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少数民族の中でのみ使われる言語はグローバル言語に押され、消滅の危機にある。少数言語について研究する著者が、現地を実際に訪れ、調査を行なった記録と、それを通じて得た言語保存への想いが込められた1冊。日本語も大切にしないといけないな。
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地球上には数多の動植物が存在しているが、およそ80%を超える種類が、西洋科学の範疇において未だ存在を知られていない。それらの種は特定の地域に集中しており、その多様性から生態学のホットスポットと呼ばれているが、同時に深刻な衰退にも陥っているという。
一方で、言語に関しても同じような事態が起きている。少なくとも80%が未だ記録に残されておらず、今現在、何が失われつつあるのかすら正確には分かっていないのだ。こうした言語版ホットスポットのエリアを地図上に記し、現地に赴き、それらの言葉を記録しようと作業を続けているプロジェクトがある。
※参考リンク http://travel.nationalgeographic.com/travel/enduring-voices/
エリアの多くは伝統的な狩猟・採集民族や、自給自足の暮しをする人々の住む地域に該当する。オーストラリア、インド、パプアニューギニアからボリビアまで。その僻地にある共同体を、プロジェクトの一員でもある著者が訪ねていく。
彼らの最大の目的は、危機に瀕した言語ともに生き抜いていきた最後の話者の声を届けるというものだ。最後の話者たちは、すでに高齢だったり、虐げられ、抑圧され、また健康を害していることも少なくない。そんな言語の戦士たちが教えてくれたメッセージは、一体どのようなものであったのか。
ボリビアの高原にあるアルチプラノという地方。ここに住むカラワヤ族の中に、薬草について途方もない博識を誇る人たちがいる。彼らは西洋医学よりも早く、独自の実験方法によってケシの効能を知っていた。そして、その秘伝の知恵を守るために、秘密の言葉を編み出したという。
地球上最も過酷な地域に暮らすユピク族。彼らは少なくとも99種類の海氷の形状を識別し、それに呼称を付けている。それ以外にも、風、海流、星や天体など、あらゆる種類の季節現象にも名前が付いているのだ。これらの情報を統合的に活用することで、彼らは優れた天候予測能力を保持している。
シベリア南部でトナカイを飼いながら暮らしているトファ族。彼らは、ドゥーングルという単語をひとつ覚えるだけで、群れの中から特定のトナカイを識別することが可能なのだという。
それぞれの言語には、地形、土地固有の種、気候パターンや植生サイクルなどの環境要素についての特別な情報が、独自の形で文法や語彙に織り込まれている。そしてそれらが消滅するということは、自然界について人間が持っていた知恵も同時に消えてしまうことを意味するのだ。
普遍文法に代表されるチョムスキーの理論と違い、著者たちが支持しているのは、言語が現実経験に影響するという「言語相対論」なるものである。言語は私たちが言い得ることを告げるのではなく、言わねばならないことを告げるという考え方であり、その根拠をさまざまな言語の中に見出している。
本書で紹介されている危機に瀕した言語の多くが、ほかでは見られない独特の歌唱法を持っているということも特徴的である。ときには歌が、それを生み出した言語より長く生き続けることもあるのだ。
代表的なものの一つに、シベリアの奥地に住むトゥバ族のものがある。笛のような音、理容師の���うハサミのような音、さらには霧笛のような音、そのすべてを声道ひとつで出す歌唱法で喉歌(ホーメイ)とも呼ばれている。
※参考リンク http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=CQdCUKdUE80#!
これは古来からの基本形をそのまま残した歌であり、何世紀もの間に外の文化と接触し、多くの異なる歌やメロディに晒されてきたにもかかわらず、孤高の状態でその特殊性を保ってきた。そして歌は文字を使わない彼らにとって、自分たちの物語を記憶するツールとしての役割も果たしてきたのである。
口承文学とは、人間の記憶が最も過酷な試練を経て、最も純粋な形で到達した地点とも言えるだろう。何千年という間、先住民族の文化は膨大な知恵を整理し、そして伝えてきた。その歴史の重みこそが、彼らの拠り所にもなっている。
また近年注目を集めているのが、言語の所有権に関する問題である。固有のナレッジにおいて重要な役割を果たす言葉というものの捉え方が、使い手によって百八十度異なるから面白い。
ネイティブ・アメリカンに見受けられることが多いのが、「言語守秘主義」というものだ。彼らは自分の民族の言葉がオーディオテープとして保管されるような末路になるのなら、いっそ消えたほうがいいと考えている。生き残るためには、新たな話し手を作っていくしか方法がないのである。
もう一方が「言語シェアリング」という考え方である。トファ族やシベリアのチェルイム族などに見られるように、彼らは自分たちの言葉がビデオや音声で記録されることを望む。そうすることで「不死」の存在になることに価値があり、そうした記録によって生き残る可能性が増したと考えるのだ。
そのような言語シェアリングの発展形は、モホーク語の幼稚園、ナヴォハ語のポップ・ミュージック、オジブウェー語によるFacebook投稿にも見ることができる。世界で最も古い言語の多くに、このような新しいメディアが強い基盤を与えつつあるのだ。ちなみに下記の動画は、インドのアカ族の言語によるヒップホップである。
※参考リンク http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=7epBWBzjjdY
日頃、本をはじめとする「文字」の世界に浸っているがゆえに気付かされるのは、「声」の世界というものが持つ広大さである。本書は、本の中の世界から外の世界へと導くゲートウェイのような役割を担っていると思う。
世界は広い。文字に置換すると、たった5文字である。その事実を言語で記述するというだけではなく、言語的世界観を物語ることで伝えてくれている。
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言葉って1つあればいいじゃない。バベルの塔が建つ前に、1つの言葉で話せていた時代に戻ればいいじゃない。そう思わないこともない。
けれども、言葉というのは、その民族の文化、視点、生き方、歴史のすべてから成り立つものなのだ。1つの言葉に収めてしまうには無理がある。
今まで言葉について考えたことはなかったけれど、その多様性と豊かさに考えさせられる。
しかしながら、多民族の言葉をいやしいものと考える社会は辛いね。
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様々な国の言語のホットスポットで暮らす最後の話者たちからその言語にまつわる話を聞き、そこから「亡びよく言語とどう向き合えばいいのか」を模索している本。
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地球上には7,000近い言語が存在し、その大半は極わずかしか喋る人が存在せず消滅の危機に瀕している。言語学者の著者はそんな言語を探して世界中を訪れる。シベリア、オーストラリア、インド、ボリビア、リトアニア。アメリカ国内にも。言語は単に単語と文法だけでなく、文化や信仰、地理的条件などの環境と一体であり、言語の消滅はそこに存在する叡知の消滅だと著者は言う。
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噂にたがわぬ良書。
世界各地の共同体を訪ね、滅亡に瀕している言語を調査し、それらを守るための試みが理知的、かつ情感たっぷりに書き出されています。思い入れと冷静さのバランスが見事にとれているのは、著者が「亡びゆく言語」の専門家であるゆえでしょう。
氷と風の種類によって名前を使い分けるユピク族、丘の形や草の潰れた形までも認識するトゥバ語、我々のものとは全く異なる数え方を有するニューギニアの言語……ページをめくるごとに驚きがあります。
その驚きだけでも十分な読書体験となり得ますが、それ以上に重要なのは、言語を守ることは文化を守ることだけではなく、私たちの今まで知らなかった智恵を与え、世界の見方を変えることに繋がるという指摘でしょう。ある地域に根ざした人々とその言語だけが認識可能なものというのは極めて多いのです。
とにかく学ぶことが多い一冊といえましょう。丁寧良質な翻訳も好印象です。是非ともご一読を。
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言語はコミュニケーションを取る手段であるが、同時に文化や話す人々が昔から共有する知恵を伝える手段でもあるということ。言語学についての話は難しくてわからなかったが、いくつかの少数民族に伝わる物語や言語の紹介は面白かった。また、口承伝承については文字伝承より劣るとも優るとも、そもそもそんなこと考えたこともなかったが、口承が後世に話を伝えるに、文字に負けないツールだというのは目から鱗だった。識字は当たり前だとも思っていたし、そういう文化に育っていたし。
日本語が近い将来ほかの言語に淘汰されることはなさそうだけど(末永く使われてほしいと思う)、「亡びゆく言語」を諸地方の方言に置き換えると身近な問題として捉えやすいかもしれない。
まだまったく最後の話者ではないとはいえ、現地の文化を伝える若い担い手だったダニーさんが亡くなってしまったのはさぞかし悔やまれることだろう・・・。
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言語と文化とが密接に関係し,言語が失われることは同時にその地域の風土,気候,生態系などに関して何千年も積み重ねられてきた貴重な情報が消え去ることに等しい,という主張は目から鱗.
1章2章あたりの前置き部分は,やや主張の押しつけがましさが感じられて「期待はずれだったか」とも思いながら読んだのだが,途中からの世界各地をめぐる旅に入るあたりからは「最後の人々」をめぐる宝探しの波状攻撃である.
「文明論」「言語」と両方のツボを突かれているので,そりゃあ僕は降参です.
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自分の足を使って世界中に言葉を集めに行く著者の行動力がすごい。現地の人と仲良くなれるコミュニケーション能力もすごい。さらにこの本ではこんな言葉もあるのかという珍しい言葉がいくつか紹介されており,言葉はその環境に生きる人間の知恵であると実感できた。
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タイトルに惹かれて手に取った本だが、内容にもぐいぐい引き込まれて、読み終えてしまうのがもったいないぐらいだった。世界の言語滅亡のホットスポットという考え方も新鮮だったし、そもそも世界には7000の言語があるということも驚きだ。
とくに興味深かったのが、シベリアの言語と文化について。語感といい、熊に対する意識といい、アイヌなどの北方文化圏に属する民族・言語なのだと感じた。国境では区切れない、まったく別の視座で地球を考えるきっかけを与えてくれる。
言語が単なる「言葉」ではなく、「文化」や「記憶」を継承する遺産であるという当たり前のことも、痛感させられる。言語の滅亡は民族の「誇り」や「伝統」の滅亡でもある。今この時も、危機にひんした言語とともに死にゆく文化があると思うと胸が痛む。
言語学者や若い研究者の精力的な研究やフィールドワーク、話者の努力などの希望の芽も見られるが、訳者のあとがきにあった、ダニーの逝去にはとてもショックを受けた。最後の最後で、希望の灯を消された思いだ。言語の保護に関する現実の厳しさを突き付けられた。
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第1章 言語学者になる
第2章 シベリア・コーリング
第3章 言葉の力
第4章 ホツスポットのあるところ
第5章 隠れた言語を探して
第6章 言語の六次の隔たり
第7章 物語が生き残るためには?
第8章 歌が生まれるとき
第9章 世界が衰退に向かうとき
第10章 言語を救うために
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絶滅の危機に瀕する言語の記録のため、シベリアからパプアニューギニアまで、世界中の僻地を旅する言語学者。グローバリズムに呑みこまれ、現地語が消滅しようとしている。少数言語が失われてはならない理由とは?
ブクログでの評価が高かったので気になってはいたものの、読みなれない言語学というフィールドのお堅い本を読み切るのに数ヶ月かかってしまいました・・・一旦忙しくて中断もしたんですけど長かったなぁ。普段言語についてはほとんど考えたこともなかったのですが、言葉によって今まで脈々と受け継がれてきたものがあり、それを多数派言語で置き換えられるとは限らないということに気づかされました。日本語はそう簡単になくならないだろうけど、大事にしないとなー。とりあえず著者の行動力に脱帽。
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多様言語が減っている事実の何が問題なのか。
普段の生活でそんなに気にしないことであるし、それがわかったとしてどうなのかとも思っていたのだが、著者がそれをわかりやすく説明している点がよい。
日本語というそう簡単になくなりそうにない現状の言語を使用していると、世界にはもっと多くの言語があるということを忘れてしまいがちになる。しかし世界にはたくさんの民族がいるし、世界の文明が発達するにつれて大きな国に吸収合併、別の言語を強要されている実情を理解する。知らない言語で話されると自分たちの悪口言われているのじゃないかと思うのは自然なことだと思うけれど、それが大ごとになって少数民族の言語が排斥されているような状態だった。でも現実はそうではないし、普通の他愛ない会話を自分たちの慣れた言葉で話したいだけだ。それを思うとさみしく感じてしまう。
作中に出てくる失われゆく言語の話者たちが皆、著者たちに対して孤独と希望を持って姿を見せている。話す人がいないという孤独感は想像するだけでもつらい。しかも話すことがないと人は忘れてしまう。それはもっとつらい。言語が一つでも失われることを軽視し、統一して一つの言語にしてしまうことを奨励する人もいるようだが、自分たちがその立場であったならばきっと抵抗するのはないだろうか。そして現在世界で多く話されているたとえば英語で、すべてが表現できるわけではないということも理解しておくべきだろう。一つの単語で訳せば長い文章になる言葉もある。それはその言語を話す人たちの文化と生活から生まれたもので、それをもう知ることができないということだ。特に生活に根差した言葉はもたらされた文明によって既に失われ続けている。
願うだけでも祈るだけでも実際に行動しないと、本当に言語もその背景にある文化もなくなってしまう。それがとてもさみしいと思う。
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言語学についてちょっと気になって、手にとってみました。
少数民族についての言語や、失われそうになっている言語を研究者の人がしらべていて、それがとても興味深かったです。
後日、公式ホームページを見たらやっぱり口絵の部分に誤植があったようでそれが全てちょっと一安心。
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少数民族の話す言葉の多様性の意義と素晴らしさ,本当に無くしてはならないと思う.フィールドに分け入り研究する筆者のような研究者の地道な努力に敬意を払います.