紙の本
「小説家」だからこその心理描写
2012/03/08 02:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:akira - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読み終わった時、僕が感じていたのは、胃を締め付けられるような感覚でした。得体のしれない不安感と、焦燥感のようなものが、その中にあったような気がします。頭で情報を受け取って、それに対して理性的な判断を下し、それが感情を動かす、というのではなく、読んだ言葉によって、そこに表現されたものが自分の中に巣食っていく感じ。映像や写真で見る被災地の様子は衝撃的だけれども、それとは違う何かを与えられたような気がします。
小説ではなくドキュメンタリーであるからには、そこで起きた出来事や状況を描くというのが本来の姿なのかもしれませんが、僕がこの本に心動かされたのは、おそらくそういう部分ではなく、そこにいた人々(筆者やその周辺にいた人々)の心の動きが描かれているからなのだろうと思います。直接心理描写をしているところはもちろん、出来事や状況を描くにしても、言葉の選び方や語り方で、見ている側の感情が透けて見える感じがするのです。
教科書的に言えば、災害時というのは感情的にならず、冷静に状況を判断するのが望ましいのは当然のことですが、やはりそこには容易にコントロールすることのできない人間的な感情が、どうしても蠢いてしまうということなのです。
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あたたかい部屋で、あたたかい飲み物を口に運びながら読んだのに、ずっと寒かった。ずっと鳥肌が立ってて、寒くて寒くて怖かった。そしてこの本を暖を取りながら安全なところで読んでいる自分に嫌気がさした。
新人小説家が、たまたま居合わせたあの日のことを綴ったルポルタージュ。作者の素直な恐怖がある。傍観しつつあったあの日のこと、原発事故。
タマネギのくだりは、あぁ、と唸る。わたしも食べることができないだろう。善意を受け取れないだろう。
ずっと寒かった。ずっと怖かったでもあの日あそこにいた人々はもっともっと寒くて怖くて、何百倍も不安だったのだろう。
普段ルポルタージュは読まないが、日本人全員に読んで欲しい。被害を受けなかった比較的安全な地域にいた人々に、これは夢なんかじゃない、現実なのだ。そしてまだなにも終わっていない、そう気づかせてくれる一冊。
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「わからないのよ。みんな、自分の身に降りかからないと、わからないのよ」
気侭なひとり旅の道中、福島県いわき市 常磐線車内で被災した女性作家の目から見た3・11の記録。
被災して4日目、家族にメールで遺書を書きかける。
無事、千葉の自宅へ帰り着き、目の前にあったはずの恐怖を忘れかける。
そして彼女は、違う立場で、復興の手助けにと福島を訪れる。
津波でめちゃくちゃになった家屋の掃除をしながら、「家」という「人生を肯定する記憶」にどんどん手を入れていく。
買い置きされた食材や食器や書き置きの手紙など、きれいなものもどんどん捨てる。
そのお礼に、出荷制限のかかっていないタマネギをもらう。
それは原発三十キロ圏内のタマネギ。
善意しか無いそのタマネギを、彼女は食べることができない。
そしてまた数カ月あき、彼女は3.11当時お世話になった人たちと再会。
県外で福島ナンバーの車を停めていると、見ず知らずの人にいきなり「毒を撒き散らすな!帰れ!」と罵声をあびせられたり、「汚染車」と落書きされたりするというエピソードを聞く。
タマネギを食べなかった自分と、彼らの何が違うのだろうか。
善意のタマネギを差し出されたら、私はどうするだろう。
彼女の言葉はまぎれもない、関東圏に住む人間の真実だと思った。
本書を引用すると
「死ぬことそのものや津波への恐怖よりも『家族に会えず、見知らぬ場所で一人で死ぬこと』が怖い。」
これも真実だ。
死ぬことも津波も原発の影響も、結局、身を持って体験していない自分には差し迫る実感がない。
でも、あのとき帰れなかった不安、地震が起きた時の家族の安否を気遣う気持ちは体験しているし、覚えている。
そういう気持ちを被災者の人はずっとずっと継続して持っている。
3.11はまるで何も終わっていない。
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小説新潮で読んだときもそうなんだけど、安易に感想なんて述べられない圧倒的な現実。苦しかった。第二章の、彩瀬まるさんが初夏に再度福島を訪れた、というのは未読だったんだけど、すごく、残酷な現実で、奇麗事じゃない正直な気持ちが綴られていて、苦しくて目を背けたい、てなって、ちょっとこの本を買って後悔した。小説新潮を買ったときも、なかなか読む気になれず、飛ばしてたんだった。とりあえず疲れた。わたしは神戸の地震の時の残酷な光景、出来事を知ってるけれど、ランク付けなんて意味ないって分かってるけど、これは、そんな神戸の 経験なんて吹っ飛ぶぐらいのことだった。今日は寝れそうにないな。
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彩瀬まる(@maru_ayase)先生、ありがとうございます
被災されたのが新地とのことで、その辺りにご縁があるのだけど
関東でぼんやり過ごしているとあまりそのあたりの情報がなくて、
手にとらせていただきました。
ありがとうございました。
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3・11。福島で被災した、そして、その後訪れた彩瀬まるさんのルポルタージュ。その場にいた著者の言葉は重く、読み進めるごとに、複雑でどこにもたどり着かない感情が蓄積されていく。ただそれでも、その場にいなかった僕はほんの少ししか感じられていないかもしれない。ある部分では忘れられているかもしれない3・11。その場にいた人にとって、まだ終わってないし、何も始まっていない。
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東日本大震災の日、常磐線に乗っていた作家のルポ。
書評家の大矢博子さんがtwitterで紹介してて(ラジオで紹介したらしい)、本屋に行って買ってきました。
こういうのって一歩間違えると「売名行為」とか言われちゃうんですよね。
でも、そんなことは一切なく、ただただ、この作者が感じたことをそのまま書いてあるんです。
福島の人たちの優しさ、温かさ、そして、自分が離れたところに行ったときに感じるちょっとした一言。
あぁ、わかる、と簡単に言っちゃ絶対にいけない。
だけど、これは正直な気持ちなんだろうな、と。
そして、忘れちゃいけないものがあると思う。
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被災地の住人の言葉に心臓を直接殴られたような感覚をおぼえた。なぜ大手マスメディアは現場の声を正確に伝え方ができないのだろうか。疑念に思う。周囲の人に勧めた後、ひとりでも多くの人が目を通せるよう、職場の資料コーナーに寄贈したい。
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旅行者として現地で被災した著者のルポルタージュ。あとがきに被災地とそれ以外の地域の心理的段差を埋める事ができればとあります…その段差がある分読んでて胃が締め付けられました。でも、この本に出会えて良かったと思います。
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小学生のときに、国語の教科書で「臥薪嘗胆」という言葉を習ったときに、果たしてそんなことをする人が世の中にいるのか、と疑問に思ったことを覚えている。自ら辛い想いをしてまで、何かに執着するということを、うまく想像することができなかったのだ。
ここ数ヶ月、前にも増してテレビをあまり見なくなったことも影響するのかもしれないけれど、震災のことを考える時間が少なくなってきた。あのときの不安な気持ちとか、その先に感じた決意のようなものが、淡く薄れていってしまっているのは事実だ。
本書を読んで、いろんな感情がフラッシュバックした。あのとき感じた、自分の無力さや、自分自身の無知。人の温もりや、「運」という言葉だけでは表せない宿命のようなもの。
人間は忘れるという行為があるからこそ、何かを想像し、それを創造していくことができるというけど、忘れてしまってはいけないことも多くあると思う。
被災された方と自分の環境を比べたり、九州の実家に住む両親の視点と自分の視点を比べたりすることはもしかしたらあまり意味のないことなのかもしれないけど、色んな立場のものの見方を想像し続けることは大事だと思う。
そして、あの日に誰もが受けた傷を想像することは、とても辛く、エネルギーが必要だ。その辛さを噛み締め、今の自分を叱咤し、一歩ずつでも前に進むことができるのであれば、それは今の自分にとっての「臥薪嘗胆」であり、負うべき責任なんだと思う。
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3月11日福島を旅行中の著者が
経験したこと、見たこと、感じたこと。
そしてその後訪れた日々のルポルタージュ。
ひとりひとりにあの日があり、
見たことも経験したことも様々。
何かを強く訴えるとか、そういう類いのものではない。
様々な想いが淡々と綴られている。
苦しいなぁ。
まだまだ進行形のことで、
先も見えているとは言えない。
それでも毎日は続く。
私たちは生きる。
私は東北での出来事を察することしかできない。
わかる、なんてことは言えない。
そんなことを改めて感じさせられた。
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2011年3月11日、たまたま福島県新地町に居合わせた彩瀬まるの被災にまつわる記録文と、その後二度にわたって福島を訪れた際に綴った紀行文を一冊にまとめたノンフィクション本。千葉出身の著者が福島にいる友人に会いにいこうとしていた時に大地震にあう。たまたまその時一緒にいた福島の方と避難し、避難所であった方の自宅に宿泊させていただく。数日で、動いている交通機関をつかって自宅にかえるが、普通の生活をできている自分に罪悪感を感じる。3時間ほどはなれたところでは、食べるものも、飲み物もない状態。寒い避難所で生活している人がいるかとおもうと、胸が苦しくなる。でも、数か月するとそんな気持ちも薄れている自分に気が付き、福島を訪れ、ボランティアに参加する。津波に襲われ、原発の爆発で放射能におびえて暮らす福島の人々の気持ちを忠実に伝えてくれている。
ぜひ多くの方に読んでもらい、被災することがどんなことか少しでもわかってほしい。
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この本のことは早くから知っていた。電書になったら読もうと思っていたのでかなり遅くなった。偶然あの日仙台にいた著者の当事者レポート。女性作家らしい視点。被災地で出逢った人との交流を中心に、大上段に構えず、自らの心にある恐怖や偏見も包み隠さずさらけ出し、でもあまり文学的な過剰演出は意識して避けて淡々と綴られている印象。
(続きはブログで)
http://syousanokioku.at.webry.info/201212/article_21.html
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大好きな書評家・藤田さんの日記をひさびさに拝見した折、
昨年3月の分だが、その中から目を引いたのがこちら。
私自身昨年12月に、あるイベントに参加するためはじめて、
被災地に足を運びました。
震災から1年と9ヶ月余り経過してからのできごと。
そのときはじめて、
「復興」など全然していないことを目の当たりにし、愕然としました。
復興なんて、全然なんだな、と。
街によっては未だに瓦礫がそのままで、
あのときから時が止まってるのではないかと思うくらい。
でも、この本を読んで、もしかしたらそれさえも何ヶ月もかかってきれいになった場所だったのかもしれないと、今では思ったりするのです。
だとしたら「復興」ってほんとに長い、長い道のりなのですね。
もっともそれぞれの街でみなさん、ほんとに健気に、
もし自分がその立場になったら、果たしてそのような振る舞いができるのだろうか、というくらい明るく前向きに、何もないところからはじめられている。
でも現実的に街が壊れたままなのだということを、
まざまざと思い知らされました。
とりわけショックだったのが、南三陸町を訪ねたときと、
そのあと南下する途中に通過した同じ南三陸町の歌津という地域。
南三陸町に至っては、比較的映像と言う形で目にしていたのでまだ、
現実を受け止める準備ができましたが、
歌津をみたとき、この地域のことはほとんど報道などで目や耳にすることがなかったし、だから実際目の当たりにしたときは本当にショックで、
またそのとき、沿線を走っていたであろう線路の跡や駅舎があったであろう場所を見て、さらに激しく落ち込んだものです。
本当にそこに電車が走っていたという証拠がことごとく流され、
取り除かれ、
もしその場所を今でも電車が走っていたら、
本当にいい景色だろうに、とつぶやいた、電車好きなだんなさんの一言が忘れられません。
そしてそれらの線は今後も不通というかたちで、
レールがひかれることもないだろうし。
著者の彩瀬さんは、場所こそ違えど電車で一人旅をしている途中に被災するという、命がけで自身が経験した貴重な体験を、あえて書き記してくださいました。その恐怖たるもの、想像に余りあるし、極限状態での数々の出会い、その後の心境、行動。加えて「福島」の問題。
震災の残した爪痕は、本当に深く、重いものなのだと思います。
この体験をこのように本にするのはどうか、という迷いも吐露されていましたが、わたしはむしろ、知らない私たちにこのように伝えることこそ、本当に大切なことだと感じます。
大切なのは、本当に伝えなければならないことを、言葉を、しっかり選んで、伝え続けていくこと。
そのことを忘れたり、軽んじたりすると、わたしたちはいつまでも同じ間違いに、形をかえて遭うたびに、失敗と言う最悪の形で、受け応えてしまう気がします。
折りしも明日で、阪神淡路~から丸18年。
ちなみにわたしは阪神~も���東日本~も経験がありません。
だからこそしっかりと受け止めたい。
いつ、それは自分の身に、起こるかもわからないことだから。
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東日本大震災被災者ドキュメント。と言っても、著者は”たまたま居合わせた旅行者”で、そこで生活しているわけではない分、描写は軽い。
それでも、ほぼ半年ごとに訪れた様子をルポしているので、意識が薄れてしまっている私達(首都圏)と、2年たった今も解決しない問題に対峙している東北の人達との落差を、浮き彫りにしてくれる。
忘れてはいけないのだ。