紙の本
経済学を理解するための切り口が豊富
2017/05/30 10:55
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tomoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
神話・古典・宗教を切り口に解説された経済学は何と理解しやすいことだろう。
旧共産圏出身の経済学者で、経済体制の大変化を実際に経験し、その名残を意識しながら経済運営や政策立案をしてきた経験からの著作であろうから、読み応えもある。
少し変わった視点から古典・文学作品を読みたい人にも楽しめる一冊ではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
西洋の古典における経済思想を解きほぐし、現在の数理的に割り切った分析に基づく経済学を心を失った社会学として不完全なものとする。
ギルガメシュ叙事詩や旧約聖書では都市と自然、社会と個人などが対比され現代に通じる自然が不自然化する(服を着るなど)、文明化と経済社会化を記述する。しかし経済社会はいつも倫理とセットであり、ヘブライ社会では経済は重要な項目であったが社会はあくまで神の論理を一番に置いていた。アダムスミスも道徳感情論を主著としていたようにあくまで人間の本質が前提で経済の考え方は後にくるものだと考えていた。ケインズも経済が成熟化すれば誰も経済のことなど考えなくなると予想していた。教養本としてはギリシア哲学、キリスト教思想など西洋のベースとなる思想をカバーしておりためになるとは言えるが、実際に現在の経済を理解する上で役に立つかというとわからない。
結論としては、現状は過去の倫理学から分かれた政治経済学とは異なり、何度もインセンティブが暴走し経済危機が起こる不安定な状況であり、この倫理を忘れた合理的人間像をベースにした経済学の欠点を浮き彫りにしようとしている。
投稿元:
レビューを見る
レビューはブログにて
http://ameblo.jp/w92-3/entry-12083610628.html
投稿元:
レビューを見る
西洋人の知の土台を再認識することができる一冊。日本人には当然ではなく、その理解なしに現在の問題を同一の視点で語ることは無理がある。一方で問題を相対化して語ることができる可能性があることは、大きな利点でもある。
経済学の本だと思って本書を手に取った人は、良い意味で期待を裏切られるでしょう。
投稿元:
レビューを見る
現在のウォール街の問題をギルガメッシュの壁から語り起こす経済学についての一大叙事詩です。道具としての経済学はいかに近年のものであり、経済が人間とか社会に向き合う学問である限り、「倫理」からは目を背けてはならない、という熱い想いが一貫されています。「神の見えざる手」の元祖とされているアダム・スミスに対してさえ「国富論」より「道徳感情論」の作者として光を当て直しています。キーワードとしてアニマルスピリットが多く使われていますが、レヴィ・ストロース「野生の思考」を連想してしまいました。また最近、シンギュラリティが間近とされているAIの専門家が、これからはテクノロジーには倫理についての議論が求められている、と話されていたことも思い出しました。とにかく膨大な教養によって経済学の限界と可能性を語り巡る旅としての読書でした。そして、こんな知性が現実の経済の責任者だったなんて、チェコすごい!
投稿元:
レビューを見る
数学や物理学をはじめ、いわゆる「科学」と呼ばれる学問は、理論を構築するにあたり必要な公理系(または実験的事実に基づく法則)を基礎として演繹的に構築していく。
翻って、経済学はどうであろうか?
確固たる基礎を持っているのだろうか?
よく理論経済学の論文なんかで登場する効率的市場仮説(EMH)やホモ・エコノミクスを仮定しているが、これは本当に人間の行動をうまくモデル化していると言い切れるのだろうか。
金融工学をはじめとした数学的に経済を分析する、ということが近代経済学の主流であることは疑いようがない。
Black-Scholes方程式からデリバティブのプライシングをするとなんかカッコいいし笑
本書は、この徹底的に定量化され、人間が数値に落とし込まれる現在の経済学をもう一度再構築することを目的とする。
では、再構築するときの土台となるのは何か?
人間の心の部分である。
では、人間の心となる部分は何か?
宗教である。
本書は、さらに宗教を古典にまで還元している。
ギルガメッシュ叙事詩や旧約聖書にまでさかのぼり、人間の経済的な活動の起源を求めている。
正直に言うと、この部分はあまり受け入れられなかった。
というのも、少々話をこじつけすぎではないか、と感じることが多かったからだ。
これはひとえに、宗教的なバックグラウンドが不足しているからかもしれない。
日本人がMax Weberの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んでもイマイチぴんとこないのと同じ現象であるように思える。
本書がヨーロッパでベストセラーになっていることを鑑みると、ヨーロッパの哲学や宗教(および古典)に対する知的水準が高いことが見て取れる。
投稿元:
レビューを見る
2017.7昔栗本慎一郎とかはやったけれど、そのあたりの話なのかなあ。いずれにしろ倫理と考え方の話が経済から落ちているのは確かに共感できる。定常状態がもっと見えてもいいのかもしれない。持続可能性とか。まあ面白くよめた。
2017.6 4章まで読んでいったん止めることにした(近代に入る前)。面白いのだけれど今読むと当たりそうなので。また今度。
投稿元:
レビューを見る
この本は作中にも書かれているように「機械論的・強権的な主流派経済学に対する批判の書」です。つまり、現在の経済学にありがちな数式等を駆使したものではなく、数式で表すことの出来ない倫理、哲学を土台にした経済学の本であると言えます。私自身もこの作者の意見には賛成で、物理学等と違い、経済学は人間の行動を相手にした学問であり、そこには倫理学、哲学だけでなく、社会学、心理学等複雑な要素が沢山絡んでいます。その複雑な要素を数式だけで表すのは到底無理な話であり、実際問題現実世界においても様々な経済学の理論はあれど幾度となく金融危機が生じています。経済学は全てを数式で表そうとはせず、数式で表せる部分とそうではない部分を補完し合いながら学ぶのが最適だと考えている私にとってこの本に記されていることには概ね賛成することが出来ました。
また、この本は経済思想の変遷も比較的分かりやすく記しており、社会思想史を学ぶ上でも大変参考になる本でした。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりの書評です。表面的なテクニックに留まらず「あるべき」という倫理を追求することは、改めて仕事に当てはめる必要があると感じさせられました。
本書は、経済思想は本来、哲学、宗教などと密接に関連し、常に「倫理的な規範」「善と悪」の価値判断と不可分であるが、現代の主流派経済学は分析的アプローチと数学モデルによってこうした倫理と決別したように=「価値中立的」に見える。しかし、実は「効率性、完全競争、高成長」「快楽追求・効率至上主義的」に価値を置いているとし、リーマン・ショックの問題も契機に、物質的反映がもたらす幸福を躍起になって追い求める「経済成長」よりも巨額の債務に依存しない安定性がより重要であるとしている。
投稿元:
レビューを見る
図書館で借りた本。テレビで特集を見て。ギルガメッシュ、ヘブライ、ギリシャ、キリストを通して、経済学という視点で、成長神話、合理性を批判している。アダムスミス、デカルトのところが面白かった。
投稿元:
レビューを見る
ピケティさんの資本論が統計学と数学を用いた現代経済の分析なら、本書は哲学と歴史から分析した経済学の再定義であり、どちらも読むと良いと感じた。著者は「欲望の経済史」でも取り上げられていた若き天才セドラチェク。経済学に関する本なのに数式やグラフは一つも出てこない。むしろ、神話、ローマ・ギリシャの哲学者やキリスト教などとの関わりから経済学を語る手法で、こちらが本来の姿ではないかと思う。
投稿元:
レビューを見る
無味乾燥で数式とCeteris paribus(他の条件が一定なら...)のオンパレードとなった経済学を、倫理と哲学の視点からRe-buildを諮るユニークな一冊である。
アダム・スミスの代表的著書が『国富論』と並び『道徳哲学論』であることを考えれば当然なのだが経済活動と道徳は呉越同舟である。しかし皮肉なことにアダム・スミスを契機に無機質化した経済学に再度有機的要素の復権を試みる。ギルガメッシュ叙事詩や新旧約聖書、ギリシャ哲学のなかに経済学的要素を見出し、特にマンテヴィルの「蜂の寓話」の非効率非対称だからこそ経済は発展する例えは示唆に富む。
「不足感が不足を生む」「数学はエレガントに創っているからエレガントに感じて当然」など、セドラチェク氏の逆説的論法が小気味良くて面白い。途中までは知的で大局的な内容であったが、最後で「人間的な地に足の着いた経済活動を」的なこじんまりした結論を語っているのでそこは不要だったかも。
倫理に根差した自然発生的な人間の経済活動を、「神の見えざる手」を起点に「アニマル・スピリッツ」から第三者の象牙の塔が何やら得体の知れないものとして扱い始め、ゲーム理論など一周回って余計難解な解釈に行き着いてしまっている。今一度基本に立ち返って経済を考える時期にきたのでは、という警鐘を鳴らす本であった。
投稿元:
レビューを見る
経済の歴史をギルガメシュ叙事詩や聖書から紐解き、現在の成長一辺倒な主流派経済学に警鐘を鳴らす。経済学は元は哲学や倫理の一領域だったが、科学を指向するあまりいつしかその源流を忘れてしまった。多くの引用を交えつつ一から説明してくれるので、経済の専門家でなくとも理解するのに支障はない。読了までに一ヶ月以上かかってしまったが、実に有意義な読書体験だった。
投稿元:
レビューを見る
「本書は機械論的・強権的な主流派経済学に対する批判の書である」…私の習ったサミュエルソンの経済学はまるで数学書のようでしたが、セドラチェクはこれをほんの一時期の一部分を捉えたものとしています。それは言ってみればアダムスミスの「国富論」の中のほんの一言「見えざる手」を取り上げて発展させたものなのだと。「国富論」が片足なら、「道徳感情論」がもう片足で、両方なくして経済学は立つことはできない。それこそがスミスの主張だったのだと。何千年もの間、経済は道徳、倫理、哲学などを含んでいた。ギルガメッシュ叙事詩から旧約新約聖書、ギリシャ哲学から中世の神学、ありとあらゆる古典の中に経済学的叙述は多数含まれていた。それなくして経済を考えるべきではないのだ。…うーん、これは死ぬまで一定の影響を私の中に残すでしょう。今年のNo.1ですね。
投稿元:
レビューを見る
チェコ人の経済学者による、経済論。
歴史を紐解き、聖書や古代ギリシア、ローマにおける哲学、倫理学、数学等と経済学との関連を明確にし、善悪を含めた倫理の要素と経済学とに焦点を当て論述している。以前は倫理的要素が経済学でも大きく論じられていたが、現在は経済学と倫理学、哲学とは切り離されている。善悪の観点を排除した現在の経済理論は、目的を見失っていると批判している。常に進歩と発展を追及している資本主義のあり方に警鐘を鳴らす著者の考え方は理解できた。
「よい経済学者であるためには、よい数学者であると同時によい哲学者でなければならない。経済学は数学に肩入れしすぎて、人間的な要素をおろそかにしてきた」p13
「現代人は進歩という概念に毒されているが、古くはこの概念は存在しなかった。時の流れは循環的であるとされ、人間が歴史に足跡を残すとは考えられていなかった」p18
「社会が全体として高度化するほど、その構成員は個人として独力では生き延びられなくなる。社会の分業が進むほど、生存に関わる程度にまで相互依存の度合いは高まる」p40
「14世紀のヴェニスでは、ユダヤ人といえば金貸しだった。経済史家のニーアル・ファーガソンが指摘するとおり、シャイロックが「アントニオはいい人間だ」と言うとき、それは倫理的によいという意味ではなく、返済能力を備えているという意味である。ユダヤ人が、金貸しはどの職業よりいい商売だと知ったのは、この頃である」p117
「プラトンもアリストテレスも、労働は生きるために必要とみなしていたものの、それは低い階級のやることだと考えていた。そうすればエリートは労働に煩わされることなく「純粋に精神的な活動すなわち芸術や哲学や政治」に専念できる。アリストテレスは、労働は「堕落であり時間の無駄であって、真の名誉への道を妨げる」とさえ考えていた」p123
「安息日は生産性を高めるために設けられたのではない。安息日は絶対であって、主が天地創造の七日目に休んだ例に倣っている。主は疲れたから、あるいは元気を回復するために休んだのではなく、大仕事を成し遂げたから休んだ。仕事をやり遂げたら、達成感に浸り、成果を楽しむ。七日目は、楽しむための日なのである」p125
「(クセノポン)家具であれば、家に十分整えればそれ以上は買わないものだ。だが銀の場合は、どれほど所有しても、これ以上いらないと言う人はいない」p148
「(マンデヴィルの平和な蜂の世界)この社会で起きたことはこうだった。蜂はいよいよ栄えてよい暮らしをするどころか、まったく逆のことが起きたのである。窓枠もドア飾りもいらない社会では、一握りの鍛冶職人しかいらない。一事が万事で、多くの蜂は職を失ってしまった。判事、弁護士、検事も失業し、法の執行を監督する役人も不要になる。贅沢も暴飲暴食もなくなり、需要が激減して、農夫、執事、靴屋、仕立屋は商売が立ち行かなくなった。好戦的だった蜂社会は平和志向になり、軍隊は廃止される。あわれ大勢の蜂は死に絶え、ごく少数だけが生き延びる」p262
「悪徳は有効需要を増やす相乗効果に相当し、経済の牽引力となる」p265
「アルコール中毒患者が飲んでも飲んでも飲みたくなるように、消費は本質的には中毒と同じではあるまいか」p312
「経済学は「稀少資源の配分」の学問とされているが、では資源が豊富になったらどうするのか」p340
「私たちは、感謝し満足することを知るべく努力しなければならない。信じられないほど貧しかった古代の哲人に比べれば、少なくとも物質的には何百倍も豊かな状況にあるのだから」p347