紙の本
帝国の多様な顔
2018/09/24 17:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロシアの革命軍による協力の強要を受け入れた旧軍属の男だが、暗号解読作業が期限の時間までに終わらず、思わず「主よ、われを憐れみたまえ」と叫び、以後それが彼の仇名になる、つまり彼は生き延びた。暗号なんてかつては軍人だけのものだったのが、このインターネット時代になって誰もが日常的に利用するテクノロジーになったので、親近感をもって読めるだろう。
「一九一六年十二月十二日金曜日」ロシア軍捕虜となって、終戦後にウィーンに帰宅した男にとって、それは特別な日になった。
「アンチクリストの誕生」イタリアの靴職人に生まれた子が、預言にあるアンチクリストだという。男は赤ん坊を抹殺しようとするが、妻はあくまで子供を守ろうとする。夫も妻も数奇な過去の上に、さらに複雑怪奇な人生を歩まなくてはならない。
フランスから来た男爵の、月を恐れるという一族の歴史「月は笑う」。
プラハにある軍人御用達の酒場「霰弾亭」では、兵士や下士官や工兵達が夜毎呑んだくれて騒ぎを起こす。そして過去のロマンスが、楽しい唄も悲しい唄も一緒くたにがなり立てられる酒場の描写とともに、無情かつガサツな掘り起こされ方をする。
「ボタンを押すだけで」それだけで離れたところにいる人を死なせることができるか、確かにブダペストでそういう噂を立てられた男。それが不思議な出来事だと思われるような牧歌的な時代もあった。
「夜のない日」ウィーンで天才的な数学の才能を持つ男が、論文を完成させるや決闘の場に駆けつける。彼の生涯にどれほどの意味があったろうか。
「ある兵士との会話」バルセロナで出会った唖の兵士と闊達なコミュニケーションができたはずだった。
とにかくいろいろな国を舞台にし、いろいろな民族が登場する。人物名からすると、ドイツ系もポーランド系も入り混じっているようだ。だがそれは作者にとって異国の物語というのではない。いずれもオーストリア・ハンガリー帝国の版図や関連の深い地域だからだ。帝国は第一次大戦で崩壊したが、その歴史や文化は作者の中に息づいていたのだろう。「ラデツキー行進曲」で現れるメンタリティーとも共通するし、それぞれの文明の記憶の残滓が交錯して物語を生み出している。
中でも「アンチクリスト」がとりわけドラマチックな展開で、囚人としてガレー船に乗っていたという過去から、幾多の放浪の末の結末まで、個人の信教や愛憎の枠を超えて、その時代を動かしていた原理が全体に漂っている。他の作品でも地域ごとの土着性と、普遍的風な顔の制約の中での展開があり、世界文学という言葉がなんとかく連想されてくる。
紙の本
起きたことには
2018/01/29 17:08
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投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
合理的な説明が一応つく(奥方の不義率高し)がそうではないかも、という感じの話が多かった。アンチクリストの誕生:無知のためオチ(と言っては語弊か^^;)の名前がピンとこなかった。訳者あとがきに「若干肩透かし/小物ではないでしょうか」とあるのを見てほっとした^^;
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オーストリア=ハンガリー帝国時代のチェコに生まれた作家
レオ・ペルッツの中短編集。
歴史的事実と奔放な空想を綯い交ぜにした、幻想的な作風だが、
登場人物の描写に深みがあって、骨太な印象。
ここでも澁澤龍彦による幻想文学新人賞選評「もっと幾何学的精神を」
及び「ふたたび幾何学的精神を」を想起せざるを得ない。
明確な線や輪郭で、細部をくっきりと描かなければ幻想にはならない【*】
あいまいな、もやもやした雰囲気の中を、
ただ男や女がうろうろと歩きまわるだけの話をいくら書いたって、
そんなものは幻想でも何でもありやしない。【**】
【*】澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(学研M文庫)p.152
【**】同p.156
表題作は、
生まれたばかりの我が子について不吉な夢の啓示を受けた靴修理職人と、
子を守ろうとする妻の話……なのだが、トンだところにオチが付く(笑)。
圧巻は巻頭「主よ、われを憐れみたまえ」。
革命直後のロシアで銃殺刑の前に家族に会わせてくれと願い出た男は
五日間の猶予を与えられて自宅に向かうが、
死んでも構わないと思っていたにもかかわらず、妻の愛を確認したため、
秘密警察に戻って命乞いをする。
手が届く範囲のささやかな幸福への執着が蘇った途端、
生きるか死ぬかの瀬戸際で必死になる姿が、
狂おしいまでの緊張感を伴って描かれる。
似ているようで対照的なのが「夜のない日」。
ウィーンで無聊をかこつ高等遊民が、決闘を前にして突然、数学の研究に没頭し、
我を忘れる(主人公のモデルはエヴァリスト・ガロアと目される)。
全8編、20世紀初めの欧米を巡り、
様々な事件を少し離れて望遠鏡で覗いたような読書体験だった。
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ペルッツ唯一の中短編集が何と文庫で登場。近年、長編の邦訳はぽつぽつ出ていたが、まさか文庫で出るとは思わなかった。
収録作の中で読み応えがあるのは、表題作である中編『アンチクリストの誕生』だと思うが、短編も秀逸。好きなのは『「主よ、われを憐れみたまえ」』、『月は笑う』。
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中短編集8編
怪奇色漂う独特の雰囲気と巧みなストーリー展開.表題作と霰弾亭が好きだ.
翻訳者のあとがきがとてもためになった.
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初めての作者。
以前から聞いていた名前、皆川博子さんの解説、さらにはツイッターでの激押しに負けて、購入、読了。
確かにボルヘスや山田風太郎を引き合いに出したくなる作風。
一歩踏み込んだ読み込みは訳者が解説にてしてくれている。
つまりは一冊の中で行き来前後しながら幾度もスルメのように味わえる本。
一番おいしいのは個人的には「霰弾亭」かな。
自分がアンソロジストならきっと「ある兵士との会話」を選ぶ。
初めての作者。
以前から聞いていた名前、皆川博子さんの解説、さらにはツイッターでの激押しに負けて、購入、読了。
確かにボルベスや山田風太郎を引き合いに出したくなる作風。
一歩踏み込んだ読み込みは訳者が解説にてしてくれている。
つまりは一冊の中で行き来前後しながら幾度もスルメのように味わえる本。
一番おいしいのは個人的には「霰弾亭」かな。
自分がアンソロジストならきっと「ある兵士との会話」を選ぶ。
■「主よ、われを憐れみたまえ」 ※秘密警察署長と、暗号を読める男。走れメロス式にいったんは解放しておいて、戻ってこさせる。
■一九一六年十月十二日火曜日 ※隔絶された場所で唯一わかる言葉をもたらしてくれる**、にとらわれて。
■アンチクリストの誕生 ※新婚夫妻がアンチクリストを生む。夫は******とし、妻は***とし(視点が交互するサスペンス)。やがて子は成長して******を名乗る。
■月は笑う ※妻の不貞を知らせ破滅させる悪魔的な月。
■霰弾亭 ※かつて愛した女と再会。過去に迷いこみ出られずあるいは出る気がなく**。それを似た視点から語る、生き延びた語り手。
■ボタンを押すだけで ※妻と分かり合えるインテリに嫉妬して、***で呼び出させることで****。教養を得るとともに妻を失った。
■夜のない日 ※決闘という期限ができたから数学的発■ある兵士との会話 ※啞者が身振り手振りで伝えられない怒りの表情。
※解説は皆川博子
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ペルッツの中短編集。
長編『最後の審判の巨匠』は幻想的だったが、こちらは奇譚という感じ。この著者はある程度長い作品の方が好きかも。
ベストは「アンチクリストの誕生」と「月は笑う」。
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原書名:HERR,ERBARME DICH MEINER!
主よ、われを憐れみたまえ
一九一六年十月十二日火曜日
アンチクリストの誕生
月は笑う
霰弾亭
ボタンを押すだけで
夜のない日
ある兵士との会話
著者:レオ・ペルッツ(Perutz, Leo, 1882-1957、チェコ・プラハ、小説家)
訳者:垂野創一郎(1958-、香川県、翻訳家)
解説:皆川博子(1930-、韓国・ソウル、小説家)
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「『主よ、われを憐れみたまえ』」ロシア革命の最中、共産党に捕まった元白軍の暗号解読専門家の話。
「1916年10月12日火曜日」言葉の通じない国で捕虜になってしまった男の話。
「アンチクリストの誕生」ある靴職人の結婚と破滅。教養がないのでよくわからん。
「月は笑う」サラザン男爵の一族は代々、月を恐れ、月によって殺されてきたのだという。
「霰弾亭」陽気な曹長の過去。
「ボタンを押すだけで」懐疑主義者と降霊会。未必の殺意。
「夜のない日」天命と寿命。才能に自覚のない天才。すごく皮肉っぽくていい。
「ある兵士との会話」身振りで雄弁に話す唖の兵士と偶然であった旅人の話
解説:レオ・ペルッツの綺想世界 皆川博子
皮肉っぽく、ダークな洒落のきいた話。
皆川博子の伯林蝋人形館を並行して読んでいるので、舞台の雰囲気がちょっと似ている。
チェコ旅行前に慌ててカフカの変身とチャベックのロボットは読んだけど、この人は初めて知ったから読んでない。ちょくちょく出てくる地名に見覚えが…読んでおけばよかったのに。
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ちょい昔の作品なので、気合がいります。
でも、表題作といい、ギリッと頭を抓まれる
面白さ粒ぞろい。
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作者(マイケル)がコペンハーゲンに引越して、語学学校(デンマーク語)の教材でアンデルセンの童話に出逢い、翻訳されてない「アンデルセン童話」の魅力に衝撃を受け、帰りに本屋に立ち寄り童話を買い込み、調べるうちにアンデルセンの旅行記に出逢い、その通りにヨーロッパを旅してみる。という作品。アンデルセンも童話もかなりエキセントリックな感じらしいけど、当時訳した人が原語を理解できてなかったらしい。マイケルという人はかなりシニカルなでユニークな人。だからこそホントはぶっとんでたアンデルセンに傾倒したのだと思う。
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レオ・ペルッツの中短編集。
たま~にSFとか時代、ミステリ、ファンタジーといった分類じゃなくて、純文の中で幻想とか綺想とか評されるのを手に取るのを覚えたのはガルシア=マルケスがノーベル文学賞縁で受賞し、彼の本が書店に平積みされたのが縁。
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最近は物語を口頭で語る語り部がいなくなった。ベッドで子供にお伽話を語る親も減っているだろう。たまに帰ってくると子供たちに不思議な話をする親戚のおじさんや親睦サロンで冒険の数々を語る紳士もいない。「ほら吹き男爵の冒険」のミュンヒハウゼン男爵のような。文章でなく口述で語られる物語こそストーリーでありその口調や間、表情などがセットになってかつては多くの人を魅了した。
レオペルッツが語る話はまさにそれ。物語とはその現場にいたひとりの視点で語られる。信じる信じないは聞き手次第。複数の視点で語られる小説は小説でしかなく、演劇のように語る落語は落語でしかない。それは成立の時点で既に作り話なのだ。
「アンチクリストの誕生」。おかしな夢を見た靴屋のパレルモは夢判断で自分の子供がアンチキリストだと確信する。子供を殺そうとするパレルモと守ろうとする妻。話は二転三転四転五転!パレルモが最後にとった行動は?そして子供の正体は?そんな話8編収録。世界を旅してたまに帰省してそんな土産話をしてくれるおじさんが私も欲しかった
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18世紀、イタリア。おたがいに秘密を抱えた夫婦のあいだに息子が生まれた。だが夫の夢に現れた聖ヨハネの預言によると、その子はアンチクリストで……?!という表題作ほか、巧みなストーリーテリングに舌を巻く幻想歴史小説短篇集。
収録作のうち「月は笑う」はアンソロジー『書物の王国4 月』で既読。少し硬派な印象だったが、本書でまとめて作品を読んでみると意外にしっかりエンタメに振り切った作風の人なのだなとイメージが変わった。
特に表題作。主人公の靴屋を脅す三人組の漫画っぽいキャラ造形や元尼僧の妻が開き直ってみせる強さなど、コントのように会話劇が転がっていった先にあのオチ。〈アンチクリスト〉の正体の小物感こそが、この夫婦にぴったりではないだろうか。訳者あとがきで夫の見た夢について「天からきたものであることはまず疑いありますまい」と言われているが、個人的にあの夢は本当の天啓ではなくて、元殺人者が妻に連れられて教会へ通ううちに自覚なく深い信心を持つようになったことを表しているものだと思った。そうしてぼんやりと男の頭に残っていた知識と夫婦の後ろ暗い過去が不幸にも重なり合って悲喜劇が走りだしてしまったと考えるほうが面白い。
また、収録作には漱石ばりに三角関係の話が多い。これは長篇にも共通するぺルッツのオブセッションのようだが、漱石と違うのは三角関係に伴う葛藤を扱うのではなく、不貞に気付かぬフリをしている男が狂気に囚われていくさまにフォーカスしていることだ。妻と不倫相手は発狂の種明かしとして触れられるだけで、彼女らの内面が描かれることはない。ぺルッツのオブセッションは〈男のヒステリー〉や〈男の神懸かり〉を書くことにあり、妻の不貞はその理由づけとして時代に要請されたものという気がする。
本書の作品で扱われた時代は18世紀から20世紀まで、場所はロシア、イタリア、フランス、ハンガリー、チェコ、オーストリア、スペインと幅広く、どこを舞台に選んでもその土地の文化と歴史に対する教養に裏打ちされた文章に惚れ惚れする。「月は笑う」の〈月に呪われた一族の年代記〉が実在しないのが残念なくらいだ。
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初めて読むプラハ生まれの作家さん。
表題作『アンチクリストの誕生』が一番長くて90頁位の中篇。展開が早くて面白い。理由がどうあれ、我が子を殺そうとする心理はまったく想像が及ばないが、オチを読むと、さて何が正解だったのだろうか?と思ってしまう。赤ちゃんを守るために男4人(亭主+泥棒3人)に立ち向かう奥さんが一番立派だ、と思って読み進めただけに。