洪水と確率 基本高水をめぐる技術と社会の近代史

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河川の洪水防御計画の「立て方」に着目して、近現代の歩みを切り取った本書。
非常に精力的な文献調査やききとりによって、
「いかにして確率論が目標設定に持ち込まれたのか」、
「その後実はどのような考え方の変遷があったのか」を紐解いていく、そのプロセスの面白さもあるが、このような視点からの歴史研究はこれまでなされておらず意義も大きい。

計画論というと、個別の河川で河道に分配させる流量をどうするかという、これまでの洪水の履歴との関係性での議論に目が行きがちだが、
それを財政的な視点からのせめぎあいや、経済的合理性からの検討などもこれまで多分に行われてきたのだという、再発見に満ちた一冊。
現代の河川技術者の胸を打つ内容も多いように思った。
少なくとも私自身、流域全体での治水像を検討するにあたり、費用対効果の分析や、全国的視野からの検討が、もっとなされてもよいのではと考えた次第である。

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第1章では明治～戦前にいたる間の、洪水との対峙の歴史が振り返られている（もちろん本書の肝ではまだないが、こうした振り返り自体が貴重。木曽川水系での洪水頻発(P.21)・それを受けた先駆的な直轄事業のことや、利根川では工費が膨大となるのを危惧して目標規模を抑えたという記述が印象的）。

第2章では、戦後の大水害が頻発した時期を経て、それまでの既往最大主義から確率主義に展開した様子を描く。
戦後15年程度に水害による被害額や死者数が多かったことを示すグラフ(P.34)も印象的であるし、近年の（鬼怒川以降）の毎年のように起こる水害は、似たような時代が再来したのかもしれないと思わずにいられない。
戦後の被害集中については、改修費の不足や森林伐採・降雨量増の影響、維持工事の不徹底等が指摘されているが、これもまた現代に似ている（森林だけは伐採でなく荒廃だが…）。
白川での洪水を受けた計画策定のプロセスの中で、事業費削減の必要性や社会的な意味での事業実現性に鑑みて確率主義が持ち込まれたのだが、このときは全国的視野にたった財政的・費用対効果的な分析はなされていなかった。

第3章において、GHQによるガバナンスのもとで、合理性・経済性（投資効率）が求められたことで、確率主義に拍車がかかる。そうした中で、費用対効果分析にもとづく経済的な治水計画が志向されるようになっていく。
「水文統計学」として研究が進み、中安（千代川河川事務所長）らによる「防災利益率」（＝年単位被害軽減量（人/m）／単位工事量（人/m））でもって河川整備の投資効果を定量化する試みは、この時期の要請の中で必死に考え出されたものだとしても明瞭で、的確だと思った。このときにようやく、経済的合理性を担保する理念として確率主義が生まれたのだろう。その後S33年河川砂防技術基準に位置付けられ、「重要度」「経済効果」「既往最大洪水」を並行して考慮してピーク流量を検討するという考え方(p.127)が見出された。

その後、河道分配とダムでの洪水調節を分配するために、ピーク流量だけでなく有限なダム容量との間で時間的な概念（ハイドログラフ）が導入されていく。��のあたりから、複数の波形の取り扱いが重要になっていくというのも重要な指摘。

第4章では、限りある財政の中での省庁間の協議が印象的。
単に確率主義といっても、予算投資額の決着をみるべく、計画規模（確率年）と年平均被害額の関係性に着目した方法(P.149)や、GDPとの相関方式等、さまざまな論拠で協議される姿は現代さながらだ（何なら現代ではそこまで真摯な議論がなされていないかもしれないと思うほど）。

5か年計画と技術基準の中で計画規模が変遷していく様子をまとめた表(p.156)も面白い。
S51年河川砂防技術基準の改訂では、「重要度」が「経済効果」や「既往最大洪水」よりも重視され（そうすることで流域の将来性にも目をむける）、それらを総合的に考慮して計画規模を決める、というスタイルに変化したという(P.167)。

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著者も指摘するとおり、現代は、大水害の頻発、社会財政状況等、大きな転換期にあるように感じる。
そうした中で治水計画は確率主義から脱却し気候変動の影響を考慮する「予測主義」に向かおうとしている。
新ステージへの突入であるのは確かだが、純技術的な議論であり、本書を読んだあとでは、社会的・財政的・経済的要請との間でどこまで議論が尽くされているのだろうかと思わずにいられなかった（それをいうと「流域治水」の目標像含めてなのだが）。

文章もわかりやすく的確だが、あわせて理解を助ける重要な図表が多いのも読み易くしていると思う。（終章での要約・振り返りも有り難い。）

日本の治水のこれまでとこれからを考える上で必携であると思ったし、例えば国際貢献を考える上でも、治水の計画策定とはいかにあるべきかと考えるためにも読んでおいたほうが良いと思った。
歴史は嘘をつかないのだから。