紙の本
男性が男性性と向き合うエッセイ
2021/03/31 20:27
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投稿者:3π - この投稿者のレビュー一覧を見る
足りない、というのが正直な感想。男性が男性性と向き合うエッセイだけど、なんだか「優等生」感がぬぐえない(著者もどこかでそんなことを書いていた)。『非モテの品格』『感じない男』なんかに比べて、これで男性性を本当にじっくり見つめ直したことになるのだろうか、と思えてしまった。それとも自分が男性学的な言葉遣いに慣れてしまっただけか。或いは、自分から見れば清田さんの半生が、出来合いの単語でいえばある意味で"リア充"的にしか見えなかったからか。
とはいえ自然主義文学みたいに単なる露悪的なものになってもそれはそれで男性学の陥りがちな陥穽だし、ほんとどうすればいいんでしょうね。
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今では嫌いなマチズモに適応しようとしたこと、適応できた瞬間に確かに喜びを感じていたことを思い出しました。
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さよなら、俺たち
幼稚さなんだと感じた
人を認めない
自分と違う意見は聞こえない
自分と関係ないことには意見がない
片付けない
意見を言われると機嫌が悪くなる
フェミニストの意見は結構好きだけど
あまり大きな声では言えない
めんどくさい奴になりたくない
それらの本を読むと
そうだ、そうだと思う
物わかりのいいことが良しとされる
母親的なものをもとめられても困る
そもそも、母親も問題なのかもしれない
娘たちも片付けない
これは幼稚さ
勘弁してほしい
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主語を大きくして語ることは、時にそれに当てはまらない人の否定に繋がりうるだろうし、そうは言っても人それぞれだよね、というのが基本的な私の考えではある。
けれど、この本を読み通していく中で、やっぱり男性という括りでみたときに本質とまではいかずとも傾向として持ち合わせているものはあるだろうなと感じずにはいられなかったし、また、男性ということで知らず知らずのうちに得られている特権に対して無自覚である自分にも気付かされた。
内容自体は著者が各媒体で書いてきたエッセイを再編集したものということで、全編でワンメッセージというよりもライトな入り口(著者自身の恋愛経験をベースにしたものや、映画や漫画のサブカルを切り口にしたもの)から日本という国におけるジェンダーのあり方を問うものまで幅広い。
個人的にはdoingとbeingの話、性欲に対する見解の話が印象に残っている。
スキルやお金、偏差値やフォロワー数、何かを持っているか持っていないかで評価されるdoingの世界。もちろん、そういった定量的に可視化できる部分も含めて人間ではあるのだけれど、もしかしたら、そちらの世界に偏り過ぎているのかもしれない。もっとあるがままを受け入れる社会であってもいいんじゃないかという話は、しばらく考えたいテーマになった。
そして、筆者の性的嗜好をオープンにしてまで考察をする性欲に対する考え方。一口に性欲と言っても、そこに含まれるものは多様で、決して単純な肉体的快楽だけを指すものでは無いという指摘と、個人的な性的嗜好の裏側には本人に根付く願望や環境があるのではという指摘。そうやって深掘って考えてみること自体に価値があるんだろうなと思えた。
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8)ジェンダー=社会的文化的に形成された性別
常識,役割,システム,ルール,教育,メディアなど様々な中に潜んでいてそれらを空気のように吸い込む事で知らぬ間に構築されてしまう男らしさ女らしさのようなもの。
10)ジェンダーギャップ指数/世界経済フォーラム
'20日本121位/153国
男性であるだけで与えられている特権は確実にあってそれは考えなくても済む何となく許されているそういう事になっているという形で我々の周りに漂っている。だから多くの場合それが特権である事に気づかない。
13)男性である事を主張しないとないものにされてしまう経験はそうそうないし男性という属性に関する説明を他者から求められる機会もほとんどない。俺たちという集合名詞に埋没し色んな事に無自覚のままでいられるという特権に浸ってきた我々は自己の言語化に向き合ってこなかった。
23)つきあっていない事で安心感に裏打ちされた不安によって私を大事にできる。私はあなたに依存しすぎる事を抑えられる。だから誰と何をしているかなるべく聞かないし独占欲で縛らないようにした。
35)文章の素晴らしさは水面下に広がる裾野の広さに比例する。書く為に費やした熱量、取材対象者と築き上げた関係性、人生を賭けて養ってきた技術や想像力。それらが下支えになって紡がれた文章だからこそ人の心を揺さぶる迫力が宿る。
60)私達は感じる事をやめる事はできない。感じた事は最初形も大きさも不明瞭な何かとして身体の内部に発生する。それらの輪郭を捉え取り扱えるものにする工程が言語化という作業。それを続けていく事でしか想像力や共感力は育っていかない。ハラスメントをしてしまう気づかない人に必要なのはそういう極めて地味で地道なプロセスを延々繰り返していく事。
96)人から褒められて嬉しい事に男女差はないはずなのに男の子は褒められるのが好きだけが自明のものとして扱われている理由は端的に幼稚だから。男の子は褒められないと機嫌を損ねるの方が実態に近い。
246)家事とはシステムの上で回っていくものであり道具の管理や備品の補充、日時を覚えておいたりタイミングを図ったりと目に見える作業の下地には膨大な名もなき家事が存在している。人間関係にヒビを入れかねないのは相手の時間や労力を搾取する事に繋がっているから。この問題の根底にあるのは子供の頃から自分の時間と体力=全て自分の事に使うものという感覚。
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加害者性についてが刺さりまくった
どうしても時として顔を出してくる男性性に振り回され、頭ではわかっているのにそこになにかを期待すること前提の発言や行動を一切していないかと問われると絶対にないとは言えないことに落ち込む
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清田さんが、高校生の頃や大学生の頃の自分を振り返り、客観的にみて今の社会構造と結びつけて考えていることに、上から目線かもしれないが偉いなと思った。人は、誰かを傷つけたりした思い出などは、触れたくないし思い出したくもないのに。
でも、男性の清田さんだけでなく、女性である私も、似たようなことで人を傷つけてきたのではと、居心地の悪さを感じながら読んだ部分もある。
自分がかっこいいと思った人は全て恋愛対象としてみたり、男友達と仲良くなればすぐに恋愛と結びつけて、友達として信頼関係を深めようとかそんな発想がほとんどなかった。それによって傷つけたり、失礼なことをしてしまったことは、きっといっぱいあったし、同性の友達を嫌な気持ちにさせたこともたくさんあったはずだ。
それを思い出すととても嫌な気持ちになるけど、清田さんはそれを言語化して活字にしているのだからすごい。
著者は何度か、今の社会はbeingではなく、doingに人の価値を置いているという。私自身も、そんな風にしか自分を評価できなくなっていて、それが生きづらさなんだろうなと気付かされた。何もなし得ていない自分に、何も持っていないじゃんって思う。
ただ、ちびまる子の話は、ここ数年のまる子は、やたらといい話にされている。お母さんは優しいし、ひろしも娘思い。まる子以外にも、最近のアニメは、友情、家族愛、感動をやたらと強調する内容になっている。それももしかしたらdoingに偏っている傾向の一つなのかもしれない。
と、気付かされたことたくさんあった。私も本を読み、自分の感情や日常を言語化する訓練をしたいと思う。
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そんなに売れるとは思えないけど、懸命にフェミニズムを勉強しながら、あちこち正直っぽいところもありおもしろい人だと思う。同時に、いろいろ話を聞いて納得できないところもあるだろうけどそれをおしつぶしている感じも気になる。でもがんばってほしい。あとでゆっくり読むかもしれない。
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・男はdoing 女はbeing
・human being としての多様性を認めること。
実績としてのdoingの根底にあるもの。
・説明したがる男たち。
・テレビ番組によるジェンダーの再生産。
・個人モデルと社会モデル。熊谷晋一郎
社会が個人に合わせること。バリアフリーも、生理も。
・自民党は、個人ではなく家族を最小単位とする国民を夢想した。それは天皇制の維持につながる、と。
・お茶をいっしょにする、で性欲の代替。
・性欲があると、女性とのコミュニケーションは誘導的になる。
・おっぱいパブ、はホモソーシャルの確認場所。
・what I am を意識すること。
・家事は、careである。自分以外の人への。
●日本の美意識は、emptyness。
欧米のsimple=ものと機能の最短距離を志向すること。
空洞があることで、コミュニケーションに余白がある。あらゆる解釈を受容できる。(原研哉)
けれど、そんなハイコンテクストなものではなく、
ぶつかり合いながら進む、ローコンテクストなものも必要なのではないか。
バラバラな個人が、バラバラなまま共存できること。
ズレを無視することは同調圧力になる。
「私たちはもしかしたら、すれ違ってすらないのかもしれない」
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ホモソーシャルについてはじめて認識した。
モヤモヤを言語化されたような感覚
最後にあった逆張りオタクが当てはまりすぎて死にたくなった。
doing偏重社会の中で、beingの尊重の大切さを見失ってたことを気づいた。当たり前のことなのね。
大したことすることは幸せじゃない、小さくてもいいんよ、幸せなことがだいじ!
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息子たちにこういう精神や態度を身につけていってほしい。
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"女性たちの声と向き合い見えてきたのは、男性たちの言動自体もさることながら、それについて意見交換しようとした際に直面する「話の通じなさ」に最も絶望していたということだ。"(p.131)
"知るのはつらいし、考え続けることは時に疲れる。それでもフェミニズムは男性にとっても必須なものだと思う。それは男たちを無意味に糾弾しているものではないし、ましてや“被害者”にして甘やかすものでは決してないのだ。"(p.148)
"男性たちがジェンダーの問題に意識的になり、これまで気づかなかった性差別の構造に目を向けたり、男性が履かされている「下駄」や自らの踏んでしまっている足について自覚したりすることは、絶対に必要なことだ。ただ、そのプロセスで発生し得る「加害者性」にまつわる悩みや苦しみをどう考えればいいのかに関して、私はまだ明確な答えを持ち合わせていない。"(p.208)
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男たちはどうしてこうなのかー。
1200人以上の恋バナを収集して見えてきた「男性」の実態。
さようなら、という言葉は、「それならば」という接続。現象を受けて自分はこうしよう、という心の構えから来ている。という冒頭の文、再読するとグッとくる。
男性である自分のこれまでの言動と感情を細かく細かく観察して分解していって、その加害性、履かされてる下駄を認識する途方もない作業、辛すぎるでしょ…。それをやってくれる男性がいることの希望よ。
ぺこぱの「優しいのに面白い漫才」、説教したがる男たち、コンビニのエロ本、ナイナイ岡村の風俗失言、公共の場のやたら性的なアニメ絵、コロナ離婚、女子小学生から既に呪いをかけられる「モテる会話のさしすせそ」、、、近年Twitterでもよく話題になってた事柄が盛り込まれており、今読んでよかったなと思った。20年くらいしたらどんな印象になるんだろう?
同じ内容でも、男性がこういう事を提言するのは本当に希望。女性にとってだけでなく、ホモソーシャルに囚われている男性にとっても。
読んでほしい人には読まれないかもたけど、それでも少しずつ意識が変わって時代が動く様に、火を灯しつづせていきたい。
性欲を因数分解していき、そのいくつかは、「お茶をすること」で解消されるようになった下り、新鮮だった。
女性の生きづらさは近年耳を傾けられるようになってきて、「そうそうそう」とうなずくことが多かったけど、男性も男性なりの辛さがあるんだよな。女も男も、みんな辛いよね。想像力を持って、優しくしたい。
関係ないけど編集の会社が実家のすぐ近所で親近感。
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近年、フェミニズム、#MeToo、#KuKuu、など、ジェンダー平等が大波となって、社会現象となっているが、男性からの発信はあまり多くない。著者は、自身の成長過程での違和感をふり返り、桃山商事の活動を通じて女性たちとの対話、ニュースやカルチャー、多くの文献を通して、男性の視点でジェンダー平等を考える。「男だから」といって与えられた特権や優越感を内省し、自身のこれまでの言動や行動、心の揺らぎを赤裸々に語り、ジェンダー平等を多面的に捉える。性的同意や生理にかかわる男性の知識不足と無理解、そして自民党改憲草案からジェンダー平等がいかに脅かされているか、など幅広く考える。最後に「高度に発展した資本主義社会と人間の関わりを学びたい」として、これからの自身の生き方、パートナーや双子の子供たちとの関わりを展望する。
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身につまされる。
ジェンダーの本
という心づもりで読み始めましたが、それ以上に「より善く生きるには」そういう内容だったように感じます。
そして
私自身、男性として具体的に過去を反省しながら読みました。
特に男性にオススメしますが、どのような背景を持つ人にもオススメです。
著者の方も大学まであまり本に触れなかったとのこと。
コロナを機に読書に目覚め、これからどんどん読みたいなぁと最近思っていたので、引用されているたくさんの本たちもぜひ読んでみます。
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身近な男性にもやる気持ちが言語化された。派生して読みたい本が増えた。もやりながらもなぜ黙ってしまうのか→特権を無意識に認めているから?という自分が少し見つかった。