紙の本
何ともならないのか
2018/09/15 11:43
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今も続くフクイチ原発事故対応。発災後の政府、東京電力、アメリカ政府などの緊迫した初動期の危機管理対応を微細に描いている。原発事故関連本が多い中、ここに描出された内容はほぼ疑いはないのだろう。東京電力という組織体は正に日本のそのものといえる。このままズルズルと進んでいっては何も変わらない。けじめをつけて解体出直しを断行すること意外に解決方法はないのではないか。しかし、時既に遅しか。
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米国側とのじりじりするような緊迫したやりとり、あのSPEEDIIがなぜ世の中にすぐに展開されなかったのか、などが明かされている下巻。あれだけ情報がなければそりゃ米国もきついと思う。とくにルース大使の心中たるや。同盟国ということでよく米国が我慢したなと思ってしまう程の日本の対応の至らなさ。人材がいないことがよくわかるが、それにしても上下巻で細野さんとヨイショしすぎなきらいも。
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とても複雑な読後感。著書も指摘しているように、この事故で問われたのは、戦後の日本そのものであると同時に、日本人の生き方であったように思えてならない。固有名詞と時制を変えるだけで、自分が身を置く組織にも共通する日本人としての「業」が見えるような感覚を覚えた。
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●日米同盟の潜在的危機
「同盟国は助けてはくれるが、運命をともにしてはくれない」
「自らの運命を自らが決める覚悟とそれを維持する手段を保有すること
は、偉大な国民としての絶対的な要件なのである。
同盟はそれが生み出す好感情がいかほどのものであっても、同盟自体
には絶対の美徳はないからである」
「自分がまず、最初にリスクを負ってやらないと、同盟の相手国は決して
、やってくれない。自らを助けることができない国は助けない。」
【P156 第15章 ホソノ・プロセス】
●SPEEDI運用に関する問題点
1,SPEEDIを住民避難に活かす意思の希薄さとゲームプランの不在
2,ガバナンスの欠如
3,パニック回避と言う名のリスク回避
4,霞ヶ関官僚機構に特徴的な縦割り行政と消極的権限争い
5,SPEEDIは「実物以上、現実以上の存在」として政治的、行政的に利
用されてきた
【P381~P391 「SPEEDI、その後」 第20章 計画的避難区域】
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原発事故の背景で、日米同盟の破綻一歩手前という緊迫の状況があったことが良くわかりました。ここに記された事実が全てではないとしても、この事故をさまざまな切り口からここまで調べ上げた本書は、上下巻で約900ページの大作ですが、貴重な資料でもあると思います。アメリカNRC職員の次の言葉が印象的でした。「地味な仕事をする現場の人こそがヒーローだが、原子力産業においてはヒーローは必要ない。彼らを最後のヒーローにしなければならない」
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・「災害用ロボットは消防庁が絶対持っていると思っていた。それがなかったと知って、愕然とした」という。防衛省・自衛隊はなぜ、開発してこなかったのか。なぜ、原発事故対応のロボットを開発しようという発想がなかったのか。防衛省、自衛隊の担当者は一様に、2つの理由を挙げている。
一つは、日本は核攻撃を想定していないことである。非核国日本の自衛隊は核に係わることには―軍事利用も平和利用も―できるだけ触れないようにしてきたし、政府も触れさせないようにしてきた。
もう一つは、自衛隊の中に需要がないことである。陸上自衛隊は人減らしにつながるロボットの導入には警戒的である。
・細野は、「菅直人という政治家の生存本能というか生命力ってすさまじいものがある」という。「この局面で我が国の生き残るためには何をしなければならないのかという判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だと思っているんです…撤退はありえないし、東電に乗り込んで…そこでやるしかないんだという判断は、日本を救ったといまでも思っています」
→これには、本能という言葉を使うのは失礼なんだろうな、と思う。ナポレオン曰く、’予想できない状況で何をすべきか、突然、密かに自分に教えてくれるものは天賦の才ではない。それは思索と瞑想だ。’
平時から政治家とは、日本とは、と考えていたのであろうと思う。
・チェルノブイリの事故はソ連社会の病巣を浮き彫りにさせたが、福島第一原発事故は日本の組織社会の問題点をあぶり出した。
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吉田さんや増田さんのような方は例外として、責任の所在をハッキリさせないとか責任回避の方々を読むと、現代の日本の縮図のような気がしてきました。。
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上に同じ。筆者が元々日米関係を守備範囲としているジャーナリストであることもあり、(勿論ダウトも抱きながらだが)日米同盟の行方という観点で重要な実例であったフクシマ事故対応に大きく章を割いていたのが良かった。
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元の職場の同僚の方の推薦で読んでみた本です。
著者は、「一般財団法人日本再建イニシアティブ」の理事長でもある評論家船橋洋一氏。この一般財団法人日本再建イニシアティブがプロデュースした最初のビッグプロジェクトが「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」でした。
本書は、民間事故調を率いた船橋氏による未曾有の大惨事となった福島第一原子力発電所事故の実相を描いたノンフィクションです。
極限状況下での政治家・官僚・東京電力の幹部・自衛隊員・アメリカ政府関係者等々の考え・言葉・行動がリアリティをもって記されています。
しかし、官僚・東京電力・・・、あまりにも酷い現実です。一読の価値は十分あります。
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本当の危機という事、その時の対応が、為人を如実に表すという事、それに備えるという事は今のこの瞬間に何を考え何をする事なのか、考え続けなければいけない。
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米海軍の横須賀基地からの撤退騒動(ヨコスカ・ショック)が非常に印象的。3.11、原子力空母ジョージ・ワシントンの放射線センサーのアラートを皮切りに、米国世界戦略の要であり、ライフサイクルコストが2.5兆円に上る「原子力空母の価値」と、「対日関係」が天秤にかけられた瞬間でもある。これは非常に恐ろしい示唆であって、戦後日米安全保障条約とともにあった日米関係が薄氷の関係である事を示す事例であるし、「国家間に真の友人はいない」は至言であると。
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上巻に続き、福島原発の本。米軍との協力関係を気づくのが大変であったこと。そして管直人 功罪半ばする評価だが、この本を読む限り功が上回る。官僚や他の政治家が原発の危険性を知らないあるいは想像できない中 よくやったの一語につきる。菅は斑目、海江田、清水社長など次々と自分の周りの人間にダメ出しをしながら事故処理に猪突猛進した。人の使い方が下手とか組織のトップの振舞ではないといわれながれもとにかく進んだ。
そして踏ん張った。本来一国の元首が踏ん張らないといけない事態になんて有史以来どの国も直面したことがなかった。チェルノブイリは原発だけスリーマイルも原発だけである。あるいは地震と津波の災害を蒙った国もある。何が起こったかわからないと同時に何が起こるかもわからないという渦中でよくやったと言える人が自衛隊に東電に官僚の中にそれぞれいた。またその数十倍の人がそれぞれに努力しながら、組織の壁で実力を発揮できなかった。
いろいろ本当に考えさせられる本だった。
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民間事故調をプロデュースした船橋洋一氏がまとめた、福島原発事故のドキュメント。今も続く福島第一原発事故。そのときに、何が起きて、何がなされたか。そして、なにがなされず、なにが国民に知らされ、また、なにが国民の目から隠されたのか。そのときアメリカは何にいらだち、何をしたか。
東日本大震災の記録のうち、福島原発事故の最初の1ヶ月間を切り取ったおそらく事実。
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【『民間事故調』でも語られなかった福島第一原発事故、真実の物語】「もうだめか」米軍横須賀基地から空母が離脱。首都に被害が及ぶことを想定、首相談話が準備された。日米要人300名余に徹底取材。
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著者はジャーナリストにして、福島原発事故独立検証委員会の調査を指揮した。この本はあの事故のドキュメンタリーでこの上巻は3月11日から15日までを記してある。この本を読んで強く感じるのは人間の行動は不確かだということだ。福島第一原発が津波により全交流電源を喪失し、東電・官僚・政府は必死で電源車の確保を行う。一日がかりで集めた60台は大渋滞の中なんとか福島に到着する(自衛隊や米軍のヘリでも重すぎて運べず)。ところが現地に集まった電源車はケーブルがない為使えず、再び全国から電源ケーブルを集め自衛隊のヘリで福島に運びようやく電源車につないだ。しかし、国の総力を挙げて一日半かけて手配した電源車は、現地の配電盤が水没し使えなくなっていた為に何の役にも立たなかったのである。まさに時間との勝負であったあの場面でそれだけの時間を空費したことは致命的であろう。また、2号機だったかに水を入れる機械が動かず、東電技術陣が半日全力で対応にあたったが、結局動かなかった原因はタンクに燃料が入っていなかった為であった。私はそのことを責めるつもりは全く無い。東大を出ていようが、人生経験が豊富だろうが、度重なる訓練を受けていようが、このような事態にはかくなるものである。そんな人類が原子力技術を安全に運営するなど100年早いのである。そのことを今回の事故は伝えているのだ。