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身ぎれいになりたい。グレーゾーンは嫌で、真っ白でいたい。そういう人が増えてきて、そのニーズに対応するかのごとく、行政が自分なりの解釈で規制範囲を広げていく。そういうことはままあり、その一部分を切り取ったのが、クラブ規制なのだろう。
これまでの風営法の流れを踏まえながら、今に生きる我々として何を考えて、何をすべきかを問いかける書籍。気軽に読み始めたが、グイグイと入り込んでしまった。こういう問題を今まで身近なものとして考えていなかったが、こういう周辺(これ自体の認識がNGか)から、徐々に自分らしくいられる領域は減っていくのかもしれない。
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レッツダンスの運動に参加させてもらうことになったので,読んでみましたが,問題になってきた背景についてはよく分かるし,その解決方法についても一定の指針は示してくれているけれども,法律的な問題となると記載が薄いと思いました。
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勘違いしてた。
踊る事の規制と深夜営業の規制は異なる。
いずれにせよ、根拠に納得感がない。
本書でも繰り返しあらわれる。
犯罪を取り締まるなら、その犯罪を直接規制すべき。温床になるという理由で場を取り締まるべきではない。
なるほどなと、とそうでもなさそうの狭間感がある。
世の中のシステムは割り切れない事がたくさんある。
一番目から鱗だったのは、クラブに行かないから規制は関係ない=自分に関係ないからどうでもいい論理は、共同体の一員として無責任だという事。
もしも、権力による弾圧、抑圧を許可するなら、その事実を承認するという論理が展開される。飛躍ではないと思う。そうなると、自分がそっち側に位置づいても弾圧、抑圧の対象となっても文句はいえない。なお、システム上、反対ではないという意味で、棄権は承認と同じとされる。賛成は母体の何分の一とか綺麗にやってくれない。
脅威に対するリスク放置は大人の責任で除去するしかない。
どうすればいいか。時間的制約をもつから、どんな問題ごともどっぷりやるわけにはいかない。
問題に対してはレベル感をみて直感で判断していく。
ただし、直感は精度をもつ。経験から、直感は知識の集合から導出されるけど、知識なしのものはあてずっぽうになる。だから、直感の精度をあげるため知識をつける。諸所の問題に対する幅広い知識=教養。このため、意識して教養をおさめ、直感の精度を高める。精度の高い直感で判断していく。無責任に棄権しない。
もちろん、精査しない結論に誤りはつきものだけど、制約を考慮するとこれを落としどころとするしかないと思う。
あと、急いで作ったからか、サブカル本にありがちな構成がだいぶへぼい。マスに訴えられないと思う。
最後に、今回の規制に対しては、たくたかはしのやり方が一番いいかなと思う。クラブ文化とかかっこいい事は思わないけど、問題解決のストーリーとしてブレが少なくて実現性が高いから。ドイツのCCを真似るべきとも思った。
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P120〜 佐々木中さんのインタビューまとめ。
『表現、結社、集会、職業選択の自由と生存権を無視してクラブ摘発に勤しむ警察側こそ憲法を守れ。それは現在だけで無く、この法権利を獲得するために血を流し知恵を絞ってきた人類の高貴な歴史に対する犯罪だ』
『言われたとおり閉じ込められた中で妥協してやってたのに、今度はそれを根拠無く犯罪の温床呼ばわりするなら、次は路上にでることになる。そうなった時に何が起こるかは、おかげ祭り、時宗の踊り念仏、「ええじゃないか」など、ダンスの熱狂に「意外に弱い」日本人の国民性をみれば明らかであろう。それほどダンスは政治にも宗教にも深く根ざしているものだ』
『これはあらゆる立場を問わないシングルイシューの話。朝まで踊ることに思想的立場は関係ない。真の保守主義のみなさん、この列島を愛するみなさん、共に朝まで踊りましょう』
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踊ってはいけない、と言うのを上手く自己表現ができない、とか、本音を言えないみたいなことの遠回しな言い語りかと思ったら、本当に素直に躍ないことについて書かれていた。
昔のバー?の話に始まって、そのまま路線を変えないところからつまらなくなって読んでない。
嘘です。も一回ちゃんと読みます。
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歌舞伎町の風俗店が摘発。他人事だと思って傍観してた。
むしろ「クリーンになって良かった」とも思っていた。
そして今、同じ論法でクラブが摘発されている。
「彼らが共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。~そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
の詩を思い出した。
即行動開始。
幸いにも、わが選挙区には青柳陽一郎氏がいるじゃないか。
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風営法とクラブ摘発の問題について、色々な方のインタビューや対談を通して説明している本。
※あまり興味が湧かず、途中で読むのを止めてしまったので、評価は真ん中の★★★としています。
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クラブカルチャーガー、とか言ってるだけの本だったらがっかりだなー、と思ってたけど、そんな事はなかった。
磯部涼がセレクトした多彩な執筆陣が様々な角度からクラブ規制の問題を論じている。
僕の感じたこの本のポイントは以下の4つ。
・過剰規制
クラブに限らず今の日本は大衆の理解の埒外にあるものを規制したがる傾向にある。
・憲法と法律
風営法及び警察のその運用は日本国憲法の営業権等に反している。
・クラブ合法化のための活動
筋論だけでは法律を変えられそうにはないから、署名でもデモでもロビー活動でもできる事はなんでもすべき。
またドイツのように業界団体を作るとかパチンコ業界のように警察の天下りを受け入れてうまい事やるとか。
・そもそもダンスとは
身体を解放する事。
革命を起こすパワーすら生み出す可能性がある。
これを権力が規制しようとするのは無理からぬ事かもしれない。
ダンスを我々の手に取り返さなければならない。
僕自身クラブミュージックは聴くし超大箱のワンナイトのイベントには行くけど、今焦点になってる小箱のクラブには行かない。
短期的に見れば僕もクラブが無くなってもそれ程困らない人間だ。
しかしクラブやクラブミュージックに興味が無い人にとってもこの問題は他人事じゃなくて、「過剰規制」の一現象だと捉えるべきと感じた。
またそもそもなんで踊らせる事を法で規制しなきゃいけないんだ?とは思ってたので、佐々木中がその辺の話をしてくれたのには溜飲が下がった。
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2013.5.16
新住民によるクレイジークレームが過剰監視社会を生み、一見表向きには清浄になったかと思いきや、ただ地下に潜って見えにくくなってるだけで、何も解決されてないとね。なるほど。行政や政治家が悪いとか言い立ててる人ってダメな人多いね。ほんと最悪だわ。
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メディアで何度か報じられている、風営法によるクラブの規制について様々な視点、論拠を用いて述べている本。
もの凄くざっくばらんに要約すると、「クラブ=悪という見方はおかしい。不特定多数の人間が大勢集まれば何処でも「何か」が起こりうるのだから。目に見える「悪」を街から消し去ることで安堵するクレーマーの意見に耳を傾けるのは考えものである。なぜなら聞き入れたことで一見社会は健全になるが、その裏ではこれまでの「風習」が壊されたことで見えないところで痛手を被る人間がおり(性接待、裏稼業だけでなく警察も)、結果的に社会全体が腐敗していくことになり、「関係ない」とタカをくくっていたクレーマー自身も苦しむことになる。無関心な人についても、「法で取り締まられているから」と考えを停止するのではなく、社会を動かすために一人ひとりが物事をよく見据える必要があるのではないか」というのが、この本で述べられている意見の総意である。
ロビイング・天下り先というお偉いさんの心を揺さぶる仕組みを作る事は必須という主張が多くみられ、正直自分は驚いてしまったが、圧力団体に一任することは責任の所在の曖昧さを招くというデメリットもあるとはいえ、社会通念を変えるという大きな事を成し遂げるためには避けては通れないのだろう。
勿論、これまでなあなあで済ませてきた業界の自浄化も必要だろう。まして、「あのクラブだけの問題だから」と知らぬ顔をするなどもっての外である。
「文化が美しいのは何も考えないで済む時期である。文化を守ろうというような言葉が出てくる時には、その文化はもう旬を過ぎている。それでも守りたいものがあるのなら、戦うにせよ逃げるにせよ、覚悟を決めるっきゃ無いんだよね」という磯部涼(敬称略)の言葉を行動に移す必要があるのではないか。
正直、ダンスの規制そのものの問題について述べている文章よりも、ダンスの規制の背景にある社会の仕組みや歴史に触れている箇所の下りのほうが遥かに面白い。
中学校でのヒップホップダンスの必須化に向け健全化を図るのでは、「クラブに来るのは、ハメを外すのでは無く素の自分に戻るため」という女子高生の言葉、声だけが大きい新住民の「〇〇排除」に反対するのは、社会はいいとこ取りが出来ないから(暴対法によりヤクザを追放したことで風俗業で暴力に遭う嬢・性感染症の発症者が増えた)、沖縄は女性の初婚年齢が低く、DVを背景に若年離婚が多い、その上父子血縁制のため再婚もままならず、ブローカーの助けが得られる辻で風俗業を営む(もしこれを潰すと不利益を被るのは彼女たち)、自分の責任を果たせる大の大人が何故24時で遊びを止めなければいけないのか、「なぜその場所に原発があるのかを考えずに原発利権目当てと批判するのはおかしい。観光地化が無理だった、実は穏健な考えでまとまった集団の可能性もある。システムが形成されたのには理由がある」 哲学者ドゥールズ「精神分析は過去の記憶に基づいて後の心の構造がどうなったのかという因果性を分析するが、麻薬は知覚のシステムを直に備給する」などなど・・・。
「風営法なんて私��は関係ない」という、自分の関心のないことはどうなっても構わないと思っている人こそ読んで欲しい。いつ同じことがあなたの好きな娯楽に降りかかってくるか分からないのだから。
自分用キーワード
プレジデントBPM『Hoo!Ei!Ho!』 アメリカ村(ここを皮切りにダンス規制が強まった) 86年6月ディスコ殺人事件 DOMMUNE(オンラインにフロアを移行したクラブ) 05年早稲田大学構内のビラ配り レインボー2000 スクワッティング(ドイツ) プレカリアート運動 スチュアート・ブランド(『ホール・アース・カタログ』を出した人物。後に原発推進派へ変わった) ちょんの間 三重県「隣人訴訟」 クレイジークレイマー(宮台真司氏の造語) 棄民 ラザースフェルド(オピニオンリーダー仮説) クラッパーの限定効果説 孤独な群衆 トーキング・チーフ(ポリネシアの伝統) ジャン・ジャック・ルソー「一般意志は全体意志ではない」 alife(かつて西麻布に存在したクラブ) ノーパン喫茶 偽装ラブホ 2012年札幌SMバーの警官事件(なぜ許されている店の中で裸になっていけないのか) block.fm RinceFM 新宿ツバキハウス 六本木ビブロス リーフェンシュタール キウィタス アフリカ・バントゥー族の挨拶 ゴーストダンス ロベスピエール(生存権の確立に寄与) アメノウズメ レンタルショップ・ジャニス kickstarter(及びcampfire) thinkC 佐野眞一(社会事件を取り扱う人物) 森下グループ ドゥールズ『狂人の二つの体制』 サイバーパンク クラブ・コミッション(ドイツ)
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この一冊で風営法について全て分かったつもりはないんだけど、規制する側の人たちには「踊りたい騒ぎたい奴のことはほっといてよー!」って言いたいなぁ・・・。
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僕は決して、いわゆる不良ではなかったが、事情も嗜好もあって、夜中までゲーセンにいるような中学生だった。ちょうどそのころ風営法が改正(?)されて、青少年は夜ゲーセンにいくな、というお触れがでた。風俗営業という、ミドルティーンにとって刺激的な言葉がゲーセンにも関係有るのか。と思いながら、あんまり守らなかったけど、でも摘発も補導もされることもなかった。そのうち店側が気にしだして追い出されるようになった。しかし、こんなのは当時の大人にとっておそらくどうでもいいことで、さっぱり問題にはなっていなかったように思う。
さて、昨今はダンス営業にずいぶん風当たりがキツイ。俺は踊らないから関係ないんだ、という態度でいれば、やがて自分にも何かの弾圧が及ぶ社会になる。当時の僕は、そんなこと知らなかった。気が付きもしなかった。自分ではない人は殺されてもいい、という人が世の中に蔓延したらどうなるか。
目障りを潰して代替機能の調達を考えないのは無責任だ、田吾作ども、と。そうだよね。でも、この手の話は、平和に上品に育ってきた人には、どうもわからないらしい。この手の話を深窓の令嬢(でもないが)としたことがあるが、こちらの話がまったく伝わらなかったことがある。美しくないものは目に映ってはいけない(見えなければいいのだろう)、という一派も存在する。
さて、この本には、直接間接にさまざまな意見が出てくる。納得するようなものもあれば、それ本気か、というようなものもある。ついつい気に入った意見だけを楽しく読みがちであるが、これは編者のいう、「同じ意見をもったクラスタへただ細分化されていく」という現象に近いかもしれない。僕は青少年への悪影響を遠ざけるから、そういう青少年が大きくなるともっと悪いことをするんじゃないか、と常々思うけれど、悪という言葉ひとつ取ったって、善にもなるし悪にもなる。
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クラブ摘発、取り締まりという謎の風営法に基づく対応をめぐる背景や実態や戦い方がよくわかる。クラブ周りのみならすその他の風俗の事情、実態も知ることができる、歴史も然り。なにより素晴らしいのは、クラブに限らず、あらゆることで取り締まり、法の改変や運用方法解釈の変更などで不都合不利益、不当な扱いを受けた時全ての人がどう行動したら良いか、センス違うと思ってもどんな行動でもやるべきであること、効果ある方法も多少主義主張に反しても試みる価値があること、こっち側だ毛の目線ではない戦い方、、を縦横に柔軟に示してくれるところが素晴らしい、
佐々木中さん曰く
一番重要なことは、戦いの手段をえらばないこと
開沼博さん曰く
政治的な方法と市場的な方法を同時に考えるべき、かつ、分けて考える。
千葉雅也さん曰く
立法的な想像力が必要、議論し可視化し党派的ではなく個別の問題として、楽しい社会を作るための立法と再立法
風営法はあまり関係ないと思っていたけど、過剰な管理と同調に向かう日本社会で無関係な人なんていないし無関係なことなんかない。
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千葉雅也氏の文があるので手に取る。
千葉雅也:「享楽」を守るために、法のクリエイティブな誤読を
「ダンス」の規定がおもしろい!
「ダンス」とは、権力論の視点からは「自分の身体を自分なりにコントロールし直す」ことであると規定できるでしょう。
「誤読」・・行政は、法を意図的に「誤読」して私たちを規制します。それに対してこちら側も積極的に「クリエイティブな誤読」をしなければなりません。極端にいえば、法解釈はすべて誤読です。ドゥルーズには法へのユーモア的な抵抗という考えがあり、「法解釈によって法から異なった効果を得てしまうこと」であるとされているます。弁護士のやりかたです。
2010年12月に始まった大阪・アメリカ村の風営法違反によるクラブ一斉摘発が全国に波及し、クラブ文化が岐路に立たされている、というのが制作動機だと編者。それに対する14の文。宮台真司とモーリー・ロバートソンの対談も含め15人。
2012.8.30初版 図書館