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商品説明
昭和戦前期まで、女中は身近な存在だった。なぜ、女中は姿を消したのか? 複雑繁多だった家事とは? どのような人が女中になったのか? おかれた境遇、気持ちとは? 豊富な資料や写真から、考察を試みる。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
小泉 和子
- 略歴
- 〈小泉和子〉1933年東京生まれ。登録文化財・昭和のくらし博物館館長、家具道具室内史学会会長。石見銀山重要文化財熊谷家住宅館長。工学博士。著書に「簞笥」など。
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紙の本
一級の女性史資料
2012/07/01 11:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:インザギコ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年、イギリスのメイドに関する書籍が目につくようになった。でも、どれも職業としての大変さにはあまり触れられていなくて、なんだか消化不良だった。ま、ミステリに登場するメイドさんに生活の辛さを訴えられても、辛気臭くなって話が楽しめなくなるのは事実。
いっぽう、日本ではお手伝いさんといえば、かなりの重労働ということで、メイドとのイメージギャップが大きいのがずっと気になっていた。「女中」という言葉も今はあまり使ってはいけないようだし。
女中というのは昭和「時代」までの存在だったんだなあ、としみじみ思う。戦前には中流家庭にはたいてい女中がいた。昔の邦画や小説を読んでいると、たしかにねえややばあや、乳母など、広い意味で家事を手伝う女性が出てくることが多い。
羽仁もと子の『女中訓』(1912年)に女中の心得がいくつか挙げられている。「容易に腹を立てない」「他人を羨まない」「目と頭を忘れたら、手足を動かしても無意味」なんていうのは、どんな職業、ひいてはどんな人生にも言えること。人間としての基本中の基本とも言える。「人生訓」や「職業訓」というタイトルで現代でも売れそうだ。人間ってそう変わらないのね。
とはいえ、「金の卵」扱いされた昭和20年代30年代はまだしも、昭和初期は女性の人権が今ほど認められていなかったから、女中の人権は推して知るべし。主人や家の男性に手を付けられても泣き寝入りは当然、「行為を憎んで人を憎まず」とか「落ち着いて前後の事情を反省し(中略)世間の物笑いにならぬ様に心掛けねばなりません」って! 反省するのはどっちだ(怒)!!
こういう時代を経て、昭和30年代には新潟県出身の女性が女中として引っ張りだこになり、ある程度の賃金と権利を得られるようになった。昭和28年生まれの女性の「お手伝いさん」記が載っていたのに、ちょっとびっくり。これくらいの年の生まれでも、お手伝いさんにいっていらした方はいたのね、と歴史がまだ古くなっていないことを実感。
驚いたといえば、進駐軍の宿舎(代々木のワシントンハイツ等)で働いていた日本人メイドは国家公務員だったのだ! 雇用主は日本政府で、最初は国家公務員一般職、続いて国家公務員特別職だった(1977年まで)。
女性の職業史、女性史としてたいへん勉強になった。興味のある人は一読をお勧めする。
紙の本
資料
2019/02/27 22:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:きりん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「お手伝いさん」と書き換えられることも多くなった女中さん。大家族での生活だと、こういう労働力が欠かせなかったんでしょうね。