紙の本
議論はどこか
2021/05/05 04:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:TAROLEB - この投稿者のレビュー一覧を見る
順番は逆で「教誨師」を先に読みましたが、本作は更に面白かったです。あまり知らなかった日本の司法制度がきちんと説明してあり、また時間軸と主題を巧みに織り込んでいて、一気に読み終えました。死刑囚である主人公の手紙の内容が後になるにつれて哲学的になること、またそれに心を揺れてしまう検事の心中も丁寧に描かれていて、いろいろ考えさせられました。死刑に立ち会う検事(おそらく裁判官や弁護士もそうではないかと思いましたが)が限られているというのは、人の命に携わる司法として驚きましたし、どうかと思いました。
ただ、死刑制度、特に絞首刑の残虐性に一石を投じているのは理解するものの、やはり一方的に加害者側の視点から物事を判じているのは、正直違和感を感じてしまいました。周囲の人たちが慮るのは、当事者としては判るものの、やはり被害者のことが全く無視されている感が否めず、最後の「そして、私たち」「文庫化によせて」の短文2つは正直すんなりと受け入れられませんでした。
ただ、本としては素晴らしい出来だと思います。ぜひお薦めしたいです。
紙の本
死刑制度の意味を問う
2018/05/06 10:59
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くりくり - この投稿者のレビュー一覧を見る
この「物語」は死刑囚・長谷川武から、事件の求刑をした検察官に届いた手紙から始まった。「なぜ人を殺してしまったのか」の問いかけと死刑制度を世に問うのが本書の目的だろう。
本書で扱う事件はすでに死刑が40年も前に執行された強盗殺人事件だ。わずかな時間の尋問調書作成、捜査官に対する被告の自供、自白をもとに判断される刑事裁判だったが、取り調べでは、なぜ人を殺すまでに至ったのかの生育歴まで遡ることはない。弁護士により情状酌量のために長谷川の環境や生育歴が弁護されるが、求刑が覆ることはなかった。本書が秀逸なのは、これほど時間が立っているにもかかわらず、この裁判に関わる人たちや長谷川の家系を遡り、調べ上げているところだ。
本書を読み、この長谷川に再犯の可能性を見いだすことは難しい。求刑した検察官も、長谷川から届く手紙を読み続ける中で、恩赦ができないものかと苦悩する。
人を殺したことは事実である。罪は深い。しかし、「死刑」で償えるのか、罰としての「死刑」があるから殺人は抑止されるのか。更生した者、する可能性のあるものにも「死刑」は必要なのか?こうしたことを考えさせられた。
これまで、堀川氏の広島の被爆に関連したノンフィクションを、感銘を持って拝読してきたが、「死刑」についてあらわされたいくつかの堀川氏の著書は避けてきた。
しかし、裁判員制度が始まって久しい中、その問いかけはいつか自分が出さなければならないものに迫ってきたと言うことを本書から指摘された。
ただ単に死刑というショッキングなものを扱ったということではなく。「死刑制度」「死刑」を人道的視点から考える必要性を問うているのが本書であろう。
投稿元:
レビューを見る
一九六六年、強盗殺人の容疑で逮捕された二二歳の長谷川武は、さしたる弁明もせず、半年後に死刑判決を受けた。独房から長谷川は、死刑を求刑した担当検事に手紙を送る。それは検事の心を激しく揺さぶるものだった。果たして死刑求刑は正しかったのか。人が人を裁くことの意味を問う新潮ドキュメント賞受賞作。
投稿元:
レビューを見る
死刑制度と、それに関わる人々の姿を描き出しており、大変意義のある取材であることに異論はない。
が、やはり冤罪でもない、多くの犯罪を犯し、最後には殺人に及んだ長谷川に対し、どんなに反省し、悔悟の念を持つようになっても、全く心を寄せる気になれなかった。
それだけに、被害者側の取材が意図的であるにせよ不足していることに強い違和感を感じた。
早い段階で少しでも被害者側の取材をしていれば、この本のような取材や立論の流れになっただろうか。
投稿元:
レビューを見る
この本の感想は難しい。
いまから30年ほども前に死刑執行された長谷川を追っていく。長谷川が死刑判決後に検察官や弁護士、関係者に書いた手紙を元に進んでいく。その過程で被害者がひとりだけ、生活態度真面目なのになぜ死刑になったか裁判官達が珍しく覚えていない、とまるで誤って死刑になったかのような描写がされる。
ここに強い違和感を感じる。被害者はたったひとり、だけどごく普通の主婦で、家に居る所を押し込み強盗にあった。発見者は小学生の娘。この本を被害者側から書いたら当然だが全く違う内容になっただろう。だって長谷川の犯行は冤罪ではなく、例えば防衛のためでもなく、生活のためでもない。贅沢な暮らしをしたいという欲のため。
作中、長谷川が小鳥を可愛がっていた描写など「心優しい青年」を強調する。それを読んだ私は「本当は良い人だったんだ」と思う。しかし顔を上げると被害者がいることを思い出す。その揺さぶりの繰り返しだった。
加えて死刑囚を巡る多数の人々の感情(ただし登場しない被害者を除く)は胸に迫るものがあった。
投稿元:
レビューを見る
今のところ今年最も心を揺さぶられた本。私は最近アマゾン・キンドルで購入して、iphoneで車の中で読み上げさせているのだが、この本の最後の方は涙が出て止まらず非常に困った。
死刑囚の話を読むと心が矛盾に悩むことが多い。それは、死刑を通じて死刑囚の心に生の尊さ、真の後悔と改悛の情というものが生まれてくるような気がしてくるからだろう。本書中にも出てくるが、死刑囚になってしまったことで死刑がふさわしくない人間になってしまったりすることだ。
物語(ノンフィクションだが敢えて)の主人公は長谷川武という死刑囚である。1966年、強盗を何度か重ね、最後の反抗では強盗に押し入った家で頑強に抵抗した主婦を殺した強盗殺人犯である。
この事件だけを見ると極悪人であり、事実裁判では最高裁まで判を進めたがいずれでも極悪非道な点を強調され、1人の被害者ではあっても死刑に処せられている。これは現在の基準では厳しすぎると言えそうだが、しかし強盗殺人の残虐さは否定出来ない。
ところが、この事件の操作検事として長谷川への死刑求刑を行った土本武司のもとに長谷川からの手紙が獄中より届く。当初はその裏を考えた土本も次第にそのようなことがないことを知り、文通を重ねていく。
さらに控訴審での弁護を担当した小林弁護士への手紙。これらの手紙が示すのは、残虐な強盗殺人犯とはかけ離れた心情の吐露であった。そもそも長谷川武は虫も殺さぬような穏やかな青年であり、鈑金工としての腕前はピカイチで到底殺人どころか、何らかの犯罪に手を染めるような人間とみなされてはいなかった。その彼が、なにゆえ犯罪を犯すに至ったのか、正確なところはわからないが、残された手紙、関わった人の証言から少なくても要因までは考察されていく。その過程の中で記述される長谷川の獄中と母親や弟の生活の様子、そして犯罪後に関わりを持った土本と小林の言葉、死刑に向かう長谷川に向き合った教誨師の言葉、それらの示す事実の全てに涙を禁じ得ない。
とはいえ、何人かの書評が指摘しているように本書には被害者のことがほとんど書かれておらず、それがために読み進めるうちに被害者がいることをつい忘れがちになってしまう。被害者家族からすれば、長谷川の改悛など知ったことではないだろう、ということを考えると読者として気持ちの置き所に困ってしまうのはよく分かる。
それでも本書が貴重なのは、読者にこのような死刑囚がいたことを通じて、犯罪を生み出す社会の要因、刑罰としての死刑の妥当性に再考を迫ることにあると感じる。
投稿元:
レビューを見る
2018.05.30.読了
かなり重い題材、内容。
フィクションではないので星をつけることに抵抗があるが読み物としては星3つ。
裁かれた命は50年前の事件を扱ったもの
強盗殺人を犯し死刑判決を受けた長谷川武氏が板金工として順調に仕事をしていた時期に何故突然犯罪に走り始めたのか?が不明のまま。
取材にかなりの手を掛けたことはよくわかるが、イマイチ突き詰められていない部分が多い。
冤罪ではないし、長谷川武氏の手紙を読む限り彼に更生の余地は十分あったと考えられるが、不明な部分が明らかにされない限りこの判決が正しかったのかどうかの判断は出来ない。長谷川氏がどんなに悔悟の気持ちや償いの気持ちを手紙に綴ったところで、本書を読んだだけで、彼はいい人だったのに何故死刑にならなければいけなかったのか?!などと簡単には言い切れない
投稿元:
レビューを見る
折しも大量の死刑執行で死刑が話題になっているタイミングで、読了。
大切にゆっくり読んでいたのに、現在出ている堀川恵子作品はすべて読了。
なんと豊かな時間だったろう。
早く次回作が読みたい。
さて、本作は、長谷川武という、強盗殺人を犯し50年近く前に処刑された男にまつわる話。
『永山則夫 封印された鑑定記録』や、『永山基準』のように死刑の是非についてを読者は読みながら考えるのだろうが、堀川の綿密な取材によって、誰も掘り返さなかったはずの、ひとつの家族の歴史が蘇ることに、私は注目したい。どんな家族にも、誰かが生まれる限り、過去は膨大にあるのだ。そして、人間である限り、誰かと関わり、もしくは誰とも関われなかったから、罪科を犯してしまう。掛け違ったボタンはどこにあるのか。自分のボタンはほんとうにずれてはいないのか。
長谷川武も、永山則夫も、自分の親とほぼ同世代である。少し遡ろうとすると、イメージが白黒になる時代が彼らの青春時代だ。ほんとうに歴史から見たらごくわずかな時間なのに、さらに彼らの親の世代は、豊かな現在では想像もつかない、途方も無い苦労をしてきている。それに引き換え、我々はなんと呑気なことだろう。それでも、犯罪は絶えない。いや、それゆえに、だろうか。
本書を読んでいると、どうしても長谷川武に同情的になってしまう。しかし、すべてに見捨てられていた永山則夫と違い、彼には犯罪を犯さなくていい、ルートきっといくらもあったように思えるのに。手に職があり、認めてくれ、給料も奮発してくれている雇い主、それだけではだめだったのだろうか。
もし一瞬、ほんの一瞬、我慢ができていたなら、彼は今小さな工場でも開き、高度経済成長にのって豊かになる時代を生き、文鳥や可愛い孫にでも恵まれていただろうなと思うと、やるせない。
投稿元:
レビューを見る
苦しい、苦しく切ない死刑囚の話だ。
いつだって貧困やいじめはこのような悲しい事件を引き起こしてしまう。
28歳で執行された長谷川武死刑囚
貧しい生活の中で高級な腕時計をローンを組んで買っていた、贅沢すぎると怒られた時に自分はこの腕時計が欲しかったわけじゃない、いつも貧乏な生活で我慢ばかりして引け目を負って生きてきたけど、この高価な品を持っているだけでなぜか心が安らいだ、安心できたと。
自分もみんなと同じ一人前の人間なんだと確認できたと。
ただ、ただ普通でいたいだけだったのにと思うと胸が締め付けられる。
最後の夜に食べたいと求めたラーメンとお寿司
寝ずに書いた手紙たち、28歳の彼の魂が切ない。
しかし、したことの罪は償わなければいけない現実に読んでいて苦しくなった。
投稿元:
レビューを見る
社会の課題を見つめる新たな視点をもらえた。
取材力が凄まじい。
構成も素晴らしく、寝食を忘れて読んだ。
投稿元:
レビューを見る
この記者の、取材対象への執念にはいつも驚かされる。
検事の葛藤がよくわかった。
昔の東京拘置所の寛容な対応や、教誨師の存在、立ち会った人たちによる処刑についての証言など興味深い。
私自身はどちらかというと廃止かな、くらいで死刑に対して強い意見を持っているわけではない。
ただ、本書は、長谷川武が死刑判決を受けた後に更生している様子を見せていたことを受けて「あんなふうに変わってくれたのに死刑執行してよかったのか」と葛藤するということが描かれているが、私は、そもそも長谷川武があんなに澄み切った気持ちになれたのは死刑判決を受けたからなのではないか?と感じた。
生への諦念が生まれて初めて悟りを得たような心境になり、自分の罪と真摯に向き合えたのではないかなと。
たらればになってしまうし実際のところは分からないけど、難しいな。
投稿元:
レビューを見る
それはまだ「永山基準」と呼ばれる死刑基準が出来る前の
ことだ。1966年に強盗殺人事件の容疑で逮捕されたのは
長谷川武、22歳。
ほとんど弁明もせずに、彼は一審での死刑判決を受け入れた。
しかし、母には受け入れがたい判決だった。母からの熱心な
懇願で、小林健治弁護士は二審の弁護を引き受ける。
だが、一審の死刑判決が覆ることはなかった。1971年11月9日、
9時32分。28歳になった長谷川武は「従容として」刑場に消えた。
本書は、別件の取材で検事・土本武司の元を訪れていた著者に
獄中から届いた手紙を見せられたことから始まった、死刑制度を
問う作品だ。
それは、一審で死刑求刑を書いた土本へ、獄中の長谷川が
書き送った手紙だった。恨みつらみが書かれているのではない。
手紙には土本への感謝が綴られていた。
彼はどうしてこれを書いたのだろう。
既に長谷川本人はこの世にいない。世間を騒がせた重大事件では
ない。悪い言い方だが、ありふれた強盗殺人事件だ。多くの
資料が残されている訳もない。
それでも著者は関係者を探し出し、長谷川の生い立ち、彼に影響
を与えたであろう母のルーツを探し当てる。そして、幼くして
養子に出された長谷川の弟さえ探し出した。
長谷川が手紙を送っていたのは土本だけではなかった。二審を
受け持った小林弁護士、事件直前まで勤務していた会社社長の
元へも手紙が送られて来ていた。
本書には長谷川が残した手紙全文が多く引用されている。そこ
には自分の犯した罪を自覚し、罰を受け入れることで強盗殺人
事件の犯人とは思えないほどの心の穏やかさがあった。
人は、変われる。長谷川の手紙を読んでぼんやりと感じていた
ことが確信に変わった。
勿論、古い事件だけに著者の取材でもはっきとは分からない
部分もあり、もやっとした気持ちになることもあったが根気よく
綿密に取材が行われたのが分かる良書だ。
死刑囚の待遇も、今よりは緩かったこともわかる。人間的に
接することで何かが変わることがあるのではないかな。
「悪い事をしたら罰を受ける、人を殺したら命で償うという
のは分かりやすいロジックではあるけれど、死刑は法律が
認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。目の前で
動いている、生きている人間を殺すことなんですから。
死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」
死刑維持派と言われる土本の言葉だ。究極の選択をしなければ
ならなかった検事の苦悩から、もう一度、日本の死刑制度を
見直してみてもいいのではないか。
死刑は、命ばかりか更生の可能性さえ奪ってしまうのだから。
骨太のノンフィクションはやっぱり読みごたえがある。