紙の本
人間の根源
2017/12/24 13:52
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投稿者:hiroyuki - この投稿者のレビュー一覧を見る
永山則夫。事件が起こったのはまだ自分が小さい頃だが、連続射殺魔として社会を震撼させた名前として、忘れられない名前だ。その後、この事件の判決が死刑の基準とされ、無知と極度の貧困が事件を生んだと被告自ら主張したと記憶している。
鑑定記録を書いた石川先生が、これほど精緻に彼と彼の一族を調べていたとは、どんなドキュメンタリーより素晴らしい内容だと思う。そして、永山の肉声テープと獄中の写真は、多分堀川恵子氏のこの本がなければ、永遠に埋もれてしまっただろう。
事件から20数年後永山の死刑は執行されるのだが、その時の彼は事件当時とは殆ど別人格の人物になっているのだが、国家は死刑を命じた。しかし、どのような理由があれ、突然何の罪もなく殺された人が4人いた事実もある訳で、その遺族もいる。遺族は満足したのだろうか。
貧困と子供への虐待の連鎖は、40数年経った現在も変わらず社会問題になっており、こうした若者たちの理不尽な殺人事件も後を絶たない。
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「永山基準」
あたかも、それが死刑判決へのチェックリストのように都合よく引用されてきた「基準」である。
その永山基準の元となった事件の犯人永山則夫が、精神鑑定のために受けた際の100時間にも及ぶ録音テープが発見された。
当時、永山の鑑定を担当した石川義博医師が、その後の自身の医師としての歩む道すら一考を余儀なくされた永山の鑑定を経て、これ以外のすべての犯罪精神医学関連資料を処分した中、唯一40年以上大切に手元に保管していた録音テープである。
本書は、その独白テープを元に、ほぼ時系列に永山の幼少期から、犯行を犯し逮捕、鑑定、その後に至るまでを、逮捕後の裁判、母ヨシや姉のセツ、石川医師への取材、また永山が獄中から出版した書籍や書簡からの引用も交えながらまとめたものである。
このようなある犯罪のルポ、犯人がその事件を起こす背景を扱ったノンフィクションをいくつも読んだが、その犯人のほぼすべてに共通しているのは、成育歴に何かしら問題を抱えていることだ。
幼少期の家庭環境に問題があり、尚且つ、そばで継続的にサポートしてくれる大人が不在、さらに言えば、その本人が繊細な感性の持ち主であったというケースがほとんどなのだ。
おそらく、この3点のうち、どれか一つが満たされなければ、大きな犯罪を起こすところまでは行かなかったのではないだろうか。
少年事件の弁護を多く担当する大谷恭子弁護士の「少年事件(中略)はあまりに偶然が左右するということです。あの時この人と出会っていれば、この一言があればということがすごく多い」という言葉の通り、それくらい、そんな一言や出会いで変わってしまうくらい、少年の精神発達は途上で、だからこそ思いもかけない結果につながってしまうことがあるのだ。
ここで取り上げられている永山も例に漏れず、生まれてから事件を起こすまでの19年の間、ほとんど放任されたままで育っている。そしてやはりというべきか、永山の母親も、虐待を受け過酷な家庭環境で育っていた。ここでも虐待の負の連鎖がこの親子を苦しめているという事実。
家族の愛情を感じる機会もなく、誰かに自分の話をしっかりと聞いてもらった経験もないから、困ったときに人に相談するという知恵もない、社会で生きていく術を教わるチャンスがないまま社会に放り出され、いわば、体だけは大人、精神的には幼い子供のまま成長した永山が、窮地に陥った(実は、それほどの窮地ではなかったのだが、それに気づくことも、困っていると誰かに助けを求めることもで知らなかっただけ、というのが本当のところだ)時、自分の身を守ろうと思いがけず起こしてしまった第一の殺人。ここからとうとう本当の身の破滅が始まってしまったのだ。
実は、環境こそ不遇であったが、一家そろってかなり優秀な頭脳の持ち主であったことは確かなようだ。皮肉なことに、逮捕され、獄中で様々なサポートに出会い、本を読み必死に勉強したことで、初めて人間的な精神発達を遂げることができた。永山が、ある時から死刑になる自分の境遇を受け入れ、支援者たちとの関係をも断ち静かにその時を待つようになったということこそ、それを強く物語って��るように思えてならない。
永山の抱えていた問題が何であれ、実際に何の落ち度もない4名もの方の命が奪われたことに変わりはなく、その罪はどうしたって償わなければならない。
だがやはり、死刑という量刑を考えたとき、本当にその判断は正しいのか、と疑問に思わないではいられないのだ。果たして、自分の力ではどうすることもできなかった、その術すら知らなかった未熟な人格に対して、国家による殺人、死刑という量刑は正しかったのだろうか。
著者が取材をした際の石川医師の言葉が忘れられない。
「犯罪の本当の原因を突き止めなくちゃ、刑事政策も治療もあったもんじゃないんですけど、日本は余りにも、それをやらないで来ましたよね。調べれば調べるほど、本当の凶悪犯なんて、そういるもんじゃないんですよ、人間であれば…」
そしてもうひとつ、あとがきの著者の言葉を引用しておきたい。
「日本の司法は、人々が納得する応報的な刑罰を科すことばかりに主眼が置かれ、被告人を事件に向かわせた根本的な問題に向き合ったり、同じ苦悩を抱える人々に示唆を与えるような修復的な機能はほとんど果たしていません。近年の裁判員裁判では、審理の効率化や裁判員への負担軽減ばかりが優先され、被告人に向き合う作業はますます疎かにされているように感じます。被告人に全身全霊で向き合い、結果として治療的でもあった石川医師の試行錯誤には、事件について本質的な洞察を深めるためのヒントが随所にちりばめられています。核心を衝いたその取り組みは司法の場であまりに軽んじられましたが、それを生かしていくのに手遅れということはないはずです。」
永山基準は、最近になって「基準とはいい難い」と、今までの扱われ方に異を唱える最高裁の見解が示されたそうである。
修復的司法。
この実現が果たされるのはいつになるのだろうか。
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日経新聞 2013年4月14日 書評
烏兎の庭 第四部 書評 6.15.13
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1306.html#0615
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事実は小説よりも面白い。このような悲惨な事件を扱ったドキュメンタリーを面白いなどと言っては誠に申し訳ないのだけれど、これまで読んだどんなミステリーやサスペンスよりも面白かった。
世の中の様々な事物を我々は類型化する。個々の事物をそれぞれ固有のものとしていちいち判断していてはオーバーフローしてしまうからだ。事件についても同様で、一定の基準を設け類型化し断じ処理する。そこには個別の特有の事情や状況は勘案されない。
ひとつの犯罪が起きる前には、それを犯すに至るまでの犯罪者の人生全てがある。そこに至る理由や原因を本当に知ろうとするならばその人生全てを検証しなければならない。本作はそれをしようとした医師が残した鑑定結果と面談の録音テープをもとに、永山則夫が犯行を犯すまでの19年の人生のみならず、永山の母の人生までも再現した物語だ。そこに書かれた事実はどんな小説よりも面白いのだ。
本書によって死刑制度の是非を云々できるとは思わないし、遺族の報復としての刑罰はあって当然とも思うが、犯罪を類型化したり、判例に当てはめたり、世論や報道のある種多数決で裁いたりすることの危険性は十分に感じられた。
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「あの時あの一言があったら。誰かと出会えていれば」ー 少年事件においてはそんな些細なきっかけひとつで、犯罪を犯すかどうかの彼岸と此岸は薄い紙一枚隔てたところにあるという。
人間の人格形成においては家族、もしくはそれに代わる者の愛情が必要不可欠である。
人との触れ合い、絆といったものから、想像力やコミュニケーションを学んでいく幼少期に愛情を受けるべき家族から無視され虐待されたとしたら?
貧乏だからって親に見捨てられたからといって立派に育っている人もいる。確かにそれだけで犯罪を犯す理由にはならない。でも人として最低限の愛情に触れることなく成長した人間の哀しさはかくもと絶句するのみ。
世の中が悪い、学校教育が悪い、など叫ぶ前に全ての根幹は「家族の愛情」にあるのだと痛感させられる。
「心の闇」などという便利な常套句で片付けられてきた数々の事件も、その熾火にあるのは家族の問題であるのかも知れない。
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死刑判断の基準のとして良く引用される永山事件。その精神鑑定の時の100時間の録音テープ。帯だけを見ると読む気は無かったのだけど、これは凄いから絶対に読まないとと奨められて読むことに。読んでみると、事実を元にノンフィクションとして描かれているのだけど、生半可な小説よりも引き込まれて読了。殺人事件の精神鑑定というとなんかうさんくさく感じていましたが、こういうことをやっていたとは。ノンフィクションは苦手という人にも読んでもらいたい一冊です。死刑判決に対するスタンスが変わること間違いなし。
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永山事件は、時代を象徴した事件なのだと思う。
事件の背景も。裁判の状況も。
子は親を選べない。親は完全ではない。
愛情をそそぐということの尊さ、重大さ。
お金は大事だけど、愛情の方がもっと大事。そのことを見えなくさせてしまうのが、お金の魔力か。
負の連鎖を断ち切ることは誰にできるのだろうか。
犯罪の原因を探るというのはこういうことなのだとわかった。
犯罪の原因を知ることと、刑事裁判は目的が違う部分はあるけれど、その原因と刑罰は関連性があるということは忘れてはいけない。
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犯罪は様々な要因が複雑に絡み合って生まれるのであるが、犯罪までに至らなかった要因はたった一人でも良いから自分を認めてくれる存在やほんの些細な一言であるのかもしれない。いま日本の社会は、いじめや児童虐待があとを絶たない。 人と人との絆がどんどん断ち切られているのだが、本来自らの手であるいはコミニティで支えあっていかなければならない局面でも、金銭で第三者のサービスを受けることによって解決する風潮が止まるところを知らない。このようなぎすぎすした社会にあってありふれた言い方だが、もう一度家族の有難味を考えよう。
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永山則夫のイメージが全く別のものになりました。
彼のたどってきた道を、両親や兄弟の生き様にまで入り込むことで、さらに深く知ることができたと感じます。
檻の中で精神的発達をとげたであろうことは
彼の手紙を通してうかがい知ることができます。
賀川乙彦『宣告』を読んでもそう思いましたが
手紙とは、伝えたいことだけでなく、
書いた人の心の成長・変化を知ることができるのだと、
思いました。目頭が熱くなりました。
死刑という制度については
もっともっと論議されなければいけない…。
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<「永山事件」の精神鑑定に当たった医師が録音したテープから浮かび上がる、犯人の像>
昭和43年の秋、日本中を震撼させる、1つの連続射殺事件が起きた。
事件には奇妙な特徴がいくつかあった。
22口径という殺傷能力がさほど高くない拳銃が使われていること。1ヶ月足らずの短い期間に、東京・京都・函館・名古屋という広範囲の地域で、4件の事件が起きていること。被害者は互いに面識がなく、共通点も見つからないこと。金品が残されているケースと金目の物をすべて奪うケースが混在していること。
凶悪犯か、愉快犯か。警察の総力を挙げた捜査にも関わらず、犯人は杳として知れず、4件の後はぷっつりと犯行が止んだ。
半年後、事件は急展開を迎える。半ば自首のように現れたその犯人は、永山則夫。19歳の少年だった。
本書は、この永山事件の背景を知る手掛かりとなる膨大な録音テープが発見されたことから生まれた。本書の著者は元々、永山事件の取材をしていた(『死刑の基準-「永山裁判」が遺したもの』(2009年))。日記を読み進めるうち、この事件の精神鑑定に当たった石川義博医師が、永山を相手に生育歴に関するインタビューを行っていたことが判明する。これらが録音されていたことを著者は突き止める。100時間を超えるテープを石川医師から託された著者は、丁寧に聞き取り、書き起こしていく。
浮かび上がる事件像は、「貧困と無知が引き起こした犯罪」という通り一遍の言葉からは抜け落ちてしまう、1人の少年の姿を鮮やかに描き出していた。
非常に吸引力の強い本である。
テープの内容に沿って物語は進む。
石川医師は、会話を通じて、永山の幼時の記憶を徐々に解きほぐしていく。
幼い則夫少年がどのように育ち、そしてついに犯罪に手を染めることになったか、読者もまた追体験していくことになる。
則夫の家は、子だくさんの上、父は博打打ちだった。元々、母親に十分な愛情を掛けられることもなかった則夫は、一度は厳寒の網走に兄姉とともに「捨てられ」、一冬、子どもだけで過ごしたことすらある。どうにかこうにか生き延び、やがて青森にいた母と再び暮らすことになるが、学校には馴染めず仕舞いだった。その後、社会に出てからも同じ場所で長く勤めることが出来ず、出奔を繰り返す。兄弟とも関わりはあるが、極めて冷淡なものだった。
本書を読み進めて行くと、永山の生来の性格もあったのだろうが、そこに生育歴が加わり、人との関係をうまく結ぶことが出来なくなったのではないかと思えてくる。
親はなくとも子は育つ、と言う。だが苛酷な環境で育つ子どもは、やはりどこか、「育ちきれない」部分を抱えてしまうのではないか。
一方で、この母を責めることも躊躇われる。母は貧困から抜け出す術があることに思い及ばぬほど困窮していた。母自身もまた、ネグレクトと言ってもよいほどの幼少期を送っていた。
この物語の主人公は永山だが、石川医師の物語もまたある。石川医師は、この事件の鑑定に関わったことで、それまでの人生の舵取りを大きく変える選択をすることになる。
それは1つには、この物語が、「理解ある人物との出会いで、かたくなな心がほどけ、更正・再生した人間の物語」というような、単純な図式を辿らなかったからともいえる。
永山は結局のところ、人との関係を結べるようになったのか?
裁判が大きな騒ぎとなっていく中、石川医師は大きな落胆を覚えることになる。その後、犯罪精神医学の現場を去り、臨床へと向かっていく。
これはまた、本書のもう一つの山場でもある。
永山は決して知能が低かったのではなかった。
本を読み、特にドストエフスキーに傾倒し、四男である自らを『カラマーゾフの兄弟』に登場するスメルジャコフになぞらえている。事件前の最後の出奔の前には、『罪と罰』を読んでいた。ラスコーリニコフが老婆を殺したところまで読み、本を置いてきてしまったことを、永山は残念に思っていた。
彼が『罪と罰』を最後まで読んでいたら罪を犯さなかった、というほど、ことは単純ではないだろう。だが、もしもこうした本のことを語り合う友人や家族がいたならば、あるいは違った結末があった、かもしれない。
最初の犯罪に手を染めるまでの彼は、何者かに対する恨みを腹の中にためながらもどこか怯えた子どものようでもある。
亡くなった被害者が複数いる以上、軽々しいことは言えない。
だが、断罪することが、最良の、あるいは唯一の道だったのか。
そして、人が社会生活を営めるか社会から外れていくか、その境界はそれほど確たるものではないのではないか。
その問いが残る。
著者の熱意を感じさせる労作である。
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被告だけではなく鑑定人にもドラマがあった。
PTSDの概念を精神鑑定に持ち込み、また家族力動に深く切り込んだ、異色な大作として名高い石川鑑定。その鑑定を、母子関係や兄弟関係に焦点を当てて分かりやすくまとめられている点も評価できるが、それ以上に、本件以降石川医師が犯罪精神医学の表舞台から姿を消した経緯や、永山の処刑後15年(鑑定から約40年)を経たラストに至るまでの鑑定人をめぐる描写が、静かだが強く心に残る。
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3月終わり、内科の長ーーい待ち時間のあいだに読み、4月になってもういちど読む。
雑誌『SIGHT』の冬号では、斎藤美奈子選「青春の3冊」のうち1冊が、この『永山則夫』だった(他の2冊は『世界泥棒』と『青春と変態』)。
高橋源一郎が、「『無知の涙』だと、勉強する機会もなかった青年がああいう事件を起こして、それで獄中で学んで書いたっていうストーリーだったでしょ。違うんだよね。…(略)…僕たちは『無知の涙』のせいで、永山に関するイメージを持っていたけど、違ったんだなっていうふうに訂正させる力はあるよね」(『SIGHT』p.163)と語っている。
私も永山則夫の『木橋』や『無知の涙』を読んだことがあるけど、まったく知らなかった石川鑑定の存在、1年近くかけて永山と対話した石川医師によるその鑑定記録を読んでみて、私は永山作品の何を読んでいたのだろう…と思った。
永山則夫による連続射殺事件は私が生まれる前の年に起こり、永山は私が生まれるちょっと前に逮捕され、1997年に死刑が執行された。当時、職場で新聞7紙のクリッピングを担当していた私は、朝刊の大きな見出しをおぼえている。永山はいわゆる団塊の世代にあたり、『二十歳の原点』の高野悦子も同年生まれだ。私とちょうど20違う。
永山事件では、当初、重鎮・新井尚賢医師による永山の精神鑑定がおこなわれた。それなりのボリュームがあり、必要な事項をそつなくこなしたものだったが、多くは家裁の記録や警察と検察の供述調書に頼るもので、永山の生い立ちについては「幼少期における生活環境の影響は少なくない」と書きながら、それ以上まったく踏み込んでいなかった。
永山則夫の弁護団から第二次精神鑑定をお願いしたいと依頼を受けた石川義博医師は、いったんは断った。だが、今ある資料だけでもこれほど悲惨な幼少期を過ごしていることが明らかなのに、その内容を分析もせず「影響は少なくない」のみで切り捨てている新井鑑定を、石川医師はみすごせなかった。
少年があれだけの重大事件を犯すには相当な事情があるはずで、それをカウンセリング的に、永山に自由に話してもらいつつ、話したがらないところを尋ねながら、焦らず急かさず、「本当に医師を信頼して語ることが出来るまで、待つ」という姿勢でやろうと、石川医師は考えた。
▼「永山が犯した罪について"あなたはこうだったんでしょう"とか"だから犯罪やったんでしょう"と言ったって本人はピンとこないですよね。彼自身が納得するためには、自分の言葉で、自分の体験したこと、心にうつったこと、目にうつったことを整理していかないといけないと思って。新井鑑定の『劣悪な幼児環境の影響は少なくない』という一言が本当なのかどうか、それを確かめるためにも、永山自身の言葉で語らせるしかないと思いました」(pp.58-59)
石川医師が永山と向きあい、鑑定にかけた期間は278日間。その際の永山の語りを録音した100時間以上のテープを石川医師は手放さずにいた。「貧困がうんだ悲劇」と言われてきた永山事件、「金ほしさ」の犯行とされた動機について、永山自身が真実を語っている。そうして書かれた鑑定書は、細かな文字で二段組、182頁の厚さがあった。
その内容は、「被告人、永山則夫が生まれてから事件を起こすまでに経験したあらゆる出来事の詳細と、それに伴う彼の心の軌跡、さらには犯行後の心境に至るまで膨大な情報を網羅していた。また永山則夫本人に留まらず、永山の両親の結婚生活や極めて複雑な兄弟の関係、永山の父方と母方それぞれの三代から四代前までのルーツを辿り、まさに永山則夫へと続く一族の系譜まで掘り起こしていた」(p.13)というものだった。
この本は、石川鑑定とそのもととなった永山の語りを録音したテープをもとに書かれている。「犯罪行動とその心理」を理解するには、石川鑑定ほどの質量がなければ無理だろうとつくづく思った。だが、この石川鑑定は、あれほど長時間自らを語った永山からも「これは自分の鑑定じゃないみたい」と否定されてしまう。
二審の無期懲役判決で裁判官は石川鑑定を参考にしたと思われるが、最高裁が差し戻したあとは、まるでなかったかのように一切触れられなかった。
石川医師は、あれだけの時間と労力、知力を尽くしてやったことにいったい何の意味があったのかと思ってしまった。永山自身の批判にしても、精神療法であればまた話し合い、お互いに納得もできる。けれど、鑑定ではそれはできない。「反論も対話もできず治療にも結び付けられないのなら、二度とやるまい」(p.309)と石川医師は決意し、実際、以後は犯罪精神医学の道をすっぱり退く。しかし、鑑定で永山が語り尽くした録音テープだけはどうしても捨てられなかった。
著者がこの本で書こうとしたのは「家族」だ。
▼少年事件の根を「家族」という場所に探ろうとする時、必ず問いかけられる疑問がある。
──同じ環境に育った他の兄弟は、立派に成長している。
このもっともらしい問いかけは、少年の心の闇を照らし出そうとする光をいつも遮断してきた。しかし、100時間の独白は、その問いに対しても明白な答えを突きつけていた。(p.8)
この本でも、永山の語りに添って、家族のこと、優しかった長姉セツのこと、兄のひどい暴力、自分を「三度捨てた」母のこと、ほとんど記憶にない父のことが明らかにされる。石川医師は、幼い則夫を母代わりに世話した姉のセツと、母のヨシにも話を聞いている。母もまた、母に捨てられた子ども時代を送っていた。
それらをふまえて「たとえ同じ屋根の下、同じ両親の下で育った兄弟であっても、その時々の夫婦仲や経済状態によって子どもが育つ環境はまったく違うものになってしまう」(pp.68-69)と著者は書く。
▼戦前、夫婦仲は必ずしも悪くはなかった。特に網走に越してからふたりは協力し、三人の子を高校まで出している。しかし、夫が戦地から帰って来て、ふたりの亀裂は深まった。永山が生まれた昭和24年(1949)、夫の博打三昧を主因に家庭は崩壊の危機に瀕し、大勢の子どもたちを抱えた母ヨシは心理的にも経済的にも追い詰められていた。そんな最中に生まれた永山のことを、母は以前、「法律がなかったから流せなかった」とも語っている。
歓迎されない子を身ごもった上、生まれてみたら憎らしい夫に何から何までそっくりときた。心に積らせてきた夫への憤��は、一気にその子へとぶつけられることになった。網走で、幼い永山に乳もやらず、その世話を長女セツに任せっきりにした理由は忙しさだけではなかった可能性もある。(p.115)
永山にとって「愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうもの」は長姉のセツが与えた。だが、セツは精神を病み、幼い永山のそばにずっといられなかった。小学校の6年間、ほとんど欠席ばかりの永山が、5年生のときだけは風邪で休んだ数日をのぞき毎日出席している。その1年は、症状の安定したセツ姉さんが病院から帰ってきた時だった。
▼それまで何年も不登校だった子どもが、たったひとりの人間の存在で、せっせと学校に通うようになるのである。成績表を見る限り、5年生の時に際立って成績が上がっているわけでもない。それでも永山は6日しか休んでいない。幼い子どもにとって、愛する人から愛情を注がれることがいかに大切で尊いことか、石川医師が注目した小学校の出欠記録は示している。(pp.126-127)
その日々は長く続かなかった。石川医師は「惜しい」と思う。網走で、母代わりだったセツ姉があと数年永山のそばにいてくれたら、あるいは青森の家に退院してきたセツ姉が発病することなく永山に愛情を注ぎ続けてくれたら、永山の人生は全く違うものになっていただろう、と惜しむ。
永山は集団就職で東京へ出てきてから、短い間に職を転々とする。辞めるきっかけはいつも同じ、「人間関係を作れず孤立して、何をされても被害的に受け止めてしまい、果ては身ひとつで逃げ出すというパターン」(p.175)の繰り返しだった。
自分自身を一人前にしようと永山は努力するのだが、空回りしてしまう。石川医師は、その背景をこう分析する。
▼「人が努力をしようと意欲を出すこと、つまり努力のエネルギー源は、愛情とか褒められるとか尊重されるとか、そういうものがなければ続かないし実らないんです。…(略)…それで自信や安心感を得て、やる気、努力する力が出てくるわけなんです。…(略)…いわば人間の根っこです、基本的信頼感とも基礎的信頼感とも言いますが、それがなければ人間は成長できないし努力もできない。」(p.217)
根っこがないまま努力を続け、永山は疲れ、くたびれ果て、さらに悪くなってゆく。転職を繰り返し、自殺未遂を何度も繰り返すまで自分を追い詰めていく。職場に入った最初は、熱心に働く。それは「過去の嫌な自分を消し去り、自分の弱さを補償し、完全なよき人間に変身するため」(p.218)である。だが、人間関係をうまくつくれず、誰にも相談できず、それでも頑張り続けて、無理が積もってゆく。そして、何かきっかけがあると前後の見境なく、逃避する。
東京で頼った兄たちにも見捨てられ、「セツ姉さん以外の人、全部、憎んだね…」(p.268)と、永山の心のなかには怨みがうずまいていた。その怨みが、偶発的だった東京と京都の事件のあとの、函館と名古屋の事件となってしまう。だが、その「殺人の動機」を永山はみごとに隠し通した。石川医師の前で語るまでは。
著者は大谷恭子弁護士(『それでも彼を死刑にしますか 網走からペルーへ 永山則夫の遙かなる旅』を書いた人)の話を引いている。
▼「少年事件を��当すれば誰でも気がつくこと、それはあまりに偶然が左右するということです。あの時この人と会っていれば、この一言があればということがすごく多いのです。成長期の不利益条件は誰もが抱えていて、うまくいけば乗り越えられるし、運が悪ければ外れっ放しになる。その分析を石川鑑定は見事にこなしています。少年の更生可能性は、時間をかけなければ判断できません。永山君が『新井鑑定』では語らなかったけれど、三、四年が経ってやっと語れたように、その時間が必要なのです。どうしてこうなったのかという理由は、少年事件は原因に近いから探せば分かる。それが今、まったくやられてないのが残念でたまりません」(p.342)
著者はこうも書く。
▼日本の司法は、人々が納得する応報的な刑罰を科すことばかりに主眼が置かれ、被告人を事件に向かわせた根本的な問題に向き合ったり、同じ苦悩を抱える人々に示唆を与えるような修復的な機能はほとんど果たしていません。近年の裁判員裁判では、審理の効率化や裁判員への負担軽減ばかりが優先され、被告人に向き合う作業はますます疎かにされているように感じます。
被告人に全身全霊で向き合い、結果として治療的でもあった石川医師の試行錯誤には、事件について本質的な洞察を深めるためのヒントが随所にちりばめられています。核心を衝いたその取り組みは司法の場であまりに軽んじられましたが、それを生かしていくのに手遅れということはないはずです。(p.346)
永山が死刑執行の朝まで自分の独房に置いていた身の回り品の中に、ビニールをつなぎ合わせたカバーで大切に包まれた「鑑定書」があった。永山自身がたくさんの書き込みをしていた。他の裁判資料はすべて宅下げにした永山は、死刑執行のその日まで「石川鑑定」を手放さなかった。おそらくは、鑑定書に記された自身の生い立ちと、母の人生を繰り返し反芻したのだろう。
この『永山則夫』のあとに、『ルポ 虐待』を読んだ。大阪の二児置き去り死事件を起こした若い母に、石川医師のように全身全霊で向き合った人はひとりもいないのだろうと思った。100時間以上の録音テープや8ヵ月をかけた鑑定書とは比べられないとはいえ、なぜ彼女があの事件を起こしたのかを本当に理解するには、もっともっと時間が必要なはずで、裁判は何を明らかにしたのだろうと思う。
もうひとつ、「永山のルーツを辿り、一族の系譜を掘り起こした」という石川鑑定について読んで、『週刊朝日』で橋下徹の「本性」を暴こうとした記事の問題のことを考えた。永山の事件は「貧困が生んだ事件」とさんざん騒がれた。その見立ては全くの誤りではないのだろうけれど、貧困のなかでなぜ犯罪に至った者とそうでない者がいるのかは説明できないし、永山の動機もそれだけでは理解できないだろう。『週刊朝日』の取材班がやろうとしたことと、石川鑑定がやったことと、どこが違っているのかを、ちょっと考えてみたいと思った。
永山が事件に使った拳銃は、手のひらに隠れるような、欧米では女性の護身用に使われるものだった、というのも私には発見だった。
※誤字
p.350の参考文献リストの2行目
『発達傷害と司法』浜井浩一・村井敏邦編著 現代人文社
→発達【���】害の誤り
(3/31一読、4/23二読)
※『DAYS JAPAN』2014年1月号、堀川惠子「封印された鑑定テープ 永山則夫が語った100時間」掲載
※NHK ETV特集「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」(2012年放映)
https://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html
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法廷の場において検察や弁護士は真実を追求するとは限らない…しかし裁判官までもがそうであるという現実にぼくのような小市民は愕然とするわけですが、裁判においても政治的な力があらゆる方向に突き動かしていることを永山の裁判の経緯は如実に示しています。本題は永山自身の声を録った鑑定記録で、ノンフィクション風に書かれた生い立ちには、立ち直るほんのわずかなチャンスがことごとく潰えていく様を見るにやれん気持ちになります。脊髄反射的に加害者を糾弾する世論へ疑問を投ずる、重厚な一冊と思います。
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話題の書である。今さら永山則夫と思ったが、当時の雰囲気のみの記憶でしかない。力作である。誠意が感じられる。が、やはり4人を射殺した事実は重い。
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死刑から 15 年、犯行から 44 年を経た 2012 年に発見された鑑定記録。一審の中で二度目に行われた石川義博氏の精神鑑定の生の録音テープ百時間分。そこから描き出される永山則夫の生涯。
当初、二ヶ月は要すると言って始めた鑑定が九ヶ月に伸び、石川氏と永山の間に信頼関係ができたと思え、永山の実像にかなり迫ったと思える鑑定書ができる。しかし、それを読んだ永山は「自分の鑑定じゃないみたいだ」と言った。それは全身全霊を注ぎ込んできた石川に衝撃であり、先駆者であった犯罪精神医学をすっぱり辞めるほどのものであった。
しかし、死刑執行後、遺品の中に石川鑑定があった。そこには永山がこの鑑定を何度も読み返した記録があった。そのことを石川が知ったのは、2008 年。永山から話を聞き続けたことの意味を実感できた時であった。
石川鑑定は、一審の裁判官を驚かせ、死刑は無理じゃないかと言わしめる説得力があったが、裁判の結論は鑑定とは関係なく決まっていた。しかし、二審で死刑が覆されたのには、石川鑑定の存在があった。