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- カテゴリ:一般
- 発売日:2002/05/05
- 出版社: トランスビュー
- サイズ:20cm/353,4p
- 利用対象:一般
- ISBN:4-901510-05-3
- 国内送料無料
紙の本
虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか
著者 ロジェ=ポル・ドロワ (著),島田 裕巳 (訳),田桐 正彦 (訳)
1820年頃、ヨーロッパで「仏教」が成立する。研究が進展し、経典の翻訳がすすめられたその時期に、恐怖はかえって増大した。異文化誤解の歴史の謎に迫るフランスのベストセラー。...
虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか
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商品説明
1820年頃、ヨーロッパで「仏教」が成立する。研究が進展し、経典の翻訳がすすめられたその時期に、恐怖はかえって増大した。異文化誤解の歴史の謎に迫るフランスのベストセラー。【「TRC MARC」の商品解説】
1820年頃、ヨーロッパで「仏教」が成立する!?「仏教」は、神なき死の宗教!?
ニーチェ・ヘーゲル・ショーペンハウアーら、近代ヨーロッパ思想の形成に大きな影響を与えた異文化の誤解と受容の歴史の謎に迫る。【商品解説】
目次
- 日本語版への序文
- 序章 仏教への誤解
- 亀の体毛は硬いか軟らかいか/ブッダという悪夢/希望から恐怖へ/「出会い」という虚構/ことばと物の誕生/頑迷なる無理解/言語の学習と古文書の解読/虚無というひとすじの糸/三つのニヒリズム
- 第Ⅰ部 信仰の誕生(1784年〜1831年)
- 第一章 ブッダとは何か
- 「原始の世界」とは/水曜日のブッダ/フィヨルドの奥の坊主/ブッダ=エチオピア人説/ひそやかな虚無
著者紹介
ロジェ=ポル・ドロワ
- 略歴
- 〈ドロワ〉1949年パリ生まれ。ソルボンヌ大学で哲学博士号取得。リセの哲学教授を経て、フランス国立科学センター研究員、『ル・モンド』紙の書評担当。著書に「暮らしの哲学」など。
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紙の本
19世紀における、西洋の仏教に対する誤解と恐怖の過程を、豊富な文献を基に整理
2003/06/24 22:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんとも気がめいる。何故西洋は自分たちの負の側面を東洋に投影し、東洋を怖れ憎むのであろうか。21世紀の現在でも、アングロサクソン、ゲルマン、アーリアン、といった連中は、自分達こそ優れた人種であり、他の人種を支配指導するのが当然だと、無自覚に心の底で思っているのではないか。15世紀から19世紀までは、あからさまにそうだったことが、いろいろな文献から明白である。19世紀における西洋における仏教の発見と理解も、この典型である。原始的な多神教と蔑まされたり、虚無の信仰、魂の消滅ヘの欲求、と仏教を捉え、危険思想と怖れられたり、してきた。19世紀における、西洋の仏教に対する誤解と恐怖の過程を、豊富な文献を基に整理している。このような研究を自分達の手で行なえる、西洋人の強さ、優秀さというものに、感心する。これが日本人であったら、自分達の負の遺産を、総轄することができるであろうか。更に又、その研究が仏教国である日本で翻訳出版されたということに、東西の文化の相互理解の進歩を感じるとは、言い過ぎであろうか。異なる文化を理解することは困難であるが、先人の過ちへの反省と、先人の努力の成果を土台として、進歩発展して来ているのであろう。
紙の本
ヨーロッパが異文化を怖れる理由
2002/07/12 22:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤井正史 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ブッダについて語っているつもりで、ヨーロッパの人間はじつは自分自身のことを語っていた。ヨーロッパ人は自分自身の切実な問題をアジアに押しつけ、そして自分自身の不安や苦悩をそこに投影したのである。」(「序章 仏教への誤解」より)
本書は19世紀におけるヨーロッパの仏教認識の変遷を検証したものだ。謎の人物ブッダは、さまざまな神々と同一視され、仏像の容姿から黒人説などの珍説も語られる。そして、教義についても「涅槃」を魂の消滅、「空」を衰弱状態などという曲解が流布し、仏教は怖れられ、貶められていくのである。
驚くべきは、その原因が誤解というレベルのものではなく、哲学者たちが自分の想像を補足するために、経典にはない事実とは全く違うエピソードの捏造さえしているところだ。誤った知識で他を攻撃することに留まらず、空想と憶測による否定的見解を展開する。なぜ彼らはここまでしなければならなかったのか。そこには、相手を見下した傲慢さや、差別的思想、人種的な憎悪も見てとれる。
仏教を「虚無の信仰」と断じたヘーゲル、同じくニヒリズムの表れと見たニーチェ、また、仏教寄りと見られたショーペンハウアーには「涅槃」を否定する発言さえある。彼らも自らの先入観に合わせて都合良く仏教を想像しているに過ぎない。
この時代に作り上げられた否定的なイメージは今もカトリック上層部に残っていると著者は指摘する。しかし、その彼でさえ本書の冒頭で「仏教とはなによりもまず癒しである」と言い切ってしまい、皮肉にも19世紀の学者たちの姿勢と重なるものを感じさせる。
今日、キリスト教社会「欧米」の主導による、政治経済のグローバル化が進む中、彼らの他者への誤った認識の組み立て方は変わっていないのではないか。もしそうならば、異文化、異宗教の共生のための大きな示唆を含む1冊である。 (藤井正史/ライター 2002.07.11)