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商品説明
【サントリー学芸賞(第18回)】PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ阪神大震災の被災者の「心の叫び」と、自らも被災しながら取り組みつづけた精神科医による臨床報告。著者と関係の深かった人々の文章を加えた新増補版。【「TRC MARC」の商品解説】
■NHK土曜ドラマ原案の本。
「心の傷を癒すということ」(主演:柄本佑)。
2020年1月18日~2月8日 全4話放送
2020年3月1日 スペシャル版放送(関西)
ドラマに感動した方、必読!
その感動をさらに増す文章の数々を、
本書だけに収録した“増補決定版”。
主人公のモデル・安克昌さんのご家族の今の想い、
親友・名越康文さんによる青年時代の思い出、
ドラマの登場人物のモデル(新聞記者、同僚医師……)の安医師への想い、
さらに、NHKプロデューサーによるドラマ化の裏話など……。
被災者の“心のケア”のパイオニアとして、
奮闘しつづけた精神科医のヒューマンドラマ。
阪神・淡路大震災25周年――
自らも被災しながら、被災地の“心の叫び”と取り組んだ精神科医の感動の記録。
サントリー学芸賞受賞作の増補決定版
大震災で、人の心はいかに傷ついているのか?
そして、復興によって癒すことはできるか?
■増補版への寄稿
「このドラマは、安さんのご家族への贈り物だと思って作りたい」より
――『心の傷を癒すということ』がNHK土曜ドラマになるまで
主演の柄本佑さんに、このドラマから学んだことはありますかと尋ねた。柄本さんは、しばらく黙って、こう答えてくれた。「誰も独りぼっちにさせへん、てことや」。それは、(安克昌さんがモデルの主人公)安和隆が「心のケアって何か、わかった」から語り始める柄本さん自身のセリフだった。
脚本家の桑原さんは、セリフに込めた思いをこう語る。「『心のケアって何か、わかった』と書いた直後、手が止まりました。安さんが人生をかけて掴み取った答えを、私が書かなければいけないのです。言葉が浮かぶのをひたすら待ちました。まるで、安さんのそばにじっとたたずんで、口を開かれるのを待っているようでした。やがて『誰も独りぼっちにさせへん、てことや』という言葉が浮かんだ時、これは安さんが書かせて下さったセリフだと思いました………」。
■本文「PTSD――Jさんの場合」より
「耳元で“助けて、助けて”という声がするんです。私も逃げるので精一杯だったんです。助けてあげられなかった。それで自分を責めてしまうんです……。私も死んでしまえばよかった。いつか、この“声”から解放されるんでしょうか……」
■本文「復興にむけて」より
これまで日本の社会は、人間の「力強さ」や「傷つかない心」を当然としてきた。しかし今後、傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか?
やがて被災地は、復興へと向かっていく。しかし、〈心の傷〉を見て見ないふりをして前進することではないだろう。多数派の論理で押しまくり、復興の波に乗れない“被災の当事者”でありつづけている人たちを、忘れ去ることではないはずである。“心の傷を癒すということ”は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。それは社会のあり方として、今を生きる全員に問われていることなのである……【商品解説】
著者紹介
安 克昌
- 略歴
- 〈安克昌〉1960〜2000年。大阪市生まれ。神戸大学医学部卒業。博士(医学)。精神科医。神戸市立西市民病院精神神経科医長などを務めた。心的外傷の治療のパイオニアとして活躍。
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紙の本
NHK土曜ドラマの原作。サントリー学芸賞を受賞
2020/04/23 14:15
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、阪神淡路大震災で奮闘した著名な精神科医。著者をモデルにしたドラマもNHKで放映された。新増補版は中井久夫先生をはじめ安克昌さんにご縁のある人たちの寄稿に加え、NHK土曜ドラマの撮影のことも書かれています。弟さんによるお兄さんへの文章が素晴らしく、また悲しい。
紙の本
阪神淡路大震災で奮闘した精神科医
2020/06/01 23:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トリコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
阪神淡路大震災で、自らも被災しながら奮闘した若き精神科医による書籍。
「トラウマ」という言葉が日本で認知されたのはこの震災の時、ということは今になっていえること。
しかし、当時の被災者や精神科医にとってはまさに危機と手さぐりによる対応だったろう。著者の冷静な文章と、自身の家族の写真が印象的。