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ミシェルウェルベック「セロトニン」http://kawade.co.jp/np/isbn/9784309207810/ 読んだ。初めてウェルベックをおもしろいと思えた。ま内容はバカになれないしょーもない甘ったれ男が社会的精神的に転落していく様を書いてるんだけど、文章がよくてよくて。読書は内容と同じくらい文章を読むものなんだと実感した(おわり
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文学がもはやその影響力を失いつつある現代において、最もアクチュアルな作家を一人選べと言われれば、私は疑うことなくミシェル・ウエルベックを選ぶ。ウエルベックは前作の『服従』において、2022年のフランスを舞台に、イスラム教移民による政府が樹立されたという架空のシナリオを描きつつ、実はそれが架空とも言い切れない可能性を持っているということを我々に突き付けた。
そうした鋭い時代感覚を持つウエルベックが本作で取り上げたのは、愛なき時代に孤立する人間の姿である。主人公はフランスの農政に関与しており、自らの苦悩と並行するように、EUにおける農業市場の自由化により破綻を余儀なくされるフランスの農家・畜産家の苦悩が描かれる。
『服従』ほどの衝撃はなく、極めてパーソナルな小説ではあるが、救いのなさから暗澹たる気持ちになる。それでもページが止まらないのは、希代のストーリーテラーたるウエルベックの力量故である。
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ミシェル・ウエルベックの最新作。
この人は本当に、ダメ人間を書かせると上手い。本書の主人公もなかなかダメな奴で、非常に魅力的だ。
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引きこもりながら、思い出に追い詰められ自殺にじわじわと向かう話なのにすごく面白く、一気に読める。最高に陰鬱で救いのない物語。
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私事ながら、読書を除けば趣味というものがない。昔はいろんなことに手を出したが、今は何もする気になれない。猫と暮らすようになってからは、あまり外へも出かけなくなった。仕事以外に人とのつきあいがなく、退職後は年に二度、夏と冬に学生時代の友人と会食するだけだ。まず、家族以外の人と話をすることがない。退職前によく人から「趣味を持て」と言われたが、このことを言っていたのだな、と今になって思い当たる。
妻は本気で「ひきこもり」を疑っているふしがある。しかし、人と話をしなくても別段不満はないし、お決まりのコースを半時間も歩けば、自然の変化に目はとまるし、運動不足の解消にもなる。家に帰れば猫が待っている。人との不必要な摩擦のない生活は、自分にとっては申し分のない生活なのだ。人生も残すところあと少しになった老人は笑ってそういってもいられるが、先の長い人間にとってはどうだろう。
『セロトニン』は「ひきこもり」を扱っている。禁煙運動や環境問題、グローバル化した経済など、行き過ぎた社会規範や国家間の約束が、かつては自由にやっていた個人的な営為や習慣をことごとく縛り、そのことに敏感な人間を追いつめている。行き場をなくした「個人主義者」は反抗するが、時代の波には勝てず、自殺するか、ひきこもりか、いずれにせよ敗者となる。ウェルベックの主張は極端なようにも見えるが、世界から寛容さが失われつつあることは事実で、一面の真実をついている。
一人の男が自分の人生を振り返りながら、希望を見いだせないまま袋小路に追い詰められてゆく。人生が下り坂にあることを意識した男は、我知らず残りの人生を食いつめてゆく。あのミシェル・ウエルベックにしては、ペシミスティック過ぎる気がするが、陰鬱なユーモアをまぶしたアイロニカルな批評性といい、セックスと食事に対する過剰なこだわりといい、殊更に人種差別的な言辞を弄するところなど、所々に「らしさ」を見ることができる。フムスとやらを食べてみたくなった。
主人公は四十六歳になるフランス人男性。ブルジョワ階級で、環境団体がやり玉に挙げることで有名なモンサント勤務を経て、農業食糧省の契約社員となる。フランス産の農産物の輸出拡大や、外国から安い関税で入ってくる農産物から自国産のそれをどう守るか、という面でわずかではあるが貢献していた。しかし、EUという枠組みの中にあってフランスの農業は圧倒的に不利であり、彼は負け戦の連鎖に戦意を喪失しつつあった。
物語は、スペインの避暑地から始まる。ヴァカンスの最中で、パリからやってくる同棲相手の日本人女性ユズを待っているところだ。皮肉なことに彼はユズが来るのを怖れている。このユズというのが詳しく書く気になれないほどのビッチ。縁を切りたい主人公は、テレビで見た番組にヒントを得て、自分の借りているタワーマンションにユズを残し、自分は蒸発を決め込む。仕事もやめ、どこかに居場所を探してひきこもって暮らし始める。
彼には父の遺産があり、退職しても当座の暮らしには困らない。問題は煙草を吸うことができるホテルが激減していたことだ。どうにか探し当ててそこに暮らし始めてからが本編となる。正直なと���ろ、出だしのユズのイメージがひどすぎて、共感がしづらいのだが、小説の常として、細部は小出しにされる仕組みになっている。話が進むにつれ、このいけ好かないスノッブにも共感できるところが出てくる。ウエルベックの語りの巧さがそうさせるのかもしれない。救いのない話なのに本を置く気になれない。
表題の「セロトニン」とは「脳内の神経伝達物質の一つで精神を安定させる働きがあるとされ」る。 このため、セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったり、うつ病を発症する原因となることもあるという。主人公も医者の診立てによれば「悲しみで死にかけてる」。実はかなり重篤で、風呂はおろか、シャワーも浴びたくないほど。抗うつ剤の副作用で、性欲がなく、不能になりかけている。そうなったらなったで彼が考えるのは自分のせいで別れた恋人のことばかり。これはちょっと悲惨だ。
自分の四十六歳当時を思い出した。仕事も人間関係も発展途上にあり、バリバリやっていた。時代も今とちがって前向きであったし、国にも勢いがあった。ひるがえって今はどうだ。自国の凋落は目を覆いたくなる惨状。世界に目をやっても、悲惨な有様だ。戦争は止む気配はないし、指導者の質はがた落ちしている。ポジティブになれなくても無理はない。個人は自分一人で生きているわけではない。いやでも社会の中で生きるしかない。主人公を追い詰めるのは個人的な問題だけではないことをウェルベックは書いている。
「最初から何もかもがあまりに明白だった。でもぼくたちはそのことを考慮に入れなかったのだ。個人の自由という幻想に身を任せてしまったのだろうか、開かれた生、無限の可能性に? それもあり得る、そういった考えは時代の精神だったからだ。ぼくたちはそうはっきりと言葉に出しては言わなかったと思う、関心がなかったのだ。ただそれに従い、そういった考えに身を滅ぼされるのに任せ、そのあと、長い間、それに苦しむことになったのだ」
はじめはおつきあいを遠慮したくなる主人公だったが、結末に至るといとおしく思えてくる。そう思い始めたところで小説は終わる。この世には、取り返しのつかないことがあり、それは失ってみて初めて気がつくのだ、という真理が痛いほど胸に迫る。読みおえたあと寂寥感が心に残る。主人公の変容の鮮やかさという点において、他の作品を凌駕している。ひょっとしたら代表作になるかもしれない。
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何か憂鬱な感じ。カタルシス、どんでん返しはなく、むしろそうした救いの無さを描いた感じ。農業というテーマに縁がないのも地味だと自分が感じる理由の一つ。そうしたテーマに関心があったら、もっと汲み取れただろうか。地味なテーマ、一発逆転などありえないようなフィールドではある気がして、作品の色調を決定づけている。
それにしても、ユズの描写に対して、こういう日本人本当にいるのかなと思ってしまう。よく分からない。人種差別に踏み込むことをいとわない誇張的ユーモアは相変わらず炸裂している。
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何かと物議を醸しだすことが多いフランスの小説家ミシェル・ウエルベックの最新作(2019年11月時点)。この小説も読む人によって否定的なものも含めてさまざまに読まれるであろう、その意味で小説らしい小説だ。
主人公は46歳で、2017年初頭に発売されたというキャプトリックスという抗鬱剤を服用している。この薬は、プロザックなどのセロトニン神経系に注目した次世代の抗鬱剤で、鬱病患者の生活を劇的に改善するが、副作用として性欲の喪失と不能があるという設定になっている。
主人公は結婚しておらず、同棲するユズという日本人の恋人がいるが、相手の人格を貶めるような不満を心の中で吐露し、その意趣返しにか、ある日二人で住む部屋の契約更新をせずに黙って姿を消すことを決意し、そして実行する。当然のことながら一人称である主人公の視点から描かれているので、主人公の彼女への評価が本当にそうであるかは読者の解釈に委ねられる。彼が鬱病であるとされていることからも果たしてユズがそこまで性悪な女であるのか、実際にはそうでなかったという解釈することもできる。ただ、その事件はその後物語の主軸にはならずにすぐに後方に流れていく。
物語の盛り上がりは、その後に旧交を温めた友人の壮絶な自死である。その友人は由緒ある貴族の出自で、地主として実家の農業を継いだが、ビジネス的に行き詰まりを見せていた。彼が先頭に立つ農業自由化への抗議運動の最中、準備していた銃を手に取り、保安部隊に向けて発砲するのかと思いきや、突然自らをその銃で撃つ。そこにあったのは怒りというよりも、絶望と表現した方がしっくりとくるようなものだ。無暗に歳を取り、人生の意味はその手からこぼれ、生活の限界が見え、もはや死んでいくだけ。抗議の死と取られるパフォーマンスだけが人生の意味を作ってくれると考えたのかもしれないが、その考えにも確信をもって乗ることができないままその日が来たことで押し出されるように彼は実行したのか。そして、「人生の意味」の問題は彼だけの問題ではない、そう読むことができるのかもしれない。
その後、その友人の狩猟用ライフルを偶然手に入れることとなった主人公は、昔の彼女の生活をストーカーまがいに覗き見し、シングルマザーとしてその彼女が愛情を注ぐ幼い息子にライフルで狙いを付け、半年後にその子を亡くして悲しみにくれえる彼女を慰めてよりを戻すことを想像しながら引鉄に手をかけることさえする。しかし、主人公は結局その考えを実行しない。友人が引鉄を引いて自死を決行したのと、主人公がついに実行しなかったことの違いは、それを他者から見られていたのか、見られていなかったかの違いかもしれない。止めどなく一方的に膨らむ妄想に対して、主人公は不能者のように何も決定的なことを実行することができないのだ。
そういった一連の物語の背後に忘れらるべきではないものとして、主人公が鬱病で、内分泌系に影響する抗鬱剤を処方されているといういという設定がある。そのことによって、主人公は自身の自由意志の存在という希望さえもあらかじめ奪われている。そこに目が向かない読者もいるかもしれないが、著者はそのことに常に意識的だ。だからこそ敢えて架空の��ャプトリックスを登場させているのだ。
世界的ベストセラーとなった『ホモ・デウス』の中でユヴァル・ノア・ハラリはこれからの人類が求めるのは、「不死」と「幸福」かもしれないと言った。神と人間が死んだ世界において、「不死」と「幸福」が求めるべき課題であれば、そのことについての小説が書かれることは文学の責務として必然のことなのかもしれない。そして、ウエルベックの『ある島の可能性』が「不死」に関する本であったとすると、『セロトニン』は「幸福」についての小説であると言える。ウエルベックは『ホモ・デウス』をおそらくは読んでいるであろうし、そこでホモ・デウスは「不死」と「幸福」を求めるものと書かれていることを知っているだろう。『ホモ・デウス』では、将来、薬によって生化学的に「幸福」をいかに手に入れるのかという問題を克服することが予見されていた。そのことが直接的にインスピレーションのもとになったのかはわからない。しかし、「幸福」の定義が生化学的に規定されるようになるかもしれず、それが将来大きく人類に影響を与えるであろうということは、共有課題として扱われるべきものとしてそこに横たわっていて、ハラリとウエルベックはその問題の存在をそれぞれの形で見つけたということはある程度の確信を持って言ってもよいのではないだろうか。
主人公の担当医は、コルチゾール値、テストステロン値、ドーパミン値、エンドルフィン値、という内分泌系の数字で症状を判断する。主人公は何の逡巡もなくそれを受け入れる。そして医者は、何よりセロトニンを適切なレベルに保つことが重要だという。もはや、気分でさえも個人の主観の内にはなく、生化学的な数字の中に存在する。その医者はセロトニンの値を保ち、高くなりすぎたコルチゾール値を下げるため、コールガールを勧める。まるで処方箋を書くように。実際に三人の娼婦の名前と連絡先が書かれた紙を手渡す。それが、ある種のウエルベックの「幸福」に対するシニカルな処方なのかもしれない。
「幸福感」ではなく、本当に「幸福」が欲しい場合、人生の「意味」が必要になるのかもしれない。少なくとも今はたぶんそう考えられている。現代における最大の課題は人生の「意味」を見つけることかもしれない。前述の『ホモ・デウス』の中で著者のハラリは、それが大きな課題であると宣言するが、その答えは彼の本の中には書かれていない。過去の著作も含めて、ウエルベックの小説の主人公たちは、人生の「意味」をいったん性交に求めていると言ってもよいのかもしれない。ウエルベックが露悪的な度が過ぎると感じるくらいに性交にいつもこだわるのはそのためなのだ。ハラリの本は素晴らしいが、性交について書かれていることがあまりに少ないとウエルベックは文句をつけるかもしれない。あれだけ、網羅的に人類の課題を取り上げているにも関わらず、ハラリは性について語るところが少ない。『21 lessons』で、自身が同性愛者であることを告白しているが、それにも関わらずである。かのミシェル・フーコーも、最後にたどり着いたのは『性の歴史』である。もはや人生の意味という点において、性交にしか希望はないのかもしれないが、君たちはどう思う、というのがウエルベックのメッセージなのだろうか。も��ろんそこにも答えはないだろうよということが小説の中でも示される。その希望は年齢とともに残酷なまでに削られていくことが主人公の行動と独白によって示される。意味のある性交は、いつも過去の達成されなかった性交のそうであったかもしれないという悔恨を伴う回想でしかない。
もちろん、いまだに宗教にその意味を求めている人もいる。人によっては生殖(Reproduction)に意味を求めるかもしれない。それは遺伝子の子孫への伝達という意味もあり、どことなく科学的根拠も持つことができそうだし、近代的な家族の倫理にも沿うために有効かもしれない。しかしながら遺伝子の継続性も家族の紐帯もヒューマニズムが生んだ虚構であり、科学が指し示すものを考慮するとその意味はわれわれの手をすり抜けていく。だからこそ、意味は「今ここ」を目指し、だからこそ失敗することを正しく認識しながらもウエルベックの主人公は純粋な「今ここ」での性交による「幸福」に可能性を見るのである。
「本書はまた、一種の幸福論でもあります」―― 訳者あとがきにそう書く。その指摘はおそらくはかなり的を射ている。よい小説はいつも、いくつもの解釈の余地を読者に残す。あなたが20歳代なのか、50歳代なのかで、男性なのか女性なのか、それとも同性愛者なのかで、この小説は大きくその相貌を変える。「幸福」は、内分泌系の制御によって生化学的に制御することができる。しかし、なぜかそれは完全ではない。「幸福」が内分泌系の制御だけでは定義することがおそらくはできないのであれば、それは将来どのような形を取り得るのだろうか。
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『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227368
『ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来』のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227376
『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』(ユヴァル・ノア・ハラリ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309227880
『ある島の可能性』(ミシェル・ウエルベック)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309464173
『服従』(ミシェル・ウエルベック)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309464408
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おお、先ずはカバー絵が気鋭の井田幸昌!期待値も上がるわ~!と思ったら(不純?)、日本人女性に恨みでもあるのかってくらい、大概な扱い。ユズってコリアでもヤンキーでも、そもそもフランス人でも良くね?(あれ?結局放り出されたユズは帰国したのかしらん?)
そして「家出」というよりは、単なる現実逃避。社会生活の痕跡を丹念に消して用意周到である分、ウェイクフィールドのそれよりはだいぶ散文的、はっきり言うと下世話な印象。そもそもウエルベックがホーソーンの100倍くらい下世話か(笑)
そしてフランス版の引きこもり、近所のお散歩付きね。ちなみにパリ市内で15区から13区へ…って、文化圏は違えど数キロですけど。この物理的にもミニマムなトコが今時。閉塞感を助長する。
フランス人には馴染みのあるらしい固有名詞が沢山散りばめられてて、かなり丁寧に訳注がついてますが、これは出版社からの読者サービス的なモノで、注がなくても描写で充分伝わるようになってます。この辺はさすがだな。
そして旧友やら元カノやらを追って、フランス北部の旅へ。この中盤はタルいながらも平穏。旧友に眼の前で猟銃自殺されて混乱は極まり、元カノの息子を射殺して彼女を取り戻す…って思い詰めたときにはどーするよーと思ったが、所詮ヤク漬け、根性不足。パリに戻れば常宿が禁煙に!受難は続く。やれやれ。
救い難い主人公・フロラン=クロード・ラブルストに神のお恵みを。農業食糧省の契約調査員って、けっこう優秀なんじゃないの、ホントは(笑)
おお、忘れがたいエル・アルキアンのブラウンヘアー。
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読んでみたかったウエルベックの小説。
救いようのないほど陰鬱とした小説。『服従』でも話題になっていたように、この小説でもリアルなフランスの社会問題や行く末が暗示されているよう。リビドーも夢も希望も失った主人公が、昔関わった女性や友人を辿る。なぜ、いつからこのような道を辿ることになったのか。何かをどうかしたら現状は別のものになっていたのだろうか。
昔の恋人の愛を取り戻すために、その子供を殺害しようという考えに取り憑かれているシーンを読んでいる頃、たまたま動物ドキュメンタリーで知ったこと。ライオンは、子育て中のために発情しないメスの気をひくために、その子供を殺してしまうという習性があるとか、ないとか。。
明るい気持ちにならない小説だけれど、この作家自身に興味を持った。早速『服従』を買ってみた。
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現代フランス小説で、読了したのは初めてではないか。それほど斬新で囚われる内容だった。セロトニンが身体の中で作用している気分だ。
過去の作品も読んでみようと思う。
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最初は読みづらさを感じた。フランス人作家ということでもって回った言い方が続く。
仕事とセックスの遍歴をいやらしく背景に置き主人公の精神が歪み壊れていく様を描く。
こんな本を書くのも大変だが読むのも大変。
ただ読み終わったあとは作者の作り出したワールドに浸った、という感覚を持てる。
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幸せになる選択肢は無数にあったはずなのに、そっちに全く気づかずにひたすらフラグをへし折りまくり、
自分も周りもダメになってバッドエンドを迎えていく話。
改めて要約するとつくづく身も蓋もない。
個人主義の行き着く先は、周りへの無関心と隔絶に
なってしまう、ということなのでしょうか。
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内容があるようでないような、でも読んでしまう小説。
鬱々とした内容なのに、どこかカラッと乾いた雰囲気があって、重く感じさせないところが凄い。
初めてウエルベックを読んだけれど、他の作品も読んでみたいと思った。
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大体皆さんと同じ感想。鬱々エロ描写にこちらのHPが削られる。正直「言われてる程」に「いい」かと言われると違うかな。こちらの読み取り力のなさか、そういうことにしとけ。以前から作者の世界観に、動物として危機感を感じていた。「何かこの部屋異様」「牛小屋入ったら危険な動物いる」的な、体から発するメッセージ。沼昭三の「家畜人ヤプー」の世界、白人だけが人間、黒人奴隷、日本人家具、という世界を西洋人一人一人持っていて、いつでも見殺しにされる、という意識を植え付けられるんだよ。勿論建前では人類平等なんだけど。
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現地行ったことがない外国の話のローカルな地名が緻密に描写されているところはもうお手上げ状態だったけど、抗うつ剤による性不能状態になった男の末路の悲しいこと。
フランス情勢と食の文化にも触れながら別れた女に対してのつらつらと女々しい文体が続くのは同じ男としてなかなか否定する事も出来ずわからなくもないw
このテーマに興味ある人には細かく書かれた背景に面白みを受けるだろうけど、ただ手に取った本を借りて読んでしまった自分には「2666」を彷彿させる地雷であった。