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商品説明
論語はどう読まれてきたか、思想史家はいまどう読むか。「学ぶこと」「仁について」「君子たること」など、論語における孔子の問いかけのテーマごとに、そのテーマに相応しい諸章を選びだして読み直し、問い直す。【「TRC MARC」の商品解説】
目次
- 論語講義・序
- 『論語』と学びの復権
- 凡例
- 第一部
- 論語講義・第一講 学ぶこと
- 論語講義・第二講 仁について
- 論語講義・第三講 道について
- 論語講義・第四講 信について
- 論語講義・第五講 天について
著者紹介
子安 宣邦
- 略歴
- 〈子安宣邦〉1933年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。大阪大学名誉教授。思想史・倫理学専攻。著書に「鬼神論」「伊藤仁斎の世界」「平田篤胤の世界」など。
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著者/著名人のレビュー
「学ぶというのは、古えに学ぶことであり、先人に学ぶことである...
ジュンク堂
「学ぶというのは、古えに学ぶことであり、先人に学ぶことである。」と子安は言う。そして、2千年の時を距てた『論語』を、その距たりを埋めてくれる先人(何晏、朱子、仁斎、徂徠、渋沢栄一)の注釈を思想史家として重視しながら読み直し、孔子の問いを自ら問い直すことによって学ぼうとする。
その開巻第一章が学ぶことの喜びをいう『論語』自体が、「学び」の重要性を説く。但し、「教育」を問うことはない。近代の制度としての学校教育は少年たちの学のモチベーションを奪っているのではないか、と子安は疑問を投げかける。
例えば「仁」とは何かを問われて、孔子は常に、質問者の人となりや事情に応じて具体的に答える。決して「仁」一般を語ったり、「仁」の定義を示すことはない。後世の継承者の解釈が、普遍的な規範的言語としていったのだ。が、言い換えれば、『論語』という書物が、それだけ長きに渡って、読み継がれ、解釈されてきたことの証左でもある。注釈者たちが様々な解釈を施し、その堆積に学びながら更にそこから学び解釈を加える。書物を通してそうした営為が連綿と受け継がれている様を学ぶことも、「また説ばしからず乎。」
紙の本
いまさらながら『論語』というものに感心する
2010/08/14 18:42
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮崎市定の論語と白川静の孔子伝は面白かった。今回のこの本は、何度か読んできた論語を読み返すまとめにもなりそうである。
著者がいうように『論語』を読むということは、先人の読みを読み直すことである。(直接読んでも理解できないから、解説してもらう必要がある。)ここでは朱子と伊藤仁斎と荻生徂徠の読みを比較参照して紹介し、著者の解釈も述べている。渋沢栄一、諸橋哲治、吉川幸次郎、金谷治、宮崎市定、白川静などの解説も引用している。学校の漢文の授業で習う『論語』の読みは、朱子による読み方であろう。しかし中国人が読む場合でも、ある文字を名詞として読むか動詞として読むか、などなど人によっていろいろな読み方があり、それによって意味合いも微妙に変ってくる。それぞれの人がそれぞれの立場と環境に基づいて、自分にとって必要な読み方をしてきたことが判る。そのように各自が読めるということは、本来的な原則が述べられているからであろう。それが古典であり経書である由縁でもある。
それぞれの先人の読み方に感心し、その読みを頭から受け入れるだけであり、だれの読みが正しいとか優れているとかを判断することもできないし、自分なりの読みをすることもできない。謙虚に先人の読み方を学び続けていくべきであると思っている。
今日の日本政治の右往左往・混乱ぶりの批判・反省ともなる言葉が、論語のなかに多々あることに気づいた。いまさらながら『論語』というものに感心する。