紙の本
フロムによる人間の本性と悪との原理的な関係、さらに人間らしく生きるということの意味を究明した一冊です!
2020/04/11 14:01
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ドイツの社会心理学であり、精神分析であり、また哲学者でもあったエーリッヒ・フロムによって著された一冊です。彼は、ユダヤ人であり、マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付け、新フロイト派あるいはフロイト左派と呼ばれています。同書において、彼は、「私たちはなぜ生を軽んじ、自由を放棄し、進んで悪に身をゆだねてしまうのか?」、そして「人間の所業とは思えないような残虐きわりない行為がくり返されるのはなぜなのか?」と問い、その解答を見つけるために考察し続けます。そして、遂に人間の本性と悪との原理的な関係に迫り、人を悪へと導くさまざまな要因の究明の過程で、次第に「人間らしく生きること」という本当の意味が述べられていきます。ぜひ、フロムの代表的な名著と言われる同書を読まれて、彼の思考を追ってみてください。非常に知的なひと時が味わえます!
紙の本
『愛するということ』とセットで読みたい
2023/05/31 15:48
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投稿者:まいみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネクロフィリア、ナルシシズム、近親相姦的共生の3つを合わせて“衰退のシンドローム”という悪の真髄を述べている。
まずはネクロフィリア。本書においてのネクロフィリアとは性的嗜好のそれではなく、生を憎悪し、死と破壊を愛する精神性をそう呼んでいる。
そしてナルシシズムとは外界そして他者への非客観的認識と肥大した自己イメージで、近親相姦的共生は独立心、自由、責任感の欠如である。
この3つの破滅的複合が“衰退のシンドローム”なのだが、その具体例としてヒトラーが名指しされている。悪の例にも彼の名がよくあがるし、この本は半ばヒトラーを語る本だった。
“衰退のシンドローム”と対をなす概念、バイオフィリア、愛、独立と自由の3つからなる“成長のシンドローム”についても語られるが、後者の理解を深めるには作者の著者『愛するということ』読む事をおすすめしたい。
難解だが、『愛するということ』と交互に読むと悪と愛への理解が少し深まる1冊。
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孤独に生まれ、孤独に死する人生
2019/06/15 17:15
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
悪とはヒューマニズムの重荷から逃れようとする悲劇的な試みの中で自分を失うことであるため、生に興味を持ち善を選ぶための自覚を促す一人のユダヤ人の書。
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ここ数年の間に起こった様々な出来事(社会的、特に政治的な)を見るにつけ、自分の中に沸き上がった「悪とは何か」という問いは、考えれば考えるほど虚脱感に襲われ、「まあ、俺も人のことを言えるほど聖人君子ではないし」という所に落ち着いてしまっていました。そんな時にこの本を書店で見つけ、すぐに購入。あっという間に読み終えていました。読み進み、時々立ち止まって考え、そして先に進み、ということを繰り返す読書を、久しぶりにしました。最終章の「自由、決定論、二者択一論」は、必読です!!
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エーリッヒ・フロムが著した善・悪について著した本書。代表作「愛するという事」の対を成す著作で、人が悪を犯すことはどういうことかに向き合っている。
主な要約はこうだ。
主に暴力の分類について
【一般的な暴力】
・遊びの暴力(ゲーム、競技など)
・反動的暴力1(脅威を感じたときに発する)
・反動的暴力2(欲求不満から破壊衝動に駆られる。羨望、嫉妬も含まれる)
・復讐の暴力(被害を受けた後に発する不合理な反応、信頼の崩壊も含む)
・深い絶望からの暴力(生そのものを憎む)
・補償的暴力(生を愛する能力が無い物が、その補償として破壊性を身に着ける。サディズムが近い)
・原初的な暴力(血を流すことで生を実感できる)
以上は悪であっても、生の目的に役立つ(ように見える)暴力と攻撃性である。しかし下記3点は生と逆行するものであり、本質的な悪である。
まず、本書では善(生)とは創造的なもの。愛。慈しみ。不確定。未来志向。としており、悪とは生とは反対に人間以前の状態に対抗させるものだ。破壊的。物質的。退行的。としている。
1.ネクロフィリア
死体愛好と呼ばれるが、基本的に過去に住んでいる。力(暴力)に惹かれる。ヒトよりモノを愛し、管理したがる。ちょうどナチスのよう。経済的・心理的欠乏がそうさせる。不公平にモノ扱いされて生きると助長される。
2. ナルシシズム
いわゆる自己中。すべてが自分の目線のみで、他者の考え・視点が全くない。他人を思うことはなく、自分の評価・安全などばかり気になる。物事を合理的に判断できず、世界と関わらないために孤独になり、孤独を埋めるために自己肥大する。そして自分の自己投影が崩壊することを何より恐れる。良性のナルシシスムは現実により補正されるが、悪性はこの機能がない。
3.母親への共生的固着
不確定な未来に踏み出したくない。安心な子宮に戻りたいという欲求。独立心が育たない。理性が偏った価値観に支配される。「他人」を人として経験できない。
では、それらの悪に対してどのような対処をすればよいか。
基本的には生を愛し、他人を愛し、自由で独立する「成長のシンドローム」を歩く事。
人は善・悪両方の特性を持っており、どちらにも転ぶことが出来る。
まだ傾きが小さいときはどちらの行動も選べるが、傾きが大きくなりすぎると、心は頑なになり、選択の自由はなくなる。
とても新鮮な考え方だった。
生(善)は人間的なもの。愛や未来を作ることで、悪はそれを遮り、暗い地面に引きづりこみ、「ヒューマニズムの重みから逃れようとする」という二項対立。
そしてそれは誰もが持ちうるという事。
選択するという重要性を改めて感じました。
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とにかくなにも考えずに「いいことはいい、わるいことはわるい」みたいに断罪する傾向の世の中に対して、なんかもっと言葉で抵抗できないかなと思って、色々本を探して読んでおり、その中の一冊。
特に「ナルシシズム」が恐ろしい。最終章で、一定のアンサーが出されていることに心からほっとした。【愛するということ】を読んでおらずこちらから読んでしまったので、ちょっとキツかった。
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最近エーリッヒ・フロムの名をよく目にします。これは何か読まなければと思い、後期の本を選びました。翻訳も解説も読みやすく、ひとの醜い部分をデトックスしてくれる本でした。※個人の感想です。効果には個人差があります。
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内容が難しく少しずつ読んでいたら読み終わるのに3ヶ月ほどかかった、でも言ってることはわかる(分かり切ってはない)。とても大切な概念で、どうしてこういうことを早く学校などで教えてくれないのかとため息が出そう、になるけど今知れてよかった!知ったもん勝ちじゃないのコレとちょっとはにかんでしまう。
実際自分の体験に当てはめて、あ〜あのときナルシズム的な悪の方向に染まりつつあったなとか、色々今までの自分に当て嵌めながら読んで少し辛くもなったが、とにかく今この概念を知れて良かったと思うとはにかんでしまう。
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正義とか恩恵とか思いやり、とかそういった仮面を被った悪によって背負った傷は、それに至る訳を知ることで救われることもあるのだと知った。
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半年くらいかけて読んだ。
哲学書に分類されるんだろうか。初めて読んでみたのでとことん素人感想…。
生と死、退行と前進、自己愛と他者愛。
毎日の暮らしの中でも病んでいる人が多いなあと感じられるような昨今だけれども、こういう風に分析できるのか、と腑に落ちる感じはあった。
誰もが悪を選ぶ可能性があって、それを自覚する人ほど、人を裁く気にはなれない。
できれば息がしやすいように、生きていきたいものだなあと思う。こういう哲学の本は、生きる手助けになるのかもしれないなあと思った。
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著者は人間を主に、「狼か羊かという問題は、より広く全体的な面から見れば、西洋の神学や哲学的思考の根本的な問題の一つの、特殊な形態にすぎない。旧約聖書では人は基本的に墜落しているという立場はとらない。アダムとイヴの神への不服従は、罪とは呼ばれないーー」と書いている。
そして「悪とはヒューマニズムの重荷から逃れようとする悲劇的な企みのなかで、自分を見失うことである」とし、解説の出口さんは「フロムは自己防衛、欲求不満、復讐、不信、絶望、憎しみから生じる暴力は真の悪ではないと断じる。」
ならば真の悪とはなんだろう、著者によれば、ネクロフィリア、ナルシシズム、などが挙げられる。それが本書の前半部になっている。
後半部は善、と悪、を決定する自由意志の二者択一論になっている。スピノザ、マルクス、フロイト、の懐疑主義でありながら決定論者であった三方を筆頭に著者が論じていく。
特に後半部が面白かったが、著者の提唱する論には簡単に頷けない部分もあった。それはまだ上手く理解できない部分があるからなのと、私自身の問題でもある。醜いから綺麗だとは思わないが、感情は、思考は、捻じ曲がっている方が自分の嗜好に合う。私がまだ幼いからなのだろう。
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新訳でわかりやすい日本語になっているとのことだが、心理学も哲学も体系的に学んだことのない私にとっては難解としか言いようのないものだった。原著が書かれたのは1964年、著者自身がイントロダクションで「正統派フロイト派」について「むしろどんな理論でも、六十年の間に変わらないなら、まさにその変わらないと言う事実によって、考案者のオリジナルの理論と同じものではなくなっていると言ってよい」(p.9)と述べている。にもかかわらず60年を経て新訳が出て気づくのは、世界の状況が、キューバ危機がウクライナ戦争になって、それほど変わっていないように見えることだ。もちろん時代遅れになっている部分もあると思うし、それを解決するべく努力している心理学者や哲学者もいるんだろうとは思う。
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■ひとことで言うと?
理性・愛・自由を放棄し、責任から逃れることが「真の悪」である
■キーポイント
- 「真の悪」に陥る条件(衰退のシンドローム)
- ネクロフィリア:成長しないものへの愛≒支配
- 創造性の喪失
- 悪性のナルシシズム:所有物による自己価値の評価
- 愛の欠落(サディズム/ナルシシズムの傾向)
- 近親相姦的共生:それ無しでは生きられないという感情的幻想
- 自由・独立の放棄
- 回避策
- 選択肢の自覚
- 「善」なる行動を選択できることを自覚する
- 合理的判断
- 非合理的な情念に反し、理性に従って選択する
- それらの習慣化
- 「善」の選択を習慣化し、「悪」の選択肢そのものを意識できなくする
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人はそもそも邪悪で堕落しているのか、あるいは人間は善良で完全な存在になりうるのか。
悪とは、人間以前の状態に退行し、特に人間的なもの──理性、愛、自由──を抹消しようとすること。悪とはヒューマニズムの重荷から逃れようとする悲劇的な試みのなかで、自分を失うこと。
人類は退行し、かつ前進もする。
言い方を変えれば、善であり同時に悪でもあるという傾向を持つ。
両方への傾きのバランスがある程度取れていれば、その人は選ぶ自由を持つ。
しかしその人の心の傾きのバランスが崩れるほどかたくなになってしまったら、もう選択の自由はない。
自由を失うような出来事が次々と起こると、最後の決定のときにはもう自由に選択することはできない。
ほとんどの人は人生に問いかけられているとき、そしてまだ二者択一から選ぶ余地があるとき、そのことに気づかない。
人が生き方で失敗するのは、生まれつき悪であるとか、 よりよい生活を営むための意志に欠けているからではない。 失敗するのはその人が決定すべき人生の岐路に立っているとき、目を覚ましてそれを理解しないからなのだ。
私たちは善を選ぶために自覚しなければならない。
しかし他人の嘆きに、 他人のあたたかい視線に、鳥の歌に、芝の青さに心を動かされる力を失えば、どんな自覚があっても役には立たないだろう。
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精神分析学について詳しくないうえに、「自由からの逃走」を読まずしてこの本を読んだので、多分ほぼ理解できていないと思う。悪というのが「創造する力」=生を衰退させるとのであって、それを誘引するのがナルシシズム、ネクロフィリア、共生的固着である…というところまで。その具体的な内容、どうしてそういう帰結になるのか、は理解できてないのでまた読みたい。