紙の本
不完全でもいいじゃない
2023/10/04 16:36
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の著者河合香織さんは
1974年生まれのノンフィクション作家だ。
2004年に発表した『セックスボランティア』が話題となり、
その後2019年に『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で
大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をW受賞している。
この『母は死ねない』は、著者自身の出産時に体験した思いから
母にまつわるさまざまなことを描いたノンフィクション作品である。
さまざまなこととは、自身が体験したことのほか、自身の知人が体験したことや
山梨のキャンプ場で行方不明となった女児の母親への取材、
あるいは2001年に起こった池田小学校への侵入事件で犠牲となった母親の思い、
また同性婚の夫婦として子どもをもった女性の願いなど、
いまという時代の中にあって、
それでも子どものために生き続けるのが母なのかと
著者は問う。
「不完全な女たち」という章では、一人の母親が自身の大学院受験のために
娘をひと夏保育所に預けていた際の体験が描かれる。
自分の都合のために子どもが保育所に行きたがっているのかも問えなかった自分は
「不完全」であったことに気付く。
彼女がたどりついたところは、もう「母は死ねない」という完璧を求めていない。
そういう完璧さを脱ぎ去ったところに、女性たちの自由がある。
著者は最後にこう記す。
「子どもは母と一体化した相手ではなくて、自分の思い通りにならない他者である。」と。
取材を通じて、著者自身が母という呪縛から解き放たれている。
紙の本
母であること
2023/06/22 18:05
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
母であることの、あるいは母に対しての、「かくあるべし」という理想と現実とのギャップに苦しむ女性たちが取り上げられている。すべての女性が母になるわけではないが、母という役割、立場、ときとして飾りのようなものを、人は求める。その女性たちは、人生の中で想像もしていないかった困難に直面した。それを乗り越える糧となったのは、人との関りや人生というものが、思い通りにならないもどかさを自覚することだった。子供も思い通りならない他者である。かくあるべき姿があると思い込み、母と子は、社会からの視線によって呪縛されるな。
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子どもを持つ決意、持たない決意。そして、子どもを産んだ後の親としての喜び、哀しみ、悩み、後悔…
親となった今では、子どもに関する悲しいニュースを聞くのが辛く、涙が出てしまうのだが、この本はそのニュースの裏にある当事者の親の気持ちをリアルに綴っている。実際に起きた事件についての取材や、筆者の周りの人との会話に基づいて書かれているので、まるで自分の目の前でその人が語っているかのような臨場感がある。
子どもを育てる上で、「親は死ねない」というのは、本当にその一言に尽きる。法律上や経済面の責任だけでなく、愛情の面でも、「私はこの子が死ぬまで死ねないし、この子が私より先に死ぬことは決してあってはいけない」と常に(無意識に)気を張り詰めていたことを認識させられた。
そして、子どもを持たないという選択をした人の気持ちも、同時にわかる、と思ってしまう。子どもを育てることは、それほどに責任の重い仕事なのだ。
でも、母親はかくあるべき、という決めつけから、自分を解放することも、子どもと自分を幸せにするために必要なのだと思う。母も一人の人間で、決して強くはない。そして、子どもは母とは違う人間で、思い通りに動かすことは不可能だということ。それを大事にして、一人の人間同士として向き合えた時に、お互いに信頼し合える関係になれるのだと思う。
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ノンフィクション作家である河合さんが、“母”をテーマに自らの経験も織り込みながら、様々な形の家族を描いた圧巻の書。
母=親なのは当たり前だが、その関係は一筋縄ではいかない(未婚の母、養子、同性愛者など)。当然、母=娘でもあるわけで、自分自身が親とうまくいかなかった場合はどうなのか。子供も千差万別で、なんらかの障碍をもっていたりグレてしまったり……。
それでも“母は死ねない”のだ。
本書を読むと、“異次元の少子化対策”なんて真剣に言っているのかと疑ってしまう。金を渡せば自動的に子供は殖えるのかい?
※本書は刊行前にNetGalleyにて読了したが、「この作品は削除されました」と表示されてしまう。
「この作品は現在ダウンロードしたりレビューを書いたりできません。出版社が作品の準備を完了していないか、作品自体が取り下げられたものと思われます。」とのことなので、レビューは保留していた。
2ヶ月後に刊行されたが、遅延の理由や、加筆・訂正があったかは不明だ。あくまでも読了時(1月25日)のレビューであることをお断りしておく。
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"私自身は、きっとこれからも間違い続け、不完全な母であり続けるだろう。また知らず知らずに、子どもを傷つけてしまうに違いない。それでも「あなたのために」という言葉だけは言わないようにしたいと誓った。"(p.146)
"それぞれが抱える絶望を、家族だからといって聞かなくていいし、語らなくていい。家族が向き合って、絶対的な愛情を持つべきだという規範にとらわれたとたん、苦しくなる。家族はそっぽを向いていても、ただそこにいるだけでいい。痛みを見つめ合って話し合わなくてもいい。同じ山を見て、同じ歌をくちずさむことができればいいのだ。"(p.210)
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2023/04/24予約 50
子を殺された母、難病の子を育てる母、精子提供で子を産んだ母、特別養子縁組で子どもを授かった母、我が子が失踪した母、中絶のトラウマから子供を持たない母など。
理解できる母親、理解できない母親、様々だった。
私は
P123
『本当はママも自分の母親の胸で泣きたかった』
ここが一番響き、腑に落ちた。
それぞれの立場で納得する場面は違うだろう。
かなり精神を削られるので、元気でない人にはおすすめしない。
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「朝の希望」、「生まれるかなしみ」、「花を踏みにじらないために」
他者の花畑を踏みにじらないように、自分の花畑を荒らされないように、荒らされたとしてもまだ花は咲いている。
決して忘れてはいけない。
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ちくまに連載された、さまざまな母が登場する17の短篇ノンフィクション。アベレージはもちろん高く、著者自身の話を含めてどれを読んでも静かに面白い。「母は死ねない」はこの作品のテーマや結論というよりは、ある話では著者の確信になったり、疑いの対象になったりしながら全編を漂っている。
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★自分が母となり、自分の命よりも大切な存在ができることは、喜びも大きいが、苦しみも深いということを初めて知った。
★当時の私は子供を寝かしつけると、「自分はだめな母親だ」という気持ちに押し潰されそうになり、子供に謝りたくなった。なのに、子が起きている間には、反省も忘れて何もできないでいる。仕事と日々の生活で余裕がなかった。
→◎わかる。痛いくらい、目をそむけたくなるくらいこの気持ちがわかる気がする。仕事、両立、忙しい、それを言い訳にする自分が嫌になる。ダメな母親だ、そう思うくらいなら、仕事やめればいいのに。そう思いながらも、どちらも手放したくなくて、必死になってる自分がいる。必死になれるのは、なんだかんだ言ってやめないのは、支えてくれる周りがいるから。ありがとう
★大人として一個人として相手に対するのではなく、どこか男性へ精神的に依存していたところがあったように思えるというのだ。一体感が欲しくて、相手の価値観の中にあえて取り込まれていた。(中略)それは周りの人に尽くすような行為に思えるけれど、実は思考停止することで、自分が楽になりたかったのかもしれないと思い至った。
→◎夫であってもそうでなくても、男性であろうと女性であろうと、相手を頼ったり信頼するのと依存するのは違う。相手の価値観は認めるけど、自分がどう考えるか、の線引きをしっかりしておく。なんでもかんでも相手に合わせない。頭を使う。
★子のために生きる。それは美しい言葉のように思えて、母をがんじがらめにする呪いにもなりえる。
★守ってもらっているのは母親の方かもしれない。(中略)そんな自分でもありのままに受け入れてくれる、子供の存在に救われているのではないか。
★子のためにしばらく一緒にいようとも、あるいは別々の人生を歩もうとも、人が人と出会って一緒にいる時間は銀河の流れからすればほんの一瞬だ。だからこそ、全てを否定したくはない。今までのように目をそむけるのではなく、現実を直視してもなお、この時間は悲しいことやつらいことばかりではなかったのかもしれないと思うようになっていた。
→◎はーとこれから先どうなるかはわからない。夫婦関係だけでなく、自分たちの意思で終わりをつけるもの、そのすべてにおいてこう思えたらいいなと思う。すべてを否定しないこと。きっとそれまでの時間の中で、「よかった」って思える瞬間が必ずあって、そこに目を向けられる強さを持ちたい。もちろん、自分たちの手で「終わる」決断をしないことが一番なんだけど。
★「お互いに働いて助け合って、心を持った人と一緒にいることが一番幸せなんだよ」
→◎理解できないことも、言い方ほかにないのって悲しくなることもたくさんある。でも、私ははーと結婚出来て良かった。ありがとう。
★「住する所なきを、まず花と知るべし」(世阿弥)
→そこにとどまり続けることなく、常に変化し続けることが芸の本質。変化の中で新しさを作っていけ。
★時には誰かに甘えたい思いもあるけれど、私が皆を支えないといけない。そして、私も皆に支えられている。息子や娘に支えてもらって、夫や両親がいるから、生きていられるのだと。
★「私のおかげじゃなく、周りの人たちが助けてくれたおかげだよ。そして私もあなたたちのおかげで生きてこられた」人間は人の助けの中でいきてこられた。
★耳の聞こえないわが子に対して「ごめんね」とは思わなかった。母から耳が聞こえない子に産んでごめんねとかいわれていたら、障害をネガティブに受け取っていたかもしれない。自分にとってはそれが当たり前のこととして受け入れてきた。
→◎癌になった時、ママもパパも「ごめんね」とは言わなかった。もちろん二人のせいでないことなんてわかってるし、言われたいとも思ってなかったけど。でも「言わないでいてくれてありがとう」と思う。いわれてたらもっと被害者意識が植え付けられていたかもしれない。
志帆にも思う時もある、「こんなママでごめんね」と。でもきっと志帆にとっては今のこの我が家での生活が普通で、当たり前でスタンダードになってるから、それを謝られたらネガティブに受け取るだろう。謝りたいなら変えろ、と自分に思う。
★「いざとなったら私が育てるから大丈夫」最後の砦。(×あなたを選んで生まれてきた)
→◎こないだキム兄が言ってた最後の砦の話。極端でしょ、と思わないこともないけど、これが実は意外と安定剤になったりする。応援すること、頑張らせることがいつも正しいわけじゃない。努力だけでどうにもならないこともある。そんなときは応援するだけじゃなくて、そばでそっと支えたい。
★障害は変えられない。社会と自分の心持は変えられる。
★かなしみという字は「悲しみ」「哀しみ」だけではなく「愛しみ」とも書く。
→◎この本の中で一番響いた言葉かも。愛してるから、かなしみを感じることもある。ママとパパもそう思ってくれていたのかな。
★「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです」(ドストエフスキー・悪霊)
★どこにでもいる親が抱える、平凡でそして平和な悩み。「淡々と、毎日をただ淡々と、生活していく。その時間を大切にしたい」
★「子供は本当のことを言えないものだよ」
ただの一人の不完全な人間でしかないことを認められないから、私は苦しかったのだろう。そのことを認めてしまえば、別の向き合い方ができるのかもしれない。
私自身は、きっとこれからも間違い続け、不完全な母であり続けるだろう。また知らず知らずに、子供を傷つけてしまうに違いない。それでも、「あなたのために」という言葉だけは言わないようにしたいと誓った。
そして知ったのは、本心を話すためには親子の会話があれば安心なわけではないということだった。問題を話し合うだけではない、何気ない日々の穏やかな会話、時間の積み重ねが足りなかったのかもしれない。何気ない風景や気持ちの動きをゆっくりと向き合って共有する時間。それは幼いころに私が母に話したかったことだと気づいた。
★見せたいのは、立派な母の姿ではなく、困ったら誰かしらが助けてくれるという信頼。人と人が親密になるのは、そんなときではないか。不得意なことや苦手なこと、弱みも開示していくしなやかさを伝えたい。
★家族だからこそ深く分かり合える半面、家族だからこそわかってほしいとぶつかり合う。
子の痛みがわかると言い切ることは、親の子どもへの支配であると思っている。だから、冷たいようだけれど、その痛みは自分で解決するしかない。隣にいて見守る。失敗したら、いつでも戻ってきてほしい。
★一人の人間として苦労を取り戻すことは、人生の主体性や自分らしい生き方を取り戻していく過程でもある。
家族はそっぽを向いていても、ただそこにいるだけでいい。痛みを見つめ合って話し合わなくてもいい。同じ山を見て、同じ歌を口ずさむことができればいいのだ。「安心して絶望できる人生」安心して絶望できる。それが家族。
★他人の痛みには鈍感で、自分の痛みには細心の注意を払う。
★出産も、子育ても、自分の思い通りにいかない日々を積み重ねて、それで人生も人も思い通りにいかないんだなというのを学んだし、それらの苦労があったからこそ、なんとかやってこれたと思う。そして改めて、人の温かさを知る。
★私たちは、不完全な母であり、不完全な娘であり、不完全な女であり、不完全な人間だ。母だからかくあるべきというところから自由になった方が母も子も幸せに違いない。
★子供は母と一体化した相手ではなく、自分の思い通りにならない他者である。もどかしく、時に喜ばしく思いながら、そのことを心から知ることで、互いの人生を認め合う関係が築けるのだろう。
◎読んでいて納得できるところも、んーってなるところも、励まされるところも、胸が苦しくなるところも、たくさん詰まってた1冊。
自分がいかに幸せか。平凡な家庭のようで、でもその「平凡」が当たり前でなくて、これが「平和」なんだと改めて感じられる。人生思い通りになんて行かなくて、それは子育てにも自分個人の人生にも言えることで、でもだからこそ、人はみんな弱くて、自信がない。それに気づけたとき、他人に手を差し伸べられると思ったし、素直に「助けて」って言えるのかもしれない。美咲ちゃんのお母さんの手記がすごく響いたし、強く生きなきゃと思った。
私は不完全な中でも不器用でどうしようもない人間だと思う。でもそんな面も志帆に見せながら、全力でひたむきに愛していきたいし、周りに頼り、感謝する姿勢も背中で見せていきたい。
癌になった時、あれやこれや詮索することもなく、ただ静かに見守ってくれていた親には感謝しかないし、その強さを見習っていきたい。
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最初の2編だけ読んでいまいち響かず、あやうくスルーするとこだった。
これはすべてノンフィクションであの池田小学校の事件で犠牲になった優希ちゃんのお母様の本郷由美子氏、そして記憶に新しい山梨でキャンプ中に行方不明になった美咲ちゃんのママ、とも子さんの苦しい胸の内を、そして現在の心境と活動が丁寧に綴られていて生半可な気持ちでは(全編をとおして)
読めない本だった。
母は死ねない。読んだあとにこのタイトルを思うと改めて
そういうことなんだと思った。
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中絶,障害児,難聴の子育て,ママ友,殺された子などへの母としてのアプローチや自分が子供だった時の母への思いなど母と子の関係も簡単ではない.17人の母へのインタビューでその本音を聞き取っている.このインタビューに登場する母は,しっかりと現実に根ざして生きているところがすごいと思った.
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母は死ねない。とすべての母が思うのだろうか…。
生まれた我が子が、難病を抱えていたらこの子を育てるのは自分しかいないと思うかもしれない。
しかし、当たり前の子育てができないことに、普通ではないことに苦しみ続けてきた遺伝子難病の子をもつ母は、自死を選んだ。母として劣っていたとは思えないのにだ。必死に生きて生き抜いてきた。
それでも終わりを選ばざるを得なかったことを他人が否定はできない。
山梨での行方不明の事件や池田小の殺傷事件などの被害者の母の声もあり、ノンフィクションだからこそ壮絶な苦悩を知ることになる。
誰もが子育てに自信はないのではないだろうかと思うし、完璧な母などいない。
さまざまなかたちがあり、それぞれが別個の人格である。
不完全なままでいいのかもしれない。
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何人もの人生を垣間見た感じがしました。読後感は、重苦しく感じてどっと疲れましたが、知ることをできて良かったです。自身の人生の在り方を問われた気がしました。
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母親としての著者自身のことも折々に交えながら、DVを受けている母親、AID(非配偶者間人工授精)(+α)で子どもを授かった母親、突然失踪してしまった子どもの母親、難病の子どもを持った母親、児童殺傷事件の被害者の母親、中絶を経験した母親、レズビアンの母親、特別養子縁組で子どもを育てる母親、自死を選んだ母親など、様々な状況に置かれた母親を取り上げるノンフィクション。一般的なノンフィクションというよりは、文学的エッセイに近い文体。
かなり重い、壮絶な状況に置かれた母親がたくさん登場し、胸が苦しくなった。特に、子どもが失踪して後に白骨化した遺体が見つかったり、事件に巻き込まれて子どもが殺されてしまった母親の話は万感胸に迫るものがあった。一方、重度の聴覚障害を抱えながら難病の子どもを育てつつ、「産んでごめんねとは思わない」というユカコさんの話には希望を感じた。
また、多くの人の中に母親というものの「呪縛」が厳然としてあることも感じたが、本書で言われているように、そのような「かくあるべき」ということから解き放たれ、不完全さを受け入れるということも(夫など周りも含め)必要だろう。
本書では、いずれの話でも父親の存在感が薄いように感じたが、子どもを育てるという点で、授乳以外に父親も母親と変わるところはないはずであり、自戒も込めてだが、もっと子育てにおける父親の役割が高まっていくことが、「母親の呪縛」を解く上でも重要だと思う。
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図書館にて。
多分ツイッターの書評で紹介されていて借りてみた。
最初、著者の子育て日記のようなものかと思っていたら、子供や親子に絡んだ事件を掘り下げて取材していて、濃い内容に驚いた。
特にキャンプ場で女の子が行方不明になった事件を丁寧に取材していて、ワイドショーや週刊誌のような書かれ方ではない、寄り添い興味本位ではない文章にホッとする思いだった。
そう、同じ親として、あの事件では全く他人ごとではない恐怖を味わったのは私だけではないはずだ。
もしも自分の子供がいなくなったら、とか友達の子供が同じ目にあったらなど、すぐ隣で起きかねない事件としてぞっとした人も多いと思う。
そんな目線でこの本は書かれている。
いろんな事件や子育てのエピソードを章ごとに取り上げていて、ちょっと盛り込みすぎでお腹一杯、読むのに疲れてしまった感も否めないけれど、ありそうでなかった読者と同じ目線で書かれていた貴重な一冊だと思う。
昔読んだ「結婚しないかもしれない症候群」を思い出した。
あと、「母は死ねない」という題名にはすごく思いが込められているなと読んで思ったけれど、もう少し違った題名ならもっと読者は手に取りやすいような気がした。
なんだろう、母という自分たちの存在に対しての悲壮な覚悟と、母以外の存在に対する攻撃的なニュアンスを感じた気がして。
この本は母というものを明るくとらえたものではないかもしれないけれど、死という言葉を使わなくても良かったかなと思ったりもした。