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菅直人首相のブレーンらしい。しかし、管首相は神野氏の何を理解しているのだろうか。なぜ消費税なのか?
神野氏は新自由主義を本書で徹底的に批判している。
管首相は竹中平蔵氏にも景気回復への提言を求めているらしい。
神野直彦氏と竹中平蔵氏、相反すると思われる思考の中で菅氏はどちらに軸足をおくのか。税制見直しの方向では両氏は反する持論を述べている。
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ブレトンウッズ体制とは金融を社会の主人公とするのではなく、金融を社会の下僕にしようと考えていた。
新自由主義は知否サナ時代へと復古を目指す。
知識を売り歩くのは知識人ではなく、知的技術者。知的技術者は知識を分かち合い、知識を創造することなど望むべくもない。知識社会における知識の革新は金銭的報酬という願望ではなく、知識を分かち合い、学びあう衝動によってもたらされる。
知識社会の基軸的な役割を果たす大学が存在しなくなってしまった日本では大学を大学として再創造することなしには、未来を築くことはできない。
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人間性の尊重と、持続可能な社会づくりを目指し、「分かち合い」の視点から財政政策の提案を行います。理想主義的に過ぎるかもしれません。ただ、社会がバラバラになる前に必要な取り組みのはず。部分的にでも実現に向けたステップが進みますように。
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「分かち合い亅とは、「悲しみの分かち合い亅である。一見するとネガティブに感じるが、悲しみのの多い人は悲しみのの負担がすくなくなり、余裕のある人は悲しみを負担がすることで、存在欲求(必要とされる)を満たされ、幸福になる。
先進国は、工業化社会が終わり、ポスト工業化社会を模索している。これは、所有欲求から存在欲求へのシフトであり、モノを作るだけでは存在欲求を満されない。存在欲求を満たすためにはモノやサービスを創造する知識をベースといた社会構想が必要である。
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新自由主義批判がこれでもか・・・とされている。
確かにそうなのでしょうが、くどすぎて全体がぼやけてしまいます。
「分かち合い」はどこか共産っぽいですよ。
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スウェーデン社会を例に痛みや幸せを社会全体で分かち合う経済システムの構築を唱える。フレクスキュリティの根底に流れる、社会と国民の約束を明らかにする
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幸福を「奪い合う (競争する)」のではなく、「分かち合う (協力する)」ことで危機を乗り越えられる。
大量生産大量消費という工業社会から知識社会への転換を図るべき。基本戦略は以下の3つ。
1.人間が学び続けることができる教育環境 (リカレント教育)の充実。
2.人間の健康を保つための医療と生活環境。
3.人間同士が信頼し合える絆の育成。
前提として、新産業を創る冒険で失敗しても安心できるセーフティネットを張ることが重要。
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[ 内容 ]
深刻な経済危機が世界を覆っている。
不況にあえぐ日本でも失業者が増大し、貧困や格差は広がるばかり。
この「危機の時代」を克服するには、「痛み」や「幸福」を社会全体で分かち合う、新しい経済システムの構築が急務だ。
日本の産業構造や社会保障のあり方を検証し、誰もが人間らしく働き、生活できる社会を具体的に提案する。
[ 目次 ]
第1章 なぜ、いま「分かち合い」なのか
第2章 「危機の時代」が意味すること―歴史の教訓に学ぶ
第3章 失われる人間らしい暮らし―格差・貧困に苦悩する日本
第4章 「分かち合い」という発想―新しい社会をどう構想するか
第5章 いま財政の使命を問う
第6章 人間として、人間のために働くこと
第7章 新しき「分かち合い」の時代へ―知識社会に向けて
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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経済危機、雇用情勢悪化に直面する日本。その中で日本を覆う「奪い合い」というゼロサム的な経済観から脱却し、「痛み」も「幸福」も分かち合う経済システムの構築を論じたのがこの本。著者曰く、当書は「希望」の本ではなく「絶望」の本。
私は日本人には自分たちの「世間」に属さない者(同じ意見を持たない者)を、理解しえぬ存在として冷淡に扱う部分があるのではないかと思う。そういう意味で著者の見解には賛同できる。
著者は新自由主義が「法人税、所得税中心の税制から抜け出し、自己責任で生きていけ、という一方で貧しい者からも消費税を負担させ」たり、「失業と飢餓の恐怖を鞭に経済的活力を高め」ようとしたりするものとして痛烈に批判している。
市場原理を盲目的に信奉する新自由主義は福祉国家論のアンチテーゼに過ぎず、労働者の発言力は縮めますが、企業の発言力はより拡大するものに他ならない。こうした一連の新自由主義批判は興奮気味になっていますが、大筋で納得できるものになっている。日本の税制だと、所得再分配の機能がアメリカよりも小さかったのには驚き。
後半の大量生産、大量消費社会から、知識社会(クリーンエネルギーなど)への転換や、型にはめる「盆栽型教育」から、伸びたいように枝葉を伸ばす「栽培型教育」への転換といった方向性にも納得。これは知識の分かち合いにもつながる。
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新自由主義の構造は、行き過ぎると非人道的な構造となり、不景気、格差、貧困などを生み、私たちの社会を生きずらいものへとさせていく。
スウェーデン社会のような福祉国家だけがいいかは分からないが、行き過ぎた新自由主義体制をスウェーデン社会を模範にほどほどな社会へと改革をする必要がある事を、歴史的背景と経済学の視点から教えてくれ本です。若者も含め、富裕層以外の、全ての人が今は弱者になっている。今の新自由主義体制の生きずらい社会が危険かつ、人間らしい生き方すらもはや平等にできなくしているんだと感じました。(YEC 逢坂)
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新自由主義と市場原理主義糾弾。
主張がやや観念的に過ぎるきらいがあり、また、もう一歩踏み込んだ提言などが欲しいところ。
ただしレポート用の本としてお世話になった気がしなくもないので登録
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今年の経済テーマの1つになる予感がする、「シェア」の考え方を先取りした本かな、と思って図書館で借りてきました。
でも(神野氏の考えのベースを知らなかったこともありますが)だいぶ方向性が違いますね。
21世紀以降、とくに小泉政権以降顕著になった、新自由主義のもとでの競争社会、格差社会を強く批判しています。行き過ぎた新自由主義が、目先の利益に走りすぎ、株主にばかり慮る状況になり顧客や従業員にしわ寄せがくる事態を招いていることは、私も感じるところです。
(株を持て、投資しろ、ということかもしれないですけど、まじめに働く人間が報われないのはどうかと。)
とはいっても、スウェーデンにならった社会保障を導入することが正しいとは、自分には思えないところがあります。
北欧諸国の実態を知らないのですが、この本に書かれているようなきれい事では済まないはず。知っている範囲では、企業への支援はほとんど行われず、ボルボなどの大企業も再編を余儀なくされる国だと聞いています。スウェーデン的な制度が日本に導入されたとき、大量の失業者を生むことになるのではないかという不安も大きいのではないでしょうか。
冒頭の子ども手当導入に対する世論への言及も、何か当を失している感じがしました。
子供のいない世帯からの批判を「思いやりの心を失った」と指弾していますが、本文では社会福祉はカネではなく、サービスで行うべしとあり、結局(著者が非難している)世論の批判は当然の帰結であるといっているのではないかと、矛盾を感じてしまいました。
そして、「同一労働、同一賃金」は、やっぱり違うと思う。単純労働なら「同一労働、同一賃金」でいいのかもしれませんが、いまの日本に求められているのは、働く人一人一人が自分の頭で考えて成果を上げていくこと。とくに自分の職種(IT開発)は、人による作業能率が10倍以上違うこともあるので、成果を出せる人間に傾斜した賃金を与えるほうが適切ではないかと思うのです。
自分が期待している「シェア」は、政府や自治体に頼らず、民間である私たち一人一人が、自分が持つもの(情報など無形のものも含む)を他者に提供し、持っていないものを他者から提供を受ける、相互依存的な関係です。
そして「シェア」はボランティアである必要もなく、ビジネスでも全くかまわない。むしろビジネスとして、自分と相手だけではなく、仲介者や社会全体も巻き込んで、ものや情報の共有でみんなにWin-Winの関係を作り出すように、社会の仕組みを作ることが待たれているのではないでしょうか。
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言わずと知れた?スウェーデン礼賛主義者(僕が勝手に名付けました)。
高福祉国家として有名なスウェーデン。しかしそれだけに留まらず、毎年経済成長を遂げていて、『福祉と経済を両立させた国』の先駆的存在として世界中から注目されています。
さて、その真髄は…いち早く産業構造の転換を図ったことが奏功したと言います。重化学工業に翳りが見え始めた1990年代、スウェーデンは来る知識産業を見据え、教育サービス、福祉サービス、医療サービス、セーフティネット等の広義の福祉を国家的に推進。決め細かいサービスを提供する代償として高い税負担を国民に求めています。
重化学工業から知識産業へ…。画一的な大量生産と大量消費がセットになっていた時代から、多様なニーズが増えてゆくと考え、つまり量から質への転換を図ります。質の向上を目指すには人間の創造力や発想力等が必要で、それを支えるための教育を充実させ、総称して次世代の産業を知識産業と呼ぶに至った。
翻って日本は産業構造の転換を図る気が無く、明確なヴィジョンが見えない。
知っての通り、日本のこの不況の中、いくらサービス給付を充実させたとしても、そもそも職があるのかという疑問は拭えません。まだまだ地方と首都圏の差が大きく、首都圏では多様な職種や業種があるにしても、地方に至っては福祉関係と土木、建設関係しか仕事がありません。その点については言及されていないのは残念です…。
抜粋は多いですが、それだけでも十分一読に値します。ただ、経済や財政の知識がある程度前提とされているため、予備知識が無いまま初めに本書を読むと少し難解かも知れません。
キーワードは『産業構造の転換』。僕の評価はSです。
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ビデオニュースでの発言はよかったので、早速読んでみたが、参考になったのはビデオニュースで取り上げられていた部分のみで、この著作自体は新自由主義への誹謗中傷ばかりで読むに耐えない。本を読み進むにつれて、彼が新自由主義といっているのは単に現政権(含む官僚機構)のことだと読み替えればよいことに気づいた。彼の立場は「サヨク」であり、私は自由主義者であるが、現実の訳のわからない政治を問題視していることに関しては同じである。その原因を新自由主義に求めるのか、非効率な官僚機構と利権構造に求めるのかの違いかもしれない。しかし、グローバリゼーションや肥大化し民意を反映しない官僚機構に対する批判をしない姿勢は容認できない。
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高校の現代社会の先生に、福祉関係の本でお勧めのものありませんか、と訪ねたところ、勧められたのがこの本です。
この本で語られているのは、「分かち合いの大切さ」ですね。
分かち合わないからこうなっちゃうんだ、みんな分かち合おう!!みたいな反復命題文章(←出口先生の現代文ターム・笑)が多かったです。
歴史の話があったので、自分用にちょっとメモ。
・国が、自分一国が良ければいい、
と「近隣窮乏化政策」をとるから、
第一次世界大戦が起きてしまった
(ブロック経済、植民地拡大、とか、あのへんの話)。
・第二次世界大戦の総力戦体制を構築するには、
国民が苦難を分かち合うことが重要だった。
故に高率の法人税と、高い累進性の所得税を基幹税とした。
戦後社会もそれを継承し、スタートした。
・第二次世界大戦後の
混合経済と福祉国家が機能する前提条件は、
資本逃避が生じないよう資本統制を行う権限が
国民国家に付与されていたこと。
・1973年は、「パックス=アメリカーナ」解体期の象徴の年。
三つの事件が起きた。
①CIAが関与したらしい、チリ大統領の惨殺。
→新自由主義の押しつけの結果、
アメリカ自身が「民主守護」を引き裂いた。
②オイル=ショック
→中東というパクス=アメリカーナの火薬庫が
火を吹いたという政治抗争のドラマだけではない。
これまでパクス=アメリカーナを支えてきた、
重化学工業を基軸とした産業構造の行き詰まりの露呈。
③ブレトン=ウッズ体制の崩壊
上の歴史の話ですが。
政治経済の授業を聞く前は、何書いてあるのかさっぱりで投げましたが、やっと分かるようになりました。
私ってば18才なのに恥ずかしい、と思いつつ、これがすんなり頭に入るようになった自分の成長に感動した(笑)
お勉強って、やっぱり楽しい!!
分かち合いの大切さを謳うってことは、切り捨てに反対するってことでもある。
「技術革新にチャレンジせず、人間を無慈悲に切り捨てる企業は、次世代の担い手になり得ない」みたいなことも述べています。
知識社会にシフトするため、それに適合した技術革新の必要性も説かれていますね。
それから、知識社会になり、女性も社会進出できるようになり、彼女らがこれまで強いられてきた家庭内労働(家事、介護、子育て)ができなくなった分、それらを補強する必要性があるのも述べられています。
小さな政府への批判が展開されます。
小さな政府は、「大きな企業」の権力をより大きくすることで、労働者を小さくしてしまう。
上記の、これまで女性に求められていたものを補完する、対人サービスが整備できない。
アメリカのカリフォルニア州のように、社会的秩序機能を強化する羽目になり、治安維持費が教育費を上回る(=「分かち合い」経費は少なくなっても、財政支出は抑制できない)。
で、その話の流れを受けて、市場主義を批判しています。
市場原理は民主主義に反する。
なぜなら、民主主義は一人一票が与えられているのに対し、市場では貨幣に応じて権力が与えられるからだ、と。
わかりやすくて上手な説明だな、と思います。
で、たしかに日本は増税に対する反発が強いけれども、それは「分かち合い」に使われないからなんだ、と述べている。
よって、増税反対機運が強い日本では「分かち合い」は不可能だと主張する新自由主義派の主張は成り立たない、という話にもっていく。
なるほどですね。
で、神野先生は、この危機の時代に求められているのは、スピードのある決断ではなく、慎重な判断だとおっしゃっている。
そして、次の社会のヴィジョンを明確に描くことが必要――「予言の自己成就」と。
……いや、でも、ねぇ。
私にはいまいち、よくわかりません。
実現可能なの?みたいな。
垂直的より、水平的な社会福祉がいい(スウェーデンを代表とした、スカンジナビア=モデルを参照しつつ。)
知識社会には、型にはまった応用性のない「盆栽型教育」より、伸びたいよう伸ばしていく「栽培型教育」のほうがいい。
一生学び続けることが大事。
……でも、そんなこと、できるの?
私は今受験生だけれども、大学受験は、知識の詰め込みが求められている。
応用なっていったって、予備校や参考書が提供するテクニック。
大学は重箱の隅をつついて叩き壊すような悪問を出す。
そんな中で、のびのびとした教育なんて無理だと思う。
私の学校は対象自由教育の伝統(悪習?)を引き継いでいる学校で、受験に役立たない授業も大量にある。
楽しいけれども、受験生にとっては大変。
外界(受験)に適応するため、死にかけている生徒もいる。
どんなに理想を振りかざしても、それを社会は許さない。
ひとたび流行ったAOも、「受かった子が怠けて英語力低下」「就職率が悪い」と雑誌が書きまくったおかげで、発展の芽が摘まれた。
大学だって、教授が自分の思想に偏った授業をして、意に合わないと「不可」にする。
社会に出ると、慣習に従わされる。
そして、日本の社会構造からして、一度レールを外れると(ex.もう一回学校で学びたい)、もう戻れない。
一生その企業に勤める、「擬似共同体としての日本企業」神話や、安定志向。
新しい社会、新しい思想にシフトしていくのは、出来るのだろうか?
どうやればいいのか。
そういった点で、この本は理想論に終わっちゃっているような気もする。
……私みたいな子どもが、何偉そうに言ってんだ、という気がしないでもない。
以下は、個人的に気になったこと。
プルトニウムは「プルート」(=冥界の神)から来ている。
原子力も再生不能エネルギーである。
死の世界の神を人間は弄ぼうとしているが、危険。
……といったことが書いてありました。
東日本大震災から半年以上たった今でも、原子力の話に触れると、考えさせられます。
神野先生は風力発電など、再生利用エネルギーの尊さを説いていらっしゃるが、実現は難しい。
さっきから先生、それ実現できるの?といった所��多いけれども、いろいろ案を出すのが社会科学なのかな。
垂直的より、水平的な社会福祉がいい、のくだりで出てきた生活保護の話。
皆一律のサービスが受けられるが、所得の高い人々から金を徴収することで機能する。
で、みながハッピーという話。
そう、確かに生活保護のシステムは、機能不完全に陥るのだ。
受給しているか否かで雲泥の差が生じる、
故に受給へのバッシングが起き、水準が引き下げられる。
或いは、条件が厳しくなっていき、受給のために「擬態」する人が出て、バッシングされて……の悪循環。
いい社会って、どうすれば作れるんだろう。
つくづく考えさせられます。