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現代生活への繁栄が、100年前には当たり前だった慣習や労働への感覚を大いに鈍らせたということを認識した。
不便さや貧しさから培われていた日本人の忍耐力が、今やほとんど消えてしまったのではないか。何とも皮肉であるが、これが成長した社会の現実。
不確実な未来を力強く生きて行く為のタフネスを自分や子供達が今の日本でどうやって身につけるか、よく考えていきたい。
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本書の主人公寺崎テイは、明治42(1909)年生まれ。昨年満100歳を迎えた。この本はテイの娘の著者が母親の幼い日の思い出を“口寄せ”して綴ったもの。舞台はテイの故郷である足利の高松村。まだ日本人の二人に一人が農民という時代の農村の様子が一人の少女の目を通して実に生き生きと語られている。
日々のつらい農作業の合間におこなわれる四季折々の農村の諸行事の様子は、現代の我々がまったく忘れてしまった自然と人間とのつきあい方を教えてくれる。また米作と養蚕を主たる生業としている村の生産活動(というと大げさかもしれないが)の一端は、まさに経済史の教科書通りだが、ディテールの描写が素晴らしい。(富山の薬売りも登場)
また叙述の分量はさほど多くないが、テイが小学校を「全甲」で卒業し、足利女学校に進学、そこからの人生もまた興味深い。上京したテイは、省線電車に揺られながら新しく専門学校になった女子経済専門学校(女子文化高等学院、現在の新渡戸文化学園)の夜学(やがて昼間部)で、勉学に励む。大正デモクラシー期の女子教育の最先端をいっていた学校のスタッフが、帝大の教授陣より充実していたというのはまさにその通りだろう。
#表紙が少し地味というか……。その点、少し残念かも。
##著者の弟さんが東大の船曳健夫先生。
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関東平野、群馬県館林の北西、県境の矢場川を越えると栃木県の足利、二つの町のあいだに高松という小さな村があった。
明治42-1909-年、そこに寺崎テイという女の子が生れた。里帰りしてテイを産んだ実母は、姑と折合いが悪かったか、生後1ヶ月のテイだけを嫁ぎ先へと送り返した。
実母に見捨てられるという数奇な運命を背負わされた乳飲み子の、健気で勝気で賢い女の子として成長を遂げていく姿が心に沁みるが、大正頃の風俗や習慣が詳細に活写されており、民俗学的な関心からもたのしく読める。
私の父母の田舎は徳島県南部や高知県の山里で、北関東の片田舎とはまた趣は異なるが、古里の香り匂い立つ田舎暮しの片々が、中学を卒業する頃まで毎年のように夏休みに帰参しては過ごした田舎の光景や風情が喚起され、ひととき懐かしい郷愁に誘われては、心地よき時間を堪能させてもくれた。
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「少女の目で描いた一〇〇年前の村落共同体の暮らし」
この本のことはある編集者の方から贈っていただいて知った。著者・船曳由美さんは自分の先輩格に当たる方でその仕事ぶりを常日ごろ尊敬している、その彼女がこのたびこのような本を出した、自分の母の時代と思い合わせて興味深く読んだのでお送りした、という私信が添えられていた。ふだんわたしが手にとる本とは少し雰囲気がちがうので、贈られなければ気づかなかったかもしれない。
一読していい本に出会えたことを感謝した。と同時にこれをだれかに読んでもらいたくなり、年長の友人に推薦した。読書好きの彼女は即座に読んで、亡くなった母とこの本の話しをしたかった、まわりにもこの本のことを触れまわった、と伝えてきた。心強くなってつぎはうちの母に勧めてみた。歳とってなかなか読書が思うように進まないと日頃嘆いているので、負担を増やしてはいけないと躊躇していたが、思いがけない早さで読み終え、「あの本とてもおもしろかった!」と連絡してきた。本はいま母の妹のところをまわっているらしい。
物語の主人公、寺崎テイは著者の母である。明治四十二年生まれで百歳になる。母の思い出をつづるのでなく、母から聞き出した少女時代の記憶を母に成り代わって語っているところに本書の成功の理由がある。明治から大正を生きた少女が普遍的な人物像になるのに適切な距離がそれによって作られている。読んでいるとしきりと自分のそばにいたあの人、この人のことが思いだされてくるのはそのためだ。
雷鳴とともに生まれたテイはカミナリさまの申し子と言われた。顔は男の子のようでかわいくなく、しかも強情だった。小言を言われても歯をくいしばり、涙をいっぱいためて上目遣いで見る。生まれついての性格もあるが、生い立ちがさらにそれを鍛え上げた。テイは生みの親を知らない。姑ヤスと小姑があまりになんでも出来る人だったのに怖じ気づき、生みの親は実家で出産後に赤ん坊だけを寺崎家に送り届け、自分はそのまま実家に留まったのである。テイは寺崎のヤスばあさんにおぶわれてもらい乳をして生きのび、5歳のときに養女にやられた。
その後、父のはからいで寺崎家に帰してもらったが、養女に出された寂しさはテイに一生ついてまわった。泣き言をいわない我慢強い子に育ったのもまた養女に出されては大変だという気遣いがあったからだ。父は後妻をもらい子供も生まれて新しい一家が出来ており、テイは家のなかでどこか宙ぶらりんの存在だった。
そのテイを気にかけかわいがってくれたのはヤスばあさんである。嫁がおそれをなすほど見事になんでもこなす才女の彼女は、夫を亡くして家族の重鎮として一家を切り盛りしていた。ヤスばあさんのふるまいや語り口は読みごたえがある。ただ気丈なだけではない心の広い人で、農村の暮らしを健全に保っていたのはこういう人物だったのだろうと思わせる。
おばあさんはお盆の墓参りのあとは決して後ろを振り返ってはいけないとさとした。墓石のうしろには供えた食べ物をさらっていく者がいる。村人ではなく、貧しい女たちが団子や供え物を子どもに持っていくのだ。顔を見られたくないだろうから振���返るな、というわけで、貧しき者や別の価値世界に生きる者への想像力をもっていた。
物ごいのことは「お乞食さま」と「お」のうえにさらに「さま」を付けて呼んだ。何か理由があって神さまが身をやつして村をたずねているのかもしれない、どんなに汚い身なりをしている者でもバカにしてはいけない、そうヤスばあさんは教える。わたしの祖母や母も「お乞食さま」と呼んでいたから耳に懐かしい言葉だが、神さまの化身だという説明を聞かされたことはなく、子ども心に丁寧すぎて慇懃無礼な感じがした。都市の宿命だろう。背景が消えて言葉がひとり歩きし発祥の意味がわからなくなるのだ。
栗の山分けの話にもヤスばあさんらしくていい。栗が実るとみんなで拾って大釜で茹で上げる。その栗をおばあさんが家族の人数分の山にわけ、じゃんけんで勝ったものから好きな山を選んでいく。後妻のイワかあさんが子ども思いで自分の分を少しやろうとすると、ヤスばあさんはだめだと遮る。おとなも子どもも、女も男も同じ量の栗をもらって楽しむのが栗わけの意味なのだと。生活のなかでどうしても生じてしまう偏りはこのようにして是正されたのかと思った。
テイの目の高さで語られる季節の行事は描写が細かく具体的だ。著者の考えがここにはっきりと出ている。地方の民族博物館にいくといろいろな民具が展示されているが、いまとなってはどういうふうに使うのかまったくわからないものも多い。たとえば枠が鉄製で底に紙が貼ってある四角い箱が展示されていたとする。名札には「焙炉」とあり、茶葉を煎るのに使うと書かれている。ただそれだけで関心を抱くのはむずかしい。でももし以下のような文章を読んでいれば、たちどころに「あれだ!」と気がついて興味がわくのではないだろうか。
「カンカンに火を熾した炉の上に何本も細い鉄の棒をかけわたし、さらに台を置き、その上に焙炉をかける。炉よりも二回りほど小さな四角い箱で、枠が鉄で、底に紙が貼ってある。昔の大福帳の反古とか、破れた障子紙とや古い手紙などを何枚も何枚も貼り合わせたものだ。新聞紙はダメである。だから、和紙はどんな小さな切れっぱしでも大切に箱に入れて蔵にしまっておいたものだ」
茶畑で摘んできた茶っ葉は蒸し上げたあとにその焙炉にざっとあける。熱々の葉っぱから甘い匂いが立ち上る。焙炉の紙が焦げれば和紙を貼り継ぐ。煎った葉は手で揉み上げてお茶に仕上げていく。この作業は男の仕事と決まっている。「熱さとの闘いがよいお茶をつくる」。できた新茶はまず親戚に届ける。村の中でも茶畑のある家は少なく、心待ちにている家も多く前々から空の茶筒が来ている。近所の家には子どもたちが届けるが、「新しいお茶がデキマシタァ」と大声で言って戸口に立つのは晴れがましい気持ちだ。そしてすべてが終わるとヤスばあさんは座敷でひとりお茶をいれてゆっくりと味わう。「おお、今年もよく出来た……」。
茶摘みのシーンからここまでがひとつながりの映像のように描かれ、出来立てのお茶の香りすらもにおいたつようだ。
狭い人間関係のなかで物事が比較され、価値づけられる村落共同体にはいいことづくめではないだろう。噂が飛びかい、ねたみそねみが生じる。生まれ落ちた家や階級にも��られ、それ以外の生き方は選べない。テイの生みの母親が里からもどってこなかったのも共同体のもつ窮屈さと無関係ではないだろう。だが、それはおとなの感じる苦労であり、子どもにとっては共同体はすべてのはじまりだ。人への接し方、しぐさ、礼儀、ものを判断する力、価値観、道具の扱い、作業のこつなど、生きるのに必要なすべてことが白紙状態の心に染み込んでいく。世の中にいろいろな人間のいることも、子どものうちから自然と悟る。
田畑を持たない人は手の欲しい家の農作業を手伝って食事と日銭を得ていた。日傭取りという。寺崎家に来るコウさんもそのひとりで、彼は河原に掘っ建て小屋をたてて住んでいた。そこしか住む場所がないからではなく、川の音を聞いて眠るのが好きなのだ。コウさんと奥さんの手に寺崎家は助けられ、彼らはそのおかげで好きな河辺の生活をできている。そんなところで寝るのがいやな人もいるだろうし、みんなが川音に心落ち着くわけではないが、そういう人もいるということだ。
火の用心の照やんも別の価値世界に生きている人だ。12月から3月半ばまで照やんは一日もかかさず拍子木を打って村の一軒一軒夜回りする。嵐でも雪でも止めない。夜回りが終わる季節になると村では彼に渡す金を集める。一部を照やんの女房に、残りは彼に渡す。そして照やんはその金をもってなんと福居の遊廓に直行するのだ。しかも金が尽きるまでそこに居つづける。
「この春の福居の廓があるから、一年間、働けるんだよゥ」とコウさんはいうが、宵越しの金は持たないとばかりにパッと使ってしまう夫を、毎晩炬燵を暖めて帰りを待っていた女房は一言も非難しない。照やんの夜回りを村人たちは「だれにも出来ることではない」と感謝しているが、この夫婦の生き方もだれもができるものではない。またまねする必要もない。ただそういう夫婦もいるということだ。
人間にはいろいろな人がいて、ひとつの生き方でくくることはできない。それぞれが自分に合った生き方を選んでいい。このあたり前のことを実行しにくい世の中である。頭ではわかっていても、現実の場面になると動揺することも少なくない。家族のなかに世間が認める生き方のできない人が出たときの緊迫したムードにはだれもが覚えがあるだろう。はぐれ者を受け入れる寛大さは村落共同体のほうがあった。それにははぐれ者を認めてサポートする一族がいなければならなかった。ヤスばあさんはコウさんのごはんを炊くときに、「カマの底を見せてはならねえゾ」と嫁に言ったが、それは「オレが食いすぎた」と彼が要らぬ心配をせぬようたっぷりととぎなさいという意味だった。
細かい気配りのできる寺崎家のような家があって共同体はよきものとして存続したのである。村人の心の安定は要となる一族がいる村といない村では大きくちがったはずだ。百歳のテイはヤスばあさんの公正な目が光っていたころの共同体の光景を語っている。それは成長して村を出た彼女の少女時代の記憶でもあるのだ。
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学び、働くことで自分の人生を切り拓こうとする少女の姿がさわやか。農村の暮らし、行事、人間関係の描写も鮮やか。心映えの良い人には、さらに良い人との出会いが用意されているのかも知れない。100年の時の流れにも消えない「母」への思慕には鼻の奥がツンとくる。
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ほんの100年前なのに、100年ってこんなに昔のことだったんですねぇとしみじみ。思えば私の祖母、曾祖母ぐらいかな。元気だった頃もっと話し聞いておけばよかった。農村での暮らし、季節季節ごとの昔ながらの風習など知らないけれど、懐かしい。もっと産みのお母さんのこと、育てのお母さんのこと、血の通ったように描いてもらえたら、と思います。きっとどろどろの感情もあったと思うなですが。
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百年前の栃木にはこういう生活がまだあったんだなあ~テイは栃木県の群馬より農家の長女に生まれたが母が婚家に帰らず里子に出され,養女に出されかけ,余りの酷さに祖母が家に戻して,新しい母に遠慮して跡継ぎとはなれなかったが,小学校を出て足利の高等女学校に入れて貰い,東京に出た。戦争中には子どもを連れて高松村に疎開し,心の奥に常に故郷をもって暮らしている~主人公は著者のお母さんで,老人ホームに入っているが,常に故郷の高松村を思っている。色々な思い出を話して聞かされており,1938年生まれの彼女も疎開で村を知っているため,再構成が出来たのだろう。著者は東大を出て,平凡社の編集者を経て,フリーの編集者になり,百歳の母が生きている間に,本にしたかったのだろう。私の祖母・母とは微妙にずれているが,徳川様の時代から明治の代が過ぎ,大正に入って色々な変化が起きたのだろうとは想像がつく。今の時代も後から考えると壮絶な変化の時代と捉えられるだろうか
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読み始めた時読みやすさから児童書かと思った。男の人にしか持ち得ない慈悲とはどんなものなのか。テイさんの娘さんが書かれた本。
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100歳になった母親テイのことを、次女が聞き書きして書いた物。
年を取ってからしきりに子供の頃のことを話すようになったそう。
養女に出されて、ろくに世話をして貰えなかった哀しい生い立ち。
寺崎家のヤスおばあさんはしっかり者で、何でも素晴らしく良くできた。
それがややあだとなって、恐れをなした若いお嫁さんが出て行ってしまったのだが。
養家の扱いがひどいとわかって実家に連れ戻されてからは、義理の妹キイ、ミツ、ミヨたちとも仲良く暮らし、いじめられることもなく、女学校にも行くことが出来た。
ただし、跡取りは継母イワとの間の長子キイと、父が再婚する際に決められていた。継母の実家から送られた立派なお雛様は妹のもの。
とうとう実母とは会うこともなかった。
栃木の高松村。
群馬との県境に近く、カラッ風が吹く。
貧しいが美しさもある暮らし。
関東一広いというのが自慢のみくりや(御厨)田んぼ。伊勢神宮に奉納するお米を作るため、田植えの時には着飾った早乙女たちが並んで植え、他の皆が食事の支度をして大事にしたとか。
皆で協力し合う農作業。行事などの描写にも力強さが感じられて、迫力があります。
馬は賢いととても大事にしていて、戦争で供出するときには村の男達が泣きながら見送ったとか。
家を出る身だからと足利女学校にやって貰える。間に合うのは早朝の電車しかなく、暗いうちから起き出して、もう一人村から行く女の子と一緒に、走って飛び乗る。
YMCAに就職し、当時としては自立した生き方になっていくのも魅力的。
妹たちも女学校に入って東京に出てきてしまったというのはやや皮肉?
結局、三女ミツが跡を取ったので、著者もその家を田舎として訪ねることが出来、ヤスおばあさんのこともよく知っているという。
昭和16年から高松村に疎開、20年にヤスおばあさんはなくなったそうです。
うちの両親や伯母達のことも思い出すような時代ですね。
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主人公は、生まれてすぐに母親から引き離され、微妙な立場ながら家をよく手伝い、よく学び、やがてりっぱに独り立ちした一人の健気な女の子。伝記になるほどの人物ではない、という意味では「普通の女の子」だけれど、勉強して自分の人生を切り開いていくあたり「赤毛のアン」ぐらいには特別な女の子だろう。
100年前の北関東の小さな村の暮らし(農業、家事、家や村の行事、学校生活)がいきいきと描きだされていて、おもしろく読める。民俗学の本棚に並んでいたが、少女の成長物語として小学生ぐらいからでもじゅうぶんに読めるから、ちょっともったいないかも。
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100歳の女の物語、100年の日本の記録かつての日本のどこにでもあった昔懐かしい村に、貧しくも命たからかに生きた少女の物語。「遠野物語」100周年の今年、100歳の命の魂鎮めとして堂々刊行。
正月にはお正月様をお迎えし、十五夜には満月に拍手を打つ。神を畏れ仏を敬う心にみちていた時代の、豊かな四季の暮らし。明治・大正・昭和を、実母を知らずに、けなげに生きた少女の成長物語。
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その記憶力の確かさに驚いてしまう
そして
その話に じっと耳を傾けている
筆者(次女さん)の優しさに心打たれる
と同時に、その筆力の確かさに感嘆
どんな 偉人伝よりも
その時代の息吹が届いてくるように
思います
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母親の思い出を綴る物語で、
100年前の一人の女の子の生活が、
活き活きと浮かび上がって来る。
その時代の生活様式も興味深い。
農村と、括られるような生活環境ではない地元の、
呼び方は違っても、
自分の思い出とも被る様な行事もあるので、
基本は同じなんだろう。
この時代に良く聞く悲壮感よりも、
日々忙しく楽しく健やかに生きていく様子が感じられる。
家族は、人は、こうやって繋がっていくんだな。
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派手ではないが非常におもしろかった。
著者が、100才になった自らの母・テイさんから聞いた、100年前の日々の生活が生き生きと語られる。著者の語りを通して、まるでテイちゃんの目からその時代を覗いているかのように、栃木の小さな村の暮らしが詩情たっぷりに描き出される。地に足の付いたリアリティがすばらしい。
雷の夜に生まれたテイは、赤ん坊のときに母親が実家に帰ってしまい、あちこちに養女に出される。だがどこでもうまくいかず、父方の祖母が引き取る形で家に戻る。
家に戻っても後添えのおっ母さんの産んだ子が跡取りになることは決まっており、満たされなさを抱えた幼少期を過ごした。
しかし、聡く意志が強いテイは女学校へ進み、上京して働きながら夜学(東京女子経済専門学校:新渡戸稲造が校長)に学ぶ。
テイちゃんも辛い子ども時代だったが、最初の嫁に逃げられたヤスおばあさんも、継母のイワおっ母さんもそれぞれの立場で辛いものがあったのだろう。おばあさんもおっ母さんも誠実で真っ当な人として描かれている。
素朴で平易な文章は、理路整然としていて読みやすい。
農業や養蚕といった営み、行商や物乞いの人々、花見や雛祭りなどの年中行事が詳しく描写されて興味深い。
「大きい鉄鍋は五里先から借りに来ても貸せ」(しょっちゅう使っていないと錆びてしまうから)といった、生活に根ざした知恵みたいな部分もおもしろかった。
1冊をまとめるまでに、著者と母の間に流れたのであろう、濃密で温かい、長い時間を思う。
100年前の女の子も凛と生きていた。
現代のおばさんも背筋を伸ばして生きていこう。
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生みの母は出産後実家から戻ることなく、父の後妻の実家の希望で養子に出されるものの、当時の法律のお蔭で大好きな祖母のいる家に戻ることができた少女テイの境遇は、すぐに「人権」という言葉が出てくる現代に比べ、子どもが一人の人間として認められていなかったのだなあと思いました。
作品の真ん中を占める当時の風物詩は、もはや私には歴史の授業で習うような世界でぴんとこなかったのですが、最終章にあるその後のテイの話で、会うことのなかった生みの母への思い、どこかで遠慮して生きていた少女時代の暮らし、望郷の思いの強さ。テイさんはずっとそれらの思いを胸に秘めていたんだなあ、と思うとぐっときました。
作中で時々ウレシクない、サトラレない、タノシイ、など形容詞が片仮名表記になるのが気になりました。