紙の本
公開対談の収録本
2018/07/30 20:29
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投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
二〇〇八年から二〇〇九年にかけて行われた四回の公開対談・公開鼎談をもとに、
著者による大幅な加筆修正をしたもの。
第一章 呪いと祝い(内田樹×釈徹宗)
第二章 お坊さんと精神科医による人間分析(釈徹宗×名越康文)
第三章 顔と人格(内田樹×釈徹宗×名越康文)
第四章 祈りの諸相ーー呪いと祝い2(内田樹×釈徹宗)
対談形式なので、読みやすい。中身も充実。
第三章の、日本の中世の高僧たちの肖像画を見て、
三人が語り合う企画は、面白かった。
以下は本文からの引用で、
二〇〇八年時点での内田氏の発言だけど、
現在の状況は当時(話題にされているのは2ちゃんねる)よりも、
さらに悪化していますよね…。
『 ネット上に氾濫している攻撃的な言説のほとんどは僕の目には「呪い」に見えます。
言葉によって、その言葉を向けられた人々の自由を奪い、活力を損ない、
生命力を減殺することを目的としているのであれば、
その言葉はどれほど現代的な意匠をまとっていても、
古代的な「呪詛」と機能は少しも変わらない。
われわれは今深々の「呪いの時代」に踏み込んでいる。
このことの恐ろしさにほとんどの人々はまだ気づいていない。』
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自分の顔や体を使わずに、自分で責任をとることもなしに、相手を否定しにかかる。「呪い」という言葉に大きく共感しています。なんて恐ろしい時代なんだ。本当に、そのように隠れながら攻撃するような輩は信用しないようにしよう。(この文もハンドルネームだけど、すぐに誰かわかるだろうし、異なると思う。)。呪いの話が一番衝撃的でした。釈先生や仏教の用語はまだ馴染めないせいか読みづらいけど、霊性論とあわせて読んでこうと思います。起源を探るというのは面白いね。
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対談集なので、読み易くあっという間に読了です。
最近富に感じますが、対談集や喋ったものを収録したものは、読み易いのですが、読むスピードに頭の方が付いて行っていないようで何が書いてあったか忘れがちです(笑)。
印象に残ったのが、1章で出てきた「呪い」のお話。2chでの匿名での書き込みや、何か問題があるとすぐに「犯人捜し」をして、あたかも個人だけに問題の元凶があるような言説がまかり通る風潮。
政治や社会の大きな問題から、職場や家庭で起こる諸問題まで、クリアに説明できる解決策や原因、責任者などある訳ないです。個人の資質から環境要因まで複合的に絡み合って、現問題が表出している筈です。それを単純化して一つの原因に集約したり誰かのせいにして、問題を単純化し思考停止に陥ります。
これらの発想はまさに「いじめ」と同じ構造ではないかと指摘しています。そして「いじめ」が極端な話になると人を自殺に追いやります。まさしく「呪い」なんですね。
ネット掲示板での攻撃性のある悪意に満ちた言説や、すぐに犯人探しをしてしまうような思考パターンが、「呪い」の現代バージョンではないかと示唆されています。
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楽しく読める現代の道徳。
この本では,大人から子どもまでのいじめも行政批判も2ちゃんも呪いで説明される。「中央フリーウェイ」や「勝手にシンドバッド」は祈り。現代は呪いに充ち満ちている。
心理学のコミュニケーション能力やアサーションに土着文化をまぶすと,この本の語るところの呪いや祝いに近づく気がする。
呪詛を無害化するには大きく2通りあり,その内容をニュートラルに解説して中和するか,呪ってくる側の気勢をくじいて攻撃性を緩和すること。
高校時代の部活を思い出す。相手のテンポに乗らないとラリーが続かないけれど,乗りすぎると試合に負ける。というか自滅する。
一番そうだなと思ったのは,他者に畏れを与えないというお布施。
相手を思いやる言葉や暴力的でない態度を自分の修行だと思って実践するとお布施になるそうだ。人を怖がらせないことは,立派な贈りものなのだ。
本の中で「スラムドッグ$ミリオネア」が勧められていたので,録り貯めてあったのを観る。予想もつかないラストシーンに呆然とする。
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自分がちょっと思い詰めるタイプなのを自覚しているので、広く、宗教のことを語っている本も定期的に読んで、頭を柔らかくしている。
この本は、浄土真宗の僧侶の釈徹宗、哲学者の内田樹、精神科医の名越さんの3氏の対談本。
ちょっと、スピリチュアルでついていけない部分もあるが、納得できる部分もある。
①釈さん:宗教とは人間というものを突き詰めていきます。しかし、煮詰まったら、駄洒落の一つでも言って「じゃあ、今日はこれでおしまい」という感じが大切なのではないかと思っています。(p272)
②名越さん:多少神経質であったり、不眠症のような気質が元来あるような人でも、あまりとらわれない人だと、多くはそれなりに楽しく人生を歩んでいるんだという実感が、その人にはうまれてくるものだと思います。(p126)
日々、楽しく過ごせるのは、少しはとらわれがなくなってきたからか?
③内田さん:僕は原則としては言論というものは、発信者にどれほど自説について確信があっても、「説得」というしばりは遵守しなければならないと思っているんです。(p31)
ちょっと、わかりにくいが、2チャンネルのようなネット上の言説が、最初から相手を説得する気がなく、相手を抹殺する意識で暴力的な発言をしていることが前提にあります。
参考文献として、白川静ほか『呪いの思想』、内田樹ほか『インターネット持仏堂』が気になった。
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2チャンネル=呪い
思念と体
韓国の昔ばなし>三年峠
予祝
国誉め>ただ、そこにそういうものがあると言い切っているだけ
真っ暗な部屋に入ったときって、身体はガチガチになりますよね。本当はそういうときこそしなやかな身体であるべきなのに、真っ暗な部屋で、この先に何があるかわからないときに、人間は硬直してしまう。逆に、遠くまで見通せるときって、運動の自由度はすごく上がるでしょ。遠くまで見えると、肩の力を抜いて、すたすたと歩いていける。
これから自分が進む道についてはっきりとした下絵があると、下絵とまったく違うことができるんですよ。下絵の縛りがあると自由になれる。
>不思議なもので、「決断」と「不決断」が同時に自分の中で行われている状態が一番生きる力が強くなっている。
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住職と思想研究家と精神科医の対談集。
一見オカルトな内容について、三者三様、スマートかつユーモラスな受け答え。さらっと読みやすかったです。
特に現代の呪いについての考察は、「なるほど」と膝を打つ思いでした。
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それに比べると浄土真宗は身体性が低いですね。これね、思弁を弄するようだけれど、親鸞という人の身体能力の高さと関係があると思う。親鸞は自分の中に蔵されている破格の身体的ポテンシャルをどうやって抑制するかということを考えていた人だから。僕たち凡人は身体的ポテンシャルをどうやって向上させようか考えるじゃないですか。親鸞は違ったと思う。身体の持っている力をいかに抑制するかの方を先に考えた。だから浄土真宗は身体性が低いんだと思う。「うかつに体に触るな」ということを親鸞は考えていたんじゃないかな。 P219
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どんなに時が経ち科学が発展しても,人間は「呪い」や「祝い」といった精神的な儀式を形を変えて存在させているんだなと思った。
仮面を付けて負の言葉を使う「呪い」とネットの掲示板で匿名で言葉を発することは確かに似ている。
ただ,今の世の中でその仮面はどのような象徴なのか。大きな力をもった人間の代表者なのか,絶対正義的もしくは全能な存在なのか。いずれにせよ錯覚には違いないんだと感じた。
現代のデジタルなものの見方・考え方に対して再考を促す本。(パワーポイントの作りかたとかはデジタル的でもいいと思うけど。)
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ひとつのことを、3人がそれぞれの分野の言葉で語る、というのが面白い。
インターネットの危険性を「呪い」なんて表現するあたりがいい。
ものごとを単純化して見てはいけないってことをしみじみ感じました。
ちらりとハシズム批判も(笑)。
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オカルトではなく、言葉や意識の力としての「呪い」と「祝い」が強力な威力を発揮していることがよくわかった.
名越康文はリアルな精神科医の立場から発言をしているので、精神科を宗教的なものと関連付けて考えてみた釈徹宗と若干噛み合ってなかった.
内田樹と釈徹宗のコンビは最強です.仏教的なものの考え方には学ぶことが多い.
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予祝と呪詛がテーマ。
予めイメージをもつことが、悪しきことに合わないことにつながる。
マイクロ・スリップも良きイメージの産物。
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直接教えを受けている(受けていた)3人の先生方による対談本なので、活字を追っているのに、耳から聴こえてくるような感じがした。
釈先生の仏教、宗教に関する発言から2ヶ所引用
”仏教では、現在・この一瞬によって、次の一瞬が決まると考えます。時間と存在とは分けることができない、すべては連鎖していくという立場に立ちます。これを相続といいます。この一瞬の心身を調えることによって、苦しみの連鎖を避けることが出来ると説くのです。
また、仏教の古い経典には、心がうまく機能していないとき、心のバランスが悪いとき、心では制御できない、そう説かれています。心のバランスが崩れても、心で立て直せない。まあ、そうですよね。意識の調子が悪いのに、意識的なコントロールはできません。まして、無意識の領域が悪いとき、意識ではどうにもなりません。では、どうやってバランスを取り戻すかと言えば、「呼吸」と「言葉」です。” 74ページ
”あらゆる宗教というのは、「生きることは不条理である」というところから出発しているのかもしれません。その上で、いかにその不条理な苦悩を引き受けて生き抜くかという知恵の結晶が宗教です。” 147ページ
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最後の章で、文学者(作家)についての内田先生の発言で「現実にまったくコミットしてない人が、部屋に籠ってこりこりと作品書いていても、それは現実を揺り動かす力をもたないんじゃないか」と言っておられました。
トリックスター足り得る人は作家に限らずそういう人なんだろうなと染みましたね。
内田先生お薦めの「スラムドッグ$ミリオネア」観てみたいと思います。