紙の本
福島第一原発の現場の日常を描くノンフィクションの力作
2021/12/02 18:20
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島第一原発事故から10年、今年はコロナ禍もあって原発事故関連の報道がかなり少なくなったと感じることはないでしょうか。自然災害も多いですし、報道すべき事柄も次々と発生するので、ある程度は仕方ないのかもしれないですが、決して忘れてはならない現場であることを想起させるノンフィクションです。
本書は原発事故現場で働く作業員の方への取材をもとに、苛酷な作業現場の様子、マスコミで報道されない問題点が紹介されています。
詳細に述べられているのは劣悪な労働環境です。被ばくの危険性のあるエリアでの作業では、全面フェイスマスク、防護服、さらにカッパを重ね着し、手袋もゴム手を2重にした上に軍手を付けると言った重装備を真夏でも強いられます。フェイスマスクに溜まった汗が口から入って来たり、目に汗が入っても危険エリアではフェイスマスクを取ることもできないといったリアルな証言が紹介されています。
通常の現場とは異なり、作業員の被ばく線量管理が必要とされます。事故発生直後は線量計の数が不足したためグループに1台のみが支給される状況で、とても作業員一人一人の被ばく線量管理が実施されていたとは思えません。線量計が全員に支給された後においても高線量の作業では数分で被ばく線量の管理上限値に到達してしまうため、作業がほとんど進展しない状況を避けるために被ばく線量をごまかす目的で鉛の板で作った小さな箱に線量計を入れて携帯したり、わざと線量計を携帯しないケースなども頻出したとの証言が紹介されています。
これほどの厳しい労働環境であるのに、作業員のモチベーションを下げてしまう事柄として2011年12月の「事故収束宣言」、東京五輪招致での2013年IOC総会における「状況はアンダーコントロール」等の政府の発表に振り回され、重要な作業工程が変更になったり、原発敷地内の除染の進行とともに作業員の危険手当が省かれたり、多重請負による手当の中間搾取や、労務管理の不備など、挙げればキリがない現状が作業員の方への取材で明らかになっています。
原発での作業の通じたベテラン作業員が被ばく線量管理の上限に達して次々と現場を去り、不慣れな作業者や業者が作業を担う現状に対して、解け落ちた核燃料のデブリの撤去など更にハードルの高い作業が待ち受ける今後に、本当に廃炉が達成できるのか警鐘を鳴らす貴重な報告だと感じました。
紙の本
大丈夫なのか
2021/05/18 08:58
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2011年の事故発生以来、福島第一原発事故処理の現場で作業する人達を丁寧に取材して綴った、労作である。著者は現場で働く人々よりも先に震災後8年目に咽頭癌にかかってしまったという。今はすっかり元気になったそうだ。
およそ10年近い記録なので一気に読み通してしまうのは惜しいので、少しずつ日数をかけて読み終えた。現場の詳細を知れば知るほどさもありなんと思う一方、情けなってくる。事故の原因はそもそも多くは東京電力の地震・津波対策の不備にあり、安全神話に覆われた原発、東京電力のそれまでの不誠実ともいえる管理体制にも危険な要素が多々あった。
事故後、歴代の日本の首相も訳の分からない発言をくり返す。政党でもなく人間性でもなく、皆同じ権力をもつ政治的立場の日本人だ。東京電力は最悪としても事故処理工事を請け負うゼネコンや原発関係会社の無節操、ご都合主義には改めて驚く。こんなことで安全な廃炉工事、作業ができるのか心配だ。
福島原発の受益者は東京電力配電下の首都圏の人達だ。東京電力利用者も加害者側に立っていると思うが、利用者にその意識は薄いだろう。懸念材料は山ほどある原発事故だが、本書によって多くの懸念は確実な不安に変わってしまった。これから本当に大丈夫なのか。
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命をかけて私たちの命を守ってくれている。廃炉に関わる作業員の方たちには感謝しかないけれど、その真実を知っている人々はどれくらいいるのだろう?イチエフの真実を知れてよかった。風評に踊らされずにきちんと見つめるべき問題。
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《ごめんなさい》
福島な廃炉に関わる人達は、高収入だから関わっていると思っていた。
実際は地元の人達が「自分達が関わってきたものだから、自分達がやらなくては」と使命感を持って身を捧げている。さらに他の地域から「役に立ちたい」という思いで加わっている人達もいる。
残念ながら、東京オリンピックという「余計なもの」に人員を持っていかれて人手不足。
そして支払われる賃金も「危険が減った」としてどんどん減らされている。
継続して働きたくても、期間の被曝量を超えると「リセット」されるまで無職になりかねない。酷い
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「フクイチ」「いちえふ」。現場の生の声を記録した9年間。年代を追った章立て。歴史を振り返る。忘れかけていた民主党政権。「悪夢のような」はその通り。しかし、政権変わってもよくはならない。制限解除は何のため?「アンダーコントロール」の演出か、手当削減も目的か。「故郷のため、国のため」「自分がやらなければ変わりはいない」作業員には感謝の言葉しかない。彼らがいなければ国は潰れる。しかし、その恩には報いていない。コスト削減の根本にある緊縮脳。競争原理を語る前に。2021中止を憂う前に。考えるべきことはここにある。
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ものすごく上からの言い方になるが、いいお仕事されたな(されているな)と思った。9年間地道に作業員の方に取材されている。そのきっかけも継続も誰にでもできることではないと思う。人として信頼されなければ、これだけたくさんの人が語り続けてはくれないだろう。
原発作業員の方にも頭を下げることしかできない。命を賭けて(ほんとはそんなことではいけないのだが)最前線で原発の処理をしてくださっている。想像が追い付かないほどの過酷な現場。政府や東電などの理不尽さ。腹立たしくなるばかりだが、どうしたらいいのか。
地震や津波は天災と言えるが、原発事故は人災だ。そして、その後始末は誰かがしなければいけない。その方たちは、いろいろな面で優遇されなければいけないと思うが、全く逆。家庭が壊れた人たちのことなどは身につまされる。
10年目に入り、オリンピックに浮かれていたかと思えば、コロナで苦しむ日本。原発のことがますます忘れらていく。今もこれから先も現場での作業はずっと続くというのに。
コロナもそうだが、命を賭けて働き、苦しみ、疲れるのは最前線で働いてくれている人たちだ。その人たちが報いられていないとしたら、残りの人たちを天は許さないと思う。
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福島第一原発事故から10年、今年はコロナ禍もあって原発事故関連の報道がかなり少なくなったと感じることはないでしょうか。自然災害も多いですし、報道すべき事柄も次々と発生するので、ある程度は仕方ないのかもしれないですが、決して忘れてはならない現場であることを想起させるノンフィクションです。
本書は原発事故現場で働く作業員の方への取材をもとに、苛酷な作業現場の様子、マスコミで報道されない問題点が紹介されています。
詳細に述べられているのは劣悪な労働環境です。被ばくの危険性のあるエリアでの作業では、全面フェイスマスク、防護服、さらにカッパを重ね着し、手袋もゴム手を2重にした上に軍手を付けると言った重装備を真夏でも強いられます。フェイスマスクに溜まった汗が口から入って来たり、目に汗が入っても危険エリアではフェイスマスクを取ることもできないといったリアルな証言が紹介されています。
通常の現場とは異なり、作業員の被ばく線量管理が必要とされます。事故発生直後は線量計の数が不足したためグループに1台のみが支給される状況で、とても作業員一人一人の被ばく線量管理が実施されていたとは思えません。線量計が全員に支給された後においても高線量の作業では数分で被ばく線量の管理上限値に到達してしまうため、作業がほとんど進展しない状況を避けるために被ばく線量をごまかす目的で鉛の板で作った小さな箱に線量計を入れて携帯したり、わざと線量計を携帯しないケースなども頻出したとの証言が紹介されています。
これほどの厳しい労働環境であるのに、作業員のモチベーションを下げてしまう事柄として2011年12月の「事故収束宣言」、東京五輪招致での2013年IOC総会における「状況はアンダーコントロール」等の政府の発表に振り回され、重要な作業工程が変更になったり、原発敷地内の除染の進行とともに作業員の危険手当が省かれたり、多重請負による手当の中間搾取や、労務管理の不備など、挙げればキリがない現状が作業員の方への取材で明らかになっています。
原発での作業の通じたベテラン作業員が被ばく線量管理の上限に達して次々と現場を去り、不慣れな作業者や業者が作業を担う現状に対して、解け落ちた核燃料のデブリの撤去など更にハードルの高い作業が待ち受ける今後に、本当に廃炉が達成できるのか警鐘を鳴らす貴重な報告だと感じました。
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先日の報道で、汚染水の海洋排水が決まり
ましたね。
「え?まだそんな状況だったの?」と驚く人
は多いと思います。
そうです。ふくしま原発は当初の危機は脱して
いますが、基本的には何も変わっていないのです。
「イチエフ」と呼ばれる福島第一原子力発電所で
事故後の復旧作業を行う作業員の目にしたものを
まとめたドキュメンタリーです。
事故当時、ほとんど日本では報道されなかった
「フクシマフィフティ」は門田隆将氏の「死の
淵を見た男で」紹介されて、これが映画になった
ことによって日本人もようやくこの真実に気づく
ことができました。
しかしこの本で紹介されている人たちも間違いな
く「死の淵」で闘ってきたのです。
ある者は故郷の福島を救いたい、ある者は原発で
働くことに誇りを持っている。
様々な思いを持って日本を救ったのです。いえ、
廃炉はまだまだ先なので現在も闘っているのです。
まさに「名も無き英雄たち」を綴った、後世に
残すべき一冊です。
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片山さんがフクイチで働く人たちとまさに人と人との付き合いを9年してきたからこそ彼らのそれぞれの思いや現場での過酷な状況、日常を知ることが出来た。
高い数値を示す場所にロボットが入ったりするニュースは知るけど最終的にはそこへ運ぶのは人。
それなのにそこで働く人たちが全く見えていなかったことに気付かされた。
それなのに労災以外は何の補償もないなんて…
どこが復興五輪なんだろうかとリレーが始まった今、つくづく感じる。
これからチェルノブイリのように後々どんどん被害が出てきた時に廃炉作業をする人がいるのか。
そしてこの事故を教訓にするために再稼働はあり得ないと改めて感じた。
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https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21730
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東日本大震災で爆発、崩壊した放射線まみれの福島原発の撤収作業に携わる作業員たちを著者は9年間にわたって取材する。
放射線を防ぐため、真夏でも防護服を着用し、暑くなる時間帯をさけて未明からの始業開始。被ばくを抑えるため、限られた時間での作業を強いられる。多重下請現場のため、責任者が不明で、賃金格差も大きい。そして、危険箇所や事故の情報を隠す政府や東京電力。作業員の労働環境は過酷すぎる。
また、作業員は常に線量計を身につけ、被ばく線量値が一定量を超えると、作業ができなくなり、次の仕事がなければ解雇だ。そのため、線量計をわざと忘れたり、鉛で覆うことで数値をごまかそうとする者もいる。
有期労働契約が問題になる社会の中で、数値で労働者を判断し、解雇されてしまう労働環境なんて許されるのか。こんなところに誰が望んで就労するのか。
「俺の存在は線量だけか」と、作業員はつぶやく。
そんな作業員の実態に加えて、増え続ける汚染水と労災申請。ホントに福島原発は片付くの?
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作業員。と大文字で括られるがそれぞれが1人の人間でそれぞれの考えや生活がある、ということを思い出させてくれた。それ故に個人個人の志や思いを知ると感銘を受けたし、その分ちゃんと向き合った対応をしているのだろうか?と感情がささくれだってしまう
時と共に報道が減り、実際現状はどうなのか?
これからどのように廃炉に向けて進んで行くのか?
そういった情報を積極的に取りにいってなかった自分にはとても勉強会になったし、改めて原発という物を考えるテキストとしても読めた
本当に読んで良かった
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先日、希釈した汚染水を福島県沖に流すことを決定、との報道があり、あらためて福島第一原発をとりまく状況を知りたいと思い読み始めた。
9年の歳月をかけ、作業員の人々の人生を追うように、丁寧に取材を重ねている一冊。
それぞれが、何を思って事故処理に携わり始めたのかから始まり、限界に近づく線量に怯えながら続ける危険な労働、離れて暮らす家族との軋轢やすれ違いなど、報道だけでは見えてこない現場の真実をえがく。
特に恐ろしく感じたのは、政府や東電の計画通りにことが進むことを最優先したために、到底間に合わないようなスケジュールが組まれ、作業員の心身をすり減らすことで成り立つ悲惨な労働環境になっていること。
また、11年12月の「事故収束宣言」や東京五輪誘致に際した「状況は完全にコントロールされている」といった発言は、現場の状況からすると全くの偽りであったことが明かされている。
また、事態の深刻性が露呈することを恐れ、「炉心融解」を「炉心損傷」に、「冷温停止状態」を本来と違う意味で使用するなど、体裁が最優先の姿勢には辟易する。
チェルノブイリ原発での事故において、体裁のために真実が秘匿され、ヴァシリー・レガソフによって告発されたことも思い出される。
多重の下請け構造によって、原発が出す賃金がピンハネを繰り返され、現場で放射線を浴びながら働く作業員へ渡る賃金は他の工事現場と変わらないような金額になっている。
5年間で受ける放射線の量は定められ、線量を使い切ると新たな勤務先を斡旋されることもなくアッサリ切られる、「使い捨て」の構造。日雇いが多い作業員のなかには、仕事がなくなることを恐れ線量計を現場に持ち込まず作業する人も多くみられた。
「使い捨て」にされることに苦しみながらもイチエフから離れがたく働き続ける人、家族との関係に悩みイチエフから離れ新しい職を見つける人、廃炉を見届けたいとの思いと諦念を抱えながら今できることをする人…
私自身、事故から次第に意識が薄れていったこの9年間、現場には常に危険な状況にさらされながら働き続ける作業員の方がいたことを心に刻まなければならない。
そして、著者が主張するように、この先何十年と続く廃炉作業において、現在のような非人道的な労働環境や中抜きを繰り返し雀の涙のようになった賃金、線量の限界を迎えた際に容赦なく切り捨てる雇用形態をこのままにしてはならない。
青木理氏の解説において、「ノンフィクションは徹底して「小文字」を積み重ねて紡ぐ文芸である」との言葉が紹介されていたが、本書はこの言葉に相応しい作品である。取材に応じることへの危険性に打ち勝つほどの信頼を得て、長い年月にわたってそれぞれの人生に寄り添い、彼らの言葉を紡ぎ続けたことに畏敬の念を感じる。
作業員のひとり、ノブさんからかけられた言葉「ありがとうね。福島のこと忘れず、ずっと来てくれて」にこそ、著者の9年間が詰まっているのではないだろうか…。
本当に読んでよかった。
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福島原発事故の撤去作業員に長年にわたって取材したルポルタージュ。震災から10年以上,その間ずっと被曝の危険にさらされながら事故の後始末を行っている人たちがいます。まだ事故は終わっていないことを世に伝える役割を担った,今読むべき1冊です。