紙の本
いなかったことにされないために
2022/05/17 15:22
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代と戦中、二つの時代の沖縄を舞台に、ともすれば「いなかったこと」にされてしまうような二人の女性は主人公。二つの時代を行き来しながら物語は紡がれる。
切実なテーマながら、現代に生きる小説家志望の「私」が、戦時下に朝鮮半島から連れてこられた慰安婦の「わたし」の足跡に迫る経緯や戸惑いは、等身大で共感できる。
「わたし」の部分は、読むのもつらい、(本当の意味で)痛みをおぼえる。
兵士たちの欲望のはけ口にされ、「穴」として生きる女性の、誰にも受け止めてもらえなかった声が、続く。性暴力、そして地上戦。とにかく胸が切り裂かれるよう。
「私」のパートは、時々イライラさせられる。東京から来て、沖縄戦や朝鮮人慰安婦を取材するのは、自分の「冴えない人生」を挽回するためだという。凡庸ではない題材で、賞をとろうと考えている。動機が不純だ。
30代非正規雇用でハラスメントのある職場にいる「私」が、そこを抜け出したいと思う気持ちは、たしかによく分かる。だが、友人には興味本位な態度を批判され、沖縄では「ヤマトの人が書く沖縄戦は偽物」と非難される。それもよく分かる。
ただ、この小説の肝は、それでも「私」が、そうした声を受け止め、悩んで悩んで沖縄戦や朝鮮人慰安婦の事実を知り、近づこうとしてくことだと思う。
他人の痛みやつらさが当事者でなければ分からないのなら、こうした小説も意味をなさないことになる。つまり、わがこととして考えられるかどうか。
社会や歴史の片隅で、いなかったことにされてしまうような人やなかったことにされるような出来事、「取るに足らない」とされている問題に目を向け、胸に刻む。
著者が伝えたかったメッセージはそこにあるのではないかと、個人的には思った。
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好きか嫌いかとか、得意不得意は抜きにして、ものすごい話を読んでしまった感がハンパない。
慰安婦って言葉はニュースでとてもよく聞くけど、実際のこと深く知らない人が多いのでは?
なんとなくでしか知らずにいる人に是非読んでもらいたい。
この作品を書き始めた覚悟、書き切った想い。熱すぎて苦しくなるほど。
久しぶりに「この作品に出会えてよかった」と思えた一冊。
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女として生まれたことを悔しくてたまらない、と思わざるを得ない人生。
その理不尽さと悔しさを思う。
女という性を、人としての尊厳を凌辱され続ける。死ぬ道さえ選べぬその過酷な日々。戦時下の日本が生んだ慰安婦という存在。なぜ彼女たちは名前を奪われ、人生を蹂躙され続けなければならなかったのか。いま、SNSでその言葉を発信することはかなりのリスクを負う。その存在自体を否定する空気、かかわりたくない、かかわるべきではないという暗黙の了解。
それを「小説」という形で描こうとする一人の女性。女として、その問題に真っ向から立ち向かうことはできるのか。当事者ではない、関係者でもない、ただ、小説家になるための題材としてそれを扱うことの危うさ。
私たちはいつもこの問題と地続きで生きている。表面的な関係者ではないとしても、女として生まれ、女として生きている限り。そして男として生きているすべての人にとってもそれは無関係とはいえない問題である。
誰でも当事者となりうる。今でも、これからも。
いつかきっと向き合わなければならない。どんな形であったとしても。
深沢潮が私たちに眼をそらすな、他人事として自分と切り離すな、とこの小説を突きつける。
知れ、そして考えろ、と突きつける。
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2021/09/04予約 2
派遣社員、彼氏なし、家族とは不仲。冴えない日々を送る葉奈は、小説家の卵として、応募作品に沖縄での慰安婦、この題材を使うことにする。
取材先で当事者でもないあなたに書くことができるのか、と問われ、その覚悟もきちんとないと感じる。
同じ女性として読んでいて辛い部分もたくさんある。
でも知らなければいけない事実だ。
時代が移り変わっても、無くならない問題。
きちんと私たちが知り、意見を持たなければいけないことだろう。
この本の中の、葉奈が良い作家になれますように。
きっとなれると思う。
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一気に2時間ほどで読めてしまった短い小説だったけれど、(そんなつもりはないけれど上から目線っぽいコメントしか思いつかない...)良く書けてる、と思った。重たいテーマと現代っ子の軽さ・浅さが上手くマッチしていて、売れたのがうなづける。今時は重たいテーマを重厚感で包むのではなくてこうやって身近に感じられるように書いたほうがウケるんだろうな。
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本作品は、2人の女性の現在と過去が交錯しながら、一本のストーリーに展開する。1人は小説の新人賞に挑戦し、取材のために沖縄に向かった派遣社員河合葉菜の現在進行形の物語。もう1人は、朝鮮で暮らし日本兵のお世話をする仕事と言われて沖縄に連れてこられ慰安婦にされ、無理矢理日本名をつけられた「コハル」の戦中・戦後の物語。葉菜は沖縄の戦跡や当時を知る人の取材で、沖縄の朝鮮人慰安婦の歴史を深く知ることになる。一方の「ハルコ」は日本軍の「穴」にされ、沖縄戦に巻き込まれ、壕(ガマ・穴)の中でも、繰り返し「穴」にされる。逃げ惑う壕で一命を取り留めるも声を失い、沖縄住民に助けられ、戦後は赤線で働く女たちの子どもを預かるなど、沖縄の女たちの力になっていた。葉菜は、取材が進む中で、シェルターを運営する女性の母親が戦災孤児で助けてくれた人こそ「コハル」である事に結びつく。朝鮮人慰安婦、戦時性暴力、沖縄戦、ジェンダーの問題など、非常に難しい問題を素晴らしいバランス感覚でコンパクトにまとめた至極の1冊。感涙。
想像して欲しい「また男が部屋に来る。切符を受け取る。脚を広げる。男はサックをつけて入れる。事が済んで出ていく。消毒する。また男が部屋に来る。」の繰り返しの描写は正に、1995年の映画「きけわだつみの声」の1シーンであり、2020年にグラフィックノベルで綴った「草」の1シーンである。
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いなかったことにしないこと。
自分が色々なことを知りたいと思うのは、これかもしれないと読んで思った。
何気ない、あ、いたの?とか、想定されてなかった来客みたいな扱いに対してすごく気持ちが揺らぐのはそういうことなのかも。
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「今も昔も、女をモノ扱いして、自分たちを慰める道具ぐらいにしか考えていない男が多すぎますね」
という言葉にとても共感しました。
戦時中よりはるかに平和な現代に生きているはずなのに。
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ウクライナがロシアから侵略されている。
街は破壊された無残なアパートや壊れた戦車が放置してあり、人々の苦しみ、うろたえ、希望のもてない姿がメディアで映し出されている。
昭和4年生まれの母は16歳の時に終戦を迎えている。激動の戦前戦後を生き延びてきている。
きっと、ウクライナ国民とあの頃の自分がリンクしているだろう。
そんなことを考えていると戦争から目をそむけてしまう。
しかし、この小説により心が激しく動かされた。
すべての国の人に幸せになってもらいたい。ウクライナの人もロシアの人も・・・
感動のあまり言葉に表せれない。心が激しく何かに打ちのめされた・・・
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沖縄の抱える問題と敗戦までの慰安婦、特に朝鮮の慰安婦に絞って物語のようなルポのような体裁で描かれている。難しい問題に真っ向からぶつかっていて考えさせられた。
穴、穴と繰り返し書かれた言葉に救いのない地獄を感じた。女性である事だけで搾取されてしまう性、たくさんの問題を孕んだ小説だった。
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かつての沖縄で起こっていた戦争の悲惨さ、朝鮮人慰安婦たちの悲惨さ。そこに居たのに居なかったことにされる女性たちの無念さに胸が塞がる。今まで沖縄戦も慰安婦のことも知ろうとしなかった。この悲惨な歴史は無かったことにしてはいけないと強く思わされた。
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作家志望のOLと元従軍慰安婦の生を強いられた女性とが時代を隔てて交互に織りなす物語。現代と戦時中のエピソードが交互に織りなされ、いったいどこで結着点を見出せるのか、最後までぐいぐい引き付けられる逸品である。
結局のところ、両者に直接的な接点はない。しかし、元従軍慰安婦の女性が凄惨な運命を生き抜き戦後を迎えた中で、それでも唯一守ってくれる存在と出会えたこと。その温もりを受け継いだからこそ、次は自分にできることを誰かに与えたい、という意思が芽生えたこと。そこから、子供たちを守り育むという働きにつながり、ある少女の心の支えとなったこと。その少女を母に持つ女性こそ、主人公が最後に泊まったゲストハウスのオーナーだった。ここに、両者の交差点がようやく見いだされたのだ。
慰安所の描写は正直、えぐい。あまりのえぐさに目をそむけたくなる。また、巷間よく言われているように、投降したら米軍は親切に保護してくれる、悪いのはひとえに日本兵だ、というのはあくまで米軍側の流布する話に過ぎなかったという現実。つまり、実際のところ、女性は米軍兵士の性の慰み者にされるがままだったという悲惨な現実が描かれている。
なぜこれほどまでに悲惨な話を物語らなければならないのか。それは、シェルターの少女が語ったセリフに尽きる。いわく、「いないことにされるよりマシかな」
人は得てして、悲惨な現実から目を背ける。それは、関わってしまうと、手を差し伸べなければならなくなるから。助けなければならなくなるから。しかし、誰しもそんな力はない。誰もが英雄ではないのだ。だから、見なかったことにする。いなかったことにする。そんな事実はなかったことにする。そうすれば、英雄であれない自分自身に対するささやかな言い訳になるからだ。ネトウヨが激しく慰安婦像を憎悪するのもこの点に起因するのだろう。
だが、現実に存在するのだ。かつて、男どもの慰み者として、完全にモノ扱いされ、尊厳も何もかもを根こそぎ奪われた少女たちがいた。彼女たちの悲鳴が闇夜をつんざき、彼女たちの絶望で地は満たされた。そして今もなお、少女たちは絶望し、それでも声を上げ、訴えている。いつの時代でもそうであったように、今もなお悲惨さは地表を覆い尽くしてやまない。
その現実が存在すること。悲惨さは決して絵空事でもなんでもなく、現に存在していること。この現実に真正面から向き合うことがまず求められるのではないか。そのためにこそ物語がある。
しかし、作者の意図はそれだけではない。作者の真の意図は、どんな悲惨な現実であっても、人の優しさがあり、その優しさは受け継がれ、与えられるものであること、そうしてバトンタッチされうるものであることを描こうとしていることだ。そのことを強く感じた。
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とてもエグい。読むのしんどい。
それが正直なところ。
でも小説であって、内容は実際にあったこと。
戦時中に本当に起きていたことであり、
現代のこの時代に些細なことで
嫌気がさしてしまう贅沢は、
私の「運」が良かったのだろうか。
だとしたら、
戦時中に生まれた人は
そういう時代に生まれたから、
「運」が悪かったのだろうか。
そういう単純な話ではないのだろうけど、
本当にこんなことがあったなんて
信じられなくて辛くて心が痛い。
でも、性の搾取はいつの時代にも存在して、
世界はいつも争いが絶えなくて、
本当にどんな方向に向かってしまうのだろう。
決して他人事ではなくて、
少し踏み外せば私も争いの被害者にも加害者にも
なるかもしれない。
偉大なハルモニたちに、私たちは
もっと学ばなければいけない。
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ひたすらに重く苦しみを伴う作品だ。
慰安婦の事をある程度知っているつもりだった。
読み進むに連れ自分の認識の甘さを思い知り、知っているつもりと真実の間には天と地ほどの隔たりがある事に気付かされる。
騙され連れて来られた彼女達は、人間扱いされず軍事物資として運ばれて来たという。
そして来る日も来る日も男達の穴となり拒む事は許されない。
戦争が男達を獣にしたのか?
いや、どんな言い訳を並べたとして決して許される行為ではない。
二度と会えない故郷の家族を想いながら、翡翠色の海へ向かいアリランを歌う彼女達の姿に涙が止まらない。
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沖縄戦時の朝鮮人慰安婦をテーマに据えた小説と知り、さっそく入手。「推し」のK-POPアイドルから朝鮮人慰安婦問題のことを知り、小説の新人賞に応募するための作品を書こうと沖縄に取材に出掛ける、というかなり危うい設定を逆手にとって、視点人物・葉奈の学習過程自体が小説化されている。そのような彼女の姿と、沖縄戦を生き残り、名も知られずに女性たちを守ろうとし続けた元朝鮮人慰安婦の姿が交互に描かれる。
リアリズム的に戦場を直接描くのではなく、間にメディアとなる聞き手=取材者をさしはさむ構成は近年よく見られる形式だが、小説を書く以外に社会的な場所を見つけられずにいる聞き手=取材者のキャラクターを詳しく書き込むことで、戦時から現在まで続く沖縄の女性たちの苦しみを受け止めることのできる感性を持たせることに成功している。巻末に掲げられた参考文献も興味深く、取材の質の高さを確認できた。