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- カテゴリ:一般
- 発売日:2015/11/01
- 出版社: 鳥影社・ロゴス企画
- サイズ:20cm/380p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-86265-530-1
紙の本
ローベルト・ヴァルザー作品集 5 盗賊
著者 ローベルト・ヴァルザー (著),新本 史斉 (訳),F.ヒンターエーダー=エムデ (訳),若林 恵 (訳)
今日のヨーロッパ文学において古典的存在とされるスイスの散文作家、ローベルト・ヴァルザーの長編小説と散文小品を集成。5は、長編小説「盗賊」など、ベルン時代に書かれた作品を収...
ローベルト・ヴァルザー作品集 5 盗賊
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商品説明
今日のヨーロッパ文学において古典的存在とされるスイスの散文作家、ローベルト・ヴァルザーの長編小説と散文小品を集成。5は、長編小説「盗賊」など、ベルン時代に書かれた作品を収録。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品〈盗賊、フェリクス場面集、ベルン時代の既刊・未完の散文小品から〉
全五巻完結‼
20世紀の最良の知性に愛読されていた、謎めいた、捉えがたい散文作家の魅力の
掉尾を飾るベルン時代の一巻。
およそ完全に精神力を保持している作家にとってこそそうで
あるように、彼にとって重要だったのは可能な限りの明晰さ
だった、思うに、長篇小説『盗賊』を書いていたとき、彼は、
精神の闇の危機こそ、完全な健康においてはありえぬ明敏な
観察と言語表現を可能にすると、繰り返し感じていたのでは
ないだろうか。(W・G・ゼーバルト)【商品解説】
収録作品一覧
盗賊 | 新本史斉 訳 | 7−217 |
---|---|---|
フェリクス場面集 | 若林恵 訳 | 219−275 |
セザンヌ思考 | 新本史斉 訳 | 279−283 |
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書店員レビュー
ジャック・スパロウのコスプレでメイドカフェに行ったらツンデレされて萌えそしてリアルに充実した話
ジュンク堂書店三宮店さん
カフカより五年先輩の、スイス生まれのドイツ語作家、ローヴェルト・ヴァルザーは四つの長編とわずかの中編、詩や戯曲のほかは、千数百編もの掌編小説ともエッセーとも言える「散文小品」を残した。
散歩好きのカフカ。機嫌のいいベケット。 この作家を評したことばには確かにうなずける。スーザン・ソンタグは日本の『枕草子』、『徒然草』を想起させる、と言っていて、そう言われてみると「散文小品」などでは「なるほど」と腑に落ちるところもある。
しかし、だがしかし、ヴァルザーは他の作家の出来の悪い模造品などでは無い。ヴァルザーはヴァルザーなのである。とまあ力説するまでもなく、ほとんどの評者も口を揃えているのだが。
本巻は生前未発表の遺稿を中心に収めている。「ミクログラム」と呼ばれる、使用済みのハガキや広告の切れはしなどに鉛筆で書きつけられた、米粒大、いやゴマ粒大の微小文字の紙片がテキストになっている。『盗賊』はその中で唯一の長編小説で、読み始めてすぐに分かるが、改行が一切なく、章ごとの区切れを除いては本当に文字がびっしり詰まっていて、これを原寸大で読まされてはたまったものではない。
文体に関しても接続詞の多用、前の語句の言いかえ、エピソードの先送り等々、それぞれの文章の意味ははっきりしていても全体としてそれがどういうことなのか、話がどこに行くのか、全く予想がつかない危なっかしさがある。(これらの特長は確かにカフカやベケットと共通するものだ。しかしヴァルザーが彼らから影響を受けたとは思えない。ベケットはずっと後の世代だし、カフカは生前全く無名で、多くの作品は未発表だったからだ。)
で、内容はというと、この文のタイトルの通りなのだが、残念ながらこれで合っている。違いを言うなら、ジャック・スパロウが「海賊」であるのに対し、「盗賊」はシラーの戯曲『群盗』の主人公のコスプレをしている点だ。
町のカフェに入った「盗賊」が、店で一番美人でプライドの高そうな女給にそこら辺で折った木の小枝を差し出して「私をこれで叩いてもらえませんか?」とお願いし、ツンとすまして軽蔑した態度をとられることに幸せを感じたり、さる未亡人の使ったコーヒーのスプーンをこっそり舐めて、後でその行為を当人に告白し、無視された横顔に至上の美を見出す、そんな男の話である。
ところがなぜか、めっぽう女性にもてて、二人の女性との間に三角関係をこしらえ、刃傷沙汰にまで発展するのだが、実際に関係を結ぶようなことはせず、精神科医に「私は自分が男ではなくて小さな女の子であるような気がするのです」と相談する始末。とても現代的なお悩みを沢山抱えていらっしゃる。
じゃあ一体、どこが面白いの?と聞かれると、ちょっと考え込んでいまうのだが、「かわいそうなところ」と答えるしかないだろう。(ここで綿矢りさの小説『かわいそうだね?』を思い出す。あれは若い女性の中に「おっさん」が生まれる話だったが、こちらはおっさんの中に「小さな女の子」が生まれる話だ。)
精神疾患の徴候を感じていた作者は、書いている言葉が書く先からばらばらにほどけてゆくのを必死で引きしばるように、一行一行と前に進んでゆく。また、小さいものこそ大きく、服従するものこそ支配者で、穏やかであることは不穏である、といった価値の転換が主張されていて、作者の立場からすれば自己弁護ともとられかねない、・・・・・・そう、「自己否定」の対極にある、ある種の肯定的な精神が秘められている。
五十五歳で筆を折ったヴァルザーは、自ら志願して精神療養施設に入り、そこで二十数年を過ごした後、七十八歳のクリスマスの朝、散歩中に心臓発作を起こして雪の中で死んだ。