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ホラー
2023/09/12 23:48
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ホラーといっても、海外モノのホラーものですので、日本のホラー小説とはちょっと違ってます。ホラーものに関心ある方にはオススメですが、唯一の難点は、翻訳口調の文体が読みにくいこと。
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小説家・翻訳家の南條竹則=編、新訳ラヴクラフト選集全8編。
『インスマスの影』に続く2冊目。
https://booklog.jp/users/fukagawanatsumi/archives/1/4102401415
今回は全編創元推理文庫で既読だが、
やはり南條先生の訳は読みやすい。
が、それでも通読するのに時間がかかったのは、
単に私が遅読だからというだけではない、はずだ……。
収録作は、
ランドルフ・カーターの陳述
"The Statement of Randolph Carter"(1920年)
ピックマンのモデル "Pickman's Model"(1927年)
エーリッヒ・ツァンの音楽 "The Music of Erich Zann"(1922年)
猟犬 "The Hound"(1924年)
ダゴン "Dagon"(1919年)
祝祭 "The Festival"(1925年)
狂気の山脈にて
"At the Mountains of Madness"(1936年)
時間からの影 "The Shadow out of Time"(1936年)
以下、同じ年に発表され、
幾分繋がりを持つ長めの二編について。
いずれも見てはならぬ、知ってはならぬ
太古の大いなる種族の痕跡を垣間見た人が味わう
恐怖を描いている。
「狂気の山脈にて」
E.A.ポオの長編
「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」
(1838年)の影響下に書かれたSF怪奇作品。
ミスカトニック大学の地質学者
ウィリアム・ダイヤー教授率いる探検隊は
南極大陸の岩石や土壌の標本を採取すべく、
キャンプを設営。
別行動を取った分隊からの通信が途絶えたため、
捜索を開始し、奇怪な石造建築を、
次いで遙かに恐ろしいものを目にすることに……。
「時間からの影」
経済学教授ナサニエル・ウィンゲイト・ピーズリーを襲った
奇怪な出来事。
講義中に昏倒し、
意識を取り戻したときは記憶を失っていたかに見えたピーズリーは、
五年後、本来の彼自身に復して、失われた時間を取り戻そうとした。
彼の論文を読んだ鉱山技師の招きに応じ、
息子や同僚のダイヤー教授(!)らと
オーストラリアの砂漠へ向かったが……。
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必ずしも神話に組み込むことを意識した書かれたわけではない作品をも含む短編集。さすがに古風だけれども、普通に怪談として楽しい。ただ怪談語りとしてみると、お世辞にも語り口が見事とは言えないなあ。独特の世界観に魅せられるかが、評価の分かれ目。
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新潮文庫のクトゥルー神話傑作選第二弾。今回のセレクションがちょっと変わったラインナップだなーと思いつつ読んでましたがそれらについては巻末の編訳者解説に書いてあるのでいろいろ納得。
なにはともあれ『狂気の山脈にて』→『時間からの影』の2作がこの順番で収録されているのは大変オイシイ展開なので、順番に読んでその世界観を堪能して欲しいですね。
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この本の中で一番好きな話は、『ランドルフ・カーターの陳述』。『狂気の山脈にて』と『時間からの影』が順番に並んでるのは、よかった。
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H. P. ラヴクラフト(1890-1937)といえば怪奇(ホラー)小説の有名どころで、マニアックなファンも世界中に多く抱え、多くの、今日言うところの「二次創作」の作品群のみなもととなった「クトゥルー神話」の作者であり、私も高校生の頃に創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』全7巻のうち1巻から3巻までを買って読んだ。が、その当時どうもこの作家の作風に今ひとつ乗り切れないものを感じ、若干苦手なような、「好き」とまでは言えないような状態であった。
新潮文庫版のこれは新訳で、昨年12月に出たばかりの文庫オリジナルである。実はこれは新潮文庫版「クトゥルー神話傑作選」の2冊目のようで、既に既刊があるらしい。
さて、相当歳をとった今読み直してどうかな?と思いながら読み始めてみると、この作家の文章が、どうにも私には入り込みにくいのだと直ちに判明した。センテンス同士のつながり、複文節の構造、論理のプロセスなどが、いちいちしっくりこないのでスラスラと読めない。英米文学の文章はしばしば私にはそのような印象をもたらすので、英語のパロール体系、さらには英米文化のロジックに、馴染めないものを感じてしまうようだ。それでも、今回は時間をかけて味わいながら読み進めた。
読み進めるうちに更に気づいたのは、これらの小説に、カギ括弧でくくられた人物同士の会話が、ほぼ全くと言っていいくらいに無いことだ。会話が無くて、ひたすら地の文だけで進んで行く。特に、本巻で最も長く、「短めの長編小説」くらいの長さがある「狂気の山脈にて」(1936)でも、後半は南極で発見された遺跡を探索していく際に語り手の傍らには一人の探検隊仲間がずっと付き添っているのに、互いの会話は全く出てこないのだ。少なくとも、カギ括弧でくくられた台詞が全然無いままに、延々と地の文での叙述が続く。こんな書き方は小説では、一般的にはほとんど見られないのではないか。しかも本巻のすべての作品においてもそうなのだから、どうもラヴクラフトは、「ひたすらな叙述へと向かう」作家なのである。
少なくともテクストの書き手にとって、(人間の)他者には全然興味が無く、彼らとのコミュニケーションが織りなす場の推移にも一切関心がない。そういった夾雑物を排して、物語はひたすらに怪異への欲望に貫かれている。その怪異は、巻末の「狂気の山脈にて」「時間からの影」ではあからさまに、「クトゥルー神話」と後代から呼ばれた神話的な彼方の、気の遠くなるような太古の地球上の歴史である。
この「怪異」は、しかし、これらの長い2編以外では必ずしもクトゥルー神話に濃厚に結び付いているとも言いきれないもので、それらは最後まで正体のわからない「何か」として立ち現れるに過ぎず、この点、「怪奇小説のプロトタイプ」として非常に魅力的なテクストになっている。
一番気に入ったのは巻頭のごく短い「ランドルフ・カーターの陳述」(1920)だ。こういったものこそ、ホラーの古典として貴重な文学作品だと言えるのではないだろうか。
語り手であるランドルフ・カーターの友人ハーリー・ウォレンは「禁断の事柄に関する奇妙な稀覯本」を読み漁り、ある夜、カーターと共にある墓所に行く。���板を開くと石の階段が現れ、ウォレンは一人でそこから地下へと潜っていき、何かを見て大声で叫び、ついに戻ってこなくなってしまう。実際に地下で何が起こったか、そこに何があるのか、語り手にはさっぱり分からず取り残されたまま。最後に、霊的な声だけが聞こえる。
この簡潔な作品(および、本書中の、巻末2編以外の作品)においては、最後まで正体が明確には判明しないものへの欲望だけがあって、恐怖を盛り立てる怪奇小説においては怪異についての説明などは不要なのだということが明らかにされる。古典的な本格推理小説では事件の真犯人と真相(事情)が当初から<不在のシーニュ>として示されてそれへの欲望が、ディスクールの奔流の向かう先となっており、最後に真相のシニフィエ(意味内容)が明示されることにカタルシスがあったが、恐怖小説においては、<不在のシーニュ>への恐怖感だけが露出し読者の心を巻き込むことだけで良く、結末において真相をはっきりと解き明かす必要は全然無いのである。
本書全編にわたってラヴクラフトは「不気味な」「冒涜的な」「厭わしい」「異常な」「邪悪な」といった形容詞を大量に繰り出し続けており、こういった単一方向に向かう表現ばかりを連続させるというエドガー・アラン・ポーのモノクロームでシンプルな構築法(「アッシャー家の崩壊」の理論)と軌を一にている。単一の方向へと情動を動員させること、すなわち音楽で言うと19世紀ロマン派の「キャラクターピース」の組成。ホラー作品では常に似たような情動性が強調されるわけだが、この心的作用は、現在も無数に作られ続けている「ホラー映画」における、無調な不協和音やクレッシェンドを駆使した音楽の用い方を見ればよくわかる。
むしろホラー物語で最後にあまりにも辻褄を合わせた事情説明に持って行ってしまうと、逆に興が冷めてしまう場合もままある。謎の存在は謎のままでもよく、全く不条理であっても構わない。
しかしラヴクラフトは(恐らく後期において)クトゥルー神話と呼ばれる一連の太古の歴史物語を叙述することにやがて完全に没頭し、それが長大な「狂気の山脈にて」の後半を肥大させたのだろう。そういった作者側の叙述の情熱に対し、読者はどの程度魅惑されるのだろうか。人によるのではないか。私は、延々とそればかりだといくぶん飽きてしまう気がした。
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タイトルのとおり、ラヴクラフトの傑作選。収録の「狂気の山脈にて」と「時間からの影」は中篇くらいの長さ。「狂気の山脈にて」は深層の岩石や土壌の標本を採るため南極大陸に調査に行き、そこでとあるチームが奇怪な化石を発見する。ところが発見者から連絡が途絶えたため、主人公がそのチームの救出に向かったところ、不可解な事態に巻き込まれるというもの。ずんずんと恐怖に中心に向かう様が面白い。かわいくないペンギンがなかなか想像しにくい…
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クトゥルフ神話TRPGを始めてしばらく経つが、本家大元を読めていなかったので、今回初めて読んだ。
邂逅してしまう、いないはずなのに感じる何か、奇妙な体験の追憶…背筋がぞおっとするよりも何か迫り上がるような、込み上げてくるものを感じた。
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初心者が噂のクトゥルーを読んでみるぞ2冊目!
おどろおどろしくて不気味で冒涜的寄りな短編と、ちょっと冒険要素の入った長編二作。
どちらもどちらで面白い!
第一集『インスマスの影』収録のは前者寄りが多かったのかな。サクッと読めるけど、不気味さは格別。
表題作「狂気の山脈にて」は面白かったけど前半苦戦。
「名状しがたい」を事細かに描写するとこうなるのね…。
南極の地理、地形やあれこれの描写は、ファンアートのイラストなどのお手伝いが必要ですた。
「古きものども」「偉大なる種族」視点のサイドストーリーがとても読んでみたい。名状しがたくて冒涜的だけど、キャラがたってていいぞ!
やはり面白い。怖いだけじゃなくて、冒険的な要素も楽しかった!
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■ランドルフ・カーターの陳述
・ラヴクラフト自身がモデルの登場人物(5回のうちの1度目)が、助手的に初登場。
・電話というギミック……勝手に映画「シェラ・デ・コブレの幽霊」を連想した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
■ピックマンのモデル
・凄まじい画家。
・写真という小道具。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3
■エーリッヒ・ツァンの音楽
・凄まじい音楽家。常軌を逸した芸術家という路線。
・街で最も高い窓から見える景色……というのはいいな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
■猟犬
・他の邦題に「魔犬」「妖犬」。
・漫画で登場人物のビジュアルを先に見たためか、こいつら底の浅いザ・中二病! と少し笑ってしまった。
(田辺剛による漫画あり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%8A%AC
■ダゴン
・今や古典中の古典だが、1919年に、第一次世界大戦(1914-1918)の海上を舞台にしているということは、当時最先端のナウい状況だったのだろう。→後に「インスマスの影」に進化。
・これが俗にいう「窓に! 窓に!」だ。嬉しい。
(田辺剛による漫画あり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B4%E3%83%B3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
■祝祭
・他の邦題に「魔宴」「暗黒の秘儀」。
・分家の末裔が、自ら望んで訪問し、なのに怯えているという、どうかしらんな話。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%AE%B4
■狂気の山脈にて
・先に漫画を読んでなければ挫けたかもしれない、イメージしづらく冗長なところも。
・全般にいえることだが、会話文が少ない。この迂遠で仰々しい文体が味なわけだが。対して漫画は会話も独白もたっぷりで助かる。絵の質もすさまじい。
(田辺剛による漫画あり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E5%B1%B1%E8%84%88%E3%81%AB%E3%81%A6
■時間からの影
・漫画のビジュアルも合わせてだが、一番の掘出し物だと感じた。
・記憶が云々という導入からは「ジェイコブズ・ラダー」を連想した(後に別ベクトルと判ったが)。
・何よりもカワイイのだ>イースの大いなる種族。
(田辺剛による漫画あり)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%BD%B1
◇編訳者解説 南條竹則
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この本を読んではっきりしたことがある。
私が好きなのは、クトゥルフ神話関連の二次創作物なのだ。
小説はどうも肌に合わなかった。
情景描写ばかりがつらなり、認知症の老人の長い長いたわごとを聞かされているような錯覚に陥る。
物語にはあっているが、文字がぎっちりと詰まったびっしりの誌面も目に辛かった。
他のコンテンツになった物語の原作は、またどこかで読んでおきたいと思う。
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業績として人物を語るならば、ラヴクラフトは偉大な人かもしれない…とひとりごちつつ、「狂気の山脈を登攀する」みじめとしか言いようのない心境になっていって、最後、3割を残して名誉ある撤退を決意。
これも読書だと自分なりに判定して。
とてつもない著作群を執筆した人物らしいが、趙がつくほどの叙述的文体は長時間読み続ける精神力が続かない(むろん体力も)
そうでなくても、近年と身にはやって居rというか、主流になっている、ショートセンテンス、酷いものになると頁の6割程度にパラリとちりばめられたかのような文体、文章構成が増えている、しかもも自分も慣れている
愚かしい現状では、よほどのマニアックな方でないと読むのは困難かなと思った次第。
日本にもこういった作品が明治大正期にあったが。海外にも19C末から20Cにかけ輩出されたのを記憶している。
では実際クトルゥー神話と称されるものの本質や如何と問えば、やたらこけおどしの形容詞、一定パターンの非日常的冠詞が連呼されるばかりで、最後は読み飛ばしてしまった。筆者の人物像を詳細は知らぬが「不遇のうちに病弱な身体での生活」で一生を終えたと。
世界は広い、多くのコアな読者がいまだに存し、彼の作品を愛してやまないだろうけど、私は軽薄なたち故無理でした。
「ランドルフ・・」だけはしょっぱなということもあるけれど、簡潔で読み通せた。
詰まるところ、【シュリーマンとトロイの木馬】の話にまつわる信ぴょう性問題にも通じているけれど、一般に事実に誤謬が多いのは真実のよう。
功名心に長け、虚言癖性格は共通している感が強い。
ランドルフは社会の中に染まることは好まず、真偽のほどを別にして、?へのあくなき追及欲一色に燃えている感覚が強い。それが文体にも表れているような・・
降参です。
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ラヴクラフト作品は初めて読んだ。
人類誕生よりもはるか昔にかなり高度な文明を築いた存在がいた、という話だったのは初めて知った。名前は知っていたものの前情報無しで読んだので、一体どんな展開になるんだ?とワクワクしながら読めた。
現代の作品と比べると語り手の独白がかなり多いので読みづらさもあるけど、語り手の思考とシンクロして少しずつ恐怖を感じていく体験ができてよかった。
SF大好きなのでラヴクラフト作品はまた読みたい!けどおそらくどの話も同じ神話という設定らしいから展開は似てると思われるので、一気に読むと胸焼けしそうなので他の本を読みつつ合間で読みたい。
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昨今の様々なコンテンツでパロディ・オマージュされていることを考えると、クトゥルフ神話はサブカルの教養書と呼んでも差し支えないと思う。
知っておくと、思いがけないところで出会した時に面白くて、漫画やゲームの楽しさが増える。もちろんTRPGも。
また、堅苦しくて変わった文体ではあるけれども、それが魅力だとも思う。狂気と正気の狭間のような文章が、主人公たちが熱意をもって書き殴ったものを直に読んでいるような臨場感を与えてくれる。
テケリ・リ!
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西洋ホラーの伝説的な作品、クトゥルフ神話の物語。
作者のラブクラフトは当時はあまり評価されなかったようだが、亡くなった後に再評価された作家。
それが今現在まで名作として残り続けているので、生きている間に評価されていればと思わないではない。
内容は前半の5作は数ページ~数10ページの短編になっており、クトゥルフ神話とは関係ない物語もしくは繋がりの薄い作品になっている。
どちらかと言えば悪魔や悪霊の話だ。
しかし後半の狂気の山脈と時間からの影はそれまでの作品とは全く異なる冒険譚となっている。
この2作品は難解ではあるものの、どんな展開になるのだろうと次が楽しみになる作品だった。
壮大なスケールの話であり、作者は明晰な頭脳を持っていたのだろうと想像させられる。
本シリーズがホラーかどうかは微妙な所ではあるが、西洋のホラーと日本のホラーの違いが良くわかる。
そういう意味でも面白い本だった。