紙の本
喪失を生きる
2023/12/11 13:23
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投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
冬になると、なぜか読みたくなるエーレンデュルシリーズ。
今作のテーマは、人は喪失からどう生き延びるのか、だろう。
地殻変動の影響により、長らく湖底にあったと思しき骸骨が数十年ぶりに地表に現れることから、滅び去った国で青春を生きたある若者の人生の軌跡がゆっくりと明らかになる。
このシリーズの特徴として、物語の展開がゆっくりであること、そこから読者も登場人物の心情に深く入り込める心の準備ができるという点が挙げられる。
今作も、ある国で若者が経験した事件はかなり衝撃的で、そのシーンは十分ドラマチックだが、焦点はあくまでも若者の心情であり、切迫感よりも焦燥、孤立、寄る辺なさ、正体不明の敵に対する無力感を描くことがメインとなっている。
起きたことは劇的、動的だが、渦中にある若者の内面からは、なぜか静的なものが強く感じられるのが不思議なコントラストをなしていて、そこが印象的だった。
もうひとつの特徴だと感じるのは、表面に表れている事件を通して、人間の普遍的な感情とそこから人はどういう影響を受けるのかをじっくり描いていることだ。
今作でのテーマは、広い意味での喪失、その中の失踪という、残されたものにはいつまでも結末の分からない物語を読み続けるような頼りなさと、それとどう折り合いをつけて日々を生きていくのかというかなり重い問題である。
物語のはじめに出てくる複数の行方不明事件の関係者は、長年のあいだ数々の憶測、自己反省、周りのひとへの不信など様々な感情に苦しめられているのが心にささる。警察にとっては、ありきたりの失踪でも、関係者にとっては人生を飲み込むほどの暗闇に一生とらわれつづけなければならない。
異国でそのような目に遭った若者は、考えられる限りのあらゆる手段を試すが、扉は固く閉じられ、周囲の慰めや励ましもただの気休めにすぎない状態に置かれていた。
本当の暗闇とは、おそらく光がないことではなく、自分の存在がどこにもしっかりした基盤をもたないと感じることではないだろうか。真っ暗な洞窟の中での浮遊感のようなものが一番ぴったりくると思う。手も足もどこにも触れることなく、その闇がどれほどの広がりをもつのか知ることもできない。その中をただ漂う感覚は、静かすぎる恐怖だろう。
この感覚は当事者だけが知るもので、警察と言えども共有することはできないし、また共有したくもないものだろう。そんななかで、自らも喪失の闇に囚われ続けているエーレンデュルが、ひとりの失踪者の恋人によりそい続けるのが胸を打つ。
単行本のカバーデザインも、エーレンデュルや関係者の心情をよく表現していると思う。
願わくは、一筋の光が人々の上に投げかけられんことを祈って止まない。
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アイスランドを舞台にした、エーレンデュル刑事シリーズ、4巻目の話である。
『湿地』『緑衣の女』ときて、私は3巻目の『声』を絶讚していた。
シリーズ最高の素晴らしい1冊だと。
ところがこの『湖の男』である。
これも最高に素晴らしい。
『声』はロマン派だった。美しく悲しい物語だった。
『湖の男』は、読みごたえのある物語だった。
テーマは「冷戦時代」。
冷戦時代、特に当時の東ヨーロッパの状勢に詳しければ詳しいほど、面白く読めることだろう。
ライプツィヒでの話が時々差し込まれる。
一読の後、その部分だけを続けて読むのはおすすめだ。
往年の青春小説、ビルドゥンクスロマンBildungsromanの趣がある。
秋の夜長を知的な読書ですごしたい方におすすめする。
なお、事件そのものを楽しみたければ、シリーズのどれから読んでも大丈夫。
エーレンデュルや他の登場人物の私生活も楽しみたければ、1冊目の『湿地』から、ぜひ。
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シリーズ4作目。黒い箱と共に沈められた骸骨の身元調査と並行して、ひとりの男の追憶の記憶が描かれる。
エーレンデュルの捜査よりこちらの物語の方がメインかもしれない。共産主義国における発言や行動の抑圧された状況という背景は重い。その状況下で苦悩する若者たちのストーリーは読み応えがあるが、重さゆえか、いつもよりページ数が増えたように感じ、さくさく読めなかったのが残念だった。
男の追憶とエーレンデュルの捜査が徐々にリンクしていく辺りは面白かったけど、長さのせいか、無駄なシーンに目がいってしまい、前三作ほど集中して読めなかった。今回重要なのは、犯人ではなく被害者。誰が殺されたのか? が最大の謎となる。決着するところとそうでないところがあり、ふわふわした読後感だった。できれば毎年翻訳してほしいなー。じゃないとぐだぐだなエーレンデュルの私生活についていけなくなりそうだわ。
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北欧ミステリらしいと言っていいのかどうか、ひたすら暗い。そして重い。湖の水位が異常に下がっているので、水位をのぞきに行った研究員が、砂に埋もれた頭蓋骨を発見する。こめかみの上に穴が開いている。もしかしたら殺されたのではないかと考えた発見者は警察に連絡する。鑑識が調べると、骸骨にケーブルが巻きつけられ、その先にロシア製の壊れた無線機が結びつけられていた。まだ水位の高かったころに船から投げ込んだのかもしれない。
捜査を担当するのはエーレンデュルというレイキャビク警察の犯罪捜査官。少年時代父と弟と山に行き、雪崩に遭い弟を見失った過去を持つ。そのせいか失踪者に異常な執着を持つ。妻とは離婚して一人孤独に暮らしている。母親に引き取られた娘とその弟は、母親から父について色々吹き込まれたようで関係はうまく行っていない。それに若手の男性と女性刑事がチームを組む。ハンサムな男性刑事は結婚しているが子どもはいない。女性刑事は料理が得意でレシピ本を刊行し、評判になっている。
派手な捜査は行わない。手がかりをもとに、一つ一つ聞き込みを進め、捜査対象をしぼってゆく。その合間合間に、関係者の個人的なごたごたが挿入され、ああ刑事も人の子なんだなあ、たいへんだ、と同情したくなるエピソードが執拗に投入される。生活感があって良い、と思う読者にはいいのだろうが、シリーズ物を途中から読みはじめた者には、正直こういう部分は本筋を追うのに邪魔になる。それではつまらないのだがとばして読みたくなるのだ。
追う側のあれこれとほぼ同量を費やして追われる側の回想が過去から現在に至るまで、事細かに語られる。本作の主題はこちらの方だ、とでも言っているかのように。それは、第二次世界大戦後、世界がアメリカを中心とする資本主義国家とソ連を盟主とする社会主義国家に二分され、覇権を争っていた時代のことだ。アイスランドから東ドイツのライプティヒに留学した男子学生が、同じくハンガリーから留学中の女子学生と恋に落ちた話である。
それだけなら微笑ましいような話だが、ハンガリー動乱が目前で、東ドイツは運号が広がるのを恐れていた。留学生たちも相互監視を強制され、社会主義の理想に燃える学生の中にも、現実の社会主義国家の在り方には疑問を感じる者も多かった。二人の恋は、その波をもろにかぶってしまい、男の方は祖国に強制送還され、女の方は行方知れずになってしまう。回想しているのは、トーマスという男子学生の方で、湖で発見された死体についてよく知る者のようだ。
死体に結びつけられていたのが盗聴器であったことから、冷戦時代のスパイ疑惑が浮上する。刑事たちは各国大使館に出向き、当時の行方不明者の洗い出しにかかる。特別なひらめきがある訳ではない。捜査はエーレンデュルの直感に基づいて進められる。行方不明者の一人に農機具のセールスマンがいた。バス停に黒のフォード・ファルコンを乗り捨てたまま家で待つ女のところに帰ってこなかった。今でも帰りを待つ女のことが、大事な人を失った者の一人として刑事には気になった。
過去にこだわりを持つ二人の男が、行方の知れない愛する者への思いを抱きながら、追う者と追われる者に分かれて双方から真実に近づいてゆく。湖の男の正体はいったい誰なのか、というのが解かれるべき秘密である。それも、読んでゆくとだいたいの見当はつく。しかし、謎が解決されてもすっきりした気持にはなれない。時代の流れは、社会主義が迷妄であったと切り捨てて今に至るが、今の国際社会の混迷ぶりは、ひたすらに経済的利益を追求してきた資本主義諸国の自由とやらの虚しさを白日の下にさらしている。
秘密警察が国民すべてを監視していた旧東ドイツの社会は極めつけのディストピアだった。それと闘おうとして、力なく敗れた者の無力感が全篇の大部を覆い、読後に重いものを残す。ベルリンの壁が壊れ、東西ドイツは統一されたが、戦後の日本社会同様、不都合な真実に目をつぶり、充分な検討がされないまま有耶無耶になったことがあまりに多いのだろう。登場人物の一人が言う、「私は東ドイツで見た社会主義はナチズムの継続だと思った。たしかにソ連の影が東ドイツ全体を覆ってはいたが、私は行ってまもなくあの国の社会主義はナチズムの新しい形に過ぎないと思った」と語っている。
人が人を監視し、自分とは異なる相手の考えや立場を尊重しようとせず、長い物に巻かれるように、周囲の声に同調し、意見の異なる者を排撃する。ナチズムだけの問題ではない。同じころ、ファシズム国家であったこの国にも、その根っこは残っていたようだ。いつの間にやら時代は七十年前に戻ったようになっている。ひたすら暗く、重いのは北欧ミステリのせいではなかった。この国の今の在り様がそう思わせるのだ。
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シリーズ四作目。
毎回感じることだが、このシリーズはミステリーというよりは、事件に関わる人の半生や周辺の歴史の方に重きがあって、いわゆる謎解きや犯人探しを求める読者には向かないと思う。
アイスランドの歴史や見方や、過去の東欧の状況など、色々興味深いところが多かった。
ひたすら暗いのだが、主人公エーレンデュルは難しい恋の最中で、娘はドラッグ中毒で息子はアル中(現在は立ち直ったみたいだが)、子供達との関係は上手く行っていない。
かなりな波乱なプライベートで驚く。
おまけに同僚エリンボリクは副業で料理本出してるし。
あとがきで本国では既にシリーズは十五作も出てるらしい。全て邦訳されるのはいつになるのか。どうかそれまで訳者の柳沢さんがお元気でありますように。
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シリーズ4作目。相変わらず暗い雰囲気の中、失踪者にまつわる謎が語られていく。暗くて重いのだが、なんとなく読んでしまう。次作に期待。
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このシリーズはアイスランドという国の小ささが強調されているようだ。日本を欧州が極東扱いするように。だからといって、アイスランド人に面と向かって最果ての国とか、ミスした者が飛ばされる国だとかいう大使はどうかと思うが。エーレンデュルの娘はエーレンデュルの弟に嫉妬しているように思えてならない。愛する者を理不尽に、或いは理由もわからず奪われた者達の悲しみが描かれた小説。軽く扱われる小国の悲劇。
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シリーズ最初の作品「湿地」の解説者が、これは「灰色の物語(グレイ・サーガ)」だと書いていたが、本書ではますますその陰翳が濃くなっているような気がする。犯罪の関係者はもとより、捜査にあたるエーレンデュル警部たちも、取り戻しようのない過去の影のなか、重苦しい現実を生きている。
愛する者が突然行方知れずになり、どうなったのかわからない。これ以上の苦しみはあまりないのではないか。その痛苦がエーレンデュルの人生を支配しており、シリーズの基調ともなっている。本書では、恋人が突然失踪した女性の孤独が、強く心に残って忘れがたい。
不思議なのは、その陰鬱な雰囲気にもかかわらず、読後感が悪くないことだ。「地の果て」の小国アイスランドが舞台となっているためだろうか。寂寥感はあるが、荒んだ感じがしない。深い余韻を残す佳品だと思う。
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大国が冷戦時代にあった頃の自国の地政学的関わり(?)を物語に映している(織りこんでいる)。正直アイスランドの近代史に無知なのであるけれど、《ベルリンの壁》を象徴とする世界情勢のありようから、物語背景にある悲劇性は想像するに難くない。本シリーズはどれも謎めいた事件のその奥行を探るとともに、物語として同等の比重で現在主人公を苛む深刻な家族関係(父娘・本作では父息子も)が濃密に絡んでくる。しかしその状況は易く解決に向かわない。そんな困難に試されているような、耐える主人公の屈強なさま(人間臭さ)に強く惹かれる。
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このシリーズではご都合主義的なアクションシーン(危機一髪で仲間が助けに来るとか)はないが淡々と真相へ迫る過程は凄みを感じる。捜査とは関係ない刑事たちの私生活の挿話がシリーズが進む毎にじわじわと迫ってきてそれもまた次作を読みたいと思わせる。既に15作もあるようなので早期の翻訳(訳文もいい!)を切望。
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今回もすごくいい!とても悲しく重いストーリーだった。エーレンデュル捜査官シリーズは4作目。私はこれが一番面白かった。東欧や社会主義諸国の歴史なんて興味をもったこともなかったが、これを読んで多少なりとも学ぶことができたと思う。純粋で勇敢な若者たちが社会体制に翻弄されていく様子は心が痛むが、現代社会を考えると歴史はそう大きくは変わっていないのかもしれない。私は外国文学は苦手なのでこの優れた翻訳者にも感謝する。問題山積のエーレンデュルには幸せをつかんでほしい。シリーズの他の作品も早く邦訳されることを願う!
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面白かった。真相にたどり着くまでの構成が素晴らしいです。前作「声」のすぐあとに読んだこともあり、登場人物の状況もすぐに理解できました。湿地、緑衣の女もよかったけれど、この作品には別の重みがあってズシリときました。アイスランドでは旧知の人と出会いやすそうですね。どんな国なのか、この作品を通して少しわかるような気がします。次の翻訳がとても楽しみです。
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アーナルデュル・インドリダソンと翻訳者の柳沢由美子さんの選ばれた言葉たちが重く、そこにある世界をえがく。干上がってきた湖で見つかったソ連製の無線機にくくりつけられていた白骨遺体が誰なのか分からないように書かれていて、最後まで楽しめました。個性的な殺人課の面々と、息子と娘。親子でうまく分かりあえればいいのにといつも思う。
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レイキャビク警察のエーレンデュル刑事、第4昨年。
あらすじ
干上がった湖から男の白骨が見つかる。ドイツ製の機器が結び付けられていた。エーレンデュルたちはまずは行方不明者をあたり、農業機器のセールスマンに目を付ける。彼には公的な記録がなかったのだ。さらにドイツ製の機器が諜報機器ではないかと外務省、ドイツ大使館などを辺り、かつてアイスランドが東ドイツに留学生を送っていたことをつきとめる。当時はどちらも社会主義国だった。
エーレンデュルの娘エヴァは、薬物中毒から抜けきれていない。息子のシンドリスタイルは突然エーレンデュルを訪ねるが醒めている。
同僚のエリンボルクは料理本を出した。
アイスランドは人口30万人の小さな国。そこで湖から殺害された死体が上がった。しかもドイツのスパイ活動と関係があるかもしれない。その割には捜査がすごーくゆっくりでのんびりしている。問い詰める側も吐き出す方も自分のタイミングで行動している感じ。だから捜査の間に誰も彼も色々考えてしまって、それが面白い。本国では15作続いているらしい。次回も楽しみ。
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冷戦時代のヨーロッパ諸国の学生たちの立場は熱く、そして脆い。一体の死体を巡り現在と過去の物語が進む。登場人物の誰もかれもが心に病を持つものばかりで全体的に暗い。
最初はグダグダとつまらない出だしだったけれど、やがて犯人像が浮かび、問題は死体は誰だ?に焦点が注がれ始めると面白くなる。日本小説と違い、海外小説はとにかく人物像の描写が細かい。それが面白いのだ。
海外小説はいろいろと地雷も多い。書棚からランダムに引き出しで選んだ本があたりだと嬉しい。