紙の本
精密過ぎて捉えどころがなく、そこに魅力がある
2019/08/24 01:07
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投稿者:undecane - この投稿者のレビュー一覧を見る
平易な文章で描写性に富む今村先生の文章は一見、とらえどころがない。
風景がただ流れていくようだ。
ただ、"何か"を伝えようとしている"違和感"が一度読むと感じられる。
次に付箋紙を持ちながら"違和感"を持ったワードを追っていくと何か今村先生の意図することが見えたような気がしてくる。(あくまでも、気がしてくる)
次第に、アヒルや私、両親や"お客さん"の意味するところ、役割が見えてくる。(気がする)
一つ一つのセリフや単語が物語の中を縦横無尽にネットワークを構築し、意味のつながりを構築している。
複雑なネットワークを読者に分かり易く伝えるために、あえて美辞麗句で飾らず、平易な文章を編んでいる。
これは、芥川賞受賞作の"むらさきのスカートの女"で極められることになる。
電子書籍
ふしぎな感触
2020/02/16 18:10
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投稿者:うみしま - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞むらさきのスカートの女を読んで、そのふしぎな読後感がクセになり?手に取りました。表題のあひるの世界観は、一見ノンビリとした田舎の家族の物語のように見せて。という作者独特の世界へのイントロダクションとなり、後の2作は連作短編のような、作りとなっていますが、どこか得体の知れぬ不安定さ、わからなさがどの作品にも通奏低音のようのように響いています。この不安定さ、わからなさは、不快なものではなく、そこがクセになるという所以かも知れません。平易な言葉は、児童書のようにも見えますが、どこか不安定な感触を表しているように思います。
電子書籍
主題は?
2023/06/13 18:30
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投稿者:そうすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
短編集。すべての作品の中で共通して、「怖い」雰囲気が漂っている。
表題作の「あひる」のあひるはなんの象徴なのか、そこを読み解いていく作品。
大きな事件が起こることもないけれど、ぐんぐん読み進めてしまう力のある一冊。
紙の本
当たり前が崩れていく話たち
2020/09/23 12:38
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投稿者:梨桜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
短編それぞれを読む間に、自分が抱えていた当たり前が崩れていった。それが、面白い。
個人の常識や世界観は、他者の生活から見たら異常かもしれないけれど、それは表面化しないとわからない。
柔らかく、ちくりと、それを教えてくれた。
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この不穏さは何に由来するのか。知り合いの伝手で飼育されることとなったあひるは停滞感が瀰漫する一家に子供たちの笑いと溌剌とした場をもたらす。
だが、そこには両親の老いであったり、漠とした将来の不安であったり、弟の潜在する暴力性がひた隠しにされつつも見え隠れしており、当のあひる自体も、その病やそれこそその死そのものが明示されないままに隠伏されている。家族という場、あるいは一家を訪れる子らにとっては享楽の場そのものの恒常性を保持するがために、老いや暴力や病苦や死が、何らないものであるかのように取り扱われている。
そして、最後の情景とかを鑑みれば、こうしたことはこの家族に限ったものではなく、大仰だが連綿と続けてきた人の業とすら黙示させる。夏子は怖ろしい子。
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文庫化で再読。
今村夏子はSNSなどで話題になり始めてすぐに芥川賞候補になり、それで一気に注目度が高まったように思う。本書にしろ、『あひる』の後に刊行された『星の子』にしろ、一見、『普通』の日常でありながら、その実、何処かずれている世界が描かれる……と、いうか、所謂『普通』って何よ? という疑問を強烈に問いかけてくる作風である。作中の人物同士でも、かなり『普通』の基準は違っているんじゃないだろうか?
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あひるの「のりたま」を飼い始めたことでにわかに賑やかになる家。試験勉強に身が入らない「わたし」。病気になり交換される「のりたま」に、誰も気付かない……。穏やかな筆致ながらどこか薄ら寒さのある短篇が表題作。
あとの二篇も構成が卓越していて、家族の誰とも血の繋がっていない「おばあちゃん」だからこそ自在に二つの物語と接続するということのすごさ。しかし、そんなおばあちゃんが頼もしく思えると同時にやはりどこか切ない。おばあちゃんが大切なことを成し遂げるたび、何かの役割をそこで終えてしまいそうな感覚……なのか。うまく言えない。ここではその言えなさが大事だ。
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ご近所レベルの『マザー!』みたいな話でたいへんに怖かった うしろ2作もそれぞれみんな絶妙に薄情でお茶でも飲まなきゃやってられない 見えるものしか書かない余計なことも書かないのに、なぜわたしは直撃を受けているのか なんにしろ表題作「あひる」のパンチがすごい本だった
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淡々と書かれているが、不安になるような空気が流れている。
おばあちゃんの話が1番ぞわぞわした。
元気になるお婆ちゃん。
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ひっそりとした家庭であひるを飼い始めたら、近所の子どもたちが立ち寄るようになって一気に賑やかになった。それが嬉しい両親は、あひるの元気がなくなるたびに次のあひるに取り換える。子どもたちは気づいていないかと思いきや、言わないだけで知っている。同じあひるなんだもの、居さえすればいいのです。人も同じ。会社の中ではそこに誰か居さえすれば仕事は回る。あひると違うのは、人はそれを認めたくない場合が多いということか。『こちらあみ子』に惹かれた人にはお薦め。あっというまに読了できる薄さなのに余韻大。無邪気か無関心か無気力か。
収録されている3つの話のうち、2つめと3つめの話に繋がりがあったのが意外でした。視点を変えた話で、これもなんともいえない余韻があります。この著者の作品はとても不思議。好き嫌いははっきり分かれると思うけれど、私はかなり好きです。
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そわそわが止まらず、つんのめるみたいにして文字を目で追っていく感覚。
何も感じなければ何も起こらない。けど...。
一体いつからが代替物だったのか、そんなこと言い出したら誰だって何かの代替物じゃないのか。
順位付けに一喜一憂するだけだなんてこと、思いたくはない...。
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決して強調しているわけではなくさりげなくでも確実に人間の怖さが描かれている。子供の無邪気さと大人の事情。不安にさせるものがある。でもユーモアもある。とても興味深い作品集だった。
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「あひる」今村夏子著、角川文庫、2019.01.25
174p ¥562 C0193 (2019.02.26読了)(2019.02.25拝借)
かみさんが読んで回してよこしました。すぐ読めるから、ということだったので、読んでみました。1頁当たりの文字数が少なめのようで、どんどん読めます。
40頁から70頁ぐらいの作品が3つ収録されています。いずれも老人と子供が登場する作品です。読者層を想定しにくい作品です。子供向けの作品というわけでもなさそうだし、若い女性向けというところでしょうか? 男女とか恋愛とかは関係なさそうですが。
「あひる」
定年退職した(?)父が、元同僚からアヒルを譲られ、庭で飼いだしたら、子供たちがやってくるようになった。アヒルが、ストレスのために病気になったので、入院していなくなると、子供たちも来なくなる。アヒルが退院してくると、小さくなったり、太っていたり、どうも前のアヒルとは、違っていそうだ。でも、アヒルがいると子供たちがやってきてにぎやかだ。老夫婦は、子どもたちを、だんだん家に上げるようになり、宿題をやってゆくようになった。
母は、来ている子供の誕生会の準備をしていたので、資格試験の試験勉強中の主人公は、きっとうるさくて勉強できないだろうからと喫茶店に避難して、頃合いを見て帰って行ったら、今日は誰も来なかったと言って、作った料理が余っていた。
その夜、遅くなってから、男の子がやって来て、鍵を忘れたので探させてくれと言う。鍵は見つからなかったけど、おなかが空いているらしく、残っていた料理をたくさん食べてくれた。翌朝、主人公は、やってきた男の子は、実は、アヒルだったのだろうと、アヒルにお礼を言ったけど、アヒルは返事をしなかった。三番目のアヒルも病気になったけど、今度は治療せず、死んだ後、庭に埋葬した。(もう子供たちが来なくなったからでしょうか?)
はて、これはどういう小説なのだろうと思うような作品でした。
「おばあちゃんの家」
おばあちゃん
宮永みのり
みのりと隠居して別棟に住んでいるおばあちゃんの話です。
小学生の頃は、昼に父母はいないので、みのりはおばあちゃんの所で過ごしていました。道に迷って帰れなくなったときにも公衆電話から連絡したら迎えに来てくれたのもおばあちゃんでした。みのりが中学生になったころおばあちゃんは、認知症になったようです。独り言を言ったり、際限なく食べたり、鍵をかけて家から出られないようにしてもどこかから勝手に出てしまいます。杖を突くくらい足が弱っていたはずなのに、杖もつかずに歩き回ります。元気です。
みのりが、小学生の頃、孔雀を見た、という話が出てきます。(75頁)
「森の兄妹」
モリオ
モリコ モリオの妹
おばあさん
川島君 モリオの同級生
スーパーおおはし
モリオとモリコは、母子家庭の兄妹です。昼には、母親はいないので、おやつは外に出て花の蜜や木の果実を自分たちで探し歩いて食べています。ある日枇杷の実を見つけたので、取って食べました。よその家のそばにあったので、その家の枇杷だったのでしょう。家の窓から、おばあさんに声をかけられたので、叱られると思って、逃げました。
別の日に行ったら、また声をかけられて、飴をくれた。枇杷の実を取ったことを怒っていたわけではなかった。
最初読んだとき、「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」は、別々の独立した話と思っていました。ただ、「森の兄弟」を読んでいて、孔雀を見たと言う場面で、「あれっ!」前にも孔雀を見たという場面があったな、と思っただけでした。
この文章を書きながら、眺め直していたら、モリオが、会っていたおばあさんは、みのりのおばあちゃんと同じ人物であることがわかりました。
両方に、スーパーおおはしが出てきています。おばあちゃんの誕生会の場面も出てきます。孔雀と思ったのは、実はキジだった、というのもあります。
三作とも、ドラマのない日常生活を描いた、ということでしょう。
【目次】
あひる
おばあちゃんの家
森の兄妹
解説 今村夏子は何について書いているのか 西崎憲
(2019年2月27日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
あひるを飼い始めてから子供がうちによく遊びにくるようになった。あひるの名前はのりたまといって、前に飼っていた人が付けたので、名前の由来をわたしは知らない―。わたしの生活に入り込んできたあひると子供たち。だがあひるが病気になり病院へ運ばれると、子供は姿を見せなくなる。2週間後、帰ってきたあひるは以前よりも小さくなっていて…。日常に潜む不安と恐怖をユーモアで切り取った、河合隼雄物語賞受賞作。
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不思議な雰囲気がよかったよ。
子供と侮るなかれ、やね。
友達の誕生会に来た別の友達が急に帰ったと思ったら、レゴで作られた船を盗んで帰ってた小2の夏を思い出した。
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短編3作。
字と行間の幅の読み難さにうんざりしながら、のほほんだろうと高をくくっていたら、わざと?ぞわっと忍び寄る行間だったのね。