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イギリスにおいて地理学を切り開いたマッキンダーによる、英国での本格的地政学書であり、古典地政学の名著でもある。
この本で特に強調されている点は、ハートランド理論と言われるものである。ハートランドとは、「ユーラシア大陸の中核地域」であり、マッキンダーは、ここを制する国が全世界を制する、というものである。また、第1次世界大戦まではシーパワーとランドパワーのうち、シーパワーが強かった一方、今後はランドパワーが強くなっていくだろうと予測している。
マッキンダーの視点は、非常に独特で、スパイクマンやグレイに大きな影響を与えていくのである。
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マッキンダーの「デモクラシーの理想と現実」は長い間幻の書と云われた古典書だったが、ようやく復刊され日の目を見たのが本書。
第一次世界大戦までの欧州で起きた戦争が地政学という視点に基づき見事に解明されている。
表面的な歴史事項を学ぶだけではなく真に歴史を理解する上で必ず一度は読まなくてはいけない本だろう。
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地政学の名著。本書によって学問上の思考枠組みの定義がなされたという意味でまさに記念碑的文献といえるでしょう。じっくり腰を据えて読み込みたい一冊です。
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地政学の祖たるマッキンダーの名著, democratic ideals and realityです。地政学の古典と言うと、マハン、スパイクマンなども思いつくと思いますが、それらと共に押さえておくべき必修の書籍でしょう。
諸民族、国家の行動は地理学的な要素を基軸にしている。と言う観点から、古くはクレタ島とギリシャの関係、近年では(と言ってもこの書籍が書かれた年月から換算して)第一次世界大戦までを解析している。
その議論は一貫して大陸側勢力であるランド側勢力と島国・海洋勢力を根幹とするシー・パワーの鬩ぎ合いとして書かれており、海洋勢力を抑える大陸勢力の戦略、大陸戦力を抑える海洋側の戦略が語られている。根幹にあるのは地理の徹底的研究であり、この書籍を読むに地球儀やgoogle mapを多用してしまった。ロシアを中心とするハートランド、アラビア、トルコ、ヨーロッパ、南ハートランド(アフリカ)の地理的な特徴と民族・国家の成立、侵略経路に関して非常に参考になる考察がされている。特にナポレオンの時代から世界大戦後に於ける各国、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、オーストリア、日本、インド、南アフリカ、東欧諸国に関する知見は興味深い。
特に面白い点として、私はその拡張性だろう。自然要塞とステップに於ける動物を用いた大陸側の侵略、喜望峰の発見に依る海洋性力の大陸勢力の対する優位性の発揮、更に鉄道の敷設に依る大陸側の経路発展…続き、二次世界大戦後の空の移動、次世代の宇宙開発は地政学の理論を拡張して論ずることが出来るだろう。国際外交、エネルギー政策を扱う上で必須の書である。
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地政学の元祖と言われる名著。
地理的条件や歴史などを分析してハートランドの重要性を示す。
後に国際連盟設立の理論的支柱のひとつとなったり、冷戦時のアメリカの外交戦略形成にも(間接的に)影響を与えることになるすごい本。
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本書は、地政学の祖と言われるマッキンダー氏の著作です。本書を手に取るに当たっては「地政学」とは何ぞや?という学問的観点から手に取られる方にはあまりお勧めできません。そのような観点からの著作は近年発刊されている地政学関連の新作のほうが勉強になると思います。本書は「地政学」と銘打ってはいますが、副題の「デモクラシーの理想と現実」のほうに主旨が近い内容と言えます。
内容面では、古代から現代(当時)に至るまでの歴史をヨーロッパを中心に俯瞰し記述している部分が大であるが、各地域の地理的特性に関連付けながらその動的変化を把握し、翻って「地政学」に該当する見方が見え隠れしてきます。時折、最近の著述かと錯覚してしまいそうな驚きがあります。政治・民主主義・社会問題等に関する問題指摘は、当時の英国が如何にいち早く「現代人」的な生活空間にいたかを実感させられます。
さて、本書に対する細々した指摘や紹介は本書の本質を紹介するのには程遠くなるので、やや抽象的表現を以下に用いて感じたままの感想を記述します。
ソクラテスやピタゴラスも、恐らく各々が立てた問いの答えを求めるために深い森を彷徨ったことでしょう。しかし、その森がどんな森だったのかは後世の人間が「哲学」「幾何学」等と分類整理して再発見したのではないでしょうか。「地政学」も同様、マッキンダー自身は内面に立てた問いを求めるべく彷徨った森が後にそのような分類になったのではないかと思います。
本書はマッキンダー氏が彷徨った森にまさに一緒に彷徨って行く臨場感が体験できます。本書を読む時、一旦「地政学」という文字を忘却して純粋に何を考えて何に疑問を持っているのだろうか?いや、これは一体何だろう?何を意味するだろう?広げられるだけ可能性や含みを広げて焦点を絞らずに、という心がけで森を歩いてみることをお勧めします。
出来うれば二度三度歩いてみることをお勧めします(自身も一度読んだ段階ですので、時間を置いてまた読んでみようと思う)。二度三度歩く度に再発見が見られそうな奥行きのある書物です。
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地政学の第一の古典というべき名著です。「東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する」に代表される言葉は地政学の本質を表しており、現在の米英の世界戦略の原点になっております。 日本も地球全体で世界を捉え、各国家が持つ地理と政治的な役割を把握する事が、外交や国際政治で有効な戦略を練るのに必要であると思います。
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地政学の名著らしい。第1次世界大戦後、第2次世界大戦前の作。ロシアが大部分を占めるような中央アジア地域を「ハートランド」と名付け、そこを握るものが世界を握る、とな。んん。。。
「イギリス人の頭のなかには地球儀がまるごとはいっている」という、訳者のあとがきにあった日本海軍の人の言葉が一番印象に残った。地球儀と、年表まるまる頭に入れて物事を考えたい。
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地政学の古典。名著。地政学に興味を持ってから、色々と入門書を読んだけど、結局マッキンダーが一番分かりやすく面白かった。
ギリシアの半島支配と、マケドニアの侵攻、ヨーロッパ半島、アフリカ半島とスエズ運河、そして”世界半島”とハートランドなど、地理的な要因を軸に過去の歴史の類型を解説していくのがすごく読み応えがあった。
ランドパワーvsシーパワーといった運命論を語ってるのかと思ったら、そんなことはなく徹頭徹尾地理的要因から歴史を語っており説得力があった。
地球儀片手に読みたい本。
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第1章 われわれの前途によせて
第2章 社会の大勢
第3章 船乗りの世界像
第4章 内陸の人間の世界像
第5章 さまざまな帝国の興亡
第6章 諸国民の自由
第7章 人類一般の自由
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言わずと知れた地政学のバイブル。ハートランドを制する者は、世界島を制する。世界島を制する者は、世界を制する。これを真に受けたソ連という国がかつて存在した。その後の彼の国の命運は周知のとおり。ともあれ全ページ金言に溢れ、大国の世界戦略を知る上で大変参考になる本。
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高みからの視点、帝王学。軍幹部の座学はこのようなものだろうか。詳細なところは斜め読みになってしまったが、エッセンスは感じられたかもしれない。
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ハートランド=中欧から中東まで
と
世界海
という視点で読み解く地政学。
イギリス人の頭の中には地球儀が入っている、そうな。
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地政学中興の祖マッキンダーの主著。元々彼は地理学の専門家で、彼の理論にしても地理と歴史を統一的に教える教育者の立場から生まれたものだった。彼は演説の名手で、彼が壇上に立って説明すると、ズブの素人でも頭の中にリアルに対象の姿が飛び込んできて、しかもその後でそのテーマについて一人で想像をめぐらし、理解を深めるように仕向けることができたらしい。
もっとも、この本を現代人がちょろっと読んでそうなれるかというと別問題で、当然100年後の現在とは世界情勢も世相も違うし、地理にもそれなりに詳しい必要がある。ただ、基本的なポイントは比較的シンプルで、マハンが広めたシーパワーの概念に対し、ランドパワーを対となる概念として持ち込んだこと。そして歴史的なシーパワーの基地の概念をうまくモデル化し、時代が下るにつれてそのモデルが拡大を続け、最後には世界大となることで、ランドパワーが唯一のシーパワーになり変わる、という風に単純化できる。
よく飛行機発明前の説なので、現在は時代遅れと勘違いしている人がいるが、シーパワー、ランドパワーというのは戦争(軍)といった狭い範囲の短いタイムスパンの話ではなく、産業、文化すべてをひっくるめた話なので注意が必要。現在、戦争の新しい舞台として宇宙、電子空間が重視されつつあるが、いましばらくは物理的な制約のせいでマッキンダーのモデルがが有効かと思われる。
この本が書かれた第一次世界大戦前は、ランドパワーのドイツがシーパワーのイギリスと正面衝突しようとしつつある時期で、構図としては中国がシーパワーの日本、アメリカを挑発し続けている現在とよく似ており、極めて重要性が高い本だと言える。地政学の論点はほぼこの一冊で論じつくされていると言え、あとは時代に合わせた細部の話に過ぎない。
本書は長らく幻の名著と言われ、80年代半ばに和訳が出るまでは、地政学と銘打った書でもすべて孫引きばかりという状態だった。その後ほどなく和訳も絶版になったが、近年の地政学ブームで復活。タイトルも原題に忠実な『デモクラシーの理想と現実』から、キャッチーな『マッキンダーの地政学』に変更された。
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歴史上の大戦争はことごとく直接的にも間接的にも国家間における成長の度合いの不均衡から端を発している。
十九世紀以降ダーウィンの生物進化論のおかげで、とかく人類は、その自然環境にもっともよく適応した有機体なり組織が生き残れる、という考え方に馴らされてきた。しかし人間的な知性は、まさにこのたぐいの単純な宿命論をこえる何者かを発明しなければならないところまできている。
文明とは、とどのつまり我々がお互いに他人のために役にたつように、社会を組織することにほかならない。
我々の孫の時代になって、ふたたび地理的な誘惑に駆られてお互いに衝突を繰り返すことのないように、国際社会のコースを設定する。
本当の意味の思想家は、この世の中でかけがえのない存在である。これらの人々がわれわれに刺激を与えてくれなければ、社会はやがて停滞し、文明は衰亡の一途をたどるだろう。
近代以前の古い時代においては、まだ自然の力のほうが人間よりも強かった。したがって苛酷な現実が常に人間の野望をおさえてきた。言葉をかえれば、世界全体がまだ貧困だったために、欲望を捨ててしまうことだけが、一般的に幸福にいたるための唯一の途と考えられたわけだ。
近代の世界は見違えるほど金持ちになった。それに人間が自然の作用を支配できるケースも、またけっして少なくない。したがって、かつては運命にその身をまかせたあらゆる階級の人達も、富の配分さえ適切に行われれば、公平なチャンスにありつくことが可能だ、としだいに考えるようになってきた。
人類の自然支配という事実を抜きにして、デモクラシーの理想について語ることはおよそ無意味である。
現在、人類が豊かで、比較的に平穏な暮らしを楽しんでいられるのは、取りも直さず労働の分業とその調整の産物である。ただし原始的な社会の簡単な道具類にとってかわった複雑な工場の機械は、絶えず修理を必要とする。いいかえれば、現代における富の生産は常に社会組織と資本のはたらきを維持することを、その前提にしているわけである。
社会自体が一個の大企業体のようなものであり、われわれの暮らしが成り立つ条件の少なからぬ部分が、事業とその得意先とのあいだの“信頼関係”に比較できる。
つきつめていえば生産の能力というものは、すでに近代の文明にとって、単なる富の蓄積などよりもはるかに重要な現実の要素になっている。一般的にいって、現に 文明国家が保有している評価が可能な富の総額は、かなり古くさい時代物の財宝まで含めて、せいぜい七年か八年分の生産量にしか相当しないといわれる。
すぐれた組織者は、卓越した現実主義者でなければならない。これは想像力に欠けるという意味では無論ない。が、その想像の広がりは、もっぱら具体的な方法手段を追求するためのものであって、ただ漠然とした目的を追いかけているゆとりは、彼には乏しい。
組織者というものは、たいてい他の人間をすべて自分の道具のように考える習性をもっている。これは、ちょうど理想主義者の神経と正反対である。理想家のいうことは、し���しば人の心の琴線に触れるので、われわれの心はともすれば動かされ、また飛翔をはじめる。
政治の世界においては、組織者は人間がただ国家のために存在するかのように考える。が、デモクラシーの陣営に属する理想主義者は、おおむね国家が自由を束縛するという理由で、これをたかだか一種の必要悪にすぎないと考える傾向がある。
芸術家は、死ぬまで自分の扱う素材の性質を、より深く学ぼうとして努力をつづける。しかも、ただ科学的な知識を深めるばかりでなく、さらにより実際的な、また“知覚的”な意味においてそれを試みるので、これをいいかえれば、彼の目的は、いわばいかにより確実に材料を支配するか、ということにおかれているとみてよかろう。
この丸い地球の上で人類が一緒に仲良く暮らすというのも、また相当に手のこんだ芸術である。とすれば、その現実に対応するために、われわれは人類全体についての知識を、ゆくゆくは物にしなければならない。しかも、それは単なる百科辞典式な事実の大量な記録にとどまらない。われわれは新しい時代を経過するたびごとに、現在と過去の一切を常に新たな眼で見、また新たな角度から見直すことになる。
平等というのは、要するに管理社会の概念であり、博愛というのは自己抑制のことにほかならない。