紙の本
こどもをしっかりみつめたくなる
2018/12/20 16:05
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投稿者:ほにゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公が5歳だったので、現在子育て中のわたしは身がひきしまりました。まだ子どもだからと安易にとらえず、小さな体でいろんなことを見たり聞いたり感じたりしているのだと心にとめて、こどもと接していきたいと思います。最後のページがとてもよかった。
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住み慣れた町を離れ、一家で祖母の家に越した「私」たち。転入先の幼稚園でのヒリヒリするような日々を、聡明なる5歳児の視点で描いた「私小説」。
私自身が筆者の能町みね子さんと同郷(北海道)で生まれた年も同じという事もあり、読み始めた直後から猛烈にシンパシーを抱いてしまっていたのですが、本書でその慧眼を如何なく発揮する主人公「私」にしてみれば、こういう所こそ「無理やり共通点を見出してこちらのテリトリーに土足で踏み込んでくる不躾な大人」って感じだよな……と後々冷や汗が止まりませんでした。
40歳を目前に控えた今振り返る自分の「幼稚園時代」って、特に大きな事件もなく、ただただのっぺりとした輪郭しか思い出せないのだけど、多分それって川の下流のに転がっている石が丸っこいのと同じなのかも。
三十数年分の月日の流れの中で摩耗しちゃっただけで、元々は幼児なりの、そして幼児ゆえの悲しみや苦しみや葛藤や軋轢や恥辱でデコボコギザギザガビガビだったのではあるまいか。
いや絶対そうだよ。だってあの時だってさ……って突然記憶のタガが外れたようになって、今まで思い出しもしなかったようなあれやこれやが自動再生されてしまい、読みながら身悶えすること頻り。
子どもの頃、何と表現すればよいのかすら解らず漠然と抱いていた感情が、本書によっていきなり最適な言葉を与えられたような、ものすごい読書体験でした。
うちにはあと半年で5歳になる娘がいるんですけど、この子の頭の中にもこんな感じの世界がぎゅうぎゅうに詰まってるのかな、と思うと、不思議すぎて頼もしすぎて愛おしすぎて笑っちゃう。
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当時言語化できていれば楽になったのかますますもやっとしたのか。子ども、ではなく小さい人と表現した渡辺一枝さんを思い出した。
頭の中ではできているのに体ではできない苛立ち、考えていることを他者に伝えるには足りな過ぎる語彙の量。
かかわる仕事をしているので、目の前にいる小さい人の中で
渦巻いているものがあることを忘れないようにと自戒。
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勝手に他のつまらない子供に、私のなかに入ってこられるのはごめんである-。か弱くも気高い5歳の「私」の日常を描く、能町みね子初の自伝的私小説。『小説幻冬』連載を改題して単行本化。
5歳の子の話なんだけど,すごく分かるっていうか・・・。
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幼稚園の中で
5歳の彼が自分らしく振舞えるわけもなく
また 子供として 大人の手を借りないと
恐いトイレに行けないし
周りにも合わせなきゃいけない
そんな 葛藤が克明に書かれています
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「雑誌の人格」が好きで、フォローしていました。一度久保みねヒャダイベントにも行ったのですが、SNSでの印象よりもずっと物腰が柔らかく、というか単純になんか可愛らしい人で、グッと惹かれた覚えがあります。
そんな能町さんの私小説(たぶん)。
まず題が、良い。潔癖で繊細な尊大さが濃縮されている。私以外みんな不潔、口にしてみると、虚しいカタルシスが広がります。
有り体な言葉を使えば、世界の解像度が高すぎて、生きづらい、息をしづらい、5歳の一人称による物語。たぶんきっと、自分にもこういうところはあって、でもそれをここまで具に書き起こせるのは凄まじいことだ。なんでもかんでも忘れ去ってしまう自身に置き換えて、その文圧に圧倒されてしまいました。
ただ、確かに覚えているのは、幼少期、主に大人に自分の考えや気持ちが理解されなかった時、「私はきっと後年、●歳現在のこの考えを忘却してしまうだろう。それでも、今理解されなかった悔しさや、●歳なりの理屈を汲める大人になりたい、そうであってくれ」と、未来の自分に託していたこと。
その期待に応えられているのか、問い質してみる。
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私はあまり繊細な性格ではないので、色々なことを深く考えて辛く感じたりする人のことを気の毒に思ってしまったりする。理解ができないわけではないけれど難儀なことやね、と少し呆れて少し羨ましい。ピアノの先生はなんで機嫌が悪かったんでしょうね?汲み取り式のトイレはホント怖かったなあ。
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「私小説です、たぶん」と帯にあり、確かに私小説だとは思うけど、幼稚園時代のみを描いているという点で特殊。
そしてまた、ホントによく覚えていて、それを文章で再現する能力の高さに恐れ入った。ああ、そんなことがあった、と読みながら自分の記憶の蓋が何度も開いた。トイレの床のタイルの目地に溜まった水の汚らしさ、おゆうぎ室の床の冷たさ、折り紙の金・銀のびらびらと音のするワクワク感といった場所や物についてだけでなく、子どもの気持ちの表現ときたら!
読んでいて、この子の賢さは(観察力の鋭さ)女の子の賢さで、これくらいの時期の男の子は賢くてももっと一点集中で、自分の中に向かっているような気がする。なのに男の子として生まれついてしまったことが、この後の人生でどうなるのかもぜひ書いてほしい。
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5歳で強烈な自我が芽生えた早熟な主人公。
その自意識と現実の振る舞いのギャップ。
ところで、能町みつ子って誰だろう。
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5歳の男の子を主人公とした小説。 という形を借りた私小説ではないか、と言われているが、言われてみればそんな感じ。
5歳とは思えない大人びた単語選択ながら、幼い故の知識の限界・大人との基準感覚の違いも描かれている。
「非凡な子」は確かに描かれている。
非凡であるが故の不安や恐怖の自覚と、苦痛の自覚・表現、その対処の継続に共感してしまい、読了時には意外と心が動く(正直を言うと、読む前・読みながらも、少し高を括っていた...)。
平仮名が多めなので最初の出だしは読み辛く感じたが、直ぐに慣れた(ほぼ同時並行して、普通の小説などを読もうとすると、なかなか頭に「文章の意味」が入ってこなくて意外。結局は同書を優先して読み切った)。
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能町さんすごい。こんなにも幼稚園の時のことを記憶してるなんて!
僕はサクラ組だったような気がする。幼稚園嫌いで、行くのが嫌だったなあ。
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「にっぽりは茶色、きたせんじゅはパステルカラーの水色」「黒鍵の音は白鍵の音よりもとんがって押し返してくるような音」など、子供ならではの独特の感性が、淡々とした大人口調で綴られていて、そのチグハグな感じが面白かった。
子供であることを馬鹿にされているような気がして「さん」をつけられるのが嫌い・ごはんは三食食べる、などの「そうなっていること」について抵抗するつもりはない・友達というものがよくわからない、遊びはなによりひとり遊び・触られるのがイヤなど、同世代の子供とはまた違った視点でものごとを考えている捻くれた子だけれど、絵を褒められた時に素直に喜ぶ姿や、卒園時に泣いてしまうなどの子供らしい一面にも好感を持てた。
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早熟な子が周囲と馴染めないときに「不潔」と思うことによって自己防衛する感じが、思いあたる節があってむずむずした。
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久保みねヒャダが好きで、能町さんのエッセイも一応大体は読んでいます。
この本は、能町さんの半自伝的小説らしいので、そう思って読んでいました。
読んでいると苦しくなってきて、何回か、途中で読むのをやめようかと思いました。最後まで読んだけど。
私も子供時代、頭はそんな良くなかったけどとにかく敏感な子供だったので、幼稚園にはあまり適応できず、そういう自分の子供時代の色々なことを思い出して、辛くなりました。
こんなに自意識がある子供だったら幼稚園は辛いでしょうね。こんなに大人びているのに、おもらしだけはしてしまうというのも、とても可哀想。
花川先生が、最後にとても良くて、そこに救いがありました。「小学校ではお勉強がんばってね」と、全員に言ってるのかもしれないけど、この子にとってはとても励みになったことでしょう。
多くの友達ができなくても、ほんの少しだけでも信頼できたりホッと出来たりする相手や場所がある、そのことが命綱となってなんとかやっていける。
小学校に上がってその後どうなったか、というのも読みたいな。
あと、コピー機が欲しいという子に対してプリントゴッコを与える親、というのはなんかいいな、と思います。
「私以外みんな不潔」というタイトルはキャッチーで人目を引きますが、私としては「おゆうぎの部屋」の方が合っていた気がします。
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夏休みに札幌から関東の幼稚園に転園してから、3月に卒園するまでの幼稚園児の日々。どんどん書き進めていくペンちゃんの漫画。母親、姉、先生。絶望的なトイレ。ピアノの先生。お当番さん、おもらしをいじめてくる男の子たち、絵をほめてくれる女の子たち。
豊かに広がる5歳児の世界。5歳児の私小説、すごすぎ。あぁ確かに、幼稚園の頃ってこんなふうに見てたかもって、かすかな記憶がよみがえるような。子どもにはきちんと接しないといけませんね。