紙の本
「平時」の原発とはどういう作業環境なのかを描いた好著
2016/07/14 18:14
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災以前の「平時における」原発というのは、どのような労働環境で、どんな作業によって運営されているのか、という視点から、原発内の工事請負業者や、中央操作室のオペレーターなどからの証言をまとめた本。ある程度予想はしていたけれど、ここまで労働者の健康や、安全を犠牲にしなければ立ち行かないプラントなのかと恐ろしくなった。「いくら自動化しても、どうしても高線量の現場に人間が入らないと設置できない部品があり、そういう時は被ばく量測定用メーターは外して作業する」、「ボヤが発生しても水をかけたり消火剤を噴霧すると記録に残るので、燃えるものを遠ざけて自然鎮火を待つ」、「被ばく管理区域にはトイレがなく、どうしようもないときは間に合わないので垂れ流す」、「燃料プールに落としてしまった物は被ばく量管理にかからないという理由から外国人労働者が定期検査の時に水を抜いたプール内に降りて拾う」、「原子炉出力が計画値を超えると、係数を書き換えて計画値に収まるように修正する」など。でもこういう危険な作業に従事する人々にとってはその仕事がなければ生きてゆけないという状況に仕向けているのが現在の状況の度し難い罪深さなのか。原発を今後どうするかを考えるとき、エネルギー政策としてだけではなく、労働問題として目を逸らせてはいけない一面であることは確かかと感じた。
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お手軽本
2017/03/04 11:42
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コアラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
シンガーソングライターが,「原発労働に興味をもったので取材してまとめました」というお手軽本。あくまで他人事なので,堀江邦夫の「原発ジプシー」のような生々しさはない。東京電力や行政の悪口を言えば善人になった気になって救われるとまでいったのでは酷であろう。著者は「人を踏んづけて生きている」と書いているし,踏んづけている人の中に自分も入っている自覚はあるのだろう。しかしこれを読んだ読者にどれだけ自覚があるかは不明だ。昔ながらの生活を賛美する描写もあるが,かつては惷窮といって春先には餓死者がでるのが普通だった。それだけの覚悟があって文明を拒否できる人はいるだろうか。原発を輸出するのがけしからんといっても,日本が輸出しなければ韓国が欠陥品を輸出するだけ。みんなが楽に生きたいと思っている以上,人類滅亡まで突っ走るしかない。残念だが解決策はない。
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原発で働く人々
2023/01/25 13:41
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
原発に対する評価を一旦おいて、そこで働く人々はどんな人なのであろうか。賛成であれ反対であれ抽象化してしまいがちな原発問題だが、こういった視点も重要であろう。
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現代ビジネスの連載で、寺尾紗穂さんはコラムの執筆を続けていた。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40408
原発で働いている人のことを私は知らない。
そうした知らない人を踏みにじって、私たちは電気を使っている。
土方さんの仕事の闇は、原発に限ったことではない。
下請け構造が多層化している分野においては、どこも労働者の待遇はひどいのかもしれない。
そうした危険を理解しながらも、働かざるをえない人がいる。
貧しさ、人間関係、生まれ、家庭環境、さまざまな背景とその人の仕事は結び付けられ、縛られている。
巨大なエネルギーをもった動力を得るために、失われているものは何か。
本著は失われたもの、失われつつあるものに目を向ける。
本当に「原発」は仕方のないものだろうか?
とりあえず、現状維持で徐々に代替エネルギーに減らしていこうよ、そうした技術の進歩を待とう。
涼しい部屋のなかで、そうした会話がなされ、事故の記憶が風化されていく間にも、原発労働者は汗を流し、被曝し、働いている。
寺尾さん一人の力で、本書の内容だけで、彼ら労働者を救うことはできない。
歌をうたう彼女は、それだけでは救えないものがある、多くの状況に直面してきたのだと思う。
本書が伝えていることは、多くの人がそうした人に寄り添い、自分に身近なものであるという「当事者性」を感じてもらうことだ。
本書のことを、もっと多くの人に知ってもらいたい。
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東日本大震災以前の「平時における」原発というのは、どのような労働環境で、どんな作業によって運営されているのか、という視点から、原発内の工事請負業者や、中央操作室のオペレーターなどからの証言をまとめた本。ある程度予想はしていたけれど、ここまで労働者の健康や、安全を犠牲にしなければ立ち行かないプラントなのかと恐ろしくなった。「いくら自動化しても、どうしても高線量の現場に人間が入らないと設置できない部品があり、そういう時は被ばく量測定用メーターは外して作業する」、「ボヤが発生しても水をかけたり消火剤を噴霧すると記録に残るので、燃えるものを遠ざけて自然鎮火を待つ」、「被ばく管理区域にはトイレがなく、どうしようもないときは間に合わないので垂れ流す」、「燃料プールに落としてしまった物は被ばく量管理にかからないという理由から外国人労働者が定期検査の時に水を抜いたプール内に降りて拾う」、「原子炉出力が計画値を超えると、係数を書き換えて計画値に収まるように修正する」など。でもこういう危険な作業に従事する人々にとってはその仕事がなければ生きてゆけないという状況に仕向けているのが現在の状況の度し難い罪深さなのか。原発を今後どうするかを考えるとき、エネルギー政策としてだけではなく、労働問題として目を逸らせてはいけない一面であることは確かかと感じた。
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原発の話題は昨今少なくなりましたが、それ故に人々の記憶から薄れている今、このような書籍の存在は大きいのではないでしょうか。
一般的な、原子力について賛否両論を唱えたものとは違って、その現場で作業にあたっていた人々の声を纏めたドキュメンタリーはリアルさと報道では知りえない事実が伺えます。
原発に無関心の方にも、お勧めできる一冊。
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ブログに掲載しました。
http://boketen.seesaa.net/article/422842236.html
労働現場としての原発、という視点
寺尾紗穂は30代のシンガーソングライター。学生時代に「山谷夏祭り」に参加したのが縁で「ビッグイシュー」応援イベントなどの活動を続けてきた。
「山谷、土方、日雇い、ドヤ街、そして原発」というアプローチ。
「社会問題としての原発」ではなく、「労働の現場としての原発」という切り口が新鮮だ。
これはかつて堀江邦夫『原発ジプシー』(1979)が「ピンはね、労災、被曝」の実態を告発したことと同じ視点だが、この30年間、その続編が書かれていないではないか、という問題提起になっている。
原発の現場で働いている人と直接会うことがなかなかできない。労働組合ルート、日本共産党系ルートなどいろいろあたっても、「いま原発で働いている」人との接点はあまりないことが分かってくる。下請け、孫請け、さらにその下という多重請負構造の、最底辺で原発労働者が働いている。
匿名で語る彼らのことばから、異様・違法な労働現場が原発を支えている姿がうかんでくる。
実名で登場する人の中では、元「炉心屋」木村俊雄の証言がすごい。
原発中枢で彼がやっていたのは、不都合なデータを日常的に書きかえることだった。
「大きい炉心だと140トンくらいは核物質が入っているんだけど、4割くらいは得体の知れない物質になってる。」
増え続ける核のゴミの排出量を、「夜中に、日付が変わるころに」都合のいいデータに書きかえる。
結局、木村はこの仕事に耐えきれず東電を退職した。現在は四国の四万十川流域で「電力会社や行政への依存をなるべく減らし、身の丈にあった暮らしの中で安全に生きていく」生き方を実践している。
木村はきわめて専門的な見地から、3・11の原発崩壊は津波ではなく地震によってひきおこされたと指摘している。
「証人喚問と司法の場で、今の『再稼働のための基準』自体に意味がないことをあぶりだしたい」という木村のたたかいが、これから注目される。
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原発を有する我がまちの市有地に、3号炉の建設作業員さんの飯場があり訪ねたことがある。といっても彼らと接触したわけではなくて、その飯場横の倉庫で仕事をしつつ傍目から見ていたに過ぎんが、昼間から麻雀牌の音が響いていた。その近くの港には、いかにも場末の雰囲気漂う気に入りの居酒屋があり、かつては流れの作業員と地元漁師が酒の勢いで絶えず喧嘩していたという。これまでは「ひとごと」であったそんな諸々も、紗穂さんのこの本で「わがこと」に近づいたやに感じる。今でも廃炉と再稼働炉の工事で3千人近い下請けが入っている我がまちの原発。原発労働者と打ち解けて話せれば学ぶことは多いだろうけど、現職でありのままを語ってはくれまいね。
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2015年刊行。
原発の定検の模様、現場労働者の被爆状況などは、「原発労働記」(原発ジプシー)と被る。
そういう中で、本書は体験記ではなく、聞き取り調査の結果叙述。つまり、実例が複数提示されている点が、かの先行著作とは違う特徴を持つ。
が、これに加えて、昨今の経費節減の趨勢の中、定検やその準備期間の短縮化、その結果としての労働強化と人為的ミス発生可能性の増大、下請に対する報酬支払減ばかりか、後継不足による検査その他の技能継承の頓挫という現代的課題の叙述もなされている。
さらにフクシマでの内部暴露も一部に叙述される。
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なかなか読むのが進まない本だった。
自分の思いを少し強調しているような気がした。その部分で少し引っかかりを感じる。
原発の労働現場は過酷なんだと思う。放射線がどれだけ体に悪いのかがハッキリしていないのだと思う。
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著者の寺尾紗穂(1981年~)は、元シュガー・ベイブのベーシスト・寺尾次郎を父に持つ、シンガーソングライター、エッセイスト。東京都立大夜間部卒業後、東大大学院に進み、修士論文が『評伝川島芳子 - 男装のエトランゼ』として文春新書より刊行され(2008年)、また、様々なウェブや新聞等でエッセイを連載する異色のキャリアを持つ。
著者が本書を執筆したのは、学生時代にたまたま山谷の夏祭りに行ったことをきっかけに、自ら主宰する音楽イベントでホームレスの自立支援をサポートするようになり、更に、原発の現場の労働者の少なからぬ人々が山谷や釜ヶ崎のようなドヤ街から流れてきたことを知ったことによるのだという。
本書では、福島やチェルノブイリのような大事故となった非常時の原発ではなく、“平時の”原発で働き、日常的な定期検査やトラブル処理をこなしていく人々へのインタビューを通して、彼らの視点から、社会にとっての原発、ではなく、労働現場としての原発、労働者にとっての原発を描き出している。
そして、そこに描かれているのは、驚くような労働現場の様子、及び、現場の労働者がそれらを明らかにして改善を求めにくい多重請負の構造と、原発があるために出稼ぎに行かずに生計が立てられる地域の事情など、メディア等で取り上げられることは少ない(取り上げにくい)実態である。
著者は、そうした実態を踏まえて、原発について賛成or反対というような結論は導いてはいない。そして、「しばしば原発とその地域の問題については、「いろんな立場の人がいるから・・・」「いろんな問題が絡まってるから・・・」と言葉が濁される。しかし、推進派反対派に二分した、原発問題について、本当に必要なのは、そうやって問題に踏み込まないことではなく、いかに「わがごと」として、問いを立て、問題を考えていけるか、ではないだろうか」、「人間の美しさ、醜さ弱さと強さ。原発立地地域をめぐってあらわになる、人間の在りようを胸にとどめ、これからの選択にどのような答えを出していけるのか、それぞれが一度「わがこと」として考えてみること、その上で意思表示をしていくこと。・・・到底変わりそうもない、原発労働の構造や原発をめぐる問題が少しずつ好転していくとしたら、そんなささやかな、でも裾野の広い、人間のつながりが生まれた時ではないだろうか」と結んでいる。
原発に対する自らのスタンスを考える上で不可欠である、原発の労働現場の一端を垣間見られる一冊である。
(2017年9月了)
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ここに収録されているのは、たくさんの原発労働者の中のほんの数人の語りでしかない。だけど個人の、生の体験からしか捉えられないものがある。
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著者の取材姿勢や書きぶりは誠実だ。どのような経緯で取材を始めたのか、どのようにしてインタビュイーを見つけたのか、著者自身がどのような気持ちや考え方でインタビューをしたのか、インタビュイーはどんな人なのか、インタビューで、語られたことの信憑性や一般性について、著者自身がどこまで確認できているか、等々、できる限り単純化や図式化を避け、その上で自身の思いを述べている。汚染水の放出や原発再稼働が既得権層によって叫ばれる中、この本が多くの心ある人に人にもっと読まれるべきだと思う。