紙の本
詩人による美しい小説
2022/09/28 14:21
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
詩人として注目を集めるヴオンの初の長篇小説は自伝的作品である。移民文学でありゲイ文学でもあるが、なんといってもやはり詩人による美しい小説だとすべきだろう。その繊細な哀しみは普遍的なものである。
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オーシャンヴオン「地上で僕らはつかの間きらめく」
https://shinchosha.co.jp/book/590173/ 主人公のおかれた状況はなかなか過酷なんだけど、文章が瑞々しくて甘くて、読んでると自分の体験ではないのにノスタルジーを感じる。情緒に同調するというか。美しさに圧倒される。読後の余韻がすごかった(おわり
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ベトナム戦争を背景に一家で渡米したベトナム人移民の少年が主人公の自伝的小説。鮮烈で強烈で、痛ましく美しい作品だった。作者は気鋭の詩人というだけあり、研ぎ澄まされた言葉たちのときに非定形的な表現によって描き出される豊かな情景が心に焼きつく。『行き止まりの世界に生まれて』のビン・リュー監督による映画化企画があるというのにも大いに納得だ。
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ミュージカル“ミスサイゴン”で、キムが命をあげずに子供とともに生き延びアメリカに渡っていたら。
たくさんの比喩が全て理解できたわけではないけれど、どこにいても苦しさはあり、その中で、我々は一瞬でも輝きを見出だして行くのかもしれない。
ベトナムの湿度高い田園地帯とアメリカの乾いた煙草畑と。
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ベトナム戦争後にアメリカに移った祖母、母、主人公の青年。
作家になった青年が語る自分の人生。
作者は若い詩人で(2021年現在で32歳)もあるんだが、文章も全体的に詩人が書いたといわれると非常に納得のいく、漂うような文体だった。
そして作者の美的感覚はとても微妙なバランスの上に保っているのだと感じる。美しいものを心に留めるが、それはただ美しいだけでなくどこかしら危なっかしいものを美しいと感じているような。
主人公の青年の名前はリトル・ドッグ(子犬)。おばあちゃんの育った村では、体の弱い子供や末っ子を邪悪な霊から守るために酷い名前で呼ぶ風習がある。
おばあちゃんは、最初の夫から逃げ出してから自分をラン(百合)と名乗った。娘はローズ(薔薇)と名付けた。
ベトナム戦争後に祖母、母、リトルドッグは、アメリカに移民として渡った。
母は昼間はネイルサロンで働く。英語が読めない。リトルドッグはそんな母に手紙を書く。読まれない手紙。自分の人生を振り返る手紙。
<母さんは母親だ。でも、同時に怪物でもある。僕も同じだ。だから僕は、母さんから目を離すことはできない。だから僕は、最も孤独な神の創造物の中に母さんを入れた。P21>
母はベトナム戦争の後遺症を患い、動物や火を見るとむかしを思い出してパニックになる。リトルドッグも幼い頃から暴力を受けてきた。
リトルドッグは母に英語の文章を読んで聞かせる。疲れて帰ってきた母のマッサージをして寝かせる。
<「いいものはいつも、どこかよそにある」P65>
幼少期に米国に渡ったリトルドッグはベトナムよりもアメリカでの暮らしが長い。
だが言語のことも、気持ちの上でも、血縁のことでも、アメリカに馴染み切ることはできない。
<よその子は、僕よりたくさん生きている。(…)みんなはたくさん生きている、みんなのほうがたくさん生きている!P80抜粋>
これは米国に移ったばかりでまだ幼いリトルドッグが、アメリカの子どもたちを知り口からでた言葉。まだあまり言葉を覚えていないころからこの感性を持っているのは本当に感受性が高いと思う。
思春期に知り合った農園の息子、トレヴァーとの交流が始まる。
自分がゲイだと知る。
スキンシップは本格的なセックスになる。
トレヴァーは、飲んだくれの父親から逃れ、トレーラーを乗り回し、ドラッグを摂取する。
リトルドッグにとって、ドラッグの過剰摂取や、無茶な運転による事故死は身近だった。だから友達の間では決して「さよなら」や「おやすみ」は言わない。
大学にゆくために街を出たリトルドッグに、やがてトレヴァーもその命運を辿ったとの知らせが入る。
リトルドッグが同性愛者であるということは、彼のアイデンティティともなっているのだが、周りからの偏見もすごくてちょっとびっくり。作者はまだ32歳(2021年現在)。それが10代の頃に「同性愛者なら女装するの?」とか「同性愛は何年で治るんだろう?」など、この感覚が50年前じゃなくて20年以前でこうだったのか。
リトルドッグの回想に差し込まれる数々���イメージ。詩のように漂うように流れる言葉。
解体されるシカ、冬の寒さに色づくオオカバマダラ、崖から落下するバッファローの集団、花の名前を持つ祖母と母、祖母の夫となった元アメリカ兵との触れ合い、末期癌に苦しむ祖母のうわごと、戦争体験の記憶から逃れられない母。
リトルドッグはやがて作家になる。
<「お前は自分で描いた絵の中に、自分を置いてみたことがある?(…)自分の姿を後ろから見て、どんどんその風景の中に入っていったことはある?ここにいる自分から離れたことは?」僕が文章を書くときに母さんが言っているのと同じことが起きているのだと、どうやったらうまく伝えられただろう?やっぱり僕達は似た者同士だって。僕らの手の影は、違うページの上で溶け合っているって。P11>
ゲイは差別対象で、過剰摂取や無茶な運転で友人たちが死んで、祖母は癌で苦しみ、母は戦争後遺症で苦しんでいる。
自分たちは何もしなくてもベトナム人だ。だがアメリカに根付く彼らは、新たな文化を作る一員となっている。
<僕はむかしからずっと、僕達は戦争から生まれたのだと自分に言い聞かせてきた ーでも、母さん、それは間違いだ。僕たちは美から生まれた。僕たちは決して、暴力が生んだ果実じゃないー むしろ美の果実はその暴力にも耐えたんだ。P269>
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文学ラジオ空飛び猫たち第65回紹介本。 ベトナム系移民の自伝的小説。母と祖母とベトナムからアメリカに渡ったリトルドッグがニューヨーク大学に入るまでを描く、痛みと生きづらさ、それゆえの人生の美しさを描いた力強い一冊です。 本書を構成するのは、詩人である著者が字を読めない母に宛てた手紙です。心に残る言葉の数々に出会えたのも魅力でした。 ラジオはこちらから→https://anchor.fm/lajv6cf1ikg/episodes/65-e1bhbqv
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2022 01.
2022年最初に読んだ小説
本屋さんで見かけて少し開くとなぜか
これは読まなくてはいけない!という気持ちになり
もう手から離れなくてそのまま衝動買いした本
作者は88年生まれのほぼ同世代
たまに出てくるワード(50セントやラグラッツ)に
それを感じながら同時に語られる
戦争、移民、人種、性別、薬、死に
どこか遠さを感じて不思議な気持ちになった
ひりひりして何度も泣きながら少しずつ読んだ
落ちていくバッファロー
帰らないオオカバマダラ
脳味噌を食べられる猿
仔牛肉にされる仔牛の檻
楽しい言葉遊びと美しい言葉選びに作者を尊敬し
それを訳された訳者さんも尊敬する
読んで良かった
大切にしたい本
メモしながら読んでなかったので
最後の方だけのメモ:
P218 僕は知っている。虐殺(slaughter)という語の中に笑い(laughter)が閉じ込められているのはフェアじゃない。
P226 もしも気が付いたら暗くなっていく世界の中に閉じ込められていたというようなことが起きたら、体の内側は昔から暗かったことを思い出してほしい。心臓は法律と同様に、生きている人のためにしか止まることがない。
P249 僕が育ち、母さんが老いていくハートフォードでは、互いに「こんにちは」や「元気?」ではなく、顎を突き出すようにして「いいことあった?(what's good?)」と言って挨拶をする。
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一方的に「感動だ、綺麗だ、涙がこぼれる」という類の感想は非常に好まない。
感性には温度が有り、嫌いは嫌いと言う毒々しい気持があるのは事実。
個人的にこの世界は好まない。
だが、文学というピュアな世界での評価はできる~美しい詩的世界・・・自伝を「祖母への手紙」の形にして綴ることで 己の足跡を鑿で打つように刻んで行っている。
LGBTQである自分がベトナムを離れて アメリカで育っても生き続けても 尚アイデンティは強くベトナムを感じている様子がビンビン伝わってくる。
祖母~ラン(百合)、母~ローズ(薔薇)、そして自分はリトルドッグ
読みつつ常に脳裏に大自然の情景が匂い、音とともに再現されて行く。
映画化の話があるのは当然かと。
かつて見てきたベトナム映画に流れる独特のニュアンスがこの小説(といってもとてつもなく詩的)を味わえるし。
ドッグが繰り返し受けて来た暴力を経て、農園で知り合う白人男性トレヴァー、そしてセックスに溺れる。
黄色と白との激しい行為が幸福へとは行かず、トレヴァーの生活歴から来た自滅で消滅。
祖母の生活歴も凄まじい。アメリカとベトナムに関係に重大な影を落とすベトナム戦争がこの作品の骨格モチーフの一つ~祖母、母、そして自分も受けて来た暴力の数々
長じて作家になるリトルドッグが 戦後後遺症とゲイという2本の柱を土台にして紡ぐ詩・・・立っている足元は、ベトナム~モンスーンの風に吹かれる農村地帯、しかし根付いているのはアメリカ大陸。
アンヴィヴァレンとチックでしなやかな微細さが作品全体を流れている。
アメリカ大陸の雄大な自然描写のこまが流れる(オオカバマダラ、バッファロー)相対する様に通奏低音的に漂うベトナム戦争後遺症に苦しむ祖母のうわごとと母の精神疾患がくっきりと浮き上がる。
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リトル・ドックと呼ばれるベトナム系アメリカ人の主人公が、文字の読めない母に向けて書いた手紙という形で語られる自伝的小説?
母さんとランおばあちゃん、アメリカ人のポールおじいちゃんがいて、黄色い肌の僕がいる。
そして2つ上の白人の男の子トレヴァーとの出会い。
出てくる人たちは誰も彼もが生きづらさを抱えています。
ベトナム戦争は
私が子供時代に初めて知った戦争だった。日本に戦争があったことより先に植え付けられた記憶。。
それだからか、とても身近に、普遍的な物語として入ってきてしまった。
時にひるむくらいの貧しさや暴力的な哀しみが押し寄せてきて、何度も本を置いてしまったけど
それ以上に表現が美しくて、ドラッグ、セックス、暴力、死すらも、その奥にある愛がつかの間きらめいて、胸をつかまれてしまいます。
比喩、というか表現?言葉の美しさと描かれる哀しみとのギャップが魅力的なのかな。気がつくと付箋だらけになってしまった。
"僕は昔からずっと、僕たちは戦争から生まれたのだと自分に言い聞かせてきた_
でも、母さん、それは間違いだ。僕たちは、美から生まれた。
僕たちは決して、暴力が生んだ果実じゃない_むしろ美の果実はその暴力にも耐えたんだ。"
トレヴァーという男の子は、とても白人的で男性的に描かれていたけど、彼もまた傷だらけなのです。そんな彼の優しさを見せられた時にはその愛にキュンとしてしまった。
「俺に会う前のおまえはどんな存在だった?」
「溺れかけてたと思う」
沈黙。
「じゃあ、今のおまえは何なんだ?」と彼は眠りに沈みながら言った。
僕は一瞬考えた。「水」
このシーンが大好きだ❕
物語の合間にメタファとして、タィガー・ウッズや、蝶、ヘラジカ、バッファローなどが出てくるのも印象的。(仔牛については私のトラウマに…)
だのに最後にこんな風に書いてる
猿、ヘラジカ、牛、犬、蝶、バッファロー。人間の物語を語るのに動物の悲劇を使ってどうしようと言うのだろう_私たちの人生自体が動物の物語なのに。
オーシャン・ヴォンという名前も素敵ですよね、訳者の木原さんのあとがきにもあり、興味をそそられました。
ヴォンの詩集もぜひ読んでみたい
いつか翻訳されることを切望致します。
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ベトナム戦争による心の傷、というのはアメリカ軍人のものしか見られてこなかったように思う。生活を壊され、家族を殺されたベトナム人の方がもっと深いであろうことに、私は気づかなかった。
ベトナム難民の子供がこうして避難先の外国で苦労をしながら、身を立てていくことは本当に大変だったろうに、この作品に書かれてある世界はグロテスクな美しさを持っている。
母親にあてて書かれた手紙のような形式で始まるが、読み終わった後は、目も髪も黒い肌の浅黒い子供が、タバコ畑の間にある農道を、必死に走る子供がいた。青い空の下を息を切らしながら足を前に進め、子供は少年となり、そして青年へと成長していく情景が残った。
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母へ宛てた手紙、という体裁をとりながら息子は自身のルーツを、色々な視点から紡ぎ出す。
豊かな表現にとにかく圧倒された。
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ベトナムから祖母・母と共に移住した詩人が書く自伝的小説。
ベトナム戦争に翻弄された祖母、移民となり英語が話せずアメリカでの底辺の暮らしの中で働きながら子育てする母、その2人と暮らしている僕は苛めを受けつつ成長していき性的マイノリティを自覚。同性の恋人・トレヴァーは薬物に溺れていく。
単なる移民の物語を超えて、著者特有の言葉の選び方、文章の運びで独特の雰囲気を持つ作品。時系列が入れ替わっていたりあちこちに話が飛ぶのですらすらと読むのは難しいですが、その分だけ心に訴えかけるものを大きく感じました。
祖母、母、主人公の精神的な逞しさと恋人トレヴァーの当時のアメリカの価値観でがんじがらめになった破滅的な儚さが印象的。
時々グロテスクな出来事の描写があるので少しお勧めしづらい、でもそれは現実でもある…。
「母さんへ 僕は今、あなたに声を届けたくて手紙を書いていますー」(P7)から始まる物語。人生のきらめいていない長い時間ときらめくそのつかのまの一瞬。一瞬だからこそ最大にきらめくのだろうか。
母親は英語が読めないのでこの手紙は読めない。だからこそ書けたこの人にしか書けない物語。
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ベトナム系アメリカ人でかつゲイの詩人ヴォンの初の小説。新聞の書評でとりあげあれていたので読んだ。図書館からかりてきた1回目は通読できず挫折。2回目でなんとか苦労しながらも通読。よみにくさの一つは出来事が起こった時間順にはかかれていないこと。目の前で起こっていることと想像していることの区別がつきにくいこと。僕と一人称でかいているのと少年はと三人称で書くことが混在していること。詩人ならではの比喩的な表現がそこかしこに散見さえることなどである。
登場人物はすくないベトナム系アメリカ人3世の僕、ベトナム人の祖母リリー、ベトナム人とアメリカ人の混血の花ローズ、とうもろこし畑で愛を育むこととなる白人の年上の少年トレヴァー、それに暴力的な父親、血のつながりのない祖父のポールその他10人以下である。
小説で扱われる題材は境界をつなぐ愛。(ベトナム人とアメリカ人の恋愛、男性同士の恋愛)、そして死(祖母やトレヴァーが死ぬ)、麻薬、戦争(ヴェトナム戦争)、貧困、言葉の問題、これらの問題は全て痛みを伴うが、100%の痛みというものはなく痛みを越えたところに喜びを見いだす。
236ページより「しばらくすうると痛みは溶けるようにして奇妙な鈍痛に変わった。より暖かい感覚を鈍らせてそれを仕方なく受け入れることで身体中にもたらされる、ありえないほどの快感・・・気持ちいいと感じるのは痛みを乗り越えたときだと、僕は知った」
このような主題が次々と崖からおちるバッファロー、渡りをする蝶のオオバカマダラと重なる。
ヴォンは自分と自分を取り巻く環境を、一度分解し、時空を隔てた上から俯瞰し、どのようなときに喜びを感じるかについて書きたかったのではないだろうか。
再読する元気あるかなー?
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自分の両親と会話したくなる。美しいね。
自分以外の特定の誰かを思い出せる本は尊い。
読んでる本の題材と世の中を騒がせてるニュースがリンクすることが割と多くあり、不思議だなあと思いつつも、その度にぐっと読書が好きになるね。
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ベトナム系移民の子供である著者の自伝的小説らしい。文字の読めない母への手紙という体裁を取っているけれど、ストーリーや時間の流れがかっちりしておらず、時間や場面が行ったり来たり、抽象的なイメージが挟まったりして断片をつなぎ合わせたような話になっている。
読者は、祖母のベトナム戦争の思い出話、家庭内DV、貧困、いじめ、農場の重労働、同性の親友にして恋人の登場、その彼のドラッグ依存、人の死、そういう断片をひょいひょいと渡りながら、主人公や周りの人たちの「地上でつかの間きらめく」生を見ていく。
もちろん内容は全くキラキラしていなくて常にドロドロで悲惨なのだが、時折登場するキャンディや指輪、オオカバマダラのイメージなんかのちょっとしたことが、その泥の中で時折きらりと光るのがとても印象的できれいだった。文章というか詩のようだ。
「僕たちは美から生まれた」
終盤に主人公がそう悟る場面がある。これこそ、母に、祖母に、彼に言いたかったことだろうけど、これは読まれない手紙なのだ。でも読まれなくても、あなたも分かっているだろう、ということを含意しているように思える。文字ではなくて、一緒に生き抜いた時間、一緒に見たものまるごとがそう語るのだから。