紙の本
まさに「生活の練習」なんだなぁ。
2022/11/30 18:43
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界には、幸福度ランキングなどというのがあって、ヘルシンキは毎年上位常連国。息がつまる日本を飛び出し、小さな子どもを引き連れて移住した著者だったが、どこの国にも良さと欠点があって...。
しかし、読み進めるうち、その欠点と思ったことも、ヘルシンキが人々に「自立」を求める国だからということに気づく。それは日本でよく言われる「自己責任」という冷たい突き放しでは、もちろん、ない。この国の「自立」は、できる限り自分のチカラでなんとかしようと闇雲に頑張るのをやめ、困ったら助けを求めるということ。すると、その先には、よくできた支援のプログラムが用意され、ホントに「助けの手」が差し伸べられる。
そんな流れで語られた著者の「迷惑をかけないように頑張るというのは、私は他人を助けないと自慢するのと同じことだ」という気づきに、私もハッとさせられた。
国民の高い幸福度は、こんな風に、国民たちの手で作られる。
投稿元:
レビューを見る
抑圧や恫喝は相手の傷つけるためしてはいけないが、感情を表に出す権利は、個人として誰もが持っている。それが母親であっても、社会的な立場にある人でも。属性の前に、一人の人間であることを忘れず、尊重しなくてはならない。
ストライキを「迷惑」として労働者を責めるのではなく、労働者をストライキへ追い詰めた企業や社会の方にこそ目を向けなければならない。実は、この個人への「迷惑」と感じる気持ちこそ、個々が連帯して解決できる事柄を見逃しているのではないか?
「助けて」と言わなければ、誰も助けてくれない。制度は困っている人を助けるためにあり、そのために税金などで制度を維持しているのだから、利用できることは利用し、積極的に「助け」を求めよう。
投稿元:
レビューを見る
母親も怒っていい、でも怒ったあとのフォローが重要
性格や性質ではなくスキル(技術)。スキルは磨き続けられる
投稿元:
レビューを見る
何となくユートピアっぽく捉えられがちな「北欧ライフ」の詳細なレポート。国家としての“格”や煌びやかな“見出し”ではなく、そこで“出来ること”と“出来ないこと”を並べていく語り口がフラットで良い。
フィンランドでの子育てと同じ。人格ではなくスキルを。出来ることは良いことではない。出来ないことは、それ以上の何かを意味するのではない。出来るようになりたいのであれば、練習すれば良い。
投稿元:
レビューを見る
フィンランドは助けてくださいと言わないと
助けない
その代わり助けたからには対価も
支払わなければならない
それはフィンランドという国に
何らかの形で還元すること
そう考えると日本はまず
助けられるために
搾取が先だな
投稿元:
レビューを見る
あらすじ(筑摩書房より)「私たち女性は、すべてを手に入れたいのです」二人の小さな子どもと移住した社会学者による、おもしろくてためになる、フィンランドからの現地レポート。(https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480815620/)
フィンランドの子育て事情など「公」についての本。
ドラマチックに日本とフィンランドを比較して、日本社会を悲観するような内容ではないのが良いね。
軽快な関西弁でツッコミとともに、作者や娘さんが感じたこと、考えたことが交えてあるのでとっても読みやすい。
良い悪いと言うより、向き不向きだと思うけど、フィンランドの自分から助けを求めないと、助けは得られないけど、求めれば何かしらのシステムや誰かが助けてくれるという緩やかなコミュニティの感じ、安心できるし、心地の良い距離感だなと思った。(自分には向いているかも…)
投稿元:
レビューを見る
日本人は他人に興味がある人が多いから、人情があっていいけど、同時に窮屈さの原因にもなるのだな。
子供の能力を「資質」ではなく「スキル」だとする考え方がいいと思った。資質だと困った性格は治せないからな。
こんなこと書くと「治すのではなくプラスに受け止めてうんぬんかんぬん…」と説教くらいそうですが。
投稿元:
レビューを見る
性格や才能はスキルなので足りないと感じたらそこから練習すればいい、困ってると言わないと助けられない、現場でがんばる人がえらいと思われて制度が抱えてる問題が先延ばしされている、が印象に残ってるところ。読んでて何度か逃げ恥を思い出した、建設的。反射と牛の話はツッコミが鋭くておもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
フィンランドというと、あまり悪い面が書かれないので(特に日本での感想は)
著者の微妙と思う点や日本の制度との対比が書かれていてよかった。
著者の所々にあるツッコミがすきです。
投稿元:
レビューを見る
最近で1番刺さった本。筆者のバックグラウンドもあるのか、置かれた環境をフラットに批判的に見れているのがスタンスとして良いなと好感を持ちました。
前半は飛び込んだヘルシンキでの生活について福祉や教育をメインとして書かれています。「世界一幸福な国」と称賛されがちなフィンランドに対し、過度な期待や色眼鏡を使うことなく、淡々と現地で接した社会の仕組みや人々について筆者の感想とともに記され、発見が多い項で一気に読み進められました。印象的なエピソードが多いですが、1番頭に残ったのは「スキル」の考え方。友達を作る(友好的に振る舞えるなど)、思いやりを持つなどは人格や性質といった変えられないものが備わっている/足りていないと考えるのではなく、獲得可能なスキルと捉えて教育でそれぞれのスキルを習得していく•習得する手助けをするものとフィンランドでは捉えているそう。これはなかなか面白い。子どもに対しても、自分自身に対しても応用出来る考え方だなぁと感じる部分でした。
その後一転して筆者の家族史的な、考え方を形成したであろう話に変わり、そこからフィンランドと日本の違いとは、といった社会学的?な話に展開していきます。長年「自分が何人であるか」を考え続けた筆者の、お子さんに対する「何人?」への回答はわたしの中には自然発生的には考えつかないものだったなぁ。
全体としてたまに読みづらいところもありつつも、新しい発見や考え方に触れられる読書が好きなわたしには大いに満足できる読書体験になりました。筆者の周囲のフィンランドの方たちの言葉がまた味わい深いんだよね。
日本で暮らしているとフィットしにくい考え方もあるけど、その視点を持ち合わせるのいただき!という考え方が多かったように思います。
投稿元:
レビューを見る
社会学者の朴沙羅さんのエッセイ。去年買うか迷ってたけど、最近機会ができたので読むことができた。日本では何かと肯定的に語られがちなフィンランドの生活レポート、とてもよかった。無条件に肯定するわけではないけど、人格や才能ではなくスキルを伸ばすという教育方針とか、気候に合わせた服装をすれば悪い天候はない、という話を読んで、今いる社会より人間味がありそうかも、という点で羨ましいなと思ったりした。
投稿元:
レビューを見る
日本の息苦しさから逃れてフィンランドに行った社会学者の作者が、持ち前のユーモアと公平な視点でフィンランドの制度や人間性を活写した好著。
大阪弁で話される脱力した本音や、娘であるユキちゃんの素朴さが、この本の大きな魅力。
フィンランドでは、思いやりや根気や好奇心や感受性も練習することが可能なスキルだとされていること。なんでも至れり尽くせりの福祉国家であるわけではなく、要求しないと求めているものは得られないこと。心を刺激する素敵なものが手に入りにくいから、何か欲しいものがあったら自分で作る「ていねいな暮らし」が強制されてる感じなこと。ただし、そのせいで心が静かになること。
韓国と日本のダブルの著者が感じる日本での生きづらさは、生きづらさを感じるシルテムに問題があると考えるフィンランドでは、きっと息がしやすいのだろうなと思う。
作者のこれからの活躍を応援したくなる様な本だ。
投稿元:
レビューを見る
幸福度世界一と言われるフィンランド。
憧れのフィンランドブランド。
そんなユートピア的文脈で語られるフィンランドでの生活が、社会学者の朴沙羅さんによって実にフラットな視点で語られる。
年代的に割と近く、学生時代を関西で過ごされた朴さんの時代感はスッと入りやすく、ユーモアある語り口は、読み始めてすぐにファンになった。物事をフェアにみる冷静さが、とても心地よく信頼できる。
朴さんはお子さんを2人連れて、フィンランドへ移って2020年2月から働いておられる。
コロナと重なったのは偶然、2018年に最初に旅行で訪れている。
子育ての話も多分に交えながら、フィンランドと日本・京都の社会福祉、保育園、街で出会う人々の子どもへの接し方など比較しながら分析される。
前述の通り、「北欧・フィンランド礼賛」という偏った見方はされず、あくまで日本もフィンランドも、背景がこうだから、こうなるのだろうもいう客観視がされている。だから、あくまで読み手としても、新たな視点を持って、自分といまの環境を見つめ直せる。
結局は、自分がどんな人達と助け合ったり、線引きしたりしながら、生きるのか、自分で決めて選んで生きていくしかない。環境をうつすのか、環境を皆で変えていくのか。
いずれにしても民主主義の国だから。
印象的なエピソードは有りすぎて、全ては感想として書ききれないけれど、一部を。
・保育園の教員との話で、(子ども達が喧嘩をしたらどうするか?」という質問に対して、
「このスキルを学んでいる途中だね」とお互いに確認するのを手伝っている、ということ
指示に従わないユキちゃんのことを
「嫌なことをはっきり嫌だと言い、常に自分の考えを持っていてすばらしい」と褒められた話。
(日本の教育は集団主義的なのは、教員側の人員や時間的問題による側面が多いのかも)
・何か問題があったときは、人を褒めたり貶したりするのでなく、「問題/技術に焦点を当てる」こと
いいところ⇔悪いところではなく、
練習が足りているところ⇔練習が足りていないところ
・子どもが遊ぶスペースが普通の列車内にある
・フィンランドには日本でいう学校のクラブ活動が存在しない。
日本でいう習い事のような、学校外のクラブ活動、ソサエティがあって、日本より月謝は安い。
けれども、子どもが自分で通える範囲にあるか、保護者やシッターが送り迎えできるかによって、参加できる幅は限られるため、家庭環境によってはチャレンジできないかもしれない。
・カルサリカンニ (kalsarikannit)
意味:パンツ一丁で自宅でお酒を飲む
なんと素敵な単語があるのか。
※ヒュッゲ(居心地の良い空間、
楽しい時間)はデンマーク語
投稿元:
レビューを見る
悪くはないが、途中から話がタイトルとかけ離れていくスピード感が増し、読みにくくなっていった。(最後まで読みましたが)
その場所で暮らさないと気付くことが難しい、考え方の違いなどを知ることができてよかった。
投稿元:
レビューを見る
後半は主旨が変わってしまったけれど、前半は、責任は個人ではなく環境にあるということが気持ちよく整理されている。物事を変えるには環境整備が必要だったり、子供ができなくてもそれは子供のせいではなく、練習が足りないだけ、大人はその練習の場を作ればよい、というようなシンプルで冷静な内容で読んでいてとても気持ちが良かった。困っていたら困っていることを伝えないと、私達はあなたが困っていることもわからないし手も差し伸べられない、というヘルシンキの考え方は成熟していてよいなと思った。