紙の本
現代社会の居具合の悪さ
2016/08/21 14:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
松田青子さんの初めての小説集です。
どの作品も、現代社会になじめない人たちの感情が迸っていて面白いのですが、やはり表題作が一番読み応えがあって面白かったです。同調圧力の中で皆が皆違った不満を抱えていながら、絶妙なバランスで成り立っている社会の様子が軽妙なタッチで描かれています。
「『わたし』は笑うのをやめた。無理して合わせようとするのをやめた。何があっても目の前に出てきたシーザーサラダを取り分けないと決めた」
…こういう絶妙な表現にクスリときました。
紙の本
松田青子氏の初の作品集です。最初は少し読みづらいですが、流が分ってくれると非常に面白いです!
2020/06/14 09:50
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、元女優であり、現在は翻訳家、小説家、童話作家として活躍されている松田青子氏の初の作品集です。「松田青子」というペンネームは、著者がファンでもある松田聖子氏と間違えてくれると面白いという理由から付けたのだそうです。表題作「スタッキング可能」は、音やイメージの潜在的な連想が随所に散乱している作品です。すべては、知らない人たちとの共同作業であり、社会全体はまさにタンブラー的構造をしていると著者は言います。錯時的な断章形式のもと、類型的な職場の日常が複数併置されます。その存在や会話はすべて交換可能なのです。似た体験が別の誰かによって再演されます。その積み重ねが一つの会社=ビルを構成しているのです。そうした規格化(同調圧力とラベリングとも言えますが)に抗う主体として「わたし」が析出されます。「わたし」は別様の「スタッキング」方法(=「戦い方」)を模索しているのでしょう。ちょっと複雑で難解ですが、読んでいくうちに意味がわかってきます。
紙の本
面白くないわけではないけれど
2016/08/26 17:37
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投稿者:たこやき - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作の「スタッキング可能」は、ビルの各フロアにA山B田C川(以下略)という具合に同じような人々が働いている中で、それぞれが感じる違和感や憤りなどの感情をつづったもの・・・と受け取ったが、はたして正しい解釈なのだろうか?
「マーガレットは植える」「タッパー」はシュールだし、「もうすぐ結婚する女」は、一人なのか複数なのか途中で訳が分からなくなった。
箸休めのような「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」は面白くて、世代の違う私にも共感できる部分があるが、総じて、よくわからない。読み手の知的水準がある程度高くないとついていけないのではないだろうか?
そしてたぶん、ついていけない自分はアタマが悪いのだと思う。
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文庫化。単行本が出たときに話題になっていたので購入。
言語感覚がユニークで、変なテンションの高さがある短編だった。次作も読んでみたい。
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同調圧力や「普通」との戦いにまつわる小説。戦いというのが大げさだとしても、この小説は、自分たちを縛りつける「普通」を正視し抗おうとしている。
たとえば、男同士でよくやる女の噂話が嫌いな男性社員が出てくる。「あいつは女の話をしないからゲイだ」という決め付けに憤っている。まさに自分がそれと同じだったから、なんだか頼もしい気分になった。
なぜか罷り通ってしまう根拠のない「普通」に対して、それってホントに「普通」なの?と一緒に立ち止まってくれる人がこの小説の中にはいる。それだけで、こちらの気持ちはだいぶ楽になる。
間に挟み込まれる戯曲?コント?風の「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」は声に出して読みたい日本語のオンパレード。いろいろあるけど、「土偶ぐらい長生きしてから言ってみろ」とか。
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やー笑った。文章も好きだった。フェミニストって、見ていて面白いんだけど、その面白さが十全に発揮されていた。
嘘ばっかり!嘘ばっかり!落ちないマスカラ嘘ばっかり!
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MONKEYの文章はとても良かったが…一般世間に馴染めない私っていうのを全面売り出せるのってある程度までじゃないかなと思う。あなたが斜に見てる彼らも彼らで誰しも年食えばあなたとは違った悩みと常識がそれぞれみんなあるわけで、自分だけ特別ってことはないんだと。
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全編を通してあるのが、「匿名性」というキーワードだろう。
匿名であることの空虚さ(のようなもの)。そのせいで生まれるややこしさ。特に「もうすぐ結婚する女」はもう、語り手が誰で、語られ手が誰で、それがどういう関係で、何人居て、ということが、一読しただけでは分からない。というか再読しても分からないし、人物相関図を書いてみても分からないと思う。だって、この人とこの人が同一人物である、という保証がないのだから。名前が存在しない所為で。
表題作の「スタッキング可能」では人物に名前が与えられてはいるけれど、「付けられている」というより「振られている」というだけみたいな名前だから余計ややこしい。「A田」と「A村」、「B野」と「B山」のような同じアルファベットを持つ名前は、果たして同一人物なのだろうか? 「入れ換え可能」なのだろうか? これこそ、一度図表にして整理してみるべきだろう。
それらの人たちが積み重ねられたビルの中で、唯一の存在感を持つのが、最後の章で唐突に現れる『わたし』である。
この『わたし』とは誰なのか? おそらく、著者本人の視点そのものだろう。その『わたし』が、世界を作るということ。『わたし』が作ったビルの中に、匿名の人々の、入れ替え可能な幾つものエピソードを整然と積み上げていくということ。それはすなわち、「小説を書く」という行為そのものなのではないだろうか。
小説を書く世界では、この『わたし』は誰とも交換され得ない。だって、書き手の『わたし』が存在しなければ、小説が書かれることはないのだから。
世界を視て、それを書き記す『わたし』だけは、誰とも交換されない。失われようがない。
「我思う、ゆえに我在り」なのだ。
というのは、深読みしすぎだろうか。
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サラリーマンやOL。この量産品たるサラリーマンやOLは、もちろんスタックし得る仕様になってしまっていることは避け得ない。
ただ、そのそれぞれがそれぞれに自らのうちにスタックしてきたものは、それぞれに積み上げられたバリケードであったり、アジールの砦でもあったりする。
それで、よかれあしかれそれに囚われてしまうこともないではないだろうけれども、結局アジール的なそれ自体はそれこそやはり大事な気がして。
そして、そんな風に気づかせてくれるこの小説は、読み手の気持ちを少し軽くしてくれる気もする。
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なんだこの逆転ホームランみたいな読書体験。(笑)
http://feelingbooks.blog56.fc2.com/blog-entry-1110.html
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揃いの個性を積み重ねる。
似た者同士を積み重ねる。
世間は属する僕らを括り、振られる配役は猫も杓子も端役ばかり。
でもまあ、B田さんこのあと一杯付き合ってくださいよ。
とあるオフィスビルの各フロアで何処にでもいる個性的な端役が繰り広げるシュールな日常。
エレベーターで行き来する、オフィスではたらくエトセトラ、な表題作を含むシュールな物語×5。
『男』という枠に押し込め『女』というレッテルを貼っつけ、お互いのほっぺにぐりぐり理想を押し付け合う様など
その空気を、葛藤を、怒りを、シュールと名付けた表現で切り取る。
皮肉の効いたつっこみで。
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こいつらはなんでもいつも何の疑問も無く自分たちが普通だと、自分たちがデフォルトだと信じ込めているのか。ただの脈々と続いてきた空気でしかないものを分厚い百科事典でもあるかのように鵜呑みにしていられるのか。この世界、居心地が悪すぎる。
(本文より)
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「やりがい」とか「キャリアアップ」とか「自分らしく働けます」とかどうでもいい。そんなの知るか。テレビや雑誌やネットや電車の中吊りに踊るそれらの言葉たちが片腹痛くて仕方なかった。年中ディズニー気分か。ばかばかしい。そんなのどうでもいいから買わせろ。働いた分買わせろ。
(本文より)
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「スタッキング可能」。2013年の本。松田青子。
1979年生まれの作家さん。の、単行本としてはデビュー作。
もともとは、京都を本拠地とする個性派演劇集団「ヨーロッパ企画」に在籍していた女優さんだそうです。確かに、味わい、持ち味としては、小演劇的、と言うんでしょうか。
ちょっとズラして、ちょっとぶっちゃけで。赤裸々で。多弁で。細部がこだわりで。2017年現在、代表的に言うと宮藤官九郎さんみたいな。
特になんでと言うわけでもなく衝動買い。
時折、「読んだことの無い、いまいまの作家さんの小説」っていうのが発作的に読みたくなります。
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変則的ですが、7つの短編が収録されています。
「スタッキング可能」
表題作。どうやら、とある会社のオフィスの中のいろいろな点描。
それから、同じ会社なのか?〈上司が獣だった〉、という何とも言えないカフカ的?な状態の点描。
それらを通じて。
異分子を排除したがる集団の性質とか。
男性優位的でマッチョイズム溢れる、反知性主義的な人の性向とか。
それらに対して拒絶を心の中で叫ぶストレスとか。
人と人が関係を持つことへの絶望みたいな、実にすがすがしいほどの索莫とした風情が、ユーモアと凄味を交えて描かれます。
正直、なかなか説得力があって、面白かった。この作家さん、技があるな、と思いました。
誤解を恐れずに言うと、津村記久子さんが持っているような、暴力的な世界への嫌悪感。
色んな人間模様が、心理が描かれるんですが。以下、その中の一つ。
とある男性は、若い時に父親が亡くなった。
本人はそれをなかなか消化することができない。
周囲の人々の多くは「俺もそうだった、わかる」「乗り越えよう」など励ましてくれるのだけど、本人は、それが全く受け付けられない。どうして、乗り越えなくてはならないのか。なぜ、自分と同じようにしろと押しつけてくるのか。
そんなときに、深沢七郎の本を読む。深沢さんも、同じような体験をして、同じように思っていた。
(以下本文より)
長い間友達だと思い込んでいた実際の友人たちよりもずっと、もうこの世にいない、一度もあったことのないおっさんの方がA村の気持ちをわかってくれていた。本ってすげえな、とA村は思った。無理して仲間をつくる必要ないじゃん。心が冷えたまま、友達であり続ける必要��んてない。自分の為の言葉がこの世にはある。そのことを知ったら、バンドを辞めるのも、人の輪から離れるのも、少しは怖くなくなった。
うーん。
この気持ち、この表現。たたきつけるような。
読書への愛情体験というのか、そういうことも含めて、分かるなあ。
(親はピンピンしてるのですが、子供の頃、転校が多かったので。周囲との絶望的な〈価値観の断絶体験〉みたいなこと。)
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「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」
戯曲。いわゆる不条理劇、でもないけれど、女性ふたりが出てきて、「世の中で、広告で、ネットや雑誌で言われているイメージみたいなものが、どれだけ嘘ばっかりか」ということを吠え、訴える内容。
ちょっと面白かった。
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「マーガレットは植える」
童話みたいな、短編。
マーガレットさんは色んなものを植える。
素敵なものも植える。
残酷なものも植える。
落ち込んだり、悲しんだりするけれど植える。
だからどーした、とも言えるんだけど、けっこう、じんと来ました。
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「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」
幕間劇のようなかんじで、もう一度。
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「もうすぐ結婚する女」
もうすぐ結婚する女、に対して、結婚する予定のない女性(友達?)が思いを語るような。
とにかく相手を名前で呼ばず、「もうすぐ結婚する女」としか呼ばない執拗さがこわい。
相手より、語り部の一人称主人公の中の、結婚というか、結婚に代表される世間的なシアワセイメージ、みたいなものの暴力的な圧力への自意識過剰さがひりひりする短編。
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「ウォータープルーフ嘘ばっかりじゃない!」
幕間的なような感じで、もう一度。
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「タッパー」
不気味で不条理な掌篇。
色んなタッパーに色んな世界が入ってる。
ふーん。
以上。
総じて、ちょっと楽しみな若い小説家さんだなあ、と思いました。
地盤というか出が関西なのもちょっと頼もしい。
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面白かった〜うわーうわーと思いながら読みました。
表題作の社内の描写がリアル過ぎて気持ちが落ち込みそうになるけれど、ユニークさがとてもあるので楽しく読めます。落ち着いてよく考えると随分とひどい社会だな…となるけれど。
「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」はキャッチフレーズの勢いが良いです、唱和したくなる。「ヒートテックを着ています」は世界平和です。「パンツ問題」、今のところイントネーションで区別しているけど、(ズボンのままがいいのに…)は消えない思いです。なぜ全て英語にするんだろ、フランス語でもいいのに。
「マーガレットは植える」「タッパー」も不条理だけじゃないんだろうなきっと…というのがわかります。「もうすぐ結婚する女」は全て同一になるのか、、、
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小説というより、現代美術の展覧会を鑑賞するような感じの短編集。「わたし」も「あなた」もスイッチ可能なんだよバーカと言いながらも繋がりを求めてるように見えた。翻訳家でもある方なので、翻訳ではないけど文章が日本語の中を横断していく。言葉遊びや言い換えを駆使して、言葉って楽しいしその手があったか!と思わせてくれる。そして読み終わるころにはわたしは一体どこにいるのだろう?わたしは誰なんだろう?という不安。他者との境界が曖昧になり、「あなた」と「わたし」でわざわざ分けなくても、文章によって溶け合ってることも、あるよね。
好きな短編集。
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働く女性、男性の姿が描かれているのだが、全部心の声がだだ漏れしてる(笑)それを垣間見てる感じでニヤリとしてしまった(^_^)独特な雰囲気のある小説集。