紙の本
未完のファシズム
2020/02/13 21:19
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「持たざる国」日本が戦争をするにはどうするのか、我々は大和魂や竹槍といった日本的精神論が思い浮かぶが、実際にはそう単純な話ではなく、様ざまな軍人に試行錯誤や本音と建前みたいなものが交錯して出来上がったことがわかった。本は少し分厚いが、ものすごい読みやすく、すいすい読めた。色んな軍人の主張が出てくるが、中でも中柴末純中将の主張は壮絶だった...。
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「持たざる国」の悲劇的な戦争史観
2012/08/13 13:29
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
「持てる国」英米ロと「持たざる国」日本の余りにも大きなギャップ、これが本書のキーワードです。
国土に資源なく、人こそ満ちたれどそれを養い育む科学技術産業も剰余豊かな文化文明もない日本を、いかにして文武両道を兼備した欧米並みの強国に仕立て上げてゆくか。それが漱石鴎外のような知識人のみならず日本の軍人と軍隊にとっても最重要の課題でありジレンマであったことを、私は本書によって初めて教えられました。
わが国が持たざる国である以上、その身の丈に合った軍事力で西欧先進国に対抗しようと考えた荒木貞夫や小畑敏四郎などの「皇軍派」と、まずは日本を豊かな強国にしてから一流国と対等になり、ある段階で軍事的に叩こうと考える永田鉄山や鈴木貞一・石原莞爾などの「統制派」の骨肉の闘争は有名です。
日本のような持たざる国が物資物量の豊富な大国と戦ってもまず勝ち目はない。しかしそれでは持たざる国の軍隊の存在理由なんて全然がない。物資兵力が劣勢でも精神を鼓舞し、側面攻撃などの戦略を活かして賢い短期決戦を挑めば、局部的な勝利を収める可能性はあるはずだから、その間に味方に有利な休戦にもちこむ道もあるだろう。
そういう苦し紛れの現実主義に立つ「皇軍派」の小畑たちは、武器より精神力が大事だと力説した「統帥綱領」と「戦闘綱領」を残してあの2.26事件で「統制派」との党派闘争に敗れてしまいます。
しかしいくら統制派でも単なる陸軍の派閥ですから、持たざる国を一挙に持てる国にするなんてたやすくは出来ません。それには長い時間と経験、そして政治・経済・社会全体にまたがる機能・権限の強力と集中が必要です。
それでもあえてここを強突破するためには、議会と明治憲法と天皇主権の掣肘をとっぱらって陸軍軍事独裁体制を敷く必要がありました。統制派きっての跳ね上がり石原莞爾は、わが国を豊かにして1966年に世界最終戦争を仕掛けるはずだったのに、実際にはおのれの理論をおのれの軍靴で踏みにじって「満州国」を創成!?しましたが、この恣意的で無思慮な試みが不毛な突出に終わったことは他ならぬ歴史が証明(未完のファシズム)しています。
そして「統帥綱領」と「戦闘綱領」の精神力賛美は、その後、中柴末純の歪んだ脳髄によって東条英機の「戦陣訓」に発展的に継承され、仮に劣勢でも勝敗に関係なく降伏せずに全員戦死せよ!という「一億玉砕」の思想に結晶していきました。
以上駆け足で著者の考えを紹介しましたが、その他にも宮沢賢治の文学と国柱会の関係など興味深い論考が随所で繰り広げられています。
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日本の戦前の歴史に新しい視点を開かせてくれる書物だ
2019/05/11 00:42
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投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本の戦前の歴史に新しい視点を開かせてくれる書物だ。ファシズムという言葉にも新しい視点を与えられた気がする。様々な軍人たちが出てくるが、いろいろな考え方があって、その違いがよく分かった。示唆に富んだ本だ。
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第一次世界大戦を基点として、日本の軍人が歩んだ戦争哲学を読み解き、皇道派vs.統制派の争い、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕まで、日本人の神がかりともいえる変化を浮き彫りにしている。軍人の心理変化が分析されていて興味深い1冊でした。
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所々引用があって面倒臭いんですが、第一次世界大戦以降の陸軍の思想的変遷が分かりやすく書かれています。個人的には、国柱会の田中智学の思想が勉強できたので良かったです。
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世界中の列強を巻き込んだ第一次世界大戦は、鉄や兵器などの「物量」だけがものを言う近代戦の幕開けであった。日露戦争の経験からそのことにいち早く気づいていた日本は、一次大戦はじめ青島の戦いにおいて銃火器を非常に効果的に用い、世界中に近代戦の手本を示すこととなる。
それなのに。
なぜ日本は、30年後の第二次世界大戦において、あれほどまでに無謀な戦いをアメリカに挑んでしまったのか。なぜあれほどまでに精神主義的、狂気的な戦争にのめり込んだのか。近代の戦争の総力戦としての本質にいち早く気づいていたはずの日本が、なぜ?
この本は、日露戦争ごろから太平洋戦争にかけての日本軍の戦争観の変遷を、個々の軍人の主義主張を順序立てて紹介していくことできわめて論理的に説明していくという内容である。
非常に読みやすく、わかりやすい。そしてなにより、事実の紹介に終始しているだけにも関わらずドラマチックである。
資源も技術も何もなかった「持たざる国」日本が辿った一つの破滅を、ロジックとしての理解を伴ったかたちで追体験できる良書。
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最初の総力戦であった第一次世界大戦の衝撃から、持たざる国日本の戦略として手頃な国を相手に短期戦を挑み、国力の劣勢は精神力で補うという皇道派と国力が充実するまでは戦争をしないという統制派が生まれた。皇道派は、玉砕、神風を生んだ戦陣訓等の極端な精神主義を残し、統制派は、満州を日本の国力充実の基地とすべく満州事変を起こし、これが世界大戦の原因のひとつとなった。結局、皇道派、統制派と無関係で無思想な軍事官僚東條英機が太平洋戦争をはじめた。その東條も、権力の集中を避けた明治憲法体制下では、総力戦のために必要な権力の掌握が出来なかったこと(未完のファシズム)、皇道派、統制派それぞれのファナティックな主張の裏に冷静な計算が有ったこと等思いがけない指摘が多く、ひさびに充実した読書の時間を持てた。司馬史観による狂気の昭和の軍人というステレオタイプから離れ、その思想的内容を検討すると意外な風景が見えてくるの驚いた。
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日本陸軍がなぜ滅びたかということについては、戦後数多の著作によってその検証がなされてきたと思われるが、この著作はそんな検証にまた新たな視点を提供すると同時に、現今の政治のように「決定できない日本型組織」についての言及もあって、たいへんに興味深い論考が展開されている。
文句なしの五つ星。
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★4つ半だがおまけで。
第一次世界大戦のくだりは非常に興味深かった。難点は第6章位までは素晴らしかった反面、それ以降はまだ思考が深められていないのか少々大雑把になるところか。
しかしつくづく思うのは、今もそうだが、頭脳明晰な人は考え過ぎて最後には「明後日の方向」に行ってしまうものらしい。
ところで帯の文言と本書の内容が微妙にズレている気がするのは気のせい?日本人全般の議論では必ずしもないように思った次第。
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回送先:府中市立紅葉丘図書館(SW03)
新潮社担当の認識のずれが少しばかり痛々しいが(片山が重視しているのは第1次世界大戦で日本は何を見て取ったのかという問題であり、近代史を通じた答えではない)、とにもかくにも「大正」という時代を軽視したがる日本の歴史家にとっては文字通りの「背後からの一突き」になりうる一冊である。
「日本陸軍はなぜかくも迷走したか」という命題は戦後多くの歴史家やジャーナリストが答えを出しては元の木阿弥に陥る一種の迷走状態になっているのだが、片山は明治憲法下における天皇を国家元首にするために書き込んだ「国内を一枚岩にしてはならない」という至上命題の前に挫折することを余儀なくされ、一方で「誰も責任を取ったつもりにしかなれない」中途半端さゆえに、精神主義と統制主義が振り子のようにゆれまくったと見なすことができるとしている。
これはいうなれば、第一次大戦が生み出した「総力戦」という戦争のスタイルに、いまだに落とし前つけられないのと陸軍内部のジレンマが軌を一にすると指摘するに等しく、さらに評者が補足するならば、戦後なぜか一定の支持を集めている旧海軍の戦略はまともであるという議論もまた第一次大戦におけるタンネンベルグ会戦の偶像化(この偶像化こそが第二次大戦における玉砕思考の一因と片山は結論付けている)と似た議論になっているという思いを新たにする。
もちろん昭和一ケタ時代の前後に流行を極めた「日本主義」と「アジア主義」という補助線をぼかさなくてもがいいのではないか(宮沢賢治に絶大な悪影響を及ぼした田中智学を挙げるならば、これを避けるわけにはいかないため)という思いもあるが、なぜだがいまだに影響の残滓が残る石原莞爾を徹底的にこき下ろすことが一般的ではない以上、やむをえない。
全体を通して口語体なので、ある程度の教養があるならば十分に読むことは可能である。
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第一次世界大戦後、いわゆる現代の戦争の様相が明らかになった後の主として日本陸軍内部の軍事ドクトリンの変遷を研究した書物。目新しいのは顕教にあたる部分に対して密教に当たる部分を補足補完して記述してあるところ。これまで顕教に当たる部分はその非合理性、ファナティシズムも含めて批判の対象となっていたが、この書ではその基盤となる情勢判断、政治思想を補完することで非合理性をなるべく合理性の範疇に回収する試みがなされている。合理的とはいえ最終的にその思想が破綻したのはご存知の通りなわけで、「だから、どーしろと?」という問は何時まで経っても残るし、情勢こそ変われ未来永劫消えはしないのだ。
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皇道派と統制派それぞれの行動原理を読み解くことができるようになっており、現代から見ると非合理的な行動でも当事者たちの目線に立つことにより理解しやすくなっている。
読み終えた印象として、遠い将来に想定していたはずの対米戦について、互角に戦おうとあれこれ対策をすればするほどアメリカを刺激して開戦がどんどん近づいてしまったというところでしょうか。
またそれまでの固定観念の大勢である「日露戦争に気を良くしてW.W.Ⅰの教訓を学ばなかった」という類の単純化された歴史観とは正反対に近い論証をされていて、大変面白く読むことができた。
逆に総力戦を理解していたからこそ、国力豊富なアメリカを恐怖し、開戦に徹底的に備えたかったのだから。
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先日、「米軍が恐れた「卑怯な日本軍」」という書籍を読んで、玉砕までをも含む旧日本軍の戦術と、それに対応した米軍の戦闘マニュアルについての感想をあげたところ、本書を薦めていただいたので、読ませていただきました。
本書は、日本軍の戦術の規範が、なぜ極端な精神主義に偏り、玉砕に突き進むようになったかを、第一次世界大戦以降の日本、そして日本軍人の描写を通じて解説しています。
日露戦争で、肉弾による突撃を主とする戦法は、既に機関銃、重砲を備えたロシア軍の前では、既に時代遅れのものであり、きわめて大きな犠牲を払うこととなった。
日露戦争の犠牲を踏まえ、長期間にわたった第一次世界大戦の動向を学んだ日本軍は、すでに第一次世界大戦以後の戦いが、大量破壊兵器同士の戦いになり、そしてその戦いを勝ち抜くには、大量の物資を必要とする物量作戦であることを、十分認識していた。
だからこそ、日本軍は青島の独逸軍と戦った際に、いたずらに突撃を繰り返すのではなく、十分な砲撃を踏まえた、一気の突撃により、驚くほど短時間でドイツ軍を撃破することができたのだった。
その、物量作戦を指揮した軍人が書き起こした「統帥綱領」や「戦闘綱領」は、その物量作戦を知ったうえで、運用すべき戦場のルールであったのにもかかわらず、第二次世界大戦に突き進む我が国では、いつのまにかルールに書かれたこと至上主義となり、モノより精神、武器の足りないところは鍛錬で補い、良く敵を殲滅するという方針だけが形成されていく。
玉砕戦術しか指揮できない参謀本部、旧陸軍の高級将校たちは、やはり無能ではなかった。しかし、当初、このルールを策定した実戦経験を踏まえた先輩軍人たちの知恵を活かすことができず、ただ、ルール至上主義で破滅に向かって進まざるを得ない状況になっていたのかもしれない。
作者は、あとがきをこう締めくくる。「この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とはなんでしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだ時の痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。そんな当り前のこともことも改めて噛み締めておこう。そういうことかと思います。」
ただ、根拠のない安全をよりどころに、人間が制御できていない原子力発電に手を出して、万一のことには思い至らず、無視し、一時の利益のみに群がり、しゃぶり尽くす。そんな現代の日本人は、多くの犠牲を払って日本人が獲得した知恵を活かしているとはいえないのではないだろうか。
そして、ルールルールとそれだけを拠りどころにし、そして言葉巧みに利用して自らの正当性を主張する、どこかの政治家は、その法が作られた意図を理解しているのだろうか。
なるほど、この書籍は現代日本に読み替えても、なかなか示唆に富んだものだといえるだろう。
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第16回司馬遼太郎賞を受賞された片山杜秀さんの『未完のファシズム』
大晦日に読了。
2012年、百田尚樹さんの『永遠の0ゼロ』(講談社文庫)や
内田樹さん等共著『この国はどこで間違えたのか』(徳間書店)を読んだり
沖縄で戦争映画を見たり、渡嘉敷島の戦争跡地、モニュメント
を訪れたりと、とにかく貪欲に戦争の真実を追い求めた年だったように思う。
『未完のファシズム』は、どのようにして「持たざる国」日本が第二次世界大戦の敗戦を迎えたか、明治時代から昭和の戦争までを精神世界の観点からずっと辿っている、恐ろしい恐ろしい物語だった。
自分も同じ時代に生きていたら、同じような精神の過ちを犯したかも知れない、、と決して過去の他人事とは思えなかった。
内容は魂から恐ろしくなるような戦争の話なのだけれど、
ところどころに片山さんのチャーミングな一面が見えて
そこに救われるような、とっても親しみやすい本だった。
片山さんの仰る「歴史の教訓」は
「背伸びは慎重に。……背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。……そんな当たり前のことも改めて噛み締めておこう。……」
戦争は絶対に嫌だ。
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太平洋戦争時、圧倒的戦力を持つ米軍に、日本軍は精神力-狂気の沙汰としか思えない玉砕-を用いて対抗した。筆者は本書において、なぜ日本軍がそのような力に頼るようになったのかを明らかにしている。そのための中心的な考察材料は、陸軍幹部達が第一次世界大戦の様相から導き出した、日本が戦争で勝つためのそれぞれの理念と、明治の政治機構。説明が丁寧でとても分かりやすく、モヤモヤと頭にかかっていた霧がサーッと晴れるような感覚をもたらしてくれる一冊。筆者の音楽関係以外の著書は初めてだけど、やはり凄い・・・。お勧めです。