事をまず認識。そしてそれを外そうとしてみたらなかなか鍵が外れないし一個外しても何重にも鎖が絡まっていて全てから解放されるのには時間がかなりかかりそう。←という事はわかったのでのんびり焦らずに吟味しながら外せる物は外していこうと思う。
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「男性性の主な要素はノスタルジーだと私は考えている。男女問わず、人間が過去を振り返るとき、そこにあるのは性への意識だ。わたしたちはの性衝動は常に何かを追い求めている気がするが、結局過去を追い求めているのだと思う。」(178頁)
「男性の権利。傷ついていい権利。弱くなる権利。間違える権利。直感で動く権利。わからないと言える権利。気まぐれでいい権利。柔軟でいる権利。これらを恥ずかしがらない権利。」(196ー197頁)
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従来の権力・腕力・暴力的な「男らしさ」を疑い、男性も女性と同じくらい感情豊かで繊細であるし、その豊かな感情や弱さを表現し、他人へ共感することができれば、男性はもっと生きやすくなるのではという提案
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英国の状況をわかっていたほうが理解しやすいかもしれないけど本質的に日本も変わらないと思う。序章での的確かつ簡潔な現状の指摘には叫んでしまった。序章だけでも全男性に読んでほしい
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男性が「男らしさ」のスーツを脱げば、男性も女性も生きやすくなるのになあ。
有害な「男らしさ」が暴力にもつながってしまう。そして暴力を受けた子は親になった時に、同じことを自分の子どもにしてしまう。
どうすればみんなが生きやすくなるのか、そのヒントが書かれていました。